東大の科学がスゴい『科学の技法』
東大の理系は、一年生から「科学の技法」を叩き込まれる。
『知的複眼思考法』を読んだとき、批判的に読み・考えるトレーニングを徹底させる東大の文系が羨ましいと思った。『科学の技法』を読んだいま、科学の技法をゼミナール形式で学べる東大の理系が羨ましい。
東大で始まった新しい試み「初年次ゼミナール理科」が凄い。
理系の一年生は全員必修で、1クラス20名の少人数を、教師+TA(ティーチングアシスタント)できめ細やかに指導する。学術的な体験(アカデミック体験)を通じて、サイエンティフィック・スキル(科学の技法)を修得することを目的としている。
この科学の技法が羨ましい。前半が「基礎編」で、あらゆる研究をする上で基礎的となるだけでなく、仕事にも必須なスキルが紹介されている。後半が「実践編・発展編」で、研究チームを意識できるようなゼミを「ラボ」として開講し、そこで基礎的な演習を行う(垂涎だらけなり)。
◆基礎編◆
「基礎編」のカリキュラムの骨子はこんな感じ。
1.文献検索方法の習得
2.研究倫理の理解
3.科学研究手法の理解
4.科学論文の構成と体系の理解
5.論文読解能力
6.プレゼンテーション能力
7.レポート・論文執筆能力
8.グループによる協同学習
普通やんと侮るなかれ。「文献検索」などググるだけだと高くくってると驚くだろう。一般的な検索は、学ぶ材料(キーワード・概念)を集めるための下地にすぎぬ。本書では、図書館のOPACサイトで検索し、必要な図書を学内外から取り寄せる基本から、様々な学術データベースの扱う方法が紹介されている。
たとえば、国立情報学研究所のCiNii Articlesはお世話になっているが、科学技術振興機構[J-STAGE]や、アメリカ国立医学図書館の[PubMed]、ロイター[Web of Science]、コーネル大学図書館の[arXiv]といった、人類の知の宝庫が惜しげもなく紹介されている。特に最後のarXivは、アーカイヴ:archiveに掛けていてニヤリとさせられる。物理学、数学、コンピュータサイエンス、定量生物学、計量ファイナンス、統計学の論文が公開されており、投稿も閲覧も無料という文字通りの宝の山だ。
しかし、知的好奇心を満たすためだけに宝の山に分け入ったら、おそらく一生戻ってこれないだろう。だから、効率的に求める情報にアクセスするための方法が紹介されている。学術論文の性格の違い(入門書、専門書、学術論文、総説など)を理解し、ざっと知りたいだけなのか、入口から最先端までを通したいのか、深く潜りたいのかを選択する。
さらに、学術論文の構造を把握し、必要な情報を素早く読み取る方法がある。慣れている人ならあたりまえかもしれないが、アブストラクトから概観を把握して、引用文献リストから関連論文を拾い上げるためには、論文の「どこ」を見れば良いかは、初学者には必須の知識だろう。
そして、アウトプットにあたり、文献の引用方法を徹底的に教え込んでいる。レポート・論文執筆において、やってはならないこととして、他人の論文の盗用(剽窃)、データの捏造・偽造を掲げる。研究倫理の重要性についてしつこいほど説明し、意図しない盗用をしないためのテクニック(参考論文と引用箇所の一覧化や引用の表現方法)を解説する。『理科系の作文技術』にある、「事実と意見は分けて書け」が耳にタコができるくらいに書いてある。すなわち、論理性と客観性、そして対象読者を考慮した書き方が求められている。啓蒙的に科学を伝える技術として、『サイエンスライティング』も参考になったが、『科学の技法』はそのエッセンスが詰まっているといっていい。
こうしたテクニック寄りのトレーニングだけでなく、本質的な議論が展開されているのがいい。最も重要なのに見過ごされがちな「研究とは」を、こう定義する。
真理を探究して新たな知を創造することに他なりません
すでに明らかになっていることを元に、まだ明らかになっていない知を「問い」の形で発見し、それに向かって計画的にアプローチすることが研究活動になる。この姿勢は、研究活動以外でも充分に必要とされている。現状から未解決の問題を「具体的で検証可能な問題」という形で見出し、解決していく能力だから。
したがって、どこまで明らかになっていて、どこからが未知なのかを見極める必要が出てくる。そのための先行研究の調査であり、そのための文献検索になるのだ。そして、「具体的で検証可能な問題」を明らかにするための仮説と研究目的を立てる───これが最も重要だと力説する。そこから何をどのように調べていけばいいかを逆算しながら研究計画を立てることで、必要なスキル、設備、資料、予算が見えてくる。これは、プロジェクトマネジメントそのまんまやね。
