「1市6町合併」 NO.11(2004年12月21日)               
「古川市」に変更ならず。市長の責任は

 古川市長が大崎地方合併協議会に申し入れていた新市名称を「古川市」に変更を求
めたことに対し、12月19日の合併協議会で過去5回の協議を踏まえ、変更しないことを
正式に決定した。
  なお、合併期日は1年延長の平成18年3月31日することを承認した。
 
 ※この合併期日の変更は自動的なものであり、新市名称の再協議とは無関  
係。詳細は、この文章の後段6項目に記載。


1,明らかになった古川市への信頼失墜

 再協議申し入れの議論で明らかになったのは、古川市への信頼の失墜である。

 6町の委員から、「自ら調印した責任と6町の議会での議決の重みを尊重すべきであ
る」「古川市のエゴだ」「威圧行為だ」との相次ぐ発言と、合併期日の延期が決定されても
いない段階で、来年度予算を編成することに対しても鳴子町長と田尻町長から「合併協
議会の権威の失墜と、存在意義さえも否定するもの」と痛烈に批判される場面もあった。

 加えて「名付け親大賞は古川市の中学生。将来を担う子供に嘘が言えるのか」と教育
論まで言われては身も蓋もない。
 
 これに対し、古川市の委員からは「批判は甘んじて受ける。返す言葉もない」とか「理
不尽なことは認識している」「古川のエゴといわれても仕方がないが、気持ちを察して戴
きたい」などと、「無理が通れば道理引っ込む」と揶揄される申し入れは、理解を得るどこ
ろか、協議を重ねるごとに、ひんしゅくを買い、信頼を失墜させるものだった。

 中心都市としての品位・品格もなく、調印と議会の議決を無視した「ゴリ押し」と受け止
められたのは当然の帰結である。傍聴していて聞くに堪えない恥ずかしさを感じたの私
一人ではなかった。

 市長は合併論議を通じ、6町との信頼関係の構築を強調して来たが、再協議申し入れ
によって、自らそれに反した行為をしたことになる。
 
2,「名称変更を申し入れた」ことで納得するのか

 確かに市長は、「新市名称を古川市に変更するよう申し入れる」との市長選挙の公約
は、見事に実行した。

 しかし、市長に投票した人は勿論、市民の皆さんは、単に「申し入れた」という事実と協
議されたという実績で満足し納得しているのであろうか。
 当然にして、「古川市」に変更されることを信じ、又は期待して投票し、合併協議会での
議論推移を固唾を呑んで注目していたのではないだろうか。
 
 現に、市長は
    「変更されないと合併が進まない深刻な事情である」(11月6日)、
    「形式的に再協議を申し入れたというだけで終わるという覚悟でやって   
   いるわけではない」(11月19日)
 と合併協議会で発言している。

 それを後押しするように、議会議決と反し合併推進の立場である市議会選出の委員

   「出直し選挙は新市名称を変更するという条件付き当選である」
   「重大な決意である」(いずれも11月19日)
 と、切々と訴える発言をしている。

 新市名称の変更を出直し選挙の「目玉公約」に掲げるなら、少なくても事前に6町長と
合意が得られていなければならない。それもなく唐突の事務所開きでの発言であった。
さぞや合併成就のため応援に駆けつけた町長や市議会議員など驚いたことであろう。

 私は10月2日、「1市6町合併」NO.6で「新市名称の変更は空手形であり、選挙
目当ての無責任なもの」と書いたが、それが現実のものとなった。

 市民の中からは、がっかりし肩を降ろしたり、「裏切られた」とか「騙された」という多くの
声が聞こえている。
 合併反対理由を、新市名称に歪曲又は「すり替え」たことも、住民意向調査と議会論議
を直視したものではなく問題だが、このような、再協議申し入れまでの一連の事態は、全
てが市長がこの間判断し、遂行してきたものであり、その責任は大きいものがある。

