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赤点の思い出

今週のお題「テスト」

 

数学のテストで赤点を取った事が、一度だけある。

 

私の通ったB高校では、通知表に中間と期末の平均点がそのまま記載された。40点以下が赤点で、赤い文字で書かれた。

1~3学期の平均点が40点以下だと、年度末に追試となった。

私は、小学生の時から算数が大の苦手だった。

中学の数学でも苦労したので、高校数学が解るはずもない。他の教科ならば一夜漬けがきく私も、数学だけは数日前から試験勉強をした。それでもいつも赤点すれすれなのだった。

 

高3の時、新しい数学教師が赴任してきた。

背が低くて坊ちゃん刈りで、若いけれどもあまりイケてない風貌だった。

その数学教師が最初の授業で、長い時間を割いて自己紹介をした。

彼曰く、自分の名は女のようで嫌いだとか、高校受験で県内トップ校を希望したが無理と言われ、第二希望も無理で仕方なく⚪︎⚪︎高校に入り不本意な高校生活を送ったとか、実はもう結婚をしているとか…。

数学教師の話はなかなか面白かった。結婚のくだりはあまりにも意外すぎて、教室中がどよめいた。

自己紹介が長引き過ぎて、授業を始めようとした途端に終業のチャイムが鳴った。

勉強をしなくて済んだので皆が大喜びした。

生徒と自分の距離を縮めるのに成功した数学教師を、私達はMという女のような名前にちゃん付けで呼んだ。

Mちゃんはそれ以降も授業の前に少しだけ雑談をして、私達を笑わせてから勉強に入った。

そして、Mちゃんの教え方はこれまでの数学教師よりもずっと解りやすかった。それでも私の数学嫌いが治るわけではなかった。数学は相変わらず難解で、憂鬱な時間であった。

 

二学期のある日、Mちゃんが問題を出し、答えを板書するように言った。

〇〇を指名したのだが、それは私の名字だった。クラスには同じ名字の女子がもう一人いたので、どっちを指しているのかと皆が聞いた。

「数学が出来るほうの、〇〇だ。」

と含み笑いをしながら、Mちゃんは言った。

それは、彼なりのブラックジョークだったのかも知れない。クラスには少しだけ笑いが起きた。

「その言い方、タンポポかわいそー」と、たいして可哀想でもなさそうに言う女子もいた。

数学が出来るほうの〇〇は、黒板にさらさらと答えを書いた。そして席に戻る途中、すまなそうな顔をしてチラリと私のほうを見た。

 

たったこれだけの出来事だった。

 

なのに、どうしてあんなに腹を立てたのか解らない。私は教卓を蹴飛ばして教室を出て行きたい衝動に駆られたが、我慢していた。

そして、数学の授業に今まで以上に身が入らなくなった。どうせ私は数学が出来ませんよーだと、ふて腐れたのだった。

中間テスト。

それ以来授業をちゃんと聞かず、試験勉強もしていないから当然出来なかった。

最初の数問を解いて、あとは全く解らず試験時間がたっぷり残っていた。

これでは20点くらいだなぁ…と思いながらボンヤリしていると「あと5分」という声がした。

私は、答案用紙に書いたわずかな答えを消しゴムで全部消した。

跡が残らないように、最初から何も書かなかったかのようにきれいに消し去って、白紙で出した。

20点なんて取るくらいなら、いっそ0点の方がまし。そう思ったのだった。

 

試験が終わり、0と朱書きされた答案用紙をMちゃんは無言で渡した。私は、Mちゃんの顔を見ずにそれを受け取った。

その日のうちに、私は職員室に呼び出された。呼び出したのはMちゃんではなく、担任だった。

「どうして、白紙で出したんだ?」

「解らなかったからです」

「M先生は、タンポポが全部解らないはずがないって言っていたぞ」

「本当に全然解らなかったんです」

担任は呆れた顔で私を見て「期末はちゃんとやれよ」とだけ言った。

 

言われなくてもそうするつもりだ。

白紙で出したところで何の当て付けにもなりはしない。損をするのは自分だけで、留年してこんな学校に長くいるのは御免だった。

期末試験は真面目に取り組んだ結果78点で、私にしては上出来な点数だが、通知表には39と赤で書かれた。

経緯を何も知らない母は、赤点のある通知表を見て嘆いたが、私は「取っちゃったものは仕方ないよね。三学期は頑張るから」と開き直っていた。

 

あの高校の、何もかもが大大大嫌いだった。

周りの子達が幼稚なガキばかりで嫌だ嫌だと思っていたが、自分も十分に幼稚であったのだ。