webディレクターの阿呆な研究

Read Article

株式会社DeNAトラベルを退職しました(うまい棒タワー建立と、これからのこと)

2017年6月30日、株式会社DeNAトラベルを退職しました(最終出社日も6/30です)。
2009年1月入社から8年半。
組織が赤字のころから、日本でも指折りのOTA(オンライン旅行会社)になるまで一気に駆け抜けました。
そしてwebディレクターもあわせて卒業です。
こちらは2005年4月からなので、約12年。干支が一周する間、webディレクターやってたことになります。

DeNAトラベルも、webディレクターも、大好きな場所・仕事でしたし、その気持ちはかわりません。
その気持ちが昂った結果、最終出社日、会社のこれからの発展を全力で祈るべく、うまい棒タワー建立に至りました。


※アジアナンバー1の「1」を祈るべくタワーに飾ろうとして、風船が巨大すぎたので横においている。風船にはっているシールはうまい棒のおまけ。
※うまい棒は120本程度使用。なお、芯材としてはハンズで発泡スチロールを利用。
※当日「退職者が配るお菓子何がほしいですか」ときいたところ、エンジニアからは「うまい棒」、同僚からは「ウコン」というリクエストがあったので本当にうまい棒+ウコンの力デコレーションにしました。

うまい棒タワーも建立したことだし、次のステップに進むための自分の区切りとして、退職エントリーをかいて「えいやあ!」としたいと思います。

退職の理由

「事業会社のwebデザインの業務で、UI/UXを担う人」

「新たな文化を作るために、共創の現場でビジュアルファシリテーションを担う人」

という属性チェンジのための転換点です。

このへんの属性チェンジに至る前に、いくつかキャリアについて考えていたトピックがありました。

  1. 旅行会社か、デザインか、というキャリアの選択
  2. 35歳の壁と、残工数
  3. 社会的なニーズの高さについて

旅行会社か、デザインか、というキャリアの選択

会社が赤字の規模が小さいころから、日本でも有名なOTAになるまでの間、販促や開発、社内の広い範囲のデザインに関わってきました。
「だいたいぜんぶわかるし、誰に話を通すとうまくいくかも見えるし、社内業務にもとめられるための根底となるスペシャリストとしての知識も相応にある(ない部分もあるが普通に学ぶことはできるので全然問題なし)」という状態。
よくもわるくもスペシャリスト、特に『ピン芸人』としての信頼貯金がざっくざくたまっていました。

入社時からの戦略として、この『ピン芸人』としての信頼貯金は、不妊治療~妊娠出産育児とかの間の仕事進行のために換金して使おうと思っていたのですが。
それ以前に「この先、自分がいるべき場所はこの会社なんだろうか?」という疑問がずっと根底にはありました。
2015年3月に産技大人間中心設計履修証明を修了してから、ずっと。

開発業務、販促業務をやっている中で、旅行業の人々とも相当に話し込んで業務についても学んでいきました。
旅行はBtoCは薄利多売であること。
どちらかというとBtoBの契約(toCとの売り上げ件数等)のキックバックや手数料が利益の中心であること。
旅行会社同士、世界中の航空会社・鉄道会社・ホテル、観光庁、法律、金融系サービスや保険、ユーザー、様々な関係者が複雑に絡み合っている巨大な市場であること。
オンライン旅行会社を支える技術は、その様々な関係者の絡み合いと調整が裏側にあるということ。

旅行会社にいるならば、そうした『旅行業』での事業づくり=お金の稼ぎ方をうみだすことが、おのずとこれからのキャリアとなっていくはずです。
実際に、デザインやオンラインマーケティング出身の昔の上司や後輩たちも、その旅行業での事業づくりについて手をうごかしていたのです。
しかし、そこにえいや!と踏み込めない自分もいました。

どうしても、自分は、デザインが好き。情報デザインの分野で、社会に関わりたい。
そういう思いがぶれずにあり、かつ情報デザインの分野でOTA内で『旅行業』での事業づくりをしようと思ったとき。
『今』の会社に、『今』の私のまま、関わる道というのが描くことがどうしてもできませんでした。

・今の会社のステージ:既存事業が超絶筋肉質でガンガン成長しており、旅行業のなかで相当大きなプレイヤーになっている。スペシャリストに求めるのは「汎用的に組織的に運用していけるように仕組みをつくること(私の担当はUI/UXですが、UI/UXというよりは人間中心設計で活きる道を選んだので、UI/UXをテーマに組織づくりすることに興味はなかった)」
・今の自分のスキル:開発現場はぶんまわせるけど、事業をぶんまわすことはできない

好きな場所、好きな人々に囲まれていながらも、自分のこれからの未来を描けない。
どうしていくのがいいのか、何度も何度も上司・同僚と話し、自分がどう関わり続けるべきか考え続けた部分でした。

35歳の壁と、残工数

そんな中、2016年末から2017年頭になって、自分の稼働工数が目に見えて減っていることに気づきました。
月20人日だとしたら、18~18.5程度が安定したパフォーマンスをあげられる稼働工数なのです。
安定して成果をあげられる稼働工数が減っているというのは、相当なショックでした。

