種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.5

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種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.5

『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第5回をアップ致します。
アルバム『音楽』(1990年)でさらなる到達点に達すると同時に、新たな制作環境の模索やスタッフの交代など、節目を迎えた種ともこ。
1991年、完全セルフ・プロデュースで制作された『KISS OF LIFE』、1993年、最新機材の導入により実現したホーム&スタジオ・レコーディングの充実作『Mighty Love』、そしてポップで粒ぞろいな楽曲が詰まった1994年の『HARVEST』が今回のテーマとなります。
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。

構成:種ともこスタッフ

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Chapter 1. 制作スタッフの交代

KISS OF LIFE

—まずは『KISS OF LIFE』(1991年9月)ですが、前回話されていたように、この前にディレクターが交代されたんですよね。初代の山口(忠生)さんが新会社に移られることになって…。
種:マイケル河合さんに初めて関わって頂いたんです。

―担当ディレクターがいなくなった時に、種さんがマイケルさんに直接電話されたんですよね?
種:逆指名しちゃいました(笑)。本当はそんなことしちゃいけないんだけど…。

—マイケルさんが当時担当されていたのは?
種:ユニコーンとプリンセスプリンセスとピチカート・ファイヴ。さらに私も…ってなると、多分キツかったと思うんですけど、アーティスト本人から言われちゃ断れないよねー、っていうことで。

—そして『KISS OF LIFE』の制作に入ったわけですね。
種:アルバムの制作に当たって、まず最初にやったのは、パートナーを探しにイギリスに行くこと。前作の『音楽』までは奈良部(匠平)くんと一緒にやってたんですけど、彼はキーボーディストだったので、今度はギタリストと組みたいと思ってたんですよ。

—奈良部さんとのチームを解消されたのは、『音楽』で到達点が見えたからですか?
種:その通りです。

—全てやり切ったと。
種:奈良部くんが嫌いだとか、例えば、奈良部くんと付き合ってたけど別れたとか、そういうことではなく(笑)、当時、彼と出来るベストはやり切ったので、次に一緒にやった時に、前より良くないって感じるのは、やっぱり避けたいと思ったんですよね。マラソンの伴走者っているじゃないですか、ペースを掴んで一緒に走ってくれる人。私にとって共同プロデューサーは伴走者なんですよね。自分は全距離を走るけど、彼等は全コースはついて行かないんです。あなたとはここまで、あなたとはあそこまで、って…。

—そのペースが、種さんの場合は3作品。
種:(笑)になりがちなところがありましたね。たまたまそのタイミングで、その時々の自分にとってのホームランを打てたことで区切りがついた、っていうことだと思います。でも、これは当時の考え方で、今はまた違いますけど。

—話題をギタリスト探しに戻しましょうか。
種:日本には一緒にやりたい人がいなくて、イギリスだったらいないかしら?なんて思って渡英したんです。単なるギタリストじゃなくて、共同プロデューサーとして関わってくれる人がいないか、いろいろと話を聞いて、その結果、当時シネイド・オコナーのツアーで弾いていたマット・バッカーが条件に一番近いと思って参加してもらうことになりました。ただ、やってみたら、期待外れで…。

—指示がないと弾けないタイプ?
種:好きに弾いてもらうと全然つまんないんで、結局こっちで指示せざるを得なくなって…プロデュースとかアレンジもやるって話だけど、出来ないじゃん、って。そこから上手くいかなかったんですよ。マイケルさんには「今度はこのギタリストと組みます!」って言って、連れて来たにも関わらず…私としても焦りがあって、結局は自分主導でやらざるを得なくなった。

Chapter 2. 『KISS OF LIFE』―完全セルフ・プロデュースの野心作

—曲は前もって用意されていたんですか?
種:そうですね。

—1曲目の「God Bless The Child」はじめ、随所にワールド・ミュージックっぽい雰囲気がありますね。
種:ピーター・ゲイブリエルが好きだったんで、彼をきっかけにユッスー・ンドゥールとかサリフ・ケイタとか、そういう人達に感銘を受けました。その頃はピーター・ゲイブリエルとプリンスだったんですよ、自分の中のヒーローは。

