金 慶珠 Kyonju Kim

金1

若者は未来の希望

私は生まれも育ちも韓国です。小学生の頃に父の仕事の関係で4年くらい日本の関西に住んでいたことがあり、その頃日本語を覚えました。もう一度日本に来たのは、韓国の大学と大学院を出たあとです。私にとっては日本は外国というイメージよりも非常に親しみのある国だったので、留学をするなら日本に来ようと思ったんですね。それで東京大学の大学院に入り修士と博士をとりました。ですから私は修士を二つ持っているんですよ。あんまり意味ないんですけど(笑)。博士課程の3年目の時に東海大学への就職が決まりました。運良く、日本に来て5、6年くらいで就職して今日まで働いています。正式に教鞭をとるようになったのは2002年。ですからもう15年目、私は吉川先生と同じくらい長く東海大学にいることになります。青春返せって感じです(笑)。専門が言語学ですから最初は外国語研修センターで韓国語を教えていたんですけど、もともと「韓国語を教えること」が専門ではないので、コミュニケーションやメディアを教えられる総合教育センターに移りました。総合教育センターは学科ではないので、講義はするけど学生は持っていないんですね。もうちょっと学生と触れ合えるところに行きたいと思っていたところに、国際学科のお話をいただいてこちらに来たということなんです。

国際学科に来てからは最初からここに来ていればよかったというふうに思うくらい、ぴったりあった学科でした。日韓関係や国と国の関係を政治的に見てしまうと非常に偏った硬直した姿勢をとらざるをえない部分があります。歴史認識だとか領土問題だとか。日韓関係はすごく良い時もあれば悪い時もあるということが繰り返されているわけですけれども、学生というのは純粋に好奇心を持って、朝鮮半島や韓国について知ろうとします。そういう純粋さに出会った時に、「若者は未来の希望なんだ」ということを感じますし、私自身改めて学ぶことは多いですよね。

国というものを単位としない国際交流

私の授業は大きく分けて2つに分かれていまして、一つは私の専門である言語学関連、「コミュニケーション」ですね。コミュニケーションって日常的によく使っているんだけれども、実際、コミュニケーションって一体なんなのかっていう理解はまだまだ足りない。そういう意味でコミュニケーションの仕組みを学びます。コミュニケーションにはいろんな種類がある中で、その中でマスコミュニケーションという一つの分野があるわけです。そこにメディアというものが介入して、理論的には70億人が一斉に一つの情報に接することができる。そこで世論というものが生まれ、大衆というものが生まれる、という現代社会、情報化社会のコミュニケーションのあり方にまで学びを深めていく。これが一つの軸になります。

もう一つは地域的なもので「朝鮮半島と日本」「北東アジア研究」という軸です。「朝鮮半島と日本」では主に韓国を中心に文化や社会の勉強をします。例えば儒教だとか韓流だとか、そういったものですよね。「北東アジア研究」というのは政治的な外交関係。特に北朝鮮の核開発の問題もあり、日韓の歴史認識の問題もあり、領土の問題もあり、その葛藤において、それぞれの主張は何なのか、何を考えていくべきなのか。こういったものに対する知識がないと意見の持ちようがないんです。

また、「メディアと国際社会」という授業ではテーマはメディアリテラシー。メディアを読み解く力なんですけれども、それがないがゆえにネット右翼みたいなのが出てきてしょうもないことを言ってるわけですよ。インターネットの私の関連検索で一番多いのが「金慶珠 死ね」と「金慶珠 美容整形」ってやつです(笑)。それはネットの世界でそういう極論がまかり通るのは「無知だから」、それに尽きるんですね。そのためにもきちんと知識を学んで欲しい。嫌いだとか好きだとかを言う前に、まずは知る。そして一回接触してみる。そうすると日韓の若者というのはお互い本当に、みんなびっくりするくらい、大人が反省し無知な人が頭を垂れるほど、純粋に人としてまずは向き合っていく。その延長線上に社会同士の対話、そして国同士の関係のあり方も市民社会同士の関係もある。もちろん個人としての関係のあり方も。そういう様々な関係を築いていけることが、国際学科で学ぶべきことだと思います。必ずしも国というものを単位としない国際社会での交流。これが国際学科の一つの理念でもあるのかなと思いますね。

金2

世の中は矛盾に満ちている

私は若者の一番の素晴らしさは「好奇心」だと思います。好奇心から始まって、そこから知ること。好き嫌いの問題ではないんです。知るための十分な知識と体験を積むこと、これが大事なことですよね。だけれど国同士のことを話す際には、お互いどこまで体験を積んでいるかというと、そこは体験が非常に足りない。その体験できない部分を、メディアが間接的な情報として伝えているわけです。ただし、この情報は事実の一側面にすぎないですから、そこを自分で丁寧に見ていくしかない。

