イラクのアバーディー首相は6月29日、北部の最大都市モースルの中央モスク(ヌーリー・モスク)を制圧したのに合わせて声明を出し、「イスラーム国」の「国家」としての終焉を宣言した。
"Iraq army seizes ruins of Mosul mosque from ISIL," Al-Jazeera, June 29, 2017.
中央モスク奪還の象徴的意味
「イスラーム国」のモースルの支配と、モースルを「首都」としてイラク北部・西部での領域支配や擬似国家的統治は、今年に入ってからのイラク中央政府とクルド地域政府(KRG)、あるいはイラク政府を支援する民兵組織などの攻撃によって縮小しており、実質上すでに機能していないと言っていい。
しかし「首都」の中央モスクの陥落は、領域支配を行い「国家」を標榜して一部の支持を集めた「イスラーム国」にとって、象徴的に大きな打撃となる。2014年6月から7月にかけての「イスラーム国」の国際政治の主要アクターとしての台頭の際には、モースルの中央モスクを占拠して、指導者バグダーディーがその説教壇から演説を行う映像を世界に流して注目を集めたことが、決定的な転換点となった。
3年前もラマダーン(断食)月の時期であり、断食月が始まって最初の金曜日にモースルの中央モスクから行った演説は、その時代がかった衣装・身振りも相まって、イスラーム世界の黄金時代として記憶されるカリフ制国家が再興したかのような印象を世界のムスリム・非ムスリムに与え、「イスラーム国」の統治の正統性への認知を高め、あるいは興味関心を掻き立てた。
モスク破壊の戦略
ヌーリー・モスクの陥落に先立つ6月中旬に、「イスラーム国」はその多くの建物を爆破していたことが伝えられる。歴史遺産の破壊は国際的には非難されるが、イスラーム世界の正統な政治指導者を標榜する「イスラーム国」には異なる規範倫理があり、その基準からはモスクの破壊も正統化されうる。
イスラーム教では宗教施設そのものは尊崇の対象ではない。あくまでもイスラーム教の啓示の法に従った正統な統治主体が存在することがより重要な宗教的義務とされる。自らを宗教的に正統な「カリフ」を頂く政体とみなす「イスラーム国」にとっては、非正統な主体がモスクを占拠することが望ましくないが不可避な情勢では、それを破壊することが宗教にとってより良いと捉えれば破壊することも厭わないだろうし、それをイスラーム法の理論で武装して正統化することや、一定の支持を得ることも可能だろう。
破壊には戦略上の実際的な意味がある。モスクの建物、特に説教壇が残っていれば、アバーディー首相はじめとする反「イスラーム国」勢力は、3年前のバグダーディー演説の逆の、「イスラーム国」制圧完了演説を行って宣伝に用いるだろう。「悪」とみなす勢力の戦略的優位につながるのであればモスクを破壊してしまう、という論理は、内在的にはそれほど不思議ではない。もちろん、歴史遺産を尊重することを人間主義的価値とみなし、宗教施設そのものをある種の尊崇の対象としがちな、欧米やキリスト教圏(あるいは仏教圏であっても)の基準からは、モスク破壊という行為は「イスラーム国」の非文明性・野蛮さを、より一層印象付けることになるだろう。しかしこれらの外部の目を「イスラーム国」側は意に介さないどころか、まさにその価値規範を否定することを存在意義としているのである。
モースル陥落後の「イスラーム国」
モースル陥落の後に何が起こるのだろうか。イラクとその周辺に視野を限定すれば次のことが言える。まず、ヌーリー・モスク陥落後もモースルとその周辺での「イスラーム国」勢力のゲリラ活動は続くだろう。そして、拠点を失い、分散して退避した「イスラーム国」勢力は、首都バグダードなど各地でテロを頻発させるだろう。また、イラクからシリアへの「イスラーム国」の支援ルートは途切れがちながらも存続し、シリア東部のユーフラテス川沿岸のイラク国境付近に、モースルやシリアのラッカからの退避勢力が集結するかもしれない。
より視野を広げて見てみよう。イラクやシリアで局地的に活動が続いたとしても、モースル、そしてラッカでの「首都」を標榜した拠点に対する掃討作戦の進展によって、「イスラーム国」がイラク、そして隣国シリアで領域支配の主体となり、国家を標榜して曲がりなりにも統治を行う時期を軍事的な対処で終わらせようとする動きは終盤に達したと言える。しかしそれによっても「イスラーム国」の活動は終わらないだろう。
まず第一に、「イスラーム国」の領域支配を可能にした環境そのものは3年前と変わっていないどころか、部分的に悪化してすらいるからだ。「イスラーム国」がイラク北部・西部やシリア北東部・東部で、住民の一定の支持あるいは黙認を得た理由は、中央政府が宗派主義的な暴虐を行なっているとスンナ派の住民の多くが受け止めたのと同時に、中央政府の支配の及ばない範囲が国内に広範に成立し、中央政府を支援するイランやレバノンのシーア派民兵組織や、あるいは中央政府と競って民族独立・自治を目指すクルド人の民兵組織が各地を実質上支配する状況があった。この状況は3年前とさほど変わらないどころか、「イスラーム国」制圧作戦の進行過程で激化している面もある。
「イスラーム国」はこれらの正統性の程度が異なる諸民兵組織の「多くの中の一つ」であると言ってもいい。もちろんそれが掲げる理念は既存の国際社会の秩序理念に真っ向から挑戦するものではあったが。
第二に、「イスラーム国」が拠って立つのはイスラーム教のジハードの思想であり、この理念に基づいてグローバルな動員を組織や指導者なしに行うグローバル・ジハードの思想はすでに十分に拡散し各地で認知されてしまっており、今後も自発的にジハードに身を投じる動きは続くだろう。それはロンドンやパリやベルギーでの昨年や今年の事件に代表されるように、各地でのテロとなって現れる場合もあるし、3年前のイラクやシリアと同様の条件を備えた紛争地域に、「ムハージルーン」と呼ばれる預言者ムハンマドとその一行のイスラーム国家建国とジハードの事跡を現代に再現しようとする人々が各地から集まる現象としても現れ続けるだろう。フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィの「イスラーム国」を名乗る勢力の占拠は、問題が中東の地域的枠を超えてイスラーム圏全体に広がっていることを印象づけた。東南アジアと経済関係の深い日本は、直接の危害が及ぶ危険性が徐々に増していることを認識する必要が出てきた。
ヌーリー・モスクの奪還は、3年前に「上り調子」の印象を与えて支持を広めた「イスラーム国」のイメージを失墜させる打撃にはなる。しかし少なくとも短期的には各地に戻った帰還兵の扇動あるいは自らの実施するテロが増えることは確実であり、それに対する対処策、および過剰反応を避ける心構えを社会的に周知することが急務であるとともに、「イスラーム国」の出現と勢力拡大を可能にした、中東の社会政治問題と、イスラーム圏の思想イデオロギー問題に対処していくのが、長期的に不可避の課題である。