3,問われる市長の執行責任と結果責任

 市長は自身の意思を貫く余り、合併の是非を判断する段階で、次に挙げる3点の嘘を
言いつつ市民と議会を裏切った。
 
   ?、自ら「尊重する」として実施した住民意向調査結果を無視したこと
  ?、「最終判断は議会に委ねる」との公言を否定したこと
  ?、新市名を「古川市」への変更を信じたり期待した市民の思いを果たせな  
  かったこと

 これにより、市長の基本姿勢である「市民が主人公の市政や合併」を踏まえた民主的
な行政手法とは、ほど遠い判断と行為によって、市民に少なからずの市政への不信感と
対立の様相を顕在化させた。

 加えて、6町からは「合併協議会の権威の失墜と、存在意義さえも否定するもの」との
発言に代表される不信感を持たれた。
 記者会見で「変更にならなかったのは残念であり、市民に対し大変申し訳ない。合併の
本質を見てほしい」と述べたようだが、到底納得できることではない。

 合併協議会で「大崎市」に決まった時点から新市名称に対する不満は充満しており、
市長は地区懇談会等で肌で感じていたはずである。

 しかし、
 ?、6町との信頼を盾に「最善のもの」として意に介さず、住民意向調査結果を無  視
し知事を中心にスクラムを組み合併推進をアーピルしておきながら、
 ?、市議会で否決されるや、個人として選挙のために開催した「対話集会」で市   民
の声を受け止め、「古川市に変更」と根拠のない「空手形」を掲げ当選し、
 ?、合併協議会では古川市の委員と共に「脅し」気味の発言を繰り返し、大勢が  決
しているのに6回もの会議を開催させ、
 ?、混乱させたうえに多大な経費(再協議申し入れのため433万円の補正予算  を
組んだ)を費やし、
 ?、望み叶わず「大崎市」で決定されると「努力した」と市民と市議会に理解を求   
めることの、

 どこに「平成デモクラシーの幕開け」「「市民が主人公の市政や合併」があるというので
あろうか。
 このようなことを世間では、「独裁的」「わがまま」などと言う。

 市長の判断で、今年の後半6ヶ月間が翻弄され、市民と市議会は勿論のこと、合併協
議会と14万人住民が愚弄されて来たと言える。
 本来、今度こそ一連の責任を取り市長を辞職すべき異常事態である。しかし、来年1
月中旬頃に予定されている「再提案」を見越し、9月1日の臨時議会で反対した議員に、
市長等から様々な「説得行為」が執拗に行われている。

 「説得行為」をする前に、自らの発言と行為が一致しているのか、どのような事態が生
じ影響を与えているのか冷静に考えるべきである。このことは、市長を支えてきた人達
にも言える。それをせず、どうして市民と市議会の理解を得ようとしているのか。本末転
倒である。

4,本物の地域づくりを

 最近、「平成の大合併」に疑問を投げかける報道が多くなった。既に合併した自治体の
実態や解散・離脱の合併協議会を分析した上で、合併特例債目当ての合併が「バラ色」
なのかという率直な疑問と検証である。

 加えて、来年度予算(財務省原案)からも見られる国の借金財政である。識者が「昭和
の大合併」を参考に「今回も、財政難を理由に政府が約束した財政支援を途中で縮小す
る可能性がある」と指摘していることが現実味を帯びてきた。不安は膨らむばかりだ。

 ここは一旦立ち止まり、これまでの合併協議も生かし、改めて本物の安心と安全を基
本とした活力ある地域づくりを考えるべきである。違和感が強い状況で強行突破し合併
しても、「対立」と「しこり」が残り新市建設に大きな支障を来す可能性を危惧せざるを得
ない。後悔しても戻れないのだから、合併を目的化したり、「勝ち負けの世界」ではない
冷静な判断が求められている。

 合併特例債や地方交付税の優遇措置の期限に追い立てられただけの、戦略性のな
い「いやいや合併」「店じまい合併」に未来はない。

 地方自治に詳しい某大学教授の「合併の是非はともかく、非合併組の改革路
線こそが、本来の自治体行政のあり方に近いのでは」との指摘が的を得ている
と思うのは私一人であろうか。