—このアルバムでゲイブリエル色が一番出ているのは?
種:「Last Tram to NRT」でしょうね。

—一方で「Tomoko Declares」や「NOテンキボーイ」はプリンス色濃厚ですね。
種:そうですね。

—マイケルさんがピチカートを担当されていたこともあって、「Tomoko…」には小西康陽さんが参加されてるんでしょうか?
種:小西くんとの共同アレンジ。「ブルーライト・ヨコハマ」もその流れですよ。

—種さんにとって、このアルバムはどんな位置づけですか?
種:『音楽』は、私と奈良部くんの共同作品なんですけど、このアルバム以降は全部自分でやる…要するに、武部(聡志)さんとの時代があって、奈良部くんとの時代があって、このアルバムが自分だけでやる時代のスタートなんですよね。実際には、マットがパートナーとして駄目だったことで、結果的に自分1人でやることになったんだけど…。

—全部自分で、というのは、作詞、作曲はもちろん、ベーシック・トラックからストリングスのアレンジなど、サウンドに関わることは全て自分で指揮するということ?
種:はい。

—そのことに関して、ディレクターとして新たに関われたマイケルさんはどのように考えていらっしゃったんでしょうか?
種:最初に「君は良くない意味で宇宙人だね」って言われたんですよ。

—何を考えてるか分からない?
種:(笑)何を考えてるか分からないし、やりづらい、っていう意味だったんじゃないかと思うんですけどね。

—それまでに関わって来たアーティストとは違う、っていうことなんでしょうね。
種:彼にとっては、すごく中途半端に見えてた思うんですよ。その頃の私は音楽の知識量もそんなにないし、自分でやってるとは言え、まだ初期段階でノウハウもあまりない状態だったので、ただ単にジタバタしている人、っていうふうに見えてたんじゃないかと思います。

—マイケルさんと種さんはお互いどう歩み寄ることになったんですか?
種:全然歩み寄ってなかったと思います(笑)。常にぶつかってたと思いますね(笑)。

—スタジオ内外で?
種:例えば、ミュージシャンの選定にしても、「何でこういう人を使うの?」って言われたし、彼が「こういう人とやったらどう?」っていうのを、私が「嫌だ」って言い合ったり…なかなか難しかったです。

—こんなはずじゃなかった?
種:いや、望むところでしたね。だって、プロデューサーやディレクターって、基本はそういう存在じゃないですか?

—人によりけりだとは思いますけど、マイケルさんのような、キャリアや実績のある方がそういうことを言えば、説得力があると思いますね。
種:納得出来ないところはたくさんありましたけど、彼のような存在の人が何かを言う、っていうことに関しては耳を傾ける価値があると思ってたし、言うことは聞こうと思ってた…出来るだけ。

—ただ、聞けないこともあった?
種:聞けないこともあった。

—具体的にはどういう事なんですか?ここは譲れないというのは。
種:マイケルさん自身がすごく上手いミュージシャンなので、下手な人が嫌いなんですよ。

—上手な人とやりなさい、と。
種:私は上手な人達とやることにそんなに意味を感じなかったんですよ。それよりもフレッシュな人とやりたい、とずっと思ってて…。だけど、そういう人は、マイケルさんからすると、結局下手って思っていたところがあって。安心出来るミュージシャンと、安心出来るサウンドを作ろう、っていうことだったと思うんですけど。

—種さん自身の勉強にもなるし。
種:そういうことだったとも思います。

Chapter 3. アルバムに対する評価

―そして『KISS OF LIFE』が完成したわけですが、このアルバムへの種さん自身の評価は?
種:当時は大失敗だと思ってたんですよ。結局、自分1人でやらざるを得なくなったし、ギタリストも頼りないし、周りの評判も良くなかったので…酷評されましたから。「1人じゃ駄目じゃん!」って思われたくなくて、すごく頑張ったんだけど、やっぱり『音楽』に比べると、自分としてもイマイチ、って思ってた。ただ、聴き直してみると、統一感はないんだけど、結構良いんじゃないかと最近は思うようになりましたね。最終的な処理が惜しいところがあって、曲が生きてない場面がいくつかあるのは確かですけど。

―でも、前回おっしゃっていた「明るく元気な」から大人の女性へ、っていう意味で考えると、より意識的に作られてるのかなあ…例えば「Naked Woman」とか、同世代の女性に向けたアプローチだったり、強い女性像とかは、アルバム全体から感じましたけど。
種:そういうイメージはジャケットを含めてやりたかったんです。実はこの表紙、スタッフから大反対されたんですよ。

