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2017年7月 2日 (日)

自業自得りふれはの国際的炎上

昨日のエントリで取り上げた日銀審議委員の原田泰氏の発言が、ついにサイモン・ウィーゼンタール・センターの目にとまり、謝罪声明を出すに至ったようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-5ae3.html (「りふれは」の自業自得的オトモダチ効果)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-85661668-bloom_st-bus_all (ヒトラーの経済政策「正しい」発言に国際的な非難-日銀が謝罪声明)

・・・原田委員は自身の発言について、日銀広報を通じ、「一部に誤解を招くような表現があったことについては、心よりおわび申し上げたい」とコメントした。日銀も「審議委員の発言に誤解を招くような表現があったことについては遺憾に思っており、こうしたことがないよう、今後とも注意してまいりたい」との声明を発表した。

まあ、話の中身については昨日のエントリに付け加えるべき事はそれほどあるわけではありません。

ナチスに先立つワイマール時代の政権、とりわけ労働者の利益を代表するはずの社会民主党が、時代の必要性からも彼らの立場からも当然取るべきであったケインジアン的経済政策を拒否し、それまでの「オーソドックス」な経済政策に固執したことが、致命的な失政であったことを嘆き悲しむのであれば、それは(池田信夫のような人々からは批難されるかも知れませんが)多くの進歩的な人々から共感を呼ぶ発言であったでしょう。

Thal それが、本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』で力説されていることでもあります。

しかし、原田氏がやらかしたのは、権力を掌握したナチスが諸々の極悪非道、悪逆無道とともに遂行したある種の軍事ケインズ主義を賞賛(しているかのように受け取られる恐れのある発言をあえて)するという事態であったわけです。そしてその国際的帰結が上記国際ユダヤ組織による抗議と、日銀という組織自体による謝罪であったわけですね。

私自身がリフレ派やその中の「りふれは」に妙な言いがかりをつけられたりした経験から思うに、この事態には、リフレ派諸氏に共通するある種の心の構えの歪みが露呈していると思われます。

それは、物事をただただひたすらマクロ経済政策という特定の視角からのみ見ることが絶対的正義であり、それ以外の観点を混入させることは天地ともに許されざる悪行であるかのごときものの言い方をする傾向が、程度の差はあれ、なにがしか観察されるということでした。

物事をただひたすらマクロ経済政策の観点からのみ見るならば、今回の原田発言とシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』はほぼ同値と評することができるでしょう。実際、昨日のエントリで私自身、

ここで言われていることの歴史学的ないし社会科学的意味自体で言えば、その言説は殆ど正しい。というか、それは本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』の認識と殆ど変わらない。

と述べたとおりです。この点に関する限り、原田氏はシュトゥルムタールと同じ側におり、居丈高に彼を批難する池田信夫氏の反対側にいる。

しかし、もちろん(リフレ派諸氏の認識とは異なり)世の中で大事なのはマクロ経済政策『だけ』ではないわけです。

本ブログの過去ログを見ると、マクロ経済政策以外のこと、例えば社会政策的な観点を少しでも論じようとすることに対して信じられないくらい居丈高に批難しまくるりふれはの異常な姿がこれでもかこれでもかと浮かび上がってきます。とりわけある種の「りふれは」は、ただひたすら金融緩和政策のみをあがめ奉ればよいので、それ以外のことに少しでも言及すると異教徒に対するような猛爆撃が降り注いできたものですが、そういう物事に対する心の構え方が、今回の事態の背景にあったのではないかと、これはりふれはの誹謗中傷に晒されたことのある身としては心から思います。

物事をただただひたすらマクロ経済政策という特定の視角からのみ見ることが絶対的正義であり、それ以外の観点を混入させることは天地ともに許されざる悪行であるならば、たしかに社会民主党の失政を嘆くこととナチスの善政を褒めちぎることとは同値であり、

原田発言のどこが問題なのか全くわからない。因縁つけてるやつはみんなバカか悪意があるかどっちか。

ということになるのでしょう。

残念ながら、世の中ではそれ以外のことも、とりわけナチスに関してはそれ以外のことの方が遥かに重要なのです。

そういう常識を、自らの自発的マクロ経済への視野狭窄によって見えなくしてしまったことの一つの帰結が今回の事件であったと言えましょう。

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