先行研究を扱う上で起きるのが不正行為。本書では、「なぜ研究倫理を守らなければならないのか」という基本的なところから説く。多大な労力が無駄に費やされる社会的な損失が発生するだけでなく、本人ならびに、所属する研究室・学部・研究機関や大学、ひいては科学活動全般への信頼が失われることになる。研究活動とは科学コミュニティの中で行われていることを念押しする一方で、「倫理の正否が判断できないときは、指導教員や先輩に相談してください」と添え書きする。エビデンスを残せ、困ったら相談せよというメッセージは、研究員の卵には心強いだろう。
◆実践編・発展編◆
科学の最先端をいかに大学一年生に体験してもらうか? 研究テーマの紹介の仕方が凄く工夫されている。ブルーバックスやハヤカワノンフィクションの棚を見ると興奮する人にとっては、垂涎の的だろう。
たとえば、「数学・物理をプログラミングで考える」や「スポーツや音楽演奏のスキルと熟達化について考える」「酒になれなかった水のはなし」は、そのまま本のタイトルにして間違いなく面白いテーマになっている。さらに、「時空のさざ波,重力波をとらえる」は重力波の直接検出の競争の話で、アメリカの重力波望遠鏡(LIGO)に敗れた後も残された課題の考察が得られるし、「始原の微生物代謝を垣間見る」はニック・レーン『生命・エネルギー・進化』の知見を、かみ砕いた形で得ることができる。
特に興奮したのが、「ヒトが光合成できるようになるには」(増田建教授)の紹介だ。新井素子『グリーン・レクイエム』(あるいは弐瓶勉『シドニアの騎士』)まんまやん! と笑った。だが、これは、本気で人の光合成を目指すなら、先行研究はどこまで進んでおり、その先にはどんな課題があり、具体的にどのようなアプローチが有効かが、こと細かに記されている。いわば、「ヒトの光合成プロジェクト」の見取り図といっていい。
先行研究は、ウミウシで行われている。ウミウシの仲間には、藻類を食べて、その葉緑体だけを自分の細胞に取り込み、その葉緑体による光合成を利用して生きるものがいる。藻類から葉緑体の強奪であり、盗葉緑体と呼ばれているが、どのようなメカニズムなのかは分かっていない。
【テングモウミウシ】
— 二度見するほど美しい生き物 (@nidomi_bea) 2017年6月23日
光合成をおこなう事ができるウミウシ。
体長は5ミリ程で、日本やインドネシア、フィリピンなどの浅い海に生息しています。
未だに解明されていないことの多い生き物でもあります。 pic.twitter.com/cf6PWvBYSL
この、盗葉緑体の仕組みを理解する上での常套手段として、盗葉緑体ができなくなるような薬剤や変異体を探すことが最初のアプローチになるという(遺伝子のノックアウト)。その上で、盗葉緑体が起こる際にどのようなタンパク質や遺伝子が働くのかを丸ごと解析するような分析手段を提案する(オミックス解析というらしい)。
また、「性差は科学できるか」(坂口菊恵准教授)も興味深い。ジェンダーアイデンティティの個人差に着目した研究で、ジェンダーの可塑性を示唆している。なかでも、進化における同性愛の位置づけは、これからもっと面白くなりそうだ。
つまりこうだ。繁殖行動において役に立たない特徴は切り捨てられるはずの進化のプロセスで、同性愛の性行動がなぜ保存されているのか? これは、ヒトだけではなく、ボノボ、ニホンザル、バンドウイルカ、ハシリトカゲなどで同性間の性行動を観察することができる。同性同士の性行動では、子孫を残すことはできない。にもかかわらず、同性愛の性行動が保存されている理由について、体系的な研究は途上中だという。
一時期は、ハチやアリなどの真社会性と呼ばれる生物のワーカー個体のように、親族の子育てを助けることで自分の遺伝子のコピーの普及を促しているのではないかという仮説(血縁淘汰)が提唱されたという。だが、同性愛者に対する差別がある現代の西洋社会では支持されなかったそうだ。
近年有力になっている「多面発現による平衡淘汰」が紹介されている。同性間の性行動は、直接的には繁殖率を上げることはなくても、同性の仲間との結びつきを高めて集団内での自らの社会的地位を保持するための、生存戦略としての役割を果たしているという考えかたである。これは、読書猿さんから教えてもらったこれと同じ研究のようだ。
今日は同性愛の適応度と進化の話をしよう | COMPLEX CAThttps://t.co/wULuPHSdsH
— 読書猿『アイデア大全』6刷&電書化 (@kurubushi_rm) 2017年6月25日
引用されてる相対繁殖成功度のグラフが面白いです。
同性愛は高等動物が持つ利他行動や適応度を高め、同性愛行動が中程度含まれる場合適応的となるという。 pic.twitter.com/3r4n4DMChs
このように、基礎から実践、演習をひととおりこなすことで、たとえ小規模であっても「学術的な体験」をこなすことができる。科学の技法を学ぶ上でも、近年の研究分野の先端を触れる上でも、有用な一冊。
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