―白いウィッグですか?
種:みんな「ええーっ!」って。「これじゃ、男は引く」って言われて。マネージャーは後で社長に怒られたそうですよ。「全然可愛くない」って。

―当時のCDアートワークの先を行ってるように感じますけどね。
種:そんなにアグレッシヴでもないんだけど、「ゲンキ力爆弾」とかをやってた種ともこからすると、これはちょっとやり過ぎでしょ、っていう…。

「牧歌」のなかでマンドリンやってはまってステージでも弾いてた。

「牧歌」のなかでマンドリンやってはまってステージでも弾いてた。でも全然弾けず、諦めました。

―カッコいい女性像を意識したヴィジュアル…そういうのは当時の種さんには求められていなかったっていうことなんでしょうか。種さんとしては、そういった狙いは表現出来たと?
種:うん。でもやっぱりアルバムの評判はすごく悪かった。

―世間的な評価は得られなかったこのアルバムですが、種さんにとっての収穫は?
種:自分1人で打ち込んだので、プログラミングに関しては、かなり頑張ったと思っています。特に「Last Tram to NRT」は自分の打ち込み史上、よくぞここまで突き詰めたな、って感じですね。「あしたのあたし」は詞も曲もアレンジも上手くいったと思ってます。あと「God Bless The Child」も。

―「God Bless The Child」は
大作ですし、『音楽』で全てを出し切った後の新展開を予感させます。「ブルーライト・ヨコハマ」はシングルとアルバムでベーシックは同じなんですね。

種:オケは同じです。

―シングル・ヴァージョンは、冒頭にジャズっぽいパッセージが入ったり、野宮真貴さんの語りが入っていたり…ピチカート・ファイヴ色の強いアプローチになってますね。
種:ジャズっぽい導入部は私が考えたんですよ。

―この曲はアマチュア時代からカヴァーされていたそうですね?
種:その頃のヴァージョンはまた全然違うんですけど。

―もっとパンクっぽいとか?
種:前衛ですよ(笑)。メロディも崩しちゃって、変なパートを付け加えたりしてたんですけど。

―(「ぼくがいちばん愛してる」を聴きながら)個人的にはこの曲が好きなんですよ。
種:ありがとうございます。山木(秀夫)さんに褒められたんですよ。「こういうピアノを弾く女の子はあんまりいないね」って。

―長くはないですけど、すごくドラマティックですよね。こういうゴスペルチックじゃないけど…。
種:アーシーですよね。このアルバムでは浮いてるんですけど、結局はこういう曲の方が今でもライヴで演奏するパーセンテージが高いんですよね。「あしたのあたし」もよく演奏してますし。でも、下手だな…今聴くと(笑)。
―25年前ですから。これも歴史ですよ(笑)。

Chapter 4. 『Mighty Love』―ホーム&スタジオ・レコーディングによる充実作

Mighty Love

―続いて『Mighty Love』(1993年3月)です。
種:ジュリアン(・ウィートリー)のホーム・セッションと村瀬(範恭)くんのスタジオ・セッションに分かれてるんだな。

―参加メンバーの写真をジャケットに載せてるのは、バンドとして作り上げた意識が強かったからでしょうか?
種:そういうことです。

―サウンドは前作に比べてシンプルになってますね。
種:曲書きがすごく充実してたんですよ。自分で言うのも何ですけど、すごくクォリティの高い楽曲を作ることが出来た、明るい曲が書けた、っていう気がしてるんですね。この時にAKAIのデジタルMTRを入手して、デモ機を駆使して家でいろんなことをやって、スタジオから解放されたんです。スタジオって、音を作るための空間なので、それ以外に関してはとっても良くない空間なんですよ。

―当時は特にそうだったでしょうね。
種:だから、家で音楽を作れるって、本当に素晴らしいなあ、と思って。S1000っていうサンプラーとMacとデジタルMTRがあれば、高いスタジオで時間をギュウギュウに詰め込まれたり、そんなことをしなくても、家で洗濯しながら、ここまでにしてご飯を食べようとか、人間的な生活が出来るのが良かったですね。

