石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

アドバイス

ひとにアドバイスしたときは
どうしても
「自分のアドバイスが役に立てばいいな」
と思ってしまう。


でも本当は、
そのアドバイスが役に立つかどうかではなくて
あくまで、相手の悩みが終わることこそが
大事なのだろう。


もっと言えば
誰かのいうことをきいて選んだ選択肢より
自分自身で選んだと思える選択肢のほうがずっと
自分の人生を力づけてくれると思う。


だから
アドバイスをしたときは
そのアドバイスが役に立たなくて
むしろ、そのアドバイスなんか超えていくような形で
相手が自分の道を見つけてくれたらいいな
って願うのが
本当なんだろう。


アドバイスしてもらったけど
やっぱりそのアドバイスの案はやめて、
自分で改めて考えた新しい案でやったら、うまくいった
というとき
本人は一番うれしいはずだ。

アドバイスした人も
「それが一番いいよ!」
と一緒に喜んでいて
それではじめて「アドバイス完了」なのだろう。


「私たちは他人を変えたいと思う一方で
自分が他人に変えられたいとは思わない」
と、どこかで読んだ。
アドバイスはたとえば
「たたき台」みたいに
それをたたいて否定したときに自分の欲しいものが見えてくる
みたいな役割を得たとき
本当に意味があるのかもしれない。
どんなに素晴らしい正しいアドバイスだったとしても
その人の言う通りに生きればすべてが完璧だったとしても
「すべてだれかのアドバイスのとおりに生きた人生」には
「自分の人生を生きた」という手ごたえは、
ともなわないだろう。


占いを、
アドバイスとして受け取る人もいる。
たしかに、ちょっとした後押しとか
自分が考えたことが正しいのかどうか確かめたい
というささやかな欲求は
誰もが持っている。
大体8割がた答えは出ているけど
ちょっと人の意見も聞いてみたい
みたいなことは、誰にでもあって
たぶん、よく練られて抑制されたアドバイスは
とても有用だ。
占いには確かに
そういう一面もあるような気がする。
たとえ外れていても
上記のような「たたき台」くらいにはなる、こともある。


天気予報が必ずしも「アドバイス」ではないのと同じように
私は、あまり
「アドバイスを書いている」という気持ちはない。
というか
できるだけやらないようにしている。
文脈上ある意味やむを得ず
「○○に注意したほうがいいかもしれません」
などと書くことになったときは
胃の片隅がちりっと痛む。
ほんとにそうしたほうがいいのかどうか
自信がないからだ。


あと
こういうこともある。
「雨が降るかもね」
までならいいけど
だから傘を持てとか合羽を着ろとかは
いわなくていいことだ。
私は10代20代のころ
雨の日、ずぶぬれになりながら自転車を走らせるのが好きだった。
これは単なる中二病だが
「雨だったら、どうするか」

自分で決めたほうがいいに決まっている。


もちろん
だれもが好きなものについて
たとえば雑誌やネットなどで情報を仕入れるように
「参考になる情報」は、たくさんあったほうがいい。
ファッションが好きな人はファッション誌を
音楽が好きな人は音楽誌を読んで
他人の意見を研究し、コーディネートの案を参考にする。
それは
「こうしたほうがいいよ」という「アドバイス」ではなく
あくまで、自分が感じ考えるための材料に過ぎない。
そこに提示されている案の多くは
読み手によって取捨選択され、否定されていく。
たったひとつの自分だけの宝物をみつけるために
山ほどの案を否定していくのが
そうした「好きなものに関する研究」という作業なんじゃないかという気もする。


「選んだ理由」で一冊書いたくらい、
「選ぶ」のは難しい。
「決める」のも、難しい。
また、「出会う」難しさというのもあって
この3者をうまく整合させることは
至難の業だ。
あらかじめ決めてしまっていたら出会えないし、選べもしない。
選ぼう選ぼうとすると、出会えない。
出会いにすべてゆだねてしまうと
へんなものに乗っかってしまうことになりかねない。
選ぶのと、決めるのと、出会うのは
じゃんけんのグー・チョキ・パーみたいなものなのかもしれない。
どれが一番強いということがなくて
この3つの手をだれもがとっかえひっかえ使って
何とか勝負していこうということなんだろう。

もしかすると
アドバイス
というのは
グー・チョキ・パーのどれか1つの手のことしか
「おすすめ」できないんじゃないだろうか。
1つのアドバイスのとなりには
のこりの2つの手が、かならず残されている
と考えると
アドバイスも、受け取りやすくなるのかもしれない。


などというのも
アドバイス
になってしまうのかどうか・・・


いや
これは
ぼやきなのだ。


私の役に立たない占いも
「アドバイス」
ではなく
「ぼやき」
なのだと思っていただければ
いいんじゃないかと
思う
という


アドバイス
ではない
ぼやき
でした。まる。