一億総貧困時代

雨宮処凛

一億総貧困時代


10

学生が1600万円以上の
借金を背負うシステム
──奨学金破産1万人・日本の特殊な現状

 私立大学では平均授業料が年間86万、国立では53万円。どちらも上がり続けている。一方、世帯収入は減り続け、仕送りは過去最低となっている。そんな状況を背景に、現在、大学生の2人にひとりが奨学金を借りているという現実がある。しかしその後社会人になって正規の職につけず、そのため奨学金返済に支障をきたし、自己破産に追い込まれるケースが増加しているのだと聞く。驚くべきことに、現在までにその数、累計1万件。今後もさらに増加が予測されるという。そもそも大学の授業料が無償でない上に、公的な給付型奨学金がないのはOECD加盟34カ国中、日本だけなのだ。またつい先日、自民党のプロジェクトチームは「経済的な理由で大学進学をあきらめずにすむ額として、少なくとも3万円の給付が必要と算出した」(10月5日発表)というが、現状との齟齬はないのか。
 「学ぶ」ために、大学生が莫大な借金を背負う、この不思議な国、日本。2人の現役学生にその実際を聞きながら、考えたい。

悪名高い<奨学金>

 1651万円。
 この数字は、ある23歳の大学院生が借りている奨学金の返済総額だ。
 社会に出ると毎月約6万9000円ずつ返していかなければならないという。順調に返しても、返済が終わるのは40歳を過ぎてから。
「この奨学金、僕、返していけるのかなって不安な時もあるし、結婚とかできるのかなって思うこともあります。それに、僕、親にこういう話してるのってあんまり聞かれたくないんです。僕、親にはすごくよくしてもらってると思ってるけど、親はこういう話を聞いて、『ごめんね』とかって言われたら耐えきれないじゃないですか」
 2016年夏、ある選挙の応援スピーチで、彼は言った。
 その人の名は諏訪原健さん。15年夏の安保法制反対運動をリードしたSEALDs(現在は解散)のメンバーであり、16年7月の参院選で野党共闘を呼びかけた「市民連合」のメンバーでもある。
 今回は、そんな諏訪原さんと、もうひとり、田中宏太さん(仮名)に「学生を食い物にする貧困ビジネス」として悪名高い「奨学金」について話を聞いた。

大学生の2人に1人が背負う「借金」

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」という映画をご存知だろうか。
 イタリアの労働環境やフィンランドの教育、チュニジアの女性進出など各国の「素晴らしいシステム」を取材して、それをマイケル・ムーアがアメリカに持ち帰る、という演出のドキュメンタリー映画。この映画では「スロベニアの大学」も紹介されている。大学の学費は無料で、若者に借金を負わせない。また、高校の教育レベルはアメリカの大学以上という説もある。翻ってムーア氏の祖国・アメリカでは、貧しい家庭出身の若者が軍隊に行くことで大学に行くための奨学金を得られるという「経済的徴兵制」が問題となり続けている。大学に行くための「一発逆転」の方法として軍隊に入り、イラクやアフガンに派遣され、命を奪われる者もいる。身体に障害を負う者もいる。生きて帰ってきたとしても、多くの者がPTSDなどに苦しめられる。アメリカでは、イラク・アフガンから帰還した兵士のうち、毎年250人以上が自殺するという。戦争は、いつの時代も大勢の貧しい者を必要とする。そして貧者が貧しさから脱出しようと思う時、目の前にぶら下げられるのが「奨学金」というニンジンなのだ。
 さて、それでは日本の奨学金はどうなっているのかというと、今や大学生の2人に1人が奨学金という名の借金を背負っていることは有名な話だ。労働者福祉中央協議会のアンケート調査によると、借入総額の平均は312.9万円。この20年、景気の低迷の中、労働者の賃金は下がり続けてきたわけだが、それと反比例するように奨学金を借りる学生の数は増え続けてきた。親世代に、学費を負担する経済力がなくなってきたからである。その背景には、学費が上がり続けてきたという事実もある。例えば69年と比較すると、国立大学の授業料は40倍以上も値上がり。この間の物価の上昇が3倍程度にとどまることを考えると驚異的な高騰である。
 そんな中、増え続けてきた有利子の奨学金を借りる学生。特に04年、奨学金事業を行う「日本育英会」が「日本学生支援機構」に変わって以降、奨学金は「金融事業」と位置づけられ、メガバンクと債権回収会社が儲かる「学生を食い物にする貧困ビジネス」と言われるようになった。
 それだけではない。正社員としての就職が難しく、不安定な低賃金労働が広がる現在、奨学金を返したくても返せない人びとは増えているのだが、14年、この層にアメリカの「経済的徴兵制」を彷彿とさせるような提案がなされている。経済同友会の専務理事が、文科省の有識者会議で、奨学金延滞者に対し、防衛省などでインターンさせたらどうかという発言をしているのだ。それから2か月後に集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、その翌年には安保法制が成立したことを思うと、何やらいろいろと勘ぐりたくなってくる。

