高橋淳
2017年6月30日03時00分
51年前に旧清水市で起きた一家4人殺害事件(袴田事件)で、「犯行時の着衣」とされたズボンを製造した名古屋市のアパレル会社役員の男性(81)が、朝日新聞の取材に応じた。静岡県警の捜査員がズボンの捜査のためにやってきたのは事件翌年の1967年秋。だが、捜査員に話した事実は知らないうちに、まったく別の内容にすり替わっていたという。
男性によると、県警捜査員が、ズボンの製品番号からたどって会社を訪ねてきたのは67年9月。事件後、強盗殺人容疑で逮捕された元ボクサーの袴田巌さん(81)の裁判は既に始まっていた。「事件のことはもちろん知っていたので、驚きました」
製造過程や販売先などについて詳しく話を聴かれたという。ズボンのタグにある「B」の文字についても男性は「生地を便宜上ABCの三色に色分けし、これは『B色』を意味します」と色の記号であることをはっきり説明した。
ズボンは、事件から1年2カ月後、袴田さんが勤務していたみそ工場のタンク内から見つかったとされる「5点の衣類」の一つだ。検察側は裁判中に犯行時の着衣を当初の「血のついたパジャマ」から、5点の衣類に変更。これが証拠として認定され、袴田さんは死刑判決を受けた。
裁判で焦点の一つになったのが、ズボンのサイズだった。弁護側は袴田さんには小さすぎるとし、ズボンは袴田さんのものではないと主張。控訴審では装着実験も行われたが、袴田さんは太もも付近までしかはくことができなかった。
一方、検察側はもともとは大きかったズボンが、みそに漬かって縮んだと主張。それを支えたのがズボンのタグにある「B」の文字だ。Bは長年にわたり既製服の肥満体用のサイズを示す「B体」のことだと理解され、裁判所は判決でもそれを認めていた。
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