【6月29日 時事通信社】過激派組織「イスラム国」(IS)がイラク最大の拠点とした北部モスルは、イラク軍などによる約3年ぶりの奪還が目前に迫る。しかし、戦闘激化で町を逃れた住民の中には、奪還後も「モスルには戻れない」と悲嘆する人も少なくない。ISの蛮行を密告した女性、子供の将来を案じる母親。故郷への強い思いは、ISが刻んだ絶望にかき消されていた。

 ◇おびえた日常

 モスルの東約30キロのハサンシャム避難民キャンプ。ドニア・アフマドさん(25)は元警官の夫アブドルアジズさん(31)、子供3人と共に、今も戦闘が続くモスル西部の旧市街から昨年11月に逃れてきた。28日の昼間の気温は45度。酷暑で狭い簡易テントの生活でも「ISのモスルに比べればまし」と笑顔だ。

 ドニアさんは、モスルの陥落直後は「ISを『革命者』として歓迎した」と振り返る。だが、外国人が増え始め、「1年ぐらい経て、厳しい法律を施行するようになった。市民が抵抗すると、ISは暴力を振るい始めた。全く違う組織になってしまった」という。

 恐怖政治に耐えかね、夫にも内緒で政府軍にISに絡む情報提供を決意。あまり知られていなかったISの法律、残虐な殺害方法のほか、「教会なら空爆の標的にならないと彼らは考えていた」とIS戦闘員が会合を開く教会の場所も教えた。モスル解放を控えた心境を尋ねると、「ISは完全には消えない。戻るのが怖い。おびえての生活に疲れてしまった」と話した。

 ◇故郷に見切り

 「(戦闘が激しく)逃げたくても逃げられない」。ナシアト・ザベルさん(42)は連日、携帯電話から聞こえる声に息が詰まる。旧市街には今も、足を負傷して逃げ遅れた娘と息子計5人がいる。自宅はISに占拠され、破壊された。「モスルはもう絶対に安全にはならない。戻りたくない」と言い切る。

 シェハ・ファティさん(35)は21日にモスルの病院で双子の男児を出産し、このキャンプに移った。帝王切開を行った病院は、一部が損壊。とても気持ちを落ち着かせることはできなかった。「戻っても働き口はないし、食べ物もない。ここなら乳児に必要な食料が受け取れる」と疲れた表情で語った。

 ◇以前と同じ生活を

 一方で、望郷の念に駆られる人もいる。家具職人タレク・ムハンマドさん(52)は5月にモスル西部から、既に政府が奪回した同東部へチグリス川を泳いで逃げ延びた。息子のイヤドさん(17)を連れて泳いだのは、暗闇に包まれISの攻撃が静まる午前3時だった。

 ムハンマドさんは「50年以上暮らした町。できたら戻って、同じ仕事がしたい」と意気込む。だが、「歴史ある建物が次々と壊された。モスルが以前の姿を取り戻すことは、もうないだろう」と郷里の惨状を嘆いた。(c)時事通信社