東京都議選は小池百合子知事を支持する勢力の圧勝、自民党の歴史的惨敗となった。これまでも都議選は国政の影響を受け、国政も変えてきた。1989年(平成元年)に自民党が大敗してから28年。2017年の都議選は知事が前面に出て、時の政権に打撃を与えた。米ソ冷戦終結を端緒とする国際情勢の激変が、日本にも影響を及ぼした平成の都議選史をみる。
■知事が主役の初選挙(2017年)
平成8回目で最後の都議選投開票日は7月2日。現職知事の小池氏が地域政党、都民ファーストの会を率いて選挙戦を駆け回り、49議席へと躍進した。落としたのは1つだけという文字通りの圧勝だった。
平成で都議選を迎えた知事は鈴木俊一氏が2回、青島幸男氏が1回、石原慎太郎氏が3回、猪瀬直樹氏が1回。鈴木氏は87年都知事選で自民、公明、民社3党の推薦で当選してきたが、91年は自民党の小沢一郎幹事長が公民両党と別の候補を推し、都連の推薦で党本部を破った。
青島氏から猪瀬氏まではいわゆる無党派候補だった。知事自らが地域政党を率いて選挙戦の主役になるのは大阪が先鞭(せんべん)をつけており、東京では初めてだった。自民党は23議席と過去最低を15議席も下回る歴史的惨敗となった。国政選挙では民主党政権を嫌気する空気もあって、安倍政権は連勝してきた。今回の都議選は、自民党以外の選択肢を小池氏が示したことが、勝利に寄与した。
小池氏は1992年に日本新党から出馬して国政に登場し、2005年はクールビズを提唱、郵政選挙では「刺客」として東京に来た。いずれも都議選と近い年か、同じ年だった。
■自民、歴史的大敗(1989年)
89年、昭和が終わり、元号が平成になった年の都議選は6月23日告示―7月2日投開票。今回とまったく同じ日程だった。
自民党の議席は63だったが、リクルート事件による政治不信、4月の消費税導入に加え、6月に竹下登氏から交代したばかりの宇野宗佑首相に女性問題が直撃。告示日こそ宇野氏は遊説したが、その後は出番がなかった。
さらに選挙戦最中に「首相が一時、辞意」と伝わり、宇野氏の求心力は一段と低下。自民党は歴史的な大敗を喫し、社会党が躍進した。
1カ月後の参院選でも自民党は敗れて初の過半数割れ。宇野氏は「明鏡止水の心境」と言い残して退陣した。
■非自民連立への転機(93年)
93年の都議選告示は6月18日。国会では宮沢内閣不信任案が可決されて衆院は解散。自民党は結党以来の大分裂を起こし、東京では衆院選と都議選の「ダブル選挙」の様相を呈していた。
主役を務めたのは日本新党だった。4年前の都議選とは違い、米ソ冷戦の終結による国際情勢の激変、PKO法案をめぐる牛歩や議員辞職戦術などが嫌気され、野党第1党である社会党の支持は低下。「自民党ではない保守政党」への期待が高まっていた。
日本新党は公認だけで20議席を獲得する大勝利で、都議選選対本部長を務めていたのが小池百合子氏だった。小池氏は直後の衆院選で参院からくら替えして当選。自民党は野党に転落し、小池氏が属した日本新党の細川護熙代表が首相になる「非自民連立政権」が誕生した。
■小沢新進党の壊滅(97年)
97年の都議選投開票日は7月6日。当時、都知事は2年前に既成政党不信、無党派旋風の象徴として当選した青島幸男氏だった。国政は自民党、社会党、新党さきがけの3党連立による橋本龍太郎政権と、非自民勢力を結集した小沢一郎氏率いる新進党が対峙する二大政党。衆院選は前年の96年秋に終わっていた。
争点は見えにくく、橋本内閣の堅調な支持率もあって自民党は復調。問題は二大政党の一翼を担っていた新進党が議席ゼロと壊滅したことだ。
衆院では新進党に合流していた公明党は当時、参院と地方議会では「公明」として活動しており、これが新進壊滅の一因だ、と新進党首脳部は不満を強め、この年の末に新進党は解党してしまう。
自民党への批判票を集めたのは共産党で、過去最多の議席を獲得して第2党に躍進した。