「教育は自己責任」

 さて、この国では一度も社会に出ていない大学生たちが莫大な借金を背負っている一方で、世界を見渡せば、スロベニアに限らず大学の授業料が無料の国は多い。OECD加盟34か国のうち、以下の国々は大学の授業料がタダである。スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ハンガリー、フランス、ポーランド、オーストリア、ドイツ、エストニア、デンマーク、ギリシャ、チェコ、アイルランド、スロバキア、ルクセンブルク。それ以外の34か国のうち、日本以外の国すべてに給付型奨学金制度がある。大学の授業料がタダでない上に、公的な給付型奨学金がないのはOECD加盟34カ国中、日本だけなのだ。
 このことが意味するのは、「教育は自己責任」というこの国の特殊な考え方である。若者に投資して次世代を育てようという意識の欠如。金持ちの家に生まれればいい教育が金で買えるが、そうでない場合は就職するか奨学金で借金漬けになるしかないという「格差」が思い切り容認されてしまっているのだ。
 最近、文科省はやっと「給付型奨学金の創設」について検討を始めた。が、晴れて創設されたとしても、おそらく対象となるのは成績優秀なほんの一部の学生。そしてすでに奨学金を借りて大学を卒業し、返済に汲々としている層への救済策はまったくと言っていいほど論じられていない。
 それでは、まずはまだ返済が始まっていない諏訪原さんの声に耳を傾けてみよう。