―この頃にはもう結婚されてたんですか?
種:はい。

―ホーム・セッションというのは、家で打ち込んだり、作業したものをそのまま完成形まで持って行くこと?
種:全部、家だけで完結させた、っていうことですね。

―ここまで聴いて来た種さんのアルバムの中で一番ストレートな印象ですね。
種:いろんなことがすごく上手くいったんですよね。まずは、バンド・サウンドにしたかったことと、スタジオから離れて家で曲を練ったり、レコーディングしたり、っていう…デモは家で作ってるわけじゃないですか。それと同じ環境でレコーディング出来るっていうのは、すごく良いことだな、って。

―バンド・メンバーの山口ともさんは以前からライヴでご一緒されていましたが、渡辺等さん、保刈久明さんと出会ったきっかけは?
種:等さんはZABADAKで弾いてる時に観たんだと思う。保刈くんはKARAKで知ったのかな。私、オーディションを受けて東京に来て、その時にはもうプロだったわけじゃないですか。だから、学生時代から東京で音楽をやってて、横のつながりが出来て行く、っていう形で物事が進まなかったんですよ。だから、アマチュア時代からの友達がいないんです。プロになってからも先輩のミュージシャン達と仕事して、っていう状況だったんですけど、同年代の人達とやりたいとはずっと思ってたんです。この頃、同年代で音楽の嗜好が合う人達とのつながりが、やっと自分にも出来始めて、彼等とスタジオや家で曲を練って行く…そういうフレンドリーで親密な感じっていうのが、このアルバムで実現出来た、っていうのは大きいですね。

―同年代のミュージシャンやバンドで音楽の嗜好が合うと当時感じていたのは、先ほど挙ったZABADAKだったり、KARAKだったり、新居昭乃さんだったり?
種:そうだったんですよね。

―そういうメンバーと一緒にやることに関して、マイケルさんはどう思われてたんですか?
種:バンドっぽくやりたい、っていう話はしてたし、家で録りたい、っていう話もしてたし…彼もそういう素人臭いやり方、っていうのかなあ…それが種ともこなんだ、っていうことを分かって来てくれてたんじゃないかと思います。推測なんだけど、このアルバムに関してはマイケルさんもすごく良かったと思ってくれてると信じているんですよ。いろんなことがとても上手くいったし。

―ホーム・セッションもスタジオ・セッションもスムーズに?
種:そうですね。シングルの「スナオになりたいね」はホーム・セッションで、決して複雑なことはしてないんですけど、自分としてはすごく上手くいったと思ってます。

―確かに、それまで結構詰め込んだり、積み上げたりしていたものが、前に種さんがおっしゃってた言葉じゃないですけど、引き算で作るノウハウが身について来ているような気がしましたね。自分の中でも意識があったんですか?「この隙間が良い」とか。
種:後で聴き直してみると、そういう作り方が出来るようになったんだな、っていう感じですね。とにかく、やってることに自信が持てた、っていうことなんですよ、このアルバムに関しては。前作みたいな気がかり材料がなく、自分が良いと思ったものは必ず良い結果として生み出せる、っていう自信があったんですよね。

―メンバーにも録音方法にも自信が感じられた?
種:これで良いのかな?みたいな迷いが全くなかった。

―だから、サウンドもストレートになってる。
種:だと思います。リリースした後に、私をすごく推してくれてた地方の放送局の人が、半泣きで「『うれしいひとこと』の後にこれを出してたら、今ごろドリカムなんか超えてたよ!」って絶賛してくれて(笑)。嬉しい反面、『音楽』と『KISS OF LIFE』がそんなに駄目だったのか…っていうのは感じましたね(笑)。
―自分も納得出来て、周りの評価も得られたアルバムということですね。

Chapter 5. 「自分はメチャいいことをやってる!」

―アートワークは信藤三雄さんが担当されてますね。これも物議を物議を醸したんじゃないですか?さっき出た、男ウケ云々っていう観点からすると。敢えてイラストですし。
種:しかも、こんなヘナチョコ…自分で描いたんですけど。絵コンテは私じゃなくて、こういうデザインにしよう、って決めたものに、まず日本語でキャプションを書いてそれを英訳した。写真に写ってるの、全部の私物なんですよ。