5,「財政健全化推進計画」は何なのだろう

 ところで市長は、市議会や合併協議会等で「合併しなければ古川市はやっていけない」
との発言を繰り返している。

 厳しい財政を指しているのだが、それならば平成13年5月に策定した「財政健全化推
進計画」は何なのだろうか。
 この計画書の冒頭の市長挨拶では「このままでは2〜3年後には財政再建団体に転
落しかねません。この最悪な事態を回避するために策定した」と述べている。

 計画年度は平成22年度までである。
 本当に「合併しないとやれない」なら、まず「財政健全化推進計画」の破綻を宣言をしな
ければならない。
 しかし、ほんの若干の修正をしたものの、私を含む議員からの下方修正の「見直し」の
質問に対し、「その必要なし」との答弁を繰り返している。矛盾である。
 一方では誤った認識で高い価格で旧・エンドー中央店を取得している。

 矛盾と言えば、同じ冒頭の挨拶の最後で
   「地方分権の時代にあっては、従来のような『国頼み』『県頼み』の姿勢は  
 もはや許されません」
 と明言していることである。合併特例債に代表される合併こそ、『国頼み』『県頼み』の
姿勢であり、許されないことの典型的見本である。

 「合併成就」を口癖のように言うが、この矛盾についてはどのように考えているのか真
意を聞きたいものである(議会では、再三に渡り質問しているが未だ真意は聞いていな
い)。

6,合併期日の変更は自動的なもの

 合併協議会では、「合併期日と新市名称の変更は表裏一体のもの」と確認したが、間
違いである。したがって合併の取引材料や申し入れの一つが達成したとの次元のもので
はない。
 既に「1市6町合併」NO.8でも指摘しているが、情報公開で得た会議録等から改めて
指摘したい。
 事実経過は次の通りである
 
 ◎9月3日・第34回幹事会(各市町の助役と担当課長で構成し、合併協議会
   に提案する議題の協議や調整をする)

     事務局長から、「9月1日の市議会で否決されたことにより、平成17年4
    月1日の合併はきついと考えている」と説明。その理由は、「合併時まで統
    合する」としている電算システム統合が不可能になること。 
      しかし、座長の古川市助役が「9月13日の合併協議会に合併日を示さ
    ないこと」を確認した。

 ◎9月7日・構成市町長会議

     座長の市長が、「現段階では、4月1日を期日とすることで確認します」と
    結論を出した。

 ◎10月25日(市長選挙の投票日翌日)・第25回古川市合併推進本部会議  
  (市長ら三役と各部長と関係課長で構成)

     市長選挙期間中の公約を踏まえ、市長から「合併期日の延期を申し入 
    れる」ことを提起し確認した。

 ◎10月26日・構成市町長会議

     鹿野職務代理者(鹿島台町長)からの「仮に期日を延長する場合」の質
    問に対し事務局長から、県への申請期限や電算システム統合・協定項目
    の見直し等の現状と課題の説明があり、座長の市長が「そのような共通 
    認識を持つことで確認します」とした。                    

 ◎11月2日・再 協議を申し入れる(合併期日と新市名称の変更)
 
 以上の経過から判明するのは、

?、9月1日の否決時点で、自動的に平成17年4月1日の合併はきつかったこ
  と
?、しかし、そのことを合併協議会に明らかにせず、9月7日の構成市町長会議
  で 「4月1日」を確認したこと
?、出直し市長選挙で当選した翌日の古川市合併推進本部会議で、「合併期日
 の延 期を申し入れる」ことを確認したこと(これは、9月7日の構成市町長会議
 で自ら確認したことに反する)
?、しかし、その翌日の構成市町長会議で「合併期日の延期を申し入れる」こと
 を言わず、「そのような共通認識を持つことで確認します」としたこと

 改めて述べるまでもないでしょう。前の会議で確認したことをいとも簡単に反古するよう
に一貫性がなく、合併協議会に知らせず、言うべき時に言わず、混乱をもたらしているこ
とを。
  事務局から提案・説明すべきであり、市長が申し入れる事項でないことも含め。
 
 「平成デモクラシー」を絵に描いた餅でなく、本物の明るい地域を願って。
 冬至の日に。