生まれた環境で左右される社会

 鹿児島出身の諏訪原さんは、筑波大学大学院修士2年。教育社会学を専攻している。高校生の時点で、奨学金を借りることを決めていたそうだ。
「仕送りは貰えないっていうことはわかってたので、奨学金を借りることは前提でした。その時、必然的に国立大学にしようっていうのも決めてて。家庭の状況的にも浪人はできないので、絶対現役で受からないといけない。当時はちょっと嫌でしたよね。自由に生きていくのってこんなに難しいのかと思いました。やっぱり、人生の岐路に立つたびに、ある程度リスクの低い選択をせざるを得ないし」
 学部時代の4年間で、日本学生支援機構から無利子の奨学金・月5万1000円と有利子の奨学金・12万円を借りた。毎月17万1000円。大学の学費は年間55万円ほど。初年度はそこに入学金がプラスされる。
 借りる時はもちろんだが、諏訪原さんは今も年に1回、奨学金の継続の書類、そうして年に2回、授業料免除の申請書類を書く。そのたびに「結構、心が折れる」という。
「父親と母親の収入の数字を源泉徴収で見て、課税証明書とかも送ってもらうんですけど、毎回、数字で家庭の経済状況を知ることになるんです。あと、申請理由として、『家庭の経済状況が……』ってことを毎回書かないといけない。書いてるとちょっと心が折れますよね」
 先に紹介したスピーチで、諏訪原さんは以下のようにも述べている。
「僕、大学3年生くらいまで、授業が終わったあと、週に5回、深夜までバイトしてました。でも一方で、すごく大学生っぽいことしてる大学生ってたくさんいるじゃないですか。そういう人たちの話聞いてると、別に彼らが悪いわけじゃないのに、なんでか惨めな気持ちになるんです。将来のこと考えないといけないタイミングってたくさんあります。そのたびに、僕がまず考えなくちゃいけないのは、お金になる仕事かどうかなんです。自分が何したいかとかそういうことよりも、現実の中に自分をあてはめていく。それがまず第一に考えないといけないことになってる。そういうことに気づいた時に、すごく惨めな気持ちになったんです」
 そんな諏訪原さんは、大学に入ってから、児童養護施設で学習支援ボランティアを始めた。
 児童養護施設にいるのは、身寄りがなかったり、親から虐待を受けていたり、様々な事情から親元で暮らすことができない子どもたちだ。義務教育の中学までは施設にいることができるが、高校に進学しないと、基本的に施設を出ていかないといけない。
「そういう意味で学習支援って、児童養護施設にとってはかなり重要になるんです。自分自身も、生まれた環境によって左右される社会っておかしいよな、ってずっと思ってたし、こういう社会状況でいいのかなと思ってたし」
 ボランティアを続けながら、大学3年生の夏にはある大手企業にて有給でインターンも始めた。諏訪原さんいわく「意識高い就活(笑)」。父親からは、「飯食っていくこと考えろ」と言われ続けてきた。そのままいけば、おそらく大企業に就職していたのだろう。しかし、そんな頃に特定秘密保護法反対運動が盛り上がる。大学生たちによってSEALDsの前身となるSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)が結成され、後輩に誘われた諏訪原さんも運動に参加するようになった。
「なんとなく就活して就職して、給料もそれなりに貰って働けるって状況ではあったんですけど、『それでいいのかな』っていうのをすごい思ったんですよね。だったら大学院に行ってもうちょっと勉強してっていうのを考え始めて」
 運動に関わりながら、大学院への進学を決めた。はじめは親には反対されたが、意志は固かった。もともと、政治には興味があったという。高校生の頃には生徒会長もしていた。当時取り組んだのは、「服装検査をなくす」こと。
「僕の高校は、前髪が眉にかかったらダメだとか、耳にかかったらダメだとかの決まりがありました。服装検査なんて正直、意味ないわけですよ。なんで必要なのって考えたら、社会に出た時にそれなりにきちんとできるようにみたいな教育的な意図があるんでしょうけど、実際は決まりを守らせることが目的化しちゃってる。だったらもっと社会に出た時に役立つことを考えた方がよっぽど有意義な時間じゃないですかっていうのをずっと言っていて。結局、僕が生徒会長の間は、一回検査に合格したら次は受けなくていい、ということになりました。僕が生徒会長じゃなくなったら、一瞬でもとに戻ったんですけど(笑)」
 しかし、おかしいと思うことに声を上げれば変わる、というのは諏訪原さんにとって「成功体験」となったようだ。
「考えてみたら政治的な営みっていうのは、その仕組みそのものが存続するためにあるようなものっていっぱいあるじゃないですか。そういうのっておかしいなって思ってたのがあるし。で、実際自分で何か言えば変えられるっていうのは、生徒会の時に原体験としてやっぱりあって」
 が、自らの奨学金問題を、政治問題として考えることはあまりなかったという。
「もともと教育を志したのは、高校生の時から教育問題に関心があったからなんですが、奨学金の問題をどうこうしようっていうのは思ったことなかったですね。世界的に見れば、大学教育だって無料のところは無料だし、日本がそれをやっていないのはおかしいなって思いもあった。でも、自分にとってはあまりに身近すぎる問題で、どうにかできると思ってなかったですね」

奨学金延滞者は防衛省でインターン?

 しかし、諏訪原さんがSASPLに関わるようになって数か月後の14年5月、例の「奨学金延滞者は防衛省などでインターンさせたら」発言が経済同友会専務理事の口から飛び出した。
「僕はその時、自分がどうなるかってことよりも、児童養護施設の子たちのことを思ったんですね。施設の子たちっていろいろなところに就職していくんですけど、自衛隊に行ったら結構エリートみたいな感覚なんですね。自衛隊に行った先輩なんかが帰ってくると、『すごいすごい!』って。公務員だし、収入も安定してるしで。
 僕の町も自衛隊の基地あるんですけど、結構大きい就職先のひとつなんですよね。自衛隊の友人もいます、彼もあまり裕福な家じゃなくて。どういう理由で自衛隊に入ったかはわからないんですが。
 やっぱり日本は、教育の保障や人生前半の社会保障みたいな考え方について、何もかもが条件つきですよね。給付制奨学金の話が出てきても、やっぱり成績優秀者だし。子どもの人生を無条件に保障していくという発想がない。防衛省インターンの話は、そういうことの典型という感じがしました」
 現在、1600万円を超える奨学金の返済を負っている諏訪原さんは、心のどこかに常に「失敗しちゃダメだ」という思いがあるという。
「どっかで失敗したら、転がり落ちるところまで転がり落ちるって状況なので。それをどうにかしようと思ったら、投資だと思って頑張るしかない。どこまでもポジティブじゃないと生きていけないというか、常に賭けてるわけじゃないですか。でも、自分の努力で全部どうにかなればいいけど、そういうわけじゃない。生きてる中で一番しんどいのはそこですね。失敗できない」
 諏訪原さんは、以前古着屋でバイトしていた頃の話をしてくれた。
「そこは買い取りもするんですけど、そうすると、ゴミ捨て場からいろんなもの集めてきたホームレスの人とかも来るんですよ。別に僕がその人でもおかしくない。この先何かあれば、そういう生活するかもしれないとは思いますね」

