ダンスミュージックの世界で、耳鳴りは我々が考えている以上に大きな問題だ。分かりやすい予防法と対策についてAngus Finlaysonが語る。
2016年のBloc festivalで、日曜に出演が決まっていた彼女は、フェスティバルを楽しむため金曜の夜に現地入りした。バーに置いてあった使い捨ての耳栓をもらってつけていたのだが、どうも途中で右耳の耳栓を失くしてしまったらしい。「翌朝起きたら、耳が焼け付くように痛くて、右耳にすごい耳鳴りがしてた」。彼女は続ける。「もう本当に、ありえない程の痛みだった。その日の夜はヴェニューの側にも近寄れなくて、だけど翌日は自分のショーがある。一番やっちゃいけないことだとは気づいてたけど、私はプレイするためにフェスティバルに来ていたわけだし、結局プレイしたの」
ロンドンに戻っても、耳鳴りは3ヶ月続いた。「なにもかもやめて、ギグに行くのもやめた」。NTSでのレギュラーラジオ番組は友人達に任せ、Debiは型取りして作った本格的な耳栓をつけるようになった。「毎日、どこに行くときでも耳栓をしてる。耳を悪化させたくなくて、どんな音にも耳を晒したくなかったの。それに、耳鳴りには本当に、本当に悩まされた。耳鳴りの音は常に聴こえていたけど、特に朝一番と、夜に静かになったときに酷くなった。正直に言うと、自分でやってしまった事とはいえ受け入れられなくて、本当に自分が嫌になった」
2ヶ月後、Debi Ghoseは一般開業医に診てもらい、続いて専門医にも会って聴覚テストを受けた。テストの結果、聴力は失われてなく、耳鳴りもおそらく改善するだろうということが判った。その言葉の通り少しずつ良くなったのだが、ここ数ヶ月でまたひどくなってきたという。
こうした状況の中だが、彼女のDEBONAIR名義でのDJキャリアは上調子だ。DJ以外の仕事は6ヶ月前に辞め、僕らが話を聞きに行った時はちょうど、Chapter 10と共演したBoiler Roomでのプレイがかなりの話題になっていた。この数ヶ月はギグをやっている。しかし、耳鳴りがあるので、これ以上のことは一旦止めざるを得ない。ラジオショーも縮小し、ポッドキャストのオファーは保留にしている。
「こんなチャンスを見逃して、何だか後ずさりしているように感じる」。彼女は続ける。「でも今は、自分の耳にちゃんと治す機会を与えてあげたい。そうすれば、手にしたチャンスにもっと時間をかけて挑むことができると思うから」
残念ながら、Debi Ghoseの体験は決して珍しい話ではない。夜を通して大音量の音楽を聴いたあと、数時間ほど耳鳴りが出ることはよくあるが、一部の人がある時から、その耳鳴りの音がずっとつきまとうようになる。数日、数週間から数ヶ月、もしかするとずっと。
Action On Hearing Loss(イギリスの難聴や失聴患者向け支援団体)によると、イギリスの成人の10%が耳鳴りに悩まされている。アメリカのHearing Health Foundation(難聴と耳鳴りの予防法及び治療法の研究団体)の調べでは約15%にもなる。音楽を日常的に聴いている人は、危険なレベルの音量に晒される機会も多く、もう少し高い割合になるだろう。そこで僕は、正式な統計ではないが、音楽愛好家達…つまりRAの同僚にアンケートをとってみた。それによると、およそ20%が耳鳴りに悩まされている。平均年齢が30歳と考えるとかなり高い割合だ(耳鳴りがあるのは中でも年長者のほうだと思われる)。
耳鳴りは、日々の生活に根底から影響を及ぼす。音を聴く楽しみを損なってしまうという点以外にも、耳鳴りは不安や不眠を引き起こすことがある。多くの人は、耳鳴りとうまく付き合いながら暮らしていく方法を見つけ出しているが、時に、最悪のケースでは人生そのものを駄目にしてしまうことさえある。昨年、Inspiral CarpetsのドラマーだったCraig Gillが自らの命を絶った事件の際、Craigの妻は、彼が苦しんでいた耳鳴りに対する恨みをぶつけていた。「夫は、治療法がないということに本当に耐えられなかった」
耳鳴りは非常に複雑なもので、実際の症状や、引き金になる原因は人によって様々だ。また、耳鳴りの実態もまだ世間ではあまり知られていない。Google検索で出てくる、あやしげな研究に裏付けされた半端な治療法や、耳鳴りに苦しんでいる人々の声で埋めつくされた恐ろしげなオンラインフォーラムなども、情報の混乱を招いている。そしてミュージシャンは、聴こえの問題が自分の専門分野に直結している分、耳鳴りになるとすっかりうちのめされてしまう事が多いようだ。
「私が一番辛かったのは、多くのミュージシャンが『ああ、耳鳴りなんて誰でもあるよ』という感じで、耳鳴りは必然的なものだと考えてる人が多いこと」。Ghoseは言う。「私は、本当に、本当に、耳鳴りになんてなりたくない。耳鳴りは(ミュージシャンであっても)予防が可能なものだと思ってる」
幸い、大音量の音楽が好きな人々であっても、耳鳴りは予防可能なものだ。もしGhose同様、すでに耳鳴りになっていたとしても、生活への影響を最小限にする方法もある。現状耳鳴りを完治させる方法はないが、今後期待できる多くの対策法や治療法がある。自分の愛するものを諦める必要はない。
では、耳鳴りとは一体何なのだろう? 端的に言うと、 実際の音源がない中で音を感じる事だ。耳鳴りでどのような音が聞こえるかも多種多様だ。RAの同僚達の例を挙げると「電化製品がオンになっている時に聞こえる音に似ている」高いピッチの音であったり、より低い中音域の音が聞こえる人もいる。僕自身の耳鳴りもこのカテゴリーで、『低音のノイズ』や『風のうなる音』のような感じだ。片耳だけ耳鳴りがする人もいれば、両耳の場合もある。音がずっと続く場合も、鳴っては止まりを繰り返す場合もある。
耳鳴りを引き起こす原因もまた、頭部の怪我や高血圧、一部の抗生物質を含む薬剤など多岐にわたる。原因がはっきりとわかる場合は少ないが、長時間大音量の音楽を聴いたり、特に夜遊びやリスニングセッションの後に耳鳴りがした場合は、それが原因であることが多い。85dBを超える音はどんなものでも、徐々に耳を痛めてしまう。音量が大きくなるほどダメージが出るのも早い。DJブースで音量計の計測をすると、危険レベルの100dBを超えている時がほとんどだ。その音量では15分を過ぎたところで耳に恒久的なダメージが残る。
大音量の音は、耳のデリケートなメカニズムを脅かし、内耳で音を感じ取っている部分である有毛細胞や、その有毛細胞から脳に情報伝達をする神経にダメージを与える。つまり、耳鳴りは脳にも関係していて、インプットが無くなった部分への過剰な埋め合わせといえる。義手や義足を使っている人が、失った手足があるように感じる症状、いわゆる幻肢と呼ばれる症状と似たようなものなのだ。それにより、耳鳴りは「phantom auditory perception (幽霊聴覚)」とも呼ばれてきた。
耳鳴りは耳の問題だと思われがちで、実際に耳の中の損傷からスタートするものでもあるが、その後、脳のほうに移行する。未だにその複雑なシステムの全てが解明されてはいない、脳というものに関わることなのだ。現在、いろいろな治療法・緩和法を用いて耳鳴りの影響を減らすことに成功しているが(詳細は後述)、多くの場合は自分なりにうまくやり過ごす方法を見つけているようだ。
「年齢が上がるにつれてだんだん慣れてきて、あまり気にならなくなってきた」と自身の耳鳴りについて語るのは、Forest SwordsことMatthew Barnesだ。「それに、耳鳴り自体を止めることができない以上、悩んでも仕方ないと気付いた。要するに、受け入れていくべきものなんだよ」
Barnesは20代初め頃に、耳栓をせずに相当数のギグに通っていたことで耳鳴りになり、現在に至る。「耳鳴りは全てのレベルで影響がある。たとえば、ごく普通の1日を送っていればそんなに気にはならないんだけど、もし飲酒したり、眠れなかったり、ストレスが続いたりすると…例えばツアー中はしょっちゅうそうなってしまうんだけど、そうすると本当に耳鳴りが酷くなる」
耳鳴りになった当初、Barnesはまだ学生だったが、その頃にはすでにForest Swordsとしてのキャリアを築いていた。僕と話した時には、最近Ninja Tuneからリリースされたばかりの新アルバム『Compassion』のミキシング作業中だった。「どのくらいの時点で耳が疲れてくるのか、大体わかるようになってきたよ。」彼は続ける。「いつ作業をストップしたらいいかはわかってる。例えば、ある日ミキシングをして、また後日作業に戻ると、自分で思ってたのとは全然違う音だったりする。だから、僕の曲は1度だけでなく、2度も3度も確認したものなんだよ」
それによって、作業スピードは彼自身が希望しているよりも遅くなってしまう。「耳鳴りは、本当に自分の作業スピードに影響してるよ。もし耳鳴りがなければ、もっと手早く音楽が作れると思う。でも逆に良い面もあって、曲を世に出すまでにとても気を遣っていることになるんだ。長い時間じっくり手をかけた作品だ。だからある意味、耳鳴りが良い方向に働いてるとも言えるし、少なくても僕は、この耳鳴りを良い方向に活かそうとしてる」
ライブ会場のアリーナでも、Barnesはこの制約に気を遣っている。彼自身の聴こえ方だけではなく、観客がどれくらいの音量を受けるかにも配慮しているのだ。「大きな音量を表現の手段として使うアーティストであれば、観客が音を安全に楽しめるかどうか、ちゃんとプロモーターと共に考える責任があると思う」。彼の耳鳴りはGhoseのものと同様、ほぼ確実に大音量の音楽が原因なのだが、それでも全てを諦めているわけではないようだ。「僕だって皆と同じく、自分の曲は大音量で聴きたい。大音量の中に没頭していくのが好きなんだ」
これが、音楽の世界で聴力を守るための議論を難しくしている原因だ。聴覚はとても大切なもので、誰もが守りたい。しかし僕たちは同時に、ともすれば危険なレベルの大音量に身を晒すのが大好きなのだ。非常に大きな音は特別に密度の濃い感覚を身体に感じさせる。その体験こそが、さまざまなタイプの大衆音楽を楽しむ時の核心的な要素になっている。
「音楽や大音量が悪いものだとはとても言えない、というところかな」。と、聴覚学者のFrank Wartingerは言う。「飲酒は悪いことだとか、速いスピードの出る車を運転するのは悪いことだとか、言えないのと同じだよ」。Wartingerはフィラデルフィアで、彼自身の音楽体験と耳鳴りを踏まえ、Earmark Hearing Conservationというミュージシャン向けの個人開業医をやっている。Wartingerは子供の頃、ミュージシャンになるのが夢だったが、10代の頃に組んだバンドの練習で、耳鳴りになってしまった。スタジオワークの専門学位もとって働いていたが、クライアントが「僕がいろいろな部分を見逃していたようで、耳の欠陥に気づくようになった」ため、スタジオの仕事を辞めて、再度、学者として学ぶことになった。
聴こえに問題があるミュージシャンが感じる、独特な葛藤に気づいている医療専門家は決して多くはない。たとえば、先述のGhoseの担当医はまず最初に「DJを辞めたほうがいい」とアドバイスした。だが、Wartingerはそうしたミュージシャンの葛藤を理解していて、生活の全てが音楽中心に回っている人間にとって、辞めるという選択肢はないこともわかっている。「もちろん聴力はとても大切だし、誰もが失いたくないものだけど、音楽はそれに勝るんだ。聴覚にトラブルのあるミュージシャンはたくさんいるけど、誰もが、自分の愛してやまないことをやり続ける方法を探してる」
そこで僕はWartingerに、ミュージシャンや音楽愛好者達が、どうすれば現実的に耳鳴りに対処できるかを尋ねてみた。もちろん、耳鳴りになる前の予防策から。たとえば、デンタルケアのように、気遣い、習慣化、定期的なチェックで健康を維持するような方法だ。(Wartingerは論文の中でミュージシャン向けの耳鳴り予防のポイントをまとめて発表している。音楽をよく聴く人であれば誰であっても役に立つ情報だろう。)
この予防策は、特に音の大きいクラブの中の環境だけで気をつければよいものではなく、日ごろ音楽を聴く時にも関係している。例えばスタジオでモニタースピーカーを稼働させている時や、自室で大きな音でDJをしている時、また、長時間ヘッドフォンで音を聴いている時も同様だ(一般的なヘッドフォンでも85dB以上の音が出せる)。そうした日常の行動を再確認し、耳が疲れてくるにつれて音量を大きくしたりしない様気をつけてみてほしい。朝一番の耳がクリアな時間帯にちょうど良い音量を把握し、その後時間が経っても音量を上げないようにすることをおすすめする。定期的に休憩を取ることも耳を休ませる良いきっかけになる。
一方、DJのパフォーマンス中については、Wartingerは特にモニタリングに注意するように呼びかけている。音とのコネクションを失わないぎりぎりのところでブース内音量を設定し、ミックスとミックスの間の時間には、モニター音量を完全にオフにして耳を休ませることも勧めている。また、インイヤーでのミックスは、適切な音量で行えばより正確なコントロールが可能だ。多くのDJがそれを実現不可能だと思っているが、実際、Laidback Lukeなど大リーグ級アーティストの中にもインイヤーミックスを行っている人がいる。
DJ側のこうした新しい動きは、観客にとっても喜ばしいことだ。「(DJは)その箱全体の音をコントロールしていることが多いので、そこで音量の調節をしてみてほしい。音量を下げろということではなくて、ある時は大きい音、ある時は静かな音でというような、ダイナミックな印象のセットをやってみてはどうだろう。それと、2~4khzではなく、低音域を上げること。2~4khzmは一番耳にダメージの大きい帯域なんだ。ちょっとした調整でより安全にプレイできる」
耳栓もまた重要なツールで、価格帯も効能も様々なものがある。よくクラブで無料で配布されているスポンジ状のものはあまり気の効いたものではなく、耳を守ることには間違いないが、音をかなり篭った感じに変えてしまう。続いて、フリーサイズの耳栓は、前述のものより音のニュアンスをきちんと保持した上でのフィルタリング効果があり、比較的安価に入手できる。そして最後に、型取りして作る「ミュージシャン向け」カスタム耳栓は、高音域も正確に聴き取れるので、プロ向けとして申し分ないだろう。価格は150~200ポンド(21,000〜29,000円)が一般的で、かなり高く感じるかもしれないが、カスタム耳栓は一度フェスで使うだけではなく、再型取りが必要になるまで3年近く使うことができる(イギリス在住のプロのミュージシャンについては、Musicians' Hearing Health Schemeにて、聴覚についての相談とミュージシャン向け耳栓作成を40ポンドで受けることができる)。
しかし未だに、音楽の世界では耳栓を使うことに抵抗が多い。とあるRAのスタッフ曰く、「ダンスミュージックは耳栓をしている人に対してプレイされるようには作られてなく、耳栓をすると音は全く違って聴こえる。それに、クラブの一番素晴らしいところは、音を身体で感じられるところで、耳栓をしているとそれが感じられない」
多くのDJが同様の意見を持っている。Ghoseは耳鳴りの発作時に型取りした耳栓を使っているが、いつも使っているわけではない。耳鳴りのある片耳にはつけっぱなしだが、セット中、両耳にずっとつけているのは心地よくないそうだ。「セットがどうなっているか、雰囲気を掴みたいの。耳栓をつけてると、観客や会場のヴァイブから切り離されてるように感じる」
Wartingerは、耳栓をつけて小さめの音量でDJをするのに慣れるのが重要だと言っている。また観客にとっても、耳栓をつけた穏やかな音量ではしばらくの間は妙な感じがするかもしれないが、やがて慣れることだろう。音の「身体で感じる」部分は主に低音域から来ており、骨伝導と耳とで同じ位感じ取れるものなので、実質、耳栓で完全には邪魔されない部分だ。過剰な音量の音を聴いて一時的に可聴域が狭まり、一時的な難聴状態になることが少なくなれば、ある意味「大音量の音楽」をより楽しむことができるようになるとも言えるだろう。一時的な難聴状態では音が歪んで不明瞭に聴こえてしまうからだ。僕自身はクラブではもうほぼ10年近く型取りした耳栓を使っていて、遊びに行くときも、DJの時でも付けたままだ。
「ショーを見に行くとPAが本当に酷いことも多いから、そのときは耳栓をしたほうがクリアに聴こえる」とBarnesは言う。「それに、実は耳栓をしないと聴こえてこない音もある」
さて、ここまでは予防法について。では、Ghoseのようにすでに耳鳴りになってしまった場合の対策は? そして耳鳴りは僕らと音楽との熱い関係にどういう影響を及ぼすのだろう?
「それはよく聞かれる話だけど」と、Wartingerは続ける。「僕自身がいい例だよ。僕もレコード契約を結ぶ寸前だったし、ツアーにも出る予定だったけど、もう僕の耳は使えなくなってしまったんだ。そんな僕からの第一のアドバイスは、何も辞めるな、ツアーの日程もキャンセルするなということだ。何故かというと、音楽を諦めると精神的にとても辛く、苦しいだろうし、それでは耳鳴りのトラウマを乗り越えられないと思うんだ。だから、決して辞めないでほしい」
そして、Wartingerからの第二のアドバイスは、専門医のアドバイスを受けること、可能であればミュージシャンとよく仕事をしている聴覚の専門家からアドバイスを受けることだ。「ミュージシャンの役に立ちたいという気持ちがとても強い専門家は結構いるんだ。だから、探せば近くにいるはずだよ。自分の置かれた状況にちゃんと歩み寄って、話を聞いてくれる人を探すといいと思う」。また、そうした専門家以外にも、アメリカやイギリスなどの支援団体でも、アドバイスやサポートを受けられるだろう。
専門医に聴覚テストをしてもらえば、おそらく自分で思っているよりは良い結果が出ることが多いはずだ。耳鳴りと聴覚の低下には単純な一対一の関係はない。聴覚テストの後には、耳の状態への対処法のアドバイスをもらうことになる。
耳栓のような予防対策について話し合うのと同時に、専門医は君の耳鳴りが悪化する原因についても調べるだろう。Wartingerが作成した、一般的に耳鳴りを引き起こす原因のリストは、Barnesが話していたツアー中の悩みと重なる部分が多い。カフェインやアルコール(特に赤ワイン)の摂りすぎ、ストレス、睡眠不足だ。もちろん実際の原因は人によってさまざまだが、一度判明すれば日常生活で何に気をつければいいかがわかってくる。
「とても良い雰囲気のディナーに行き、そこでバンドの演奏があったとする。帰宅して耳鳴りがしていたら、『あぁ、あのバンドが静かに演奏してたのに耳がおかしくなったんだ!』なんて事は言っちゃいけない」とWartingerは言う。「君が7杯もワインを飲んだから耳鳴りがしたんだ。なるべく、ストレスのレベルを落とすように気をつけてほしい」。
悪化の原因がわかったところだが、音の聴こえに用心しすぎるのもまた良くない事だそうだ。「耳鳴りがあるからといって、どこに行くのも耳栓をつけて、窓は全部閉め、音楽を一切聞かないというような対策をしても、結局は聴こえに対する対策でしかない。耳鳴りは、なってしまえば聴こえの問題ではなくなるんだ。耳の中に耳鳴り自体の出どころはなくて、実際は脳から聞こえている。おそらく耳鳴りの原因は脳の深層部分と考えられているので、感情が耳鳴りに及ぼす影響は大きいだろう。なので、外の環境ではなく、感情の面から対策を考えることにしよう。」
会話や、ごく小さい音量の音楽といった日常の音に耳を晒すことは、耳鳴りを悪化させる原因とは考え難い。それに、こういった日常的な音をシャットアウトしてしまうと、かえって音に対して過剰に敏感になり、聴覚過敏とよばれる状態になってしまうことがあるのだ。「もし必要以上に耳を守っていると、脳はより静かな世界に合わせて適応しようとするんだ」とWartingerは説明する。「例えば耳栓を外してしまうと急に大きな音を聴くことになる。そうすると、本来全く危険ではなく、以前は何ともなかったはずの音ですら、急に脅威的なものになってしまうんだ」。もし聴覚過敏になった時には専門家の助けが必要になる。
次のステップでは、耳鳴りが及ぼす悪影響を減らすための治療法を探すことになる。耳鳴りは神経学的なものなので、この段階の治療ではとても多くの試行錯誤が繰り返されている。ある治療法がある人に効いたとしても、現状、確実に効く方法はなく、不確かな治療法によってより混迷を深めている部分もある。例えば、これまで目にしたことのある情報とは正反対の話になるかも知れないが、イチョウ葉エキスの耳鳴り改善効果を証明する確かな証拠はない。薬でもサプリメントでも、今のところプラシーボ効果以上のものはないようだ。
耳への治療法は様々だ。もっともシンプルなところでは、ホワイトノイズなど、何かしらの背景音を聴いて脳の注意を逸らすことで、耳鳴りを覆い隠すというものがある。また、その方法をより洗練させたサウンドセラピーのひとつ、「ノッチ・セラピー」では、自分の耳鳴りと同じ周波数の音、もしくは音楽を聴くことで、耳鳴りをいわば上書きする。この方法で、脳神経が特定の周波数に対する反応を再プログラムするのを手助けしているのだ。ノッチ・セラピーはかなり広まってきてはいるものの、その他の耳鳴り治療法と同様、効果の真偽はまだ不明だ。インターネット上で無料で見られる情報も助けにはなるが、実は(有料の)アプリを売るためにパッケージ化され、マーケティングされた情報の場合もあるのだ。そうしたアプリではTinnitracksなどが代表的だが、そこに書かれた”奇跡的な回復”といった類のレビューは、疑って見ておいたほうが得策だろう。
耳鳴りに悩む人の3分の2から4分の3が、サウンドセラピーで改善しているとWartingerは見ている。「これはつまり、残り3分の1の人には効果がないという意味でもあり、まだ耳鳴りへの確実な対応策とは言えないんだ。もう一度繰り返すけど、耳自体を治すのは難しく、(セラピーに)脳が確実に反応するとも言い難い。サウンドセラピーはあるレベルで脳に影響を与えているけど、実は自分を”治療モード”の状態にしたり、もしくは症状を和らげたりするのは、セラピーではなく自分自身なんだとイメージしてほしい。内側から、本質的なところからね」
耳鳴りと同時に聴力が低下した場合については、Wartingerはより確かな解決法として、補聴器の使用を進めている。「耳鳴りがあるのに補聴器を使うなんて妙に思うかもしれないけど、これは周囲の音風景、サウンドスケープを取り戻すために使うんだ。聴力が低下してる場合、周囲の世界が随分静かになってしまうからね。補聴器を使うと、例えばエアコンの音や人々の歩く音、呼吸の音などが聴こえ、そうしたものがサウンドスケープを作り上げていく。そうするといつの間にか、耳鳴りが気にならなくなる」
より脳にフォーカスした治療法もある。認知行動療法はサウンドセラピーと同じくらいの成功率を上げている。耳鳴り再訓練療法も同様の成功率で、これはカウンセリングの視点とサウンドセラピーを合わせて、脳を耳鳴りに慣れさせる方法だ。また、マインドフルネス等の瞑想でも耳鳴りの状態が変わったという報告もある。つまりは、ストレスを減らすことが耳鳴りをコントロールするための鍵といえるだろう。Wartingerはもっとシンプルな方法も教えてくれた。
「僕がいつも勧めているのは、まず自分自身を休め、生活の中のストレスを減らすこと。ちょっと昼寝をしたり、2日くらい読書だけして過ごしたり、そういう時間を自分に作ってあげるんだ。そうすると、自分に必要だったのは、耳鳴りのことを考えすぎないことだったのかと気づくよ」
最後に、僕はWartingerに、今まで彼が何度も聞かれたに違いない質問をしてみた。どうやら耳鳴りの根本的な治療法は今はないようですが、今後期待できる治療法というのはあるんですか?
「君自身も耳鳴りがあるんだし、まずは自分で自分を治すところから始めてみようか」と彼は言った。「治療法を待ち続けたり、将来的に可能性がある方法を君が一生懸命リサーチしても、仕方ない。世界中の有名大学で、とても賢い人達がその問題にとりかかっているから、そこは彼らに任せよう。まずは自分の耳にフォーカスしてみたらいい」
耳鳴りと関連する分野ではいろいろな進歩がある。大音量に対して耳の感度を下げてダメージを減らす薬や、幹細胞を使って損傷した有毛細胞を再生させることも理論的には可能だと言われている。こうした進歩は次の世代の人々を耳鳴りから守ってくれるだろうが、現状苦しんでいる人にはあまり助けにはならないだろう。耳鳴りは耳からスタートするが、脳の中に存在するという事実を思い出して欲しい。「脳の奥深くまで入り込んで、配線がおかしくなってしまったところを直し、リセットする方法を見つけるまでは、まだまだとても長い時間がかかるだろう」とWartingerは言った。
彼のこの発言はもしかすると悲観的に聞こえるかもしれないが、Wartingerは自分の患者と一種のエクササイズをしているそうだ。彼の論点の中心は、耳鳴りをどう受け入れるかということで、それが耳鳴りと共に楽しい生活を続ける鍵だと考えている。
「目を閉じて、何が見えているか考えてみてください。真っ黒ではなく、何か色や光、動きが見えてきます。この光の一部は外の世界から来ていますが、同時に、あなたの脳も感度を上げ、無から見えてくる何かにチューニングを合わせようとしています。神経が発火し、動いているのが見えるでしょうか。そして今私たちに聴こえているのは、あなたが耳鳴りの時に聴いているのと同じ音です。あなたの脳、耳、神経が動いています。これはエンジンがオンになったサインです。私はこれが取り去れるものだとは思いません。何故なら、これは私たちの自然な体の一部だからです」
RAでは、今後予定されているRAクラブイベントにて、Ear Peaceの耳栓を無料配布します。
Comments loading