札幌時代の悪い方の思い出。
悪い意味でその後の人生を決定づけた先生でした。
なお、この投稿は以前のブログの書き直し記事です。
先生になりたての若い先生
小学校3~4年の先生は、新任の先生でした。
最初は、他の先生がベテランな先生の中で、新鮮な感じに写っていました。
若くて話しやすい先生とイメージは、すぐに打ち砕かれることになります。
スポーツができる活発な子がお気に入り
この先生は、スポーツができる活発な子が大好きな先生でしたね。
勉強ができるだけじゃだめだぞ。
みたいな言葉が口癖でした。
スポーツについては、序列化が大好きな先生で、いろいろな競技でランキング表みたいなものを作ってよく貼りだしていました。
肌が白いもやしっ子よりも、色黒がいいとよく言っていました。
まあ、最初の頃はそういう先生もいるよねと思いつつ、何となくスポーツが不得意だった自分にとって居心地の悪さは当初から感じてはいました。
進学塾に行くようになってから態度が激変
小学校3年の夏に、中学受験のための塾に通いはじめました。
それから、先生の態度が一変したのを今でも覚えています。
現在は、中学受験をすることは大して珍しいことではないですが、当時、しかも地方都市では1~2人くらいしか塾というものに行っていなかった時代。
先生から嫌がらせもあるよと言われていた時代。
まさに、そんな状態になりました。
勉強できる生徒に対する先生の仕打ち
進学塾に行くようになった一因に、先生のカリキュラム消化の遅さというのもありました。
勉強に関しては、できない子基準。
できない子ができるまで他の生徒は何度も同じような説明を聞かなくてはなりません。
これでは、普通に進むわけがないです。
結局、1年間のカリキュラムを消化せずに終わっていました。
社会の授業もなぜか札幌の歴史ばかりをやって、社会の教科書をほとんど使っていませんでした。 市から配布されていた資料集ばかりを使って授業していました。
社会は、一通りの流れや基礎的なことを、小学校時代にやるものだと思いますが、札幌の開拓時代を延々授業していたことしか記憶にありません。
他の教科もいわずものがな。
すべての授業が遅れていました。
そのくせ、勉強以外の授業はなぜかきちんとカリキュラムを消化していた感があります。
説教で授業がつぶれるなんてこともありました。
たいていは、道徳の時間や教科の授業を使って、延々説教をしていました。
考えてみると、体育、図工、書道などの時間を使って説教をしたなんて記憶はありません。
勉強だけできる子を攻撃
この体育、図工、書道ともに、この先生のおかげで、苦手意識を持ち、大嫌いな教科になりました。
体育はドッチボールは玉から逃げるような弱い子に怒り、図工では人物の構図がおかしい例として、自分が描いている絵を取り上げて、黒板のところにもっていきダメ出し。
書道も、同じように自分が書いている書を取り上げて、ここのハネがおかしいとダメ出し。
悪い例として出される生徒は決まっていて、僕ともう一人くらいがいつもターゲットでした。
勉強ができる子や気が弱い子をよくターゲットにしていました。
なんのために勉強しているのだろう
いつしか、勉強ができるということを表に出さなくなっていました。
先生に見えないように、ノートを隠すように教科書をたてて、問題を解いたり。(できない子ペースなので、できるからと言って先の問題を解いていたりすると怒られるときもあった)
体育は、苦痛で仕方がなく、図工や書道も先生に見つからないよう、できては消しできては消し、とにかく目立たないよう努力をしていました。
トラウマになった瞬間
今考えるとよく不登校にならなかったなと思うくらいに先生から様々な攻撃を受けました。
結果的に中学受験に成功すれば報われると思い、また、小学校5~6年は担任も変わってベテランの先生になったこともあり、どうにかがんばってきました。
しかし、その希望さえ打ち砕かれる結果になりました。
結果は、全落ち。
先生のいじめに耐えがんばってきた結果が、最悪の結果となった瞬間でした。
この影響は、後々の人生で大きな影響を与えることになりました。
逃げ癖も、無理をしてがんばったところで報われないと思うようになってから、ちょっとでも自分自身に負担がかかるようなシチュエーションになると逃げるようになりました。
結果、塾は長く続かない、いやなところはすぐ辞める。
そんな人間になってしまいました。
そして、成功体験が極端に少ない人生となり、今に至ります。
もっと親や周りに言うべきだった
今考えると、不登校なりカリキュラムの未消化が多すぎると関係機関に言うくらいの気概があってもよかったと大人になると思いますが、はたしてそれが子供の自分にできたかと言われると自信がありません。
しかも、昔の話ですから、今みたいなモンスターペアレントという言葉さえない時代。
果たして、言ったところで、良くなかったかどうかもわかりません。
今考えるとこのときにきちんと逃げていれば、今のようなゆがんだ性格にはなっていなかった気もします。
今もなお、この先生の亡霊に縛られていることを考えるともう少し何か方法がなかったのかと悔やんでも悔やみきれません。
最後に・・・。
彼の名前を調べたら、数年前までとある学校の校長をやっていたみたいですね。
あいかわらず、勉強をできることよりも人間力みたいなことを書いていて、さすがに笑ってしまった。(ちなみに、次の校長は学ぶ力を大切にするみたいな校長でした)
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