私自身、大学の先生っていう職業ですけれども、考えれば考えるほどわからないことだらけです。世の中は矛盾に満ちている。じゃぁそこで「自分にできることは何なのか」と言ったら、それでも一つ一つ自分で考え抜くこと。一つでも学び、一つでも体験すること。そこでまた自分なりに判断を下していくこと。世の中はその連続なんですよね。一番怖いのはそれを止めてしまって、ステレオタイプで片付けてしまうこと。「この国はこういう国」「この人たちはこういう奴ら」っていうような偏見を持ち始めることが一番怖いことだと思います。今はテレビも新聞もネットも含めてメディアが偏見に満ち満ちているように感じます。それを今時の言葉で「内向きである」というわけですよね。内向きとは「考えることをやめること」。目線が外に向かない。

しかしながら私が学生から学ぶというのは、始まりの純粋さを持っていることです。好奇心を持ってこれから学ぼうとする意欲があり、学んだ知識の一つ一つに面白さを感じる。私たち教員にできることは、その土台を作ってあげることであって、これからの人生を生き抜いていくその節目節目で学び、経験し、判断をしていくのは個人なんですよね。ですからそれが「個人」で終わるのか、「社会の向上」で終わるのか、あるいはそれは「国同士であっても可能である」と信じてやっていくのか。それは人ぞれぞれです。

世の中っていうのは個人同士の関係性と一緒だと思います。嫌な奴もいれば虫の合わない奴もいるし、気に食わない奴もいるでしょう。しかしながらそういう人との付き合い方というのを私たちは考えるわけですよね。なぜならば世の中は平和であるべきだし、調和がとれていてこそ美しいという基本的な概念があるからなんです。そういった姿勢で人間も社会も国も見ていくことが常識なんだけれど、今はそれが歪められてる状況、時代だと思います。それが情報化の時代であり、21世紀のアジアの政治的な状況でもあるというふうに思います。

誰よりも日本を理解しようと努力する

私がメディアに出てもう10年くらいになりますけど、やっとこの先に何があるのか見てみたいな、という気がしてきました。今までは「これをやるんだ」とか「懸け橋になるんだ」とか一度も考えたことはありません。私が日本の大学で教員になったとき、教育を通じた日韓交流の活性化こそが自分の役割だと思ったんです。2002年というと日韓W杯の年でしたけれども、お互いあまりにも知らないんです。「アジアの時代」とか「日韓友好」とかみんな口では言うけれども、日本の普通の人は大学関係者も含めて韓国に対する知識があまりにもなかった。だから交流はしたいんだけれども、どうやったらいいかもわからなかったという状況で、日本社会全体に韓国に対するイメージや知識、認識というものが明らかに足りなかったんですよね。

当時、日本のテレビに出ていた韓国の方っていうのは主に在日の方。でも在日の方はぜんぜん違う立ち位置なわけですよ。経験も違う。韓国で生まれ育ったわけでもなく、日本で生まれ日本で育った。しかしながら韓国としての民族意識や国家観をそれぞれに非常に複雑に持っている方々なんですよね。そういう意味では韓国人である私が、日本社会における韓国に対する理解や知識を深めるための役割がメディアだったらできるだろうと考えたんです。メディアと言っても色々な媒体がありますよね。その中でもテレビが一番早くてわかりやすいだろう、そこだったら私が誰よりもうまくできるだろうっていう、そういう確信に近いものがあったんです。それがテレビに出るようになったきっかけでした。信念なのか自信なのかわかりませんが、「できるだろう」となぜか思ったんですよね。

最初の数年間はキャスターを務めて、毎回いろんな政治家や専門家を呼んでいろんな問題を議論していました。多くの人が私の専門を国際政治や政治学をやったんじゃないかって思っていますけれども、違います。私の専門は言語学です。ただ、本当に一生懸命勉強したんです。当時韓国のメディアの取材を受けたんです。韓国人なのに日本でテレビでキャストやってるってことで、「どうして外国人がそんな仕事をできるんですか?」って。後で自分で「へー」って思いましたけど、私は「勉強したんです。ここ数年、週末を一度も休んだことがない。」って答えてるんですね。当時はそのくらい必死に日本の社会やいろんなことについて学ぼうと思って勉強していました。今も私が反日と言われようがなんと言われようがどうでもいいのは、私は日本が好きとか嫌いとかそういう話ではなく、「誰よりも日本を理解しようと努力する人間だ」と自分で思っているからです。これが好きだから、とかいうような簡単な話ではない。私が日本について知れば知るほど、そこに多くを学びそこに多くの感動もあるし、同時にそこに多くの問題も見出す。これは「どっちが好き」というように単純なことではないし、そのように単純なわかりやすさが非常に危ないというふうに思います。

金3

テレビって出るもんじゃない

ここ数年日韓関係が悪いこともあり、私の存在自体が「反日」として叩かれたりもします。そういったものにあまり惑わされない方ですけど、辛い時は辛いですよね。「死ね!死ね!」って言われても死ぬわけにはいかないし、死ねないし。でも、死にたい気持ちになることもあるっていうのが人間の常ですけれども。ただそれはテレビに出るからには図々しさも必要だし、信念も必要だし、なおかつ自分の発言に対する責任感も常に問われて……テレビに出てもあまりいいことないですよ。テレビって出るもんじゃない。学生に「テレビに出る人ってどんな人ですか?」ってよく聞かれるんです。私は一言、「テレビに出る人はみんな変な人。先生も含めて。」って答えています。みんな変な人だから、テレビで見世物にもなるし、極論で意見を戦わせる面白さもありっていうことなんでしょうね。

