休養していた事すら知らず、現役の1軍のコーチが亡くなったニュースは巨人ファンである事からキムタクを連想せずにはいられなかった。西武ファンの心中お察しする
西武ライオンズの投手コーチ・森慎二氏(42歳)が6月28日午後0時10分、多臓器不全のため、福岡市の病院で死去した。6月25日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)の試合前に体調不良を訴え、西武球団から6月27日に休養することが発表されていた。鈴木葉留彦球団本部長は「前の日まで元気にしていた。病気の兆候などは分からなかった。急だった」と説明した。
辻監督は、この日の試合前練習を終えた後、球団から説明を受けたという。「ショックです。数日前まで優勝を目指して一緒に戦っていた仲間だから…。つらい」。目を潤ませながら、沈痛な表情で話した。選手、スタッフにはロッテ戦後、鈴木球団本部長から説明があった。
ざっくり森慎二紹介
1974年9月12日生まれ。山口県岩国市出身。
1997年ドラフト2位で西武に入団。
2002、03年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
05年オフにポスティングシステムを利用し、米大リーグに挑戦。デビルレイズに入団した。
09年から独立リーグ石川ミリオンスターズで選手兼任コーチを務め、10年に監督に就任。
15年から西武で2軍投手コーチ兼育成コーチに就任。16年途中に1軍投手コーチとなった。
プロ通算431試合に登板し、44勝44敗50セーブ。防御率3・39。
移籍1年目の2006年は右肩痛の影響で調整が遅れ、初登板したオープン戦で3球目を投げたときに右肩を抱えたままうずくまってそのまま交代となる。診断の結果、右肩を脱臼しており全治1年を要する重傷だった。
その時の事を後にこう語っている
──3球目を投げた瞬間、マウンドでうずくまってしまいました。
「ボールを離す直前に、肩がポコッと外れてしまいました。超合金ロボットのおもちゃの部品が壊れるみたいに。『あっ、右腕がとれた……』と思いました。正確には後ろに外れたのですが、自分としては『腕が飛んだ』ように感じました」
──そのとき、何を思いましたか。
「これは『もう終わったな』と……二度とボールは投げられないと」「それはもう、ものすごい痛さで、えづくほどでした。そのときに自分のなかにあったのは、『痛い!』というのと『もう終わったな』という感情が半分半分。腕がポロンと落ちるんじゃないかと感じたので、本能的に左手で右腕を支えました。でも、関節が外れているから、重くて重くて……自分の腕とは思えないくらい。そのままの体勢ではいられなかったので、マウンドにしゃがみ込んで、右腕を足の上に置きました」
──本当に一瞬のことですよね。
「上腕の骨頭が脇腹に当たりゴリゴリしているのがわかって、『まだついている』と気づきましたが。脇腹から腕が生えているような感じ」
ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札があってメジャー契約した日本人選手がメジャー公式戦に出場できなかった初めての例であり、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ公式戦にも一度も登板していない。
死因の多臓器不全
wiki引用
生命維持に必要な複数の臓器の機能が障害された状態のこと「多臓器」の定義はやや曖昧であるが、日本では多くの場合、肺・肝臓・腎臓・消化器系・循環器系・中枢神経系・凝固・線溶系の7つの機能のうち2つ以上が短期間ないし同時に不全になったときとされる。
昔の森コーチに関しての記事を読んでいくと毎日ビール20~30杯、か、焼酎一升を毎晩やってると書いてある、現役時代はこれでも全く次の日問題なかったけど、引退後は酒が抜けなくなってきて、 ビールを15杯に控えるようにしてるみたいな記事があった。自殺志願者やね
・球団関係者のコメント
顔色が白くなっていた。
・デーブ大久保のコメント
先週ヤフオクで会っときに右の脇腹や右肩が痛いとうなっていた
顔が真っ青で練習の時もグラウンドに出てこなかった
本人は命は大丈夫と言っていた
・伊東勤のコメント
「今回来ていなくて心配していたけど、まさかこんなことになるとは思っていなかった。一緒にやって思い出もあるし、ボールを受けていた。彼で勝った試合が数多くあるし、思い出がたくさんある。現役時代に一緒にやっている人が指導者としてグラウンドに戻ってくるのが自分の楽しみでもあったから、あまりに早くてショックを受けている。ご冥福をお祈りします」
・石井貴
いい男だった。明るくて、人懐っこくて…。当時から(松坂)大輔とか、若い選手にも本当に慕われていた。自分もつい先日、メットライフドームで会ったばかりだった。彼の故郷は山口。プロ野球OBのイベントで下関に行った話をしたら「僕の故郷(岩国)は反対側ですよ」と笑っていた。
練習熱心で、よく走っていた。そんな姿が今も脳裏に思い浮かぶ。俺が俺が、というタイプじゃなかったが、マウンドでは吠えることもあった。本当に明るくて、いい男だった。