職場は大阪なんですが、7月に転勤することになりました。
今住んでいる場所から通うことはできないので、新しい住まいに移る予定です。
あと数日しか今の環境で過ごせないかと思うと、少し寂しい気になってしまいます。
そんな気持ちを察してくれたのか、同僚が
「来月からは忙しくなるんですよね? たそがれてるように見えますけど、今のうちだけだと思いますので、のんびりしておいてください」
と声をかけてくれました。
今回は、たそがれについて書いてみます。
たそがれ時
夕方を「たそがれ時」といいます。
夏だと午後6時から7時頃、冬だと午後5時から6時頃の時間になると思います。
少しずつ辺りが薄暗くなり、車の運転をする場合はライトを点灯する必要が出てくる時間です。
この時間を表す言葉に「火点し頃(ひともしごろ)」というものもあります。
たそがれの語源
「たそがれ」という言葉は、「誰ぞ彼」が語源とされています。
誰ぞ彼とは、向こうからやって来る人はいったい誰なんだろう、という意味です。
辺りが薄暗くなって、ものの輪郭がはっきりしなくなってくると、向こうからやって来る人が誰なのか分からなくなってしまうという状況です。
「たそがれ」と「かわたれ」
現代は使われることがほとんどありませんが、「かわたれ」という言葉があります。
これは、明け方の暗い時間のことを指す言葉です。
もうすぐ日が昇る時間になってきたけれど、まだ暗いので辺りの様子がちゃんと見えないという場合に使う言葉です。
「かわたれ」の語源は「彼は誰」です。
「たそがれ」という言葉と似た語源と言えると思います。
「たそがれる」の使い方
日が暮れて、少しずつ辺りが暗くなっていく様を「たそがれる」と表現します。
これが転じて、年老いて元気がなくなっていく様も「たそがれる」と表現されるようになりました。
逢魔が時
「たそがれ時」の夕方を「逢魔が時(おうまがとき)」とも言います。
古来、夜と昼の境目は魔物に出遭ってしまう危険な時間だと考えられていました。
物の怪に出遭う時間は、日本では丑三つ時(夜中2時頃)が有名ですが、夕方も同じように物の怪と出会う可能性が高いとされた時間でした。
海外にもある「逢魔が時」
夕方を「逢魔が時」と捉えていたのは、日本だけではありません。
ネパールにも、同じような言い伝えがあります。
夕方、人通りの少ない田舎道を歩いていると、向こうから美しい女性が歩いてくるのが見えます。
誰だろうと思いながら近づいていくと、女性がニコニコしながらこちらに近づいてきます。
ふと足元を見ると、かかとが前になって、つま先が後ろ向きになっているのに気づきます。
ネパールでは、こういう物の怪とは夕方に出遭うと考えられてきました。
また、イスラム教圏の国では、昼寝をする風習がある国があります。
昼寝をする場合は、明るいうちにしなければならないと言われています。
もしも夕方暗くなるまで昼寝してしまうと、悪い事が起きたり物の怪と出会うことがあると考えられてきました。
逢魔が時にたそがれてみる
子どもの頃、友達と暗くなるまで外で遊んだ後に家に帰る際、ふと寂しい気持ちに襲われることがありました。
あの感覚が「逢魔が時」の感覚だったのかもしれません。
来月から、アメリカとシンガポールを行き来する予定です。
国は違えど、たそがれ時には同じ感覚になる気がします。
参考文献