仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

政教分離

2011年12月26日 | 日記
産経新聞(23.12.26)正論に政教分離について、
国学院大学教授・大原康男さんのコメントが掲載されていました。

以下http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111226/plc11122602290003-n1.htmからの転載です。

国学院大学教授・大原康男 公葬の政教分離も過ぎたるは…
2011.12.26 03:07 [正論]

 少々旧聞に属するが、11月5日に死去した西岡武夫参議院議長の葬儀は、地元の長崎市で7日に行われた密葬・告別式に続いて、後任の平田健二議長を葬儀委員長とする参議院葬が同月25日に、東京都の青山葬儀所で執り行われた。衆参両議院の正副議長が在任中に死亡して議院葬が営まれたのは、戦後4度目のことである。
 ≪無宗教だった西岡議長参院葬≫
 最初のケースは、敗戦から4年余りたった昭和24年11月17日の松平恒雄参議院議長の参議院葬であるが、それは、議長公邸を会場として、垂加神道の創唱者である山崎闇斎に連なる会津藩の藩祖、保科正之以来の松平家の伝統に基づき、神式で斎行された。
 国家と神道のみならず、広く国家と宗教の徹底的な分離を命じたGHQの「神道指令」が、依然として効力を有していたこの時期に、国の機関によって宗教的儀式を伴う葬儀が行われ、GHQがこれを認めたという事実は注目に値しよう。
 続いて、そのGHQによる占領の末期の昭和26年3月16日に、築地本願寺で営まれた幣原喜重郎衆議院議長の衆議院葬は、幣原家の宗旨である真宗大谷派の僧侶の奉仕の下で執行された。もう一つは、平成2年4月27日に同じく築地本願寺で行われた小野明参議院副議長の参議院葬である。寺院でなされているので、どの宗派かは分からないものの、仏式と推定される。
 このような前例があるにもかかわらず、今回の西岡前議長の参議院葬は、いわゆる“無宗教式”として行われている。地元での葬儀は、西岡家の宗旨である浄土宗で執り行われているので、これは参議院の事務方の考えによるものではなかろうか。
 ≪戦没者合同追悼式で初登場≫
 よく知られているように、この“無宗教式”は「献花式」とも呼ばれ、占領終了直後の昭和27年5月2日に、新宿御苑で挙行された「全国戦没者合同追悼式」で初登場したものである。
 それは、特定の宗教に依拠する方式を避け、生花や常磐木(ときわぎ)で飾り付けた祭壇の中央の標柱または写真に向かって黙祷(もくとう)し、次いで関係者の弔辞や追悼の辞が述べられ、最後に参列者全員が花を捧(ささ)げて拝礼するというのが、一般的な式次第である。
 とはいえ、黙祷と献花を中心とする葬送儀礼は、キリスト教に極めて親和的であることから、すべての宗教に等距離を置いているとは言い難いとする根強い批判もあるが…。
 今回も、黙祷に始まり、野田佳彦首相と小沢一郎衆議院議員(元民主党代表)による弔辞、追悼のことば、弔電披露と続いて、平田葬儀委員長の挨拶(あいさつ)の後に、約900人の参列者が献花、拝礼して終了した。
 毎年、日本武道館で催される「全国戦没者追悼式」ですっかりお馴染(なじ)みになった感のあるこの方式は、首相または首相経験者の公葬・準公葬でも定着したかのようにみえる。
 第一回となった吉田茂元首相の国葬(昭和42年)の場合は、全く別の理由からだったが、佐藤栄作元首相の国民葬(同50年)が、その4年前の同46年に出され、憲法が謳(うた)う政教分離の原則を厳しく解した、「津地鎮祭訴訟」をめぐる名古屋高裁の違憲判決に配慮したものであったことは、間違いあるまい。
 2年後の昭和52年に、この高裁判決を却(しりぞ)ける緩やかな政教分離解釈を示した最高裁判決が言い渡されていながら、大平正芳首相(同55年)や岸信介元首相(同62年)らの内閣・自民党合同葬も、“無宗教式”ないしは「献花式」を踏襲してきた。
 ≪仏式町民葬是認した最高裁≫
 確かに、当時は宗教的公葬について直接、判断を示した裁判所の確定判決が出ていなかったので、宗教色が出ることを極力、差し控えたというのは理解できないわけではないが、今日では事情が全く違う。平成5年10月28日に、「千葉県八街(やちまた)町仏式町民葬訴訟」の最高裁判決が言い渡されているからである。
 この訴訟は、千葉県八街町(現八街市)で行われた元町長2人の仏式町民葬が、町費から補助金を受けて行われたことや、会場として町の公民館を無料で使用したことなどによって、憲法の政教分離原則に違反したとして、一町民が起こしたものである。
 最高裁判決は、問題の町民葬が憲法20条3項で禁止されている「宗教的活動」には当たらないとした一、二審の判断を、「正当として是認する」と明確に支持し、裁判官の全員一致で上告を棄却している。
 この判決の法理に従えば、いつもながらどこかよそよそしく、冷ややかさすら感じさせる“無宗教式”をあえて採ることなく、西岡家の宗旨にのっとった参議院葬が営まれていたとしても、何ら問題とはならなかった。いや、むしろ、そうしてこそ、過去の参議院葬のあり方に合致していた、といえたのではなかろうか。(おおはら やすお)
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