どうも!こばやしです。
今回は仕事ネタ。
世の中の大多数の人が、『やりたい仕事』には就けていないのではないでしょうか。
就職活動で失敗した人や、会社のなかでも希望しない部署に配属された人。
理由は様々でしょうが、自分の置かれた環境に対して、何らかの不満を抱いている人が多いと思います。
もちろん、本当に自分がやりたい仕事に就いている人もいるでしょうが、そういう人は幸運であると同時に、努力が実った人といえるでしょう。
さて、今回のテーマは『やりたい仕事』に就けなかったときの話。
情熱を持って仕事、していますか?
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ
これは、阪急電鉄の創設者である小林一三の言葉です。
気に入らない仕事でも、日本一になるくらい情熱を注げば、本当に自分がしたい仕事に近づけるという意味です。
彼がこの言葉を残すに至ったまでには、紆余曲折がありました。
その激動の人生を振り返ってみましょう。
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エリート銀行マンの道が一転…
一三は慶応義塾大学を卒業後に三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行しました。
エリートコースを歩んでいた最中、34歳のときに転機が訪れます。
「大阪で証券会社を設立するのだが、一緒にやらないか」
と、かつて銀行で上司だった男に誘われます。
当時は明治40年。
銀行で金融業のノウハウをまなんだ一三は、株式取引に大きな可能性を感じ、誘いにのって銀行を退職するのです。
しかしその年、日露戦争後の大恐慌の影響で、証券会社設立の話自体が流れてしまい、一三は一転無職となってしまうのでした。
それを気の毒に思った知人が、ある仕事を紹介します。
それは、阪鶴鉄道という会社の監査役でした。ただしその阪鶴鉄道という会社は大きな問題を抱えていたのです。
下足番を命じられた気分
当時、阪鶴鉄道は新たな鉄道路線を開通しようとして、「箕面有馬電気軌道株式会社」という新会社を設立しようとしていました。
しかし、こちらも戦争後の恐慌の影響により、公開した株式の引き受け手がいない状態だったのです。
新路線開通どころか、倒産の危機に陥っていた阪鶴鉄道。
そんな会社の監査役の誘いですから、今までエリート銀行マンだった一三からすれば、まさに「下足番を命じられた」気分だったことでしょう。
ちなみに下足番とは、客のはきものの出し入れを仕事とする人です。
日本家屋では座敷に上がるのにはきものを脱がなければならないため,大勢の人が集る場所で必要とされました。現在では一流の料理屋,旅館にみられるだけです。
※ブリタニカ国際大百科事典より引用
しかし一三はその誘いを断ることはしませんでした。
むしろ、倒産確実とされた新会社「箕面有馬電気軌道株式会社」の専務に就任。
リスクをわかっていたうえで、なんとか会社を軌道に乗せるために金策に駆けずり回ったのです。
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真剣勝負できる人はカッコいい!
一三の必死の金策が実り、「箕面有馬電気軌道株式会社」は新規路線の開通にこじつけました。
その後大正2年に「阪急急行電鉄」と改称。
一三は昭和2年に同社の社長に就任するのです。
まさに「日本一の下足番」となった一三。
ほとんどの人は「カッコいい仕事」に就きたいという願望を抱いていると思います。
しかし、その願いが実るような人は一握り。そんなときに、腐らずに前を向いてがむしゃらに走り回れるかどうか。
あなたが情熱をもって、目の前の仕事に真剣勝負しているのであれば、きっと周りの人はその姿を見てくれています。
「日本一の下足番」を目指していけば、その先に「やりたい仕事」が待っていることでしょう。