理由はPMSおよび月経困難症。あと体力低下(35歳怖いよ!まじ実感したよ!)。
ピルをのめばまあ解決するのですが、不妊治療を継続前提でお休みしている段階で、またピルをのむという選択もできず。
本職としての旅行会社のwebディレクター業務に加え、副業(複業)としてのグラフィックファシリテーション、グラフィックレコーディングを用いて場づくりしてきた中として、工数の再配分の検討は必須となりました。

当然、優先すべきなのは本職のwebディレクター業務ですが。
限られた工数なのだとしたら、工数対効果で社会的な価値があるのはどちらか?という問いでかんがえたとき。
開発現場まわせるけどUI/UXにテンションあがりきらないwebディレクターよりは、情報デザイン=グラフィックファシリテーション、グラフィックレコーディングを用いた場づくりおよび成果積み上げのほうが、やれる人が限られており、社会的な価値があるなと判断。
「社会的な価値のある(と自分が信ずる)ほうに、限られた残工数を投入する」という方針を固めました。

社会的なニーズについて

これはビジュアルファシリテーションチームBRUSHを立ち上げたときに、率直なところをかきましたので引用します。

2年半の間、5人があちこちでつくってきた場は、100以上。
ともに場をつくる挑戦に取り組む中で、一緒に描く仲間も加速度的に増えてきました。

しかし、場を作ってきた中で、課題も浮き彫りになってきました。
「1人で変えていける範囲・その場限りで結成するチームには、限界がある」ということです。
グラフィックレコーダーとして1人で社会と向き合う機会が増えるごとに、1人ずつでは関わる時間や範囲が限られてしまうことを痛感しました。

世に確実な変化をもたらし続けるためには、継続的に現場に関わって、プロセスをつくっていくことが必要不可欠です。
また、プロセスのタイミングに応じて、必要とされるスキルや体制も異なります。
多くの現場をともにつくっていく中で、私達5名にはそれぞれお互いにないスキル、描き方や感じ方があるということがわかりました。
そして、組み合わさったときに、その多様性が大きな力になることも。

デザインの現場、企業研修、経営、開発、教育、まちづくり、行政、コミュニティ活動。
多くの現場での実践や導入を行ってきた5人だからこそ、可視化の力を最大限に活かす取り組みを行うことができます。また、新しい文化をつくるために現場に立っている人と、伴走することができると確信しています。
2017年4月、いま私たちが、BRUSHを立ち上げた理由

実は、BRUSHは共創の現場を支援するビジュアルファシリテーションチームという強い力のほかに、もう一つ、根本として持っている側面があります。
サービスデザインという分野から、社会に関わっていくということ。
(サービスデザインとは、簡単にいうと「デザイナーの思考プロセスを、ビジネスにいかしていこうぜ!」ということ。コンセントさんのサービスデザインとは何か ~デザイン能力はサービスビジネスの不可欠要素に~がわかりやすいのでリンクはっておきます)
この関わり方は、今後の日本社会でどんどん求められてくぞ!という確信があります。

大量生産大量消費をうみだした製造・流通の時代(戦後~1990)、技術発展にともなう情報化の時代(1990-2010)を経てきた結果、「機能も情報もたくさんあるんだけど、じゃあユーザーのために何をつくるといいの?どんなビジネスをするといいの?」というのは、多くの現場で悩んでいる部分だな・・・というのを、所属していた組織でも、周囲の方からの話でも感じていました。

実際に、BRUSHでも、サービスデザインと併せたビジュアルファシリテーションの関わり方が非常に強く、社会的なニーズをとても感じています。
(ニーズ=別に市場にあふれかえってる状況わけではない。でも、確実に芽ははえており、これからくる感。)
そのニーズをBRUSHとして形にできているのは、個々のメンバーの思いはもちろんですが、グラグリッドという企業を運営されてきた尾形さん・三澤さんご夫婦の尽力の賜物に他なりません。
サービスデザイン、そしてビジュアルファシリテーションという『道具』を用いて多くのプロジェクトに関わっていくことが、私はこれから日本の社会で新しい文化をつくっていくことにつながると確信しています。

新しい『文化』を生み出すチャレンジ

海外のユーザー向け プロダクト開発 ~現場のリアルな工夫&ガチな悩みを語る~ from Azumi Wada

国際文化論において、文化とは『生きるための工夫』と定義しています。
(私は大学時代政治学専攻で、国際文化論のゼミに所属していたことあり、思想への影響強いです)
この定義が私はとても好きで。
人を囲む環境には、技術のように想像できないスピードで発展するものや、気候のように変動がゆるやかで傾向があるもの、同じ人からうけつぐ生活様式や価値観、コミュニケーションのためや概念を示すための言語、様々なものが含まれています。
今、日本ではこの『生きるための工夫』を再び生み出す時期なんじゃないかなーと感じてるのです。

戦後、大量生産・大量消費を支えるための文化(行政が公を中心に担い、市民は会社で働いて組織的に効率的に生産する、経済が成長すること大前提での意思決定の仕組みetc)がうみだされたように。
今の日本は、日本を支えるための新たな文化が生み出されていく、再出発としてのめっちゃおもしろい時代なんじゃないかなと思うのです。

