ゴールデンバットというタバコが発売されたのは1906年9月1日だという。
店頭や自販機で見かけることがないため、今も健在なのかとネットで確認したところまだあるらしい。価格は290円に跳ね上がっているようだが。
今年で111年目になるゴールデンバットは、日本たばこ産業(JT)きっての長寿商品であり、昭和の初めは日本で最も名の通ったタバコなのだという。
灰緑色系の地に金色のコウモリをあしらった古風なパッケージが懐かしい。
課税上の等級が低くなるため、上級の煙草には使用しない葉脈の部分を主原料に製造されている。
均質な味に調整しにくいのがばらつきの原因であるが、大のバット愛好者には、この“味の変化”がたまらないらしい。
<七銭でバットを買つて、一銭でマッチを買つて・・・僕は次の峠を越える>と、詩人・中原中也さんは書き記した。
太宰治さんは『富嶽百景』にて、<筆が滞るとバットを七箱も八箱も吸う>と書いている。
芥川龍之介さんも、バットの愛好家だったようだ。
文人だけでなく、味と安さで大衆の心を広くつかんだ銘柄のゴールデンバットは、1940(昭和15)年、外来語を追放する運動によりその名が「金鵄(きんし)」に変わったとか。
その由来は、「神武天皇の弓にとまった金色の鵄(とび)の伝説」にあるらしいが。
ゴールデンバットが元の名に戻ったのは、終戦直後の占領期である。
今年の12月で没後101年になる夏目漱石さんは、ゴールデンバットの愛好家だったかどうかはわからない。
思春期の読書好きが「あれ読んだ?」と語り合えるような、高い人気の太宰治さんタイプではないだろうが、漱石さんには粋で新しいもの好きなおしゃれ心を感じる。作家人生はわずか10年余りであったが、漱石さんの数々の作品は色褪せない。
漱石さんはスポーツ万能であり、器械体操の名手でもあったというからおどろきだ。
また、ボート、乗馬、水泳も達者だったという。
100年超えの今も読み継がれていることを知ったら、満49歳で亡くなられた漱石さんはいったいなにを思うのだろう。
そして、時々の国策や時代の気分に振り回され続けた(111年の目撃者である)ゴールデンバットが、今もだれかに愛煙されているということにも、不思議な感動をおぼえる。