インターネットで叩かれること、私は気になりません。メディアに出るっていうことは、そんなもんです。例えば私がタレントや芸能人だったら、人に好かれる商売ですからそういうこと言われたら凹むんでしょうけれども、いわゆる評論家、文化人の枠ですと、基本的に私がテレビでいうことは意見を言うことなんですよね。自分の意見を言えば、そこには必ず反対の意見があり、批判を受けるものです。批判を恐れては、メディアに出て人様の前で意見を言うことはできない。公の場で意見を言うからには、必ずそういった批判を恐れない姿勢が必要。

一方で、言葉というのは人を生かしもし、殺しもするものなんですね。誰かを傷つけることもある。それが本意であれ不本意であれ、そういった波及効果もあるっていうことを十分に考えて、責任のある発言をしようと常々思っています。

どこに意味を見出すか

私は日本にいたら反日と言われるけど、韓国にいたら親日と攻撃されていたかもしれません。日本と韓国の「懸け橋」って言われることもありますけど、懸け橋になることほど損な役回りはないですよね。どちらからも歓迎され、どちらからも批判される。これを覚悟しないと懸け橋という役目は務まらないんですよね。

そもそも異文化コミュニケーションにおいて、人間は自分と違う人、自分と違う考え方、自分と違う習慣の持ち主と会った場合には、「お互いの違いを認めて仲良くなりましょう」じゃないんです。「相手に対する警戒や偏見を持つ」、これが人間の本性でもあるんです。そういった印象からいかにノイズを省いていくのか。そこからコミュニケーションが始まるわけです。

私は「平和」が人間の本性であるとは思いません。でも「平和を追求していこうという理性」を人間は持っている。だから、ただ感情の赴くままに、自分の信じるところで思考をストップしてしまうと、あとは警戒と偏見があるだけだと思います。懸け橋というのは偏見や差別、ステレオタイプ、無知との戦いでもあるわけです。

私が反日と言われることに違和感を覚えないのは、むしろ当然の反応だと思うからなんですね。それを克服できるかどうかというのが私のテーマであって、反日って言われて最初の頃は「えーっ?!」て戸惑いましたけど、仕事をしていく上では「私は反日なのか、親日なのか」ということで悩むことは、そんなに長く考え続けることではないですよね。好きで始めた仕事だけど、「好き好き!!」っていうことだけでやっていけるのかというと、そうではない。やっぱり辛いししんどいし、それでも一瞬の喜びがあるからそこに意味を見出して辛い時間を我慢するわけです。学生たちにもよく言うんですけど、「好きなことなんてどうでもいい」と。そうではなくて「どこに意味を見出すか。意味のある仕事を見つけなさい」と言っています。自分は何に意味があると思うのかが大事なんですね。意味もなく好きっていうだけでは軽すぎる気がするんですよね。ここはおばさんの小言ですけど(笑)。(2016年4月5日 聞き手:橋口博幸)

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■現在の専門分野
コミュニケーション理論
メディア論
朝鮮半島の文化と社会
■現在の研究課題
メディア報道と日韓関係
■研究内容
日韓両言語のメディア・テクスト分析
主に、「日本と韓国の社会的交流」を伝える両国の新聞記事を批判的談話分析(CDA:Critical Discourse Analysis)の観点から比較対照することにより、メディアに表象される日韓相互認識の在り方を具体化させるとともに、報道テクストの情報構築における「視点の機能と構造」を明らかにすることを研究の目的としている。日韓間の政治・経済・社会・文化交流に関連する両国メディアの報道テキストを分析の資料としながら、両国メディアの相手国に対する認識がどのような「言語的手段」および「社会的イデオロギー」を通じて発信されてきたのかを日韓関係のコミュニケーション・システムへの影響の観点から分析する。また、日韓のメディアによって用いられた「視点の設定法」がどのような社会的イデオロギーとして解釈されるのかについては、言語外範疇にある歴史的・社会的コンテクストとも併せて読み解くことにより、「日本および韓国の葛藤と交流」に対する社会的相互認識の実態と変化を実証的にとらえることを最終的な目標としている。
■所属学会
社会言語科学会
日本言語学会
比較文明学会
日本語教育学会
第二言語習得学会
マスコミュニケーション学会
■主な論文・著書
単著『場面描写と視点』東海大学出版会 2008
編著『日韓共通認識の模索』東海大学出版会 2007
単著『歪みの国・韓国』祥伝社 2013
編著『言葉の中の日韓関係』立命館大学コリア研究センター 2013
論文『民主党内閣支持率の変動要因とその類型』ソウル大学日本研究所 2012
■主要授業担当科目
北東アジア研究
メディアリテラシーの実践と方法
メディアと国際社会
基礎ゼミナール
専門ゼミナール
卒業論文指導