今日本での組織での意思決定をする文化って、上記の図の『旧平衡』から『部分的な解体の開始』にあって。

混乱は図の旧平衡から部分的解体の開始のところで始まる。文化の部分的解体がなぜおこるかというと、生きるための工夫としての文化がそれを取り巻く環境を変えると、環境の側から文化を変える力が戻ってくるからであり、また、その文化を道具として用いる人間の側からも変更が加えられるからである。
文化のある部分に存在する文化要素が従来のままでは目的を達成することができなくなり、機能を果たすことができなくなる。
(中略)
解体をさけるため、すなわち、部分的な解体をあるところで止めるためには、文化を変化させなければならない。そして、その変化のために、外来の文化要素が求められるのである。文化触変は文化システムの動揺をもたらし、しかもその動揺を安定させるメカニズムであり、過程である。
国際文化論 平野健一郎

私は、私がこの先いる場所も、仮に自分の子供がうまれた場合を考えても、新しい組織での意思決定の文化=生きる工夫があるところ(その文化がさらに発展した場所)で生きていきたいと切実に感じています。
多様な人々からなる、文化の潮目でものづくりしていくことこそが、自分の生きるエネルギーとなるし。
そして生まれたものが、これからのグローバル化した社会でローカルを変えていく力となると信じているからです。
(このへんは早稲田大学の『グローバル×ローカル=グローカル』という謎造語に影響うけている部分かも。学問に裏付けられた信念、早稲田の影響を相当うけている。)

『生きる工夫』をどれだけ新しく生み出して、社会に提示し、成果を積み上げていけるか。
次の12年の自分の挑戦は、ここだと思っています。

チャレンジするための時間とマインドをくれた場所

次の挑戦にうまくすすめたのはなんでか?と考えたとき。
(BRUSHのメンバーはもちろんですが)私はDeNAトラベルにいた人たちの支えがとても大きかったと感じてます。

2015年から2016年、DeNAトラベルに所属しつつも、副業を認めてもらい、新しいチャレンジのための試行錯誤=実質エスノグラフィをさせてもらったり。
組織について上司と辛いもの食いながら議論したり、サービスについて延々と同僚と語ったり。
自分になかった多様な考え方の軸をたくさん学ぶ場でした。
こうした関係性があってこそ、自分は次にいくことができたのかなーと思います。

↓私のツイートに対して、中高時代の友人(クリエイター系)が感じてくれたこと。そうそうそう!そこなの!!

「生きる、魂が鳴りあう」みたいな関係性って、サービスがなくなっても、退職しても、別に消えるわけではなくて。
自分が大事にした時間を同じように大事に思って歩んでいるひとがいるということは、これから自分が生きていくのに、すごく強い支えになります。

自分の方向と、大好きな会社の歩む方向が別となってしまったのは仕方がないけど。
いつかまた、一緒につくった人たちと、何か新しいものを一緒にまたうみだせたらいいなと心から願っています。
そのためには、『今』のままの自分だと絶対だめだし、きっと会社も『今』のままではないでしょう。

「会社も和田さんも、新しい形で関われるようになるといいですね」と新大久保でサムギョプサル食った帰りに上司がいってくれた言葉が、ほんとうにすべて。
というわけで、終業時の送別会も、送別の飲み会も、「なんか次またどうせあうよね、あはははは!」「次また成長してようぜーお互いがんばろーぜー」という風にお開きとなりました。
全然ちゃんとした挨拶してないw

8年半考えるとまあ雑な締め方ではありますが。
私にとっては最も幸せな区切りだったなー、と思います。
ああ、楽しかった!!今の自分でできることは、やりきったといっていいと思う。

家庭の運営について

たぶん夫から見て私は「azumiは好きなようにしか生きられないし、いってもきかないから、もう好きなようにしたまえ」という状態なのかなと思います。
家計についても安定かなぐりすててますが、「猫のご飯代かせいでくれればいいよ」とのこと。
猫ご飯もおやつもお便所代も稼ぎますようう。

↑稼げニャー、フンニャー!!!なうちの猫

まあこれは夫婦という組織における「よい投資」ということで!!
次の投資が、不妊治療再開か、夫の新たなキャリアか、他の家族イベントかはわからんけど、その時には自分が主力エンジンとなるのが目標です。

——

というわけで、明日からは株式会社グラグリッド(BRUSH)のビジュアルファシリテーターとしての1日目がはじまります。
色々自分のスキルが足らないことはわかってるので、がんがん手を動かしながら頑張る!!

手を動かしたその先、なんなら一カ月先になにがあるかすらわからないけど。
きっとおもしろい未来がまってると確信しています。

※「お前なにやってんだwwwもっとやれ」的な方はぜひamazonウィッシュリストでビジュアルファシリテーター(もしくは我が家の猫)への応援物品をお願いします♪
※あ、ブログ名どうにかしなきゃ。もうディレクターじゃないんだよな~うーん。

URL :
TRACKBACK URL :

Leave a Reply

*
*
* (公開されません)

Facebookでコメント

Return Top