「過去と他人は変えられないので、自分が変わるしかない」
というフレーズは、生きづらさを感じている人であれば、必ず一度は耳にしたことがある言葉だと思う。
私個人の限られた経験から言うと、この言葉には一つ足りない要素があるんじゃないかと思う。
男の産後うつ絶頂期に自分が「変わるため」にに私がしたこと
うつ真っ盛りのとき、 「過去と他人は変えられないので、自分が変わるしかない」という言葉を信じて、自分が「変わるため」にいろんなことをした。
ちょっと箇条書きにしてみようと思う。
- 認知行動療法(自己流だけど)
- カウンセリング(2軒ハシゴした)
- セラピー(ゲシュタルト療法。これもかなり後期)
- 自助グループのワークショップ(DV加害者男性)
- マインドフルネス(本を読んだだけ😅)
- 瞑想(自己流)
- 心療内科(3回くらい通って止めた。いわゆる”5分診療”だったため)
- 泌尿器科(男の更年期障害の検査としてテストステロン検査。異常値なし)
- 様々な読書
- 自己暗示
- 身体を動かす(散歩、ジョギング、ハイキング)
- そして女装(かなり後期になってから)
それなりに効果のあったことも、中途半端に終わったものもあるけれども、とにかくいろいろなものに手を出した。
これだけやっても、そう簡単にうつは治らないのよね。
もちろん、自分だってそう簡単には変わらない。
当然、他人は全く変わらない。
なんで私だけが変わらなきゃいけないの?
そうなると、うつが軽減されるどころか、やればやるほどイライラが募ってくる。
これだけやってるのに結果がでない❗という焦りからなんだろうけどね。
で、責任を他人に転嫁しはじめる。
「どうして私だけがこんなに頑張って変わろうとしないといけないの❓だって悪いのはあの人のほうでしょ❓」
と。
「あの人」の欄には、いろいろな人が入る。
親兄弟であったり、奥さまであったり、会社の人であったり、取引先であったり。
みんな好き勝手なことを私に言うじゃない❓
変わるべきなのはあっちじゃないの❓
なぜあっちは変わらなくていいのに、私だけが変わらないといけないの❓と。
自分だけが被害者のように思っていたね、あの頃は。
「変える」から「癒やす」に重点を置く
転換点になったと振り返って思うのは、ある時、一度自分の人生を全部ぶちまけてみたことにある。
自分の人生をぶちまけたのは、主にカウンセラーさんに対してだけれども、ワークショップでもぶちまけたし、もちろん奥さまにも話した。
(今、こうしてブログに書いている行為も、その一つかもしれない)
で、誰から言われたのかすら覚えてないんだけど
「ミナオさんの人生は我慢の連続だったんですね」
と言われたことがあった。
そうそう!それなのよ!!なんで今まで気づかなかったの!?と叫びそうになった。
「これまで自分が我慢をしてきた」というのが認められて、そこから一気に自分の心がすっとしたというか、浄化されていくように感じられるようになった。
私には、他人が(もしくは自分自身が)私自身に対して課してきた様々な禁止令を身にまとってきた。それを見直そうと思ったことは一度もなく、ずっと我慢をしてきた。
こういう我慢を発散させず、自分の中で抑えつけていたので、我慢があふれ出してきた状態だった。
我慢については、過去にもこういう記事を書いていたね。
我慢していた自分を自分自身で認め、「もう我慢しなくていいよ」と許可を出す。
そうした心のタガを外し、自分を癒やしてあげてはじめて、楽になってきた。
「変わる」よりも「癒やす」ほうが圧倒的に楽
私の場合は、「変わる」ための表面的な技法をいくら取り入れても、一向に症状は改善しなかったんだよね。
そして、その努力にもかかわらず、結果の出ないことが苦しく、あろうことか他人に対して攻撃が向かうようにもなった😫
それと比べると、自分の人生を振り返って「自分を癒やす」ことのほうが、圧倒的に楽だったし、癒されたことで自然と(意図せずに勝手に、結果として)私も変わっていったように思う。
表面的に「変わろう変わろう」としていたときは、全く変われなかったのだけどね😅
というわけで、冒頭に戻ろう。
「過去と他人は変えられないので、自分が変わるしかない」に足りないもの。
それは「自分を癒やす」こと。
私なりにこの言葉を修正するとしたら、
「過去と他人は変えられないので、自分が変わるしかない。だけど、自分を癒やせば自分は勝手に変わっていく」
って感じかな❗😉