―いわゆる日常。
種:ここに写ってる本も、ジュリアンのお母さんが結婚祝いに買ってくれて…「こういう料理、作んなさいよ!」ってこと?分かんないけど(笑)。

―生活スペースと機材がゴチャッとなってるスペースとの対比とか、絵柄として珍しかったんでしょうね。
種:本当にホーム・スタジオの走りでしたよ!この頃、『サンレコ(サウンド&レコーディング・マガジン)』の取材、相当受けてたもん。

―そういうところに、信藤さんも新鮮さを感じたのかも知れないですね。
種:そうですね。家で録ったんだったら、写真も家で撮ろうっていう話になったんだと思うし。

―宅録っていうまだマニアックだった手法を種さんのような女性アーティストがやっていることが物珍しかった上に、クォリティも伴っているとなると、注目もされますよね。
種:(「あなたの好きなElton John」を聴きながら)ちなみに、私の「When I’m Sixty-Four」ですよ。「おじいちゃんになっても一緒にいようね」って。

―個人的には「しってる?」が好きなんですけど。アルバムの中で鈍色に輝く名曲って感じで。煌煌と光を放つんじゃなくて、どちらかと言うと控えめに…。
種:この曲はそういう存在になって欲しいと思って書いたので、本当に嬉しいですね。チェロは溝口(肇)さんですね。

―本当に迷いのなさが音に表れてますね。
種:私ね、録音環境や人間関係に結構左右されてるんですよ。まあ、そんなもんか、人間なんだから。ただ、このアルバムは、曲を作ってる時から手応えがあったんですよ。「自分はメチャいいことをやってる!」みたいな。

―「早く世に問いたい!」みたいな。
種:そういう感じで、どんどん曲を作ってた記憶があるので、アレンジをする時にも全然ブレがなかった…っていうか、最初に作った時からこの形だった。

―アルバム全体としての完成度、納得度、充実感が高い?
種:高いですね。先にも言いましたけど、「スナオになりたいね」は特に上手くいったと思います。ラジオ番組をやってた時にかけたら、ディレクターに「この曲、打ち込み良いねー」って言われて、「私が打ち込んだんです!」って答えてたんですけど(笑)。

―声高に言いたくなるぐらいに納得出来た?
種:はい。「しってる?」もすごく気に入ってるし、「あなたの好きな…」も好きだし、「恋は歌になれ」もよく出来たなあ。今もこのアルバムからライヴで演奏する割合がすごく高いし。

―オビに燦然と輝く「All Songs Produced by Tomoko Tane」も自信の現れですね。
種:「分かったよ!うるせーな」って感じですよね(笑)。

―種さんから入れて欲しいと?
種:そうじゃないと思います。でも、自宅でのレコーディングも含めて、このアルバムは…。

―そういった面もちゃんとセールス・トークにして行こうと。「打ち込み、私がやったんです!」とつい主張したくなってしまう…スタッフもそういう充実感を嗅ぎ取ってたのかも知れないですね。いわゆる、全ての制作過程に種ともこが関わってますよ、っていう印として。
種:(「恋はしょうがない」を聴きながら)この頃はアルバムの最後にアーシーな曲を入れてるね。

―バンドでガチッと演奏してますよね。前作の「ぼくがいちばん愛してる」もそうでしたけど、アルバムを締めくくるアクセントになってます。曲数も10曲くらいだし、LP時代の意識が作り手側にまだあったのかも知れないですね。起承転結のつけ方とか。これはA面最後とか、これはB面1曲目とか。
種:と言うか、そういうやり方が好きだったのかなあ。それまではキャッチーだったり、尖ってたりするけど、最後はアーシーで切ない曲で締めくくる、っていうのにハマってたのかもね。次作もそうかな?(『HARVEST』のジャケットを見ながら)違った、チェッ(笑)。その流行はここまでだったのか…。

―まとめますが、『Mighty Love』は信頼出来る仲間達と自宅とスタジオで作り上げた充実作だと?
種:そういうことですね。

Chapter 6. 『HARVEST』―ポップで粒ぞろいな好アルバム

HARVEST

―『HARVEST』(1994年6月)にはあまり種さんは納得されていないと聞きましたが?
種:曲を作ってる時に、どんなアルバムにしたいか?っていうキーワードみたいなものが見えてなかった。