1万件の自己破産者

 現在、諏訪原さんは「市民連合」の活動も続けつつ、政治の世界での活躍を期待されてもいる身だ。SEALDs時代から多くのメディアに登場し、討論番組などでは弁舌の鋭さが冴える。しかも、筑波大学の大学院生。23歳とは思えない才能の持ち主という意味で、彼は特殊なケースだろう。政治の世界やアカデミズムの世界にすでに幅広い人脈を持っている。そしてコミュ力も恐ろしく高い。少なくとも、食いっぱぐれる要素がひとつも見当たらないのだ。
 よって私は彼の話を聞きつつも、「この人だったらこれだけの返済があっても返しちゃうんだろうな」とどこか安心感を持って聞いていた。が、問題なのは、学ぶために学生が多額の借金を背負わざるを得ないという状況そのものなのであり、それを後押しするかのようなシステムなのである。正規雇用の道が狭まる中、いわゆる「普通の学生」がこれだけの借金を背負い、非正規の職にしかつけなかったら──。「自己破産」という言葉が自動的に浮かんでくる。
 現在、奨学金の返済ができずに自己破産に追い込まれるケースは、すでに1万件に上るという。自己破産して終わりではない。借金は、保証人となっている親にのしかかる。親も払えないとなれば「破産の連鎖」が起きる。奨学金によって家族が共倒れしていくような状況が生まれているのだ。

保証人は生活保護受給者の父

 さて、次にご登場いただくのは、奨学金返済を始めて11年目、ちょうど借金の残りが半分ほどまで減った田中宏太さん(仮名)だ。
 33歳の彼は、大学の非常勤職員。現在、大学院にも籍があるが休学中。
 彼が借りていた奨学金は、2種類。大学生の4年間は「大学と銀行が提携してる学資ローン」を借り、大学5年目と大学院は日本学生支援機構の奨学金を借りた。学費は年間126万円。126×5年で630万円。大学院の時には学費が半額免除になったので、2年間で96万円。合わせて700万以上だ。ここに利息がつくわけである。
 22歳の時から返還を始めて、現在、450万円ほどが残っているそうだ。
 毎月の返済額は、3万円弱。
 この11年間、収入が不安定な時期もあれば失業中で2、3か月入金がない時期もあったという。それでも、月3万円の返済は容赦なく迫ってくる。
「そういう時、辛いですよね。何があっても現金で払わなきゃいけないものがあるっていうのは。自分だけの問題だったらいいんですけど、やっぱり保証人とられてるので……」
 もし田中さんが自己破産すれば、父親が返済しなければならない。が、その父親は現在生活保護を受ける身。また、日本学生支援機構の奨学金の保証人は父だけだが、大学と銀行が提携する学資ローンは父親だけでなく、父の友人までもが保証人になっているのだという。ここまで人質にとられているのでは、うかつに自己破産などできない……。
 さて、そんな田中さんが奨学金を借りると決めたのは高校生の頃。決めたというか、親との会話で「大学は奨学金で行ってね」と言われたという。
「高校生の頃って、自分の実家がどういう経済状態かわかってないですよね。親も別に子どもに自分の懐具合を言わないわけだし。でも、そもそも、実家に金があれば奨学金借りるわけないですよね」
 そうして無事に大学入学が決まり、奨学金の手続きをする。月々3万円の返済をしなければならないことはその時からわかっていた。
「でも、その頃、月々3万円返すっていうことがどういうことなのか、わかってないですよね。人が月々いくらで生活してるかもわからないし」
 なんといってもちょっと前まで高校生だった人間に大金を貸し付けるわけである。この辺りの問題について、高校などでちゃんと生徒に教えてほしいものだが、田中さんが大学に入った02年当時、「奨学金問題」はまったくと言っていいほど注目されていなかった。

