2016年秋の米大統領選で話題となった「フェイクニュース」。
当初こう呼ばれたのは、広告収入を得るため、あるいは政治的な目的のために、ニュースサイトに見えるよう作られたサイトで意図的に発信された虚偽の情報である。
Facebookを始めとするSNSで拡散し、トランプ大統領誕生に「貢献」したと注目されたのだ。
その後、就任したトランプ氏が自身の意見に合わない報道を「フェイクニュース」と呼んだこともあり、この単語の守備範囲は拡大し、今やネット上の誤報や勘違い、陰謀論やデマまでを含んで使われることもある。
本稿で取り上げるフェイクニュースは、狭義の定義、「ネット上で拡散する意図的に発信された虚偽情報」であるが、この単語の守備範囲の拡大こそがフェイクニュースとのつきあい方の難しさを示している。
というのも、フェイクニュースを定義することは可能だが、具体的にどれがフェイクニュースなのか、簡単に見分ける方法はない。だから、自分がフェイク(ウソ)だと思うものがフェイクニュースという強弁が出てくるのだ。
「フェイクニュースに騙されたくない」と考えるならば、うわさ対策と同じであり、まずは、自分が「フェイクだと思わないもの」にこそ注意することだ。
「どんなサイトかチェックすること」「根拠が示されているか確認すること」「典拠があれば、その情報にも当たってみること」――ある情報の事実性に疑いを持ち、それを確かめる必要性を感じた場合において、このようなファクトチェック(事実確認)は確かに役に立つ。
しかし、このようなチェックをネットで見かけるすべての情報に対しておこなうことは時間的に不可能である。チェックするのは基本的には疑わしいと思った情報であり、逆に疑いを持たない場合や事実だと思った場合には、チェックをおこなうことはまずない。
よく知られているように、ネット上では自分が好む情報ばかりを入手する傾向があるだけでなく、同じような考えを持つ人が集まりがちで、その集団の中では極端な考えが生まれ、広がる。
サイバーカスケード、エコーチェンバー、フィルターバブルなど、このようなネット上で生じる社会の分断化をとらえる枠組みはいくつも提示されている。
「ローマ法王がトランプ氏を支持」「ワシントンのピザ店が児童虐待ネットワークの拠点になっている」といった「フェイクニュース」を信じた人たちにとっては、これらこそが「事実」であり、否定する情報の方が「フェイク」であったのだ。
そして、トランプ氏が自らの発言を「虚偽」と指摘する報道を「フェイクニュース」と呼んだのは、まさに彼にとっての「事実」ではないからである。
これらを反面教師とするなら、まずは、自分自身が特定のフィルターバブルの中にいる可能性を意識し、自分にとってもっともらしい情報こそ気をつけるべきなのだ。