―曲は作ってたけど…。
種:漫然と作ってた感じ。こういうアルバムにしたいから、こんな曲を作るんだ、っていうコンセプトみたいなものが…。

―明確な時は曲順まで見えてる、みたいな?
種:そうなんです。

―でも、楽曲はすごくポップで粒ぞろいだと思います。
種:最近は再評価すべきだと思ってるんですよ。これね、何で私が気に入ってないかって言うと、1つはアートワークが原因なんです。

―これだけいろいろやり倒してるのに。
種:私がやりたかったわけじゃないもん!デザイナーがすごく思い入れを持ってくれてたんですけど、勝手に突っ走っちゃって…私はこういう形には全くしたくなかったんですよ。写真も人工的じゃないですか…そういうアルバムじゃないのに。それこそ、私はモノクロのポートレートが良い、って言ってたのに。あと、手書きの歌詞カードは読みにくいから絶対やりたくない、ってずっと言ってたにも関わらず、それも押し通されちゃって。自分への反省でもあるんですけど、何で押し切られちゃったんだろう?駄目だ、って言わなかったんだろう、っていうのがずっと残ってて。アートワークが納得出来るものになってたら、アルバムに対する自分の評価はもっと上がってたかも知れません。

―そのデザイナーにとっては、「ダイエット・ゴーゴー」とか「ゲンキ力爆弾」の頃の明るく楽しい種さんのイメージがずっとあったのかも知れないですね。一皮剥けて、前作みたいな引き算のアルバムを作れるようになった、大人の種さんじゃなくて…中面のデザインを見ると、ちょっと軽過ぎる感じがありますよね。
種:軽いっていうか、変なふうに爆発してて…私も本当に反省してるんですよ。

―内容は別にして、そういった面でストップをかけられなかった後悔が、自分のアルバムに対する評価になっちゃってた、ということですね。サウンド的には、前作をベースにしているとは思うんですけど、言われてみると、確かに方向性が定まっていない感じは否めないですね。『Mighty Love』の爽快感っていうのは、とにかく矢印が一方向に向かってる感じなんですけど、このアルバムは、さっきも言ったように曲はポップで粒ぞろいなんですけど、何かフワフワしているような感じがしないではないですね。
種:すごく好きな曲はあるんですけど、上手い置き方がされていない、っていうか…。

―曲順が?
種:それも含めてですね。「I Love Youが枯れてゆく」から「汽車がくる」「てのひらの地球」っていう流れは、すごく好きなんですけど、それと「こまっちゃうな ‘94」とか「普通の生活」とが何か合わないんですよね。

―だから前半と後半に離れてるんですね。
種:「私ブスなの」も話題になったし。シングルのB面(ちなみにA面は「あなたをあきらめない」)だったんですけど、こっちの方がラジオでよくかかる、みたいな(笑)。

Chapter 7. ある種のスランプ

種:ちゃんと全体像を見越して、何故か作れなかったんだよね。それは何でかって言うと、ある種のスランプにあったと思うんですよ。

―前作でやり切ってしまった?
種:そういうことですね。あと、ジュリアンと仕事をするのがつらくなって来たのもありますね。

―私生活とも関係してるんですか?
種:って言うか、私生活と仕事を分けたかった。仕事で一緒、私生活も一緒、っていうのはもうシンドいと思って。だから、次作からはジュリアンと仕事してないんです。

―スタジオでも、家でも同じ人と顔を合わせる…そうなったらどうしても仕事の話になりますもんね。
種:しないんですよ!だけど、周りはそう受け取ってくれないんです。ミーティングの時に、よくマイケルさんに「こんなミーティング、何の意味もないよな。どうせ家でジュリアンと第2ミーティングをやってんだろ」って言われて、その時にいつも「家に帰ったらもう仕事の話はしないんです」って言い返してたんですけど、何回言っても信じてくれないんですよね。

―普通は信じてもらえないでしょうね。
種:確かに、そういう夫婦もいますよ。でも、いろんな状況を見たり、聞いたりした上で、自分達は意識して仕事の話はナシにしてたんですよ。もちろん、作業はしますけど、スタジオから一歩出たら仕事の話は一切しない。

―でも、敢えて仕事でも離れたかった理由というのは?
種:仕事の話を家でしないとなると、話すことがないんですよ(笑)。ずっと一緒に仕事してるから。仕事以外の話題がないわけですよ。だから、この人と仕事をしないことにすれば…この頃には、そういう煮詰まりを相当感じてましたね。

