きなこ猫(id:kinako222)さんの、こちらのエントリーを読んで
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— 猫野きなこ🐱はてなブログ (@kinako22neko) 2017年6月27日
国語の先生に教わった共感される読書感想文の書き方 - きなこ猫のスッキリ生活https://t.co/Fc39SDT0AP pic.twitter.com/v4jQBD5nxc
感想文ねー…ロクな指導も出来ないくせに国語教師やってるやつ多過ぎだと思う。←偏った意見 / “国語の先生に教わった共感される読書感想文の書き方 - きなこ猫のスッキリ生活” https://t.co/6kBCl0u6su
— たんぽぽ (@tanpopo09123) 2017年6月27日
昔の事をいろいろと思い出し、イラっとしてブクマをしてしまった……
すると、このブコメにたくさんの星がついた。
皆もかつては読書感想文の宿題に悩まされ「書けっていうのならば書き方を教えてよ!」と思っていたに違いない。
私もきなこ猫さんのようにこんな風に、ちゃんと教わりたかったな。
読書感想文…
罪作りなこの課題に、今年も大勢の子供が(親も)悩むのだろう。
私自身は、夏休みの宿題で真っ先に終わらせてしまうほど、感想文を書くのがあまり苦ではなかった。
大きな賞はとれなかったが、小さな賞状を何度もいただいた。
母に頼まれて姉弟の宿題も手伝った。姉には「絶対にコンクールに出されないように、下手に書いて!」と言われる始末であった。
当時は「感想文の書き方」などというノウハウ本もなかったし、教師は宿題を出すだけで書き方など教えてもくれない。
多くの子は読んだ本のあらすじで文字数を埋め、最後に「面白かったです」と書いた。
すると教師は「これは感想文ではなく、あらすじ文だ」等と言ってバツをつけ、生徒に突き返すのを何度も見てきた。
「読書感想文コンクール」には、ふたつの嫌な思い出がある。
ひとつめは小学3年か4年生の頃だった。
二学期が始まって間もないある日の放課後、私は教室に残るよう担任に言われた。
そして担任は、他の子達を追い払うように下校させた。
どうして私だけが居残りなのか?ドキドキしながら待っていると、誰もいなくなった教室で私に課せられたのは「誰かが書いた読書感想文の清書」だった。
名前を見ても知らない子だったが、自分よりもずっと頭の良さそうな文章で、字も丁寧だった。
同学年の子だったかどうかも解らない。当時は子供の数が多かったので、生徒数千人を超えるマンモス小学校に通っていた。
「この感想文はコンクールに応募する事が決まった作品ですが、本人が病気で長く欠席しているので清書が出来ないのです。学校で一番字がキレイだから、タンポポさんに清書をお願いする事にしました」
( ゚Д゚)ハァ??
今であれば、即座にお断りな話であった。
もし同じ事をうちの子にさせたならば、私は学校に怒鳴り込みに行くだろう。
その感想文には句読点や改行の直しが朱書きされていたが、内容は少しも変えていなかった。
本人が病気なら仕方ないのだから、このまま出せばいいじゃないか。指定の用紙に書かなければいけないのであれば、紙を家に持って行って書かせたらいい。少しぐらい具合が悪くたって、自分の文章を写すくらい出来るだろうに。
でも、内向的な私が教師にそんな口がきけるはずもなく、言われるまま黙々と清書するしかなかった。
原稿用紙3枚を、ゆっくりと丁寧に写した。
字がキレイだからと言われても少しも嬉しくないが、上手に書かなければいけない責任を感じていた。
その感想文が本当に上手くて、敗北感をも味わいながら。
思ったままを書き綴るだけの私の感想文とはまるで違う、理路整然とした大人びた文章の作品だった。
やっと清書が終わった時には、もう外が薄暗くなっていた。
教師は「ああ、キレイに書けている。やっぱりタンポポさんに頼んでよかった」と喜ぶ素振りをした。
私は力を込めて書いた手がズキズキと痛いし、早く帰らないと親に叱られるので大急ぎで家に帰った。
案の定「どうしてこんなに帰りが遅くなったのか」と母に問われて説明すると、母は
「何だ。タンポポの感想文じゃなく、他の子のか」と残念そうに言った。
「タンポポの字が、キレイだからって」と言っても、大して興味がなさそうだった。
後日、その感想文が何かの賞に入選したと、教師が嬉しそうに耳打ちしてきた。
だからどうしたと言うのだろう。
私は、それを喜ぶフリさえも出来なかった。
私が賞状をもらえるわけでもなければ、母に褒められたりもしない。感想文を書いた本人に感謝されたわけでもなかった。
ただ、右手が疼くように痛くなっただけ。
「嫌です。私はやりたくありません」等とは言えないとしても「今日は習い事があって…」等と機転を利かせる事も出来ない自分の愚図っぷりが、ただ情けなかった。
②に続く