佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

時間管理はなぜ必要か?

昨日つらつらと考えたことなのですが、自分が今、時間管理をやめられないとすればどうしてなんだろうか?

まず言えることは、記憶のキャパを超えているからです。覚えておかなければいけない予定と締め切りだけでも、記憶だけでは無理ですね。

もう一つは、「自分の時間」というものが今の時代、あるいは私の性格からか、失われやすいからです。

これはよく聞く表現ですが「なかなか自分の時間が取れない」といいます。人間、なにもしていない時間というものはないので、言い換えれば時間は常に流れているので、ある時間が自分の時間でないならば、それは誰かの時間になってしまっているのです。

ここのところをもう少し細かく見ていくと、「自分の時間」には3種類あって、と言うか私が区別してみたところでは、次のように分かれています。

  • 1人だけの自分時間=ひとりじかん
  • 2人以上の自分時間=親密時間
  • 仕事中の自分時間=集中時間

上2つはプライベート。下のが仕事中。いずれにせよ「自分時間」を増やしていきたいという思いはたぶん万人共通で、そのために時間管理が必要になると思うのです。

意識してコントロールしていかないと、特に仕事中の集中時間は全く得にくく、その反対の時間、私はそれを「寸断時間」と呼びたいのですが、ばっかりになっていきます。時間管理的な言葉で言えば「使途不明時間」です。そういう時間は何をしていたかがあとから思い出しにくいのです。

ちなみにですが「ひとりじかん」の反対は私の勝手な造語で恐縮ですが「ぼっち時間」で、「親密時間」の反対は「孤立時間」です。このあたりは時間管理と言うよりライフログで気づくべきケースで、基準は「一人だ」ということが苦痛になっていないか。理想的には「一人」が忘れ去られていて、しかし一人であるというところです。

二人以上なのに一人というのはどういうことかというと、私はいきませんが、ライブなどのいく人にはおなじみではないかと。「場の一体感に溶け込む」とかいいますね。でも人間が実際に溶けるわけではないですね。一人なんだけど、周りに知人は誰もいないかもしれないけれど、孤立してはいない、といった感じです。

逆に、家族と二人でいるのに、その相手からは「仕事しろ」とか「結婚しろ」とかいうプレッシャーが暗黙にせよ迫ってきて、「二人以上」なのに「孤立している」ということもあります。そういうのは「孤立時間」と私は思っているのです。

「ひとり」(趣味に没頭)「親密」(家族と楽しく過ごすなど)「集中」(仕事)の配分や比率という問題もありますが、この3つはいずれも「自分時間」であり、これを失いたくない。特に気づかぬうちに失うということが怖いので、時間管理するわけです。