多様性とは、TRFのことである
辞書で「多様性(diversity・variety)」を引き、そこに何の説明もなく、TRFの集合写真だけが載っていた、と仮定しよう。ここで生じる解釈は2つある。バラバラな5人のそれぞれが多様性の象徴である、とする解釈がひとつ。そして、この5人全体が多様性の一例だと解釈するのがもうひとつ。つまり、TRFって、個々の特性を語る事もできれば、その総体を一つの個性と定める事もできる。この双方を担えるグループってTRF以外にそんなに見当たらない。今、この世の中には、個性的であることを必死に目指した結果、「個性的であろうとする集団」という没個性集団が方々で生まれている。そういう集団の前に出向き、プラカードにTRFの写真だけを貼付けて、無言のアピールをしてみたい。多様性とは、個性とは、TRFのことである。
ジミヘンよりもDJ KOO
自分が27歳の頃、普段絶対に足を踏み入れない西麻布のオシャレなバーに出向くことになり、その店に誘い出した大学の同級生が、洒落たアルコールを数杯飲んでほろ酔いになりながら、「ジミ・ヘンドリックスもジャニス・ジョプリンも27歳で死んでいる。それなのにオレは……」と愚痴り始めた。信じがたいことに周囲は彼の弁舌に付き合い「そんなことないよ」などと持ち上げていたのだが、自分はどうしたって、ジミヘンやジャニスの死期とオマエの悩みを並列で語る大前提を許したくない。「そもそも、同じにしちゃダメっしょ」とポップに突っ込んでみると、彼は「そういう問題じゃない!」と意味不明の不満を表明したので、「そういう問題だろ!」と返したのだが、そういえば、あの日以降、彼とは会っていない。
冷静になれば、偉人と自分の年齢を比較してあれこれ思案するのは誰もがやることだし、確かにその帰結は大抵、「ジミヘンは27歳で死んだのに、オレは」方面に向かいやすい。自分もやる。ただし、「ジミヘンの死期」ではなく「DJ KOOの全盛期」で。今の自分の年齢(34歳)の時にDJ KOOはtrfの全盛期を迎えていた。頭の中で何度繰り返しても驚きが消えない事実だ。あの時のDJ KOOに対して、年齢で識別するというチャンネルを持てなかったし、かつての原稿で自分がTRFのことを「ビューティーに向かわないアンチエイジング」と称したように、「TRFと年齢」の議論は一般化しにくい。でも、あえて問うてみれば、自分はもうあの頃のDJ KOOの年齢を超えようとしているのである。それは、ジミヘンの死よりも、体に染み込む。
DJ KOOが悩んでいたこと
TRFの全盛期、DJ KOOには、自分に対する憤りがあった。来る日も来る日も音楽番組に出演していたが、当然、ヴォーカルのYU-KIは懸命に歌い、当然、他の3人のダンサーは懸命に踊る。だがしかし、自分だけは実際に音を出すわけではない、当て振りのDJパフォーマンスを繰り返していた。ストイックに自分を追い込んでいた他のメンバーと比べ、DJ KOOだけが当て振りをこなしていたのだ。音楽番組の多くでは「頑張るヴォーカル+バレないように当て振りで演じるその他のバンドメンバー」という構図が生まれるが、「頑張り続けるみんな+独りだけ当て振りのDJ」という構図は珍しい。当時、イケイケの象徴に思えたDJ KOOは、自分だけ懸命に取り組めない事に悩んでいたのである。
このところ、バラエティやロケ企画にDJ KOOが頻繁に登場しているが、見かけたら必ずチャンネルをそのままにする。とにかく、笑いを発生させる精度が極めて高い。当初こそ、あのDJ KOOがこんなことを、という驚きがあったが、それを繰り返すだけでなく、あっという間に、自発的に面白みを創出できる存在だと認知されていった。彼は、娘が学校に通い始めた頃から、とにかくメモをとるようになったという。授業参観に行けば、先生が黒板に書いた板書を全て書き残すほどのメモの量。その姿勢をテレビ番組出演時においても踏襲し、メモ書きを心がけている。
著書『EZ DO LIFE!』に、普段残しているメモが数ページ分載っているのだが、そこにはこうある。「どんな小さなことでも人の話は最後までちゃんと聞く→相手の心の中にある思いをうけとめる ※話の途中で口をはさまない」だ。こんなピュアなメモがあるだろうか。芸能界を戦い抜くノート、ではなく、小学校で担任の先生が言ってそうな内容のノートだ。でも、このピュアが、作為や馴れ合いを遠ざけている。
ETSUとCHIHARUという本題
DJ KOOは、シンプルよりもプレーンでいたいという。シンプルというのは努力を必要としない感じがするが、プレーンは、無駄を削ぎ落とす鍛練が要求される。だからシンプルよりプレーン。その姿勢から名言が放たれる。「去年やった『EZ DO DANCE』よりも、今年の『EZ DO DANCE』をよくしたい」(前出書)。半ば英語だけど、これぞ、声に出したい日本語である。自分がその『 』に入れ込めるものを持てているわけではないけれど、DJ KOOが『EZ DO DANCE』を更新し続けようとしていると知ると、何だか勇気が湧いてくる。で、湧いた後で、この勇気をどこで使えばいいのかと悩む。答えが出ない。使う場所がない。DJ KOO から貰った勇気が取り残される。
自分から「友達になれそうな条件」を人に提示できるほど社交的な人間ではないけれど、TRFという存在を総体としてそそくさ片してしまう人とは友達になれそうにない、とは思っている。熟知していようが、うっすら把握しているだけだろうが、あの個々について、懸命に考察しようとする姿勢さえあれば共鳴できる。語り合える。このコラムでは3年ほど前にSAMを書き、今回、序論ながらDJ KOOを記した。このコラムが数年後も続いているならば、いよいよ、ETSUとCHIHARUという本題に入ることになるだろう。
(イラスト:ハセガワシオリ)