こんにちは、みやもです。
先日のブログに書きましたが、ぼくはお酒の席で泥酔してしまったのがキッカケでキリスト教カトリックに入信することを決めました。
ぼくは自分の精神性を変えたいとおもったのです。
酒を飲んで過度に酔っ払う自分に二度となくなりたいとおもったのです。
そんな時に自分の頭に浮かんだのが「宗教」でした。
そして、考えた末に選んだのがキリスト教カトリックだったのです。
しかし、カトリックに入信するにはキリスト教の入門講座を1年かけて受け続けないといけないのですが、時期が遅くて9月まではその講座を受けることができません。
そんなぼくに神父さんは毎週日曜日の8時半に行われるミサ(カトリックで最も大切にされている祈りの儀式)に出席するよう促してくれました。
というわけで、今日が日曜日だったのでミサに出席するためにカトリック教会に行ってきましたよ。
正直、何言ってるか分からなかった
教会にはおじいちゃん、おばあちゃんを中心にかなりの人数が集まっていました。
数えてないですけど70、80人は少なくともいたと思います。
若い人もちらほらいましたが、やっぱり割合としては少ないですね。
入口で今日のミサのしおりを渡されまして神父さんの簡単なあいさつの後、そのしおりに書かれている儀式の順番に従ってミサが執り行われていきます。
他の宗教がどうかは分かりませんが、カトリックのミサはめっちゃみんなで唄います。
一つ一つに曲名がちゃんとあるとおもうんですが、一括りにすると「聖歌」と言われるモノだとおもうんですけど、とにかくたくさんのを歌を唄います。
ぼくはミサが初めてで歌詞が全く分からないので、みなさんの唄にひたすら聴く耳を立てていました。どれも美しい曲で癒やされます。
歌詞が難しい言葉で何言ってるか分からないんですけど、きっとイイことを言ってるんだと思います。笑
正直、キリスト教の勉強がまだ始まってないのでミサの儀式でやってることの意味が全然分かりませんでした。
しかし、空間的には居心地が良かったです。ぼくみたいな変なヤツでも場違いな気が全然しませんでした。
神父さんのお話が面白かった
ミサの中盤を過ぎたくらいで神父さんの講話があったんですけど、これがすごく面白かったです。
今回は「受け入れる」というテーマで話してたんですが、キリストや自身の体験に基づいて受け入れることに対しての重要性を説いてくれました。
ぼくが特に気に入ったのが、「最近、めっきり暑くなってきましたが、家族から『今日は暑いね。』と言われた時に『それで?』といった力の抜いた返事を返さないこと。それでは会話が終わってしまいます。『暑いね。』と言われたら『それじゃ冷たい水でも用意しようか』といった思いやりのある言葉で返してやってください。そうやってあなたから相手の気持ちを受け入れることで相手もあなたを受け入れようとするんです。人間が一番傷つく時は受け入れるのを拒否される時ですから。」っと言っていて「なるほど!」と思いました。
普段から他者を受け入れることに対して意識してはいますが、神父さんのお話を聞いてより自分の気持ちが引き締まったのをたしかに感じたんです。
こういった刺激的な話を毎週聴けるのは素直にありがたいなーと思いましたね。
儀式事が嫌いなぼくがミサには心地悪さを感じなかった
ぼくは昔から儀式事が大嫌いでした。
学校で毎月行われる全校集会も入学式も卒業式も。
どうしてわざわざみんなで集まって校歌を唄ったり、先生の話を聞かないといけないんだと反抗的に思ってました。
その反抗心の表れとして、ぼくは成人式に行っていませんし、学年全体の同窓会にも出席してません。それくらいぼくは儀式事が嫌いなのです。
ですが、ミサに対しては全然そうは思いませんでした。むしろ、心地よさを感じたほどです。
ミサには強制感が全く無い。
ぼくはこの気持ちがどうしてなのか?ミサが終わった後に考えてみたんですが、すぐに答え出ました。
ミサは学校の集会や卒業式、成人式と違って強制感が全く無いんです。
ミサに来たい人は来ればいいし、来たくない人は来なくてもいい。そして、ミサを長期間休んでいてたとしても気が向いたらいつでも来てもいい。そんな寛容さがあったんです。
ぼくは外部の圧力が全くない状態で自分でミサに行こうと決めて、自分の意志で教会まで来ました。
ですから、自分の中で納得してしまっているので、たとえ苦手な儀式事でも気分をを害したり、居心地の悪さを感じなかったんです。
それに気づけたことで、ぼくは儀式事自体が嫌いだったのではないことが分かりました。ぼくは儀式事にありがちな強制感に嫌悪していたのだと気づけたのです。
儀式に関しては、みなさんと一斉に歌を唄ったり、言葉を唱和するのは一体感があって素敵な行為だと思えたくらいです。
好きなアーティストのLIVEでみんなで合唱してる感覚に近いですね。
こんな集まりがあった方がいろんな人の居場所ができるだろうなと素直に感じました。
ミサで唄われた歌の歌詞も意味もぼくにはちんぷんかんぷんでしたが、宗教が色んな人の心の拠り所になっていることを今日のミサを通して体験することができました。
生まれて31年間、宗教に足を踏み込んで来なかったぼくにとっては大きな経験です。
ミサの時間は70分ほどでしたが、時間が早く感じましたね。
特に誰かとじっくり話す必要もなくミサが終わればすぐに帰っていいので、その軽やかさも大きかったです。
いいミサデビューができました。
これからも引き続き、毎週日曜日のミサに通い続けようと思います。
以上、人生初めてのキリスト教カトリックのミサについての感想でした。
それでは今日はこのへんで。
わっしょい!