―そんなフラストレーションを抱えながらのレコーディング。
種:『Mighty Love』の時は、ホームはジュリアンで、スタジオは村瀬くんっていうエンジニアがやってたんです。村瀬くんは評判が良かったから頼んだんですけど、一緒にやって行くのがなかなか大変で…。本当はジュリアンと仕事しない方向に移行したかったんだけど、『HARVEST』でまた復帰してもらいました。

―参加ミュージシャンに関しては?
種:前作からの展開系です。保刈くん、渡辺等さん…ドラムだけGrico(富岡義広)さんからマイケルさんの紹介で宮田(繁男)さんに交代して。

―メンバーがほぼ同じということは、前作のようなアルバムになる可能性はあったわけですよね?
種:全体のカラーを上手く作れなかったとしか言えないんですけど。だから、良い曲もあるのにもったいないことしちゃったな、曲に申し訳ないな、っていう気持ちですね。この曲は良いと思うけど、このアルバムには合わないとか、そういうことをもっとしっかり吟味するべきだったなあ、って。

―アートワークも含めて?
種:そう!アートワークも含め、せっかく作った曲が上手く映えない状況になって、きちっと詰めるっていうことを考えてなかったんだな、って。自分としては、いろんなことの反動で、自然に出て来たものを形にするのが良いんだ、って思い込んでいたのが裏目に出てる。あとは曲を作ることの上に立つもの、っていうのか…上手く言えないんですけど、何故、私が曲を作るのか?ということに関して、すごく考え込んでしまったり。

―アルバムで種さんのお気に入りは?
種:「てのひらの地球」が一番好きです。でも、みんな全然賛同してくれない。あと「ひろし」かな。

―「ひろし」はタイトルからはどんな曲か想像出来ないですけど、とにかく切ないですよね。「遠く離れて眠る君へ」も良い曲です。
種:ありがとうございます。これもよくライヴでやってる。

―「こまっちゃうな ’94」の数字の意味は?山本リンダさんと間違われないように?
種:そうですね。

―これでもカヴァーだと思われちゃいそうですけど。
種:確かに(笑)。

―ドラムが宮田さんに代わったからか、グルーヴィですよね。跳ねてるというか。
種:等さんや保刈くんも、種ともこワールドに慣れて来てくれてたと思いますね。何で私が「てのひらの地球」が好きかっていうと、保刈ワールドがあの曲にすごく合ってるから。前作でマット・バッカーをイギリスまで探しに行ったのは、ギタリストと組みたかったからなんですけど、まさにこれがやりたかったんですよ、ギタリストと…っていう1つの完成形が出来たと思ってます。「いつでも恋なら」も大好きですね。これがシングルだったら違ったかも、ぐらいに思ってるんですよ。

Chapter 8. 「種ともこ、ちっとも売れないじゃん」

―当時のソニーでの立ち位置って、どんな感じでしたか?
種:いづらいですよ!

―新しいアーティストが次々と現れて…。
種:「種ともこ、ちっとも売れないじゃん」っていう。事務所でもそうでしたね。

―この頃になると、そういうプレッシャーは常に感じていましたか?
種:っていうか、『HARVEST』の前に事務所を離れたんですよ。

―辞めたくて?
種:辞めたくて辞めた。事務所のスタッフや方針も移り変わって、いろんな面でどんどん窮屈になって来てたんですよね。ミュージシャン仲間で辞めちゃう人もいたし。そんな状態で、大きな事務所に所属する良さが全然感じられなくなっちゃった。レコーディングから何から、こんなに細かいことを言われるだけだったら、いっそのこと、規模が小さくてももっと気楽な方が良いな、って思って。申し訳なかったんだけど、当時のマネージャーには事前に相談せずに辞める、って言ったんです。

―この頃は、背水の陣じゃないけど、1作1作が勝負みたいな…。
種:いや、そうは思ってなかったです。自分には後がないとか、っていうふうにも思わなかったし。ソニーが次の事務所を見つけてくれるっていうことだったので、私は結構ノンビリしてました(笑)。だから、精神的なダメージがあったりとかは、実はなかったんです。

―それでは、今回はここまでということで。
種:はい。

vol.6につづく。

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