種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー vol.4
『種ともこ デビュー30周年記念ロング・インタビュー』第四回をアップ致します。
1985年12月にCBSソニー(当時)からデビューし、武部聡志さんプロデュースのもと、3枚のアルバムを制作。
そしてコンピレーション・アルバム『ベクトルのかなたで待ってて』を挟んで、ついに激動のセルフ・プロデュース期へと突入します。
今回はその初期3作品『O・HA・YO』『うれしいひとこと』『音楽』に焦点を当てて、ざっくばらんに語っております。
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。
構成:種ともこスタッフ
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Chapter 1. 初めてのスランプ。
— 前回少し話されていましたが、『O・HA・YO』(1989年3月)の前に訪れた初めてのスランプについて、あらためてお話しいただけますか。
種:それまでは曲を作って、スタッフが喜んでくれたら、それでゴキゲンだったんですけど、その先の聴いてくれる人達に向かって、自分は何が言いたいのか、っていうことをすごく意識し始めたら、突然曲が作れなくなっちゃったんですよね。
— スランプの渦中はどんな状態だったんですか?
種:考えてるだけで1日が終わったり、ゲームやってたり(笑)。負けず嫌いだから、スランプのせいだと言いたくなかったんで、「なんで曲が出来ないの?」ってスタッフから指摘されると、「ごめん、ゲームしててやる暇がない」って答えてたんですよ(笑)。
― 抜け出すきっかけは何だったんですか?
種:曲が出来なくて、一晩中起きてた時に、新聞配達の人が家の前で自転車を倒しちゃって、「クソー!」って叫んでるのを聞いて、私はこの人に対してどんなことを言ってあげられるんだろう?って、ふと考えてるうちに、「太陽が昇って朝が来ると人は元気になるなあ」と思い立って…そこで、朝の曲をたくさん作ってみよう、って決めたら、それから吹っ切れたんですね。
― 図らずもコンセプトが出来てしまった。
種:「よし!」と、打ち込みを始めて。でも、自分でプログラミングするのは初めてでトラブル続き。まず私が作ったデータをアレンジャーの奈良部(匠平)くんのところに持ち込んで、修正してからスタジオに向かう日々が始まりました。
― 武部聡志さんとアルバムを3枚作り上げて、次のステップに進もうとする時、「じゃあ、何をしよう?」って、確かに迷いますよね。種さんは、コンセプトありきの方がはかどりやすい方ですか?例えば「朝に関する曲を書こう」とか。
種:いや、あんまり考えないですね。後づけのこともあるし。でも、その時々のカラーみたいなものはやっぱりあるので、常に自分の考えてることを感知出来るようにしたいな、とは思ってるんですけど。
― スランプの影響は『O・HA・YO』のサウンドや楽曲に現れていると思いますか?
種:直接はないかもね。「オ・ハ・ヨ」っていう曲を作って、そこからはもう一気にやり切ったので。
Chapter 2. 『O・HA・YO』—記念すべき初セルフ・プロデュース作。
― アレンジはともかく、楽曲的には結構シブいアルバムだなあ、と僕は思ったんですよね、悪い意味じゃなくて。「ゲンキ力爆弾」とか、シングル曲はもちろんキャッチーなんですけど、スケールの大きさとか、心の奥底に訴える曲が多いな、と。それって、スランプを経験した末に生まれたものだからなのか、と勝手に思ったりしたんです。一方で、サウンドは明解になっているように感じたんですよね。3枚目までの「何でも試しちゃおう!」みたいなところから、次のステップに移行したような…。
種:自分で打ち込みを始めたのが大きいですね。このアルバムで特にやりたかったことが2つあって、1つは自分なりの打ち込みにこだわる。もう1つはライヴを一緒にやってるミュージシャンとのレコーディング。ライヴ・バンドとは2曲録音したんですけど、いい感じでしたね。
― どの曲ですか?
種:「Triangle on the Pavement」と「戦争気分でピクニック」。その頃のライヴでキーボードを弾いてくれてた石本(史郎)くんのアレンジです。
― ファンキーなアレンジも多くなってると思うんですが…。
種:プリンスしか聴いてなかったもん。当時は神様でしたから。
― シングル「ゲンキ力爆弾」もアルバムと同時に録音してたんですよね?
種:そうです。アレンジは松本(晃彦)くんでしょ?ギターは是永(巧一)くんが弾いてるんだけど、6弦にセロテープを貼って鳴らないようにしてるんですよ。Aメロのフレーズはそうしなきゃ弾けない。
― 参加ミュージシャンは初期の頃から代わってますね。是永さんもそうですし、バカボン鈴木さん、有賀啓雄さん…。
種:とにかく、いろんな人とトライしたくて。バカボンさんとは、特に一緒にやりたかった。
― このアルバムでの種さん的な到達点は?
種:1つは「INITIALIZE」。6/4拍子なんですけど、そう感じさせない曲作りが出来たと思って。実は、ポリスにもそういう曲があるんですけど、上手く作ってるから全然6/4って感じさせないのがカッコよくて。あと、「KI・REI」はアルバム全体のイメージを象徴した曲になっていると思います。ギター以外は自分で全部やったんじゃないかな。
― 1曲目から2曲目(「The Morning Dew」〜「オ・ハ・ヨ」)の流れもすごいですね。クラシカルに始まっていきなりファンキーに振り切れる、っていう。
種:ありがとうございます。
― 「光合成・アフリカ」のタイトルの由来は?
種:この頃、アフリカのケニアに行ったんですよね。あと、実を言うと、早瀬裕香子さんのアルバムに「光合成 cock-a-doodle-doo」っていう曲があって、すごくいいタイトルだな、と思ってて。曲が出来た時に「光合成・アフリカ」っていう言葉がすぐに浮かんで来たんだけど、了解なしに使ったら失礼だと思って、連絡したんですよ。そしたら「嬉しい」って言ってくれて。
― それまでにも交流があったんですか?
種:私が勝手にいいなと思って、紹介してもらったんです。何回かラジオのゲストに来てもらったりして。でも、一緒に仕事をするとかにはならなかったんですけど…彼女、あまり表に出なくなったじゃないですか。
― 光合成って、太陽とか自然とか…プラスのイメージがありますよね。そこにアフリカの広大なイメージがつながるっていう…曲としてもスケール感がありますよね。
種:イントロはラテンなんで、「アフリカじゃねーじゃん!」って、いろんな人に言われたんですけど(笑)。
Chapter 3. 秀逸なアートワーク。
― このアルバムはジャケットも秀逸だと思うんですけど…男性にはたまらん世界だと思いますよ、これは。
種:へえー。
― 一緒に泊まった女の子が翌朝、寝間着のまま、髪の毛もクシャクシャで…妄想の世界ですけど(笑)。
種:すごい妄想ですね(笑)!
― そういうイケナイ妄想を抱いた男性、いるんじゃないかなあ(笑)。種さんの表情も何とも言えないですし。テーマはあるんですか?
種:いