長崎被爆者カルテを電子化 原爆病院766万人分
厚生労働省は今年度、被爆者医療の中核を担ってきた日赤長崎原爆病院(長崎市)が半世紀にわたって保管してきた患者延べ約1527万人分の紙のカルテを電子化し、データベースを構築する事業に乗り出す。ほぼ半数が被爆者のカルテで、被爆者の診療記録としては国内の医療機関最大級の規模。事業完了まで10年間を要する見通しだが、膨大な量のカルテが研究などに活用できるようになれば、未解明な部分も多い放射線による健康への影響などの解明にもつながると期待される。
1958年の開院時から、2009年に電子カルテを導入するまでの入院・外来全患者のカルテで、うち延べ約766万人分が被爆者。大半は製本され、約6万6000冊相当を地下室で保管してきた。病院は現在、隣接地への建て替え工事中で、20年3月に完成予定の新病院では保管できなくなるため電子化することにした。厚労省は今年度、1000万円の予算を計上し、膨大な量のカルテをどうやってデータベース化するかなどの研究を始める。
具体的には紙のカルテをスキャンして電子化することを想定しているが、一部は心電図データやレントゲン写真が添付され、煩雑な作業が予想される。カルテは診療科目ごとに作成・保管されており、同一の患者でも複数のカルテがあるほか、結婚して姓が変わった患者もおり、照合作業も必要。個人情報流出防止の仕組みも必要で、作業完了には10年程度かかる見込み。
医師法ではカルテの保存期間は5年だが、病院は、被爆者の治療と健康管理には長期の追跡調査が必要になると見越し、全カルテを保管してきた。これほどの量の被爆者のカルテを残してきたのは、他は広島市の広島赤十字・原爆病院だけとみられるが、広島では04年の電子カルテ導入前のカルテはデータベース化していない。日赤長崎原爆病院の平野明喜院長は「全量保管を決めた過去の医師たちの先見性を無駄にせず、放射線の人体への影響の解明や被ばく医療に役立てたい」と話している。【浅野翔太郎】
放射線影響を知るうえで貴重
長崎大原爆後障害医療研究所の宮崎泰司所長の話 放射線の影響は解明されていないことが多く、造血幹細胞の異常などは原爆投下から70年以上たって判明した。原爆病院の膨大な記録は人類が放射線の影響を知る上で貴重な原資料だ。
ことば「原爆病院」
日本赤十字社(日赤)が1956年、国内で初めて被爆者への医療を専門とする病院として、広島に開設。長崎では58年に長崎市が原爆病院を開設し、69年に日赤へ運営が移管された。被爆者の診療や健康管理のほか、在韓被爆者の健康診断のための医師派遣も行っている。2005年には被爆者が多い長崎県諫早市にも日赤長崎原爆諫早病院が開設された。