大学進学=500万の借金

 そんな田中さんはこの11年間、出版関係の仕事などを中心にさまざまな仕事についてきた。収入は10万円台から20万円台なかば。奨学金を返済する中で、田中さんが疑問に感じるのは、やはりこの国の「学費の高さ」だ。
「僕の行ってた大学で、4年で卒業すると480万円です。その4年間のために、その後20年何かに縛りつけられる感じっていうのはちょっとなぁ……と思います。その後の20年間が、大学4年間のお金に規定されてる。で、一定の現金だけは稼ぎ続けなければいけない。まわりでも、鬱になったり働けなくなったりする人がいますが、たとえば、そういう時に友達のところに転がり込んでなんとかすることはできる。裕福じゃなくても実家に帰ることができる。家があって、食べ物一人分増えるくらいだったらなんとかなる。でも、そこで『3万ちょうだい』とは言えないですよね。けっこう自分の『ヤバい』って時に、『でもあの3万はなんとかしないと』っていうのが常に頭を離れない」
 しかし、その後借金に縛られるとしても、高卒だと就職がなかなかないというのも実情である。90年代前半の高卒者の求人は167万人。しかし、今は30万人程度。
「これからは大学行かないとヤバいぞってプレッシャーがあるわけじゃないですか。でも家にお金がないと、大学に行くってことが、400万500万の借金背負うこととセットになってる。だけど『借金怖いから大学行きません』って選択がなかなかできない構造になってるわけですよね。だから、やっぱり学費を下げるなりしないといけないと思います」
 そんな田中さんは、政策にどんなことを望むのだろう。
「今すでに奨学金の借金がある人も含めて、経済的なバックアップというか、収入に応じた形でなにがしかの対策があるといいですね」
 しかし、先に書いたように、給付型奨学金の創設は論じられていても、すでに借金を抱えている人を救済するような対策はなかなかない。14年、延滞金の利息10%が5%になり、返済猶予期間が5年から10年に延びるなどといった改善はあったものの、毎月コツコツ返している田中さんのような層には特に変化は起きていない。

給付型奨学金をスタンダードに

 さて、ここまで読んであなたはどう思っただろうか。
 貧困の世代間連鎖がこの数年注目され、それを断ち切るための子どもの貧困対策法も成立した。しかし、肝心の給付型奨学金については、やっと検討が始まったばかりだ。
 子どもは、自らの生まれる環境を選べない。しかし、次世代に投資することは、納税者を増やすことに他ならない。そして他の国々では、実際に授業料の無償化や給付型の奨学金を導入している。これほどに学びが「自己責任」とされている日本が特殊なのだ。
「長い目で見て、どういう社会にしたいんだということだと思います。本来政治って、それを公的な決定として下す手段ですよね。財源だとか仕組みって、本当は作れるはずなんですよ。これからどんどん若者が少なくなる状況の中で、給付型奨学金をスタンダードにして、保障していく。そういうふうにして社会を回していかないと、この先、明るくないなって思うんですよね」
 諏訪原さんの言葉だ。
 少なくとも、「学ぶ」だけでこれほど若者に借金を背負わせる国に、未来はないと私は思う。



Profile

雨宮処凛(あまみや・かりん)
1975年、北海道生まれ。愛国パンクバンドボーカルなどを経て、2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)を出版し、デビュー。以来、若者の「生きづらさ」についての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。 06年からは新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題や貧困問題に積極的に取り組み、取材、執筆、運動中。反貧困ネットワーク世話人、09年~11年まで厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員を務めた。著作に、JCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞した『生きさせろ!難民化する若者たち』(ちくま文庫)、『ロスジェネはこう生きてきた』(平凡社)、『14歳からわかる生活保護』『14歳からの戦争のリアル』(河出書房新社)、『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)、『命が踏みにじられる国で、声を上げ続けるということ』(創出版)ほか多数。共著に『「生きづらさ」について 貧困、アイデンティティ、ナショナリ
ズム』(萱野稔人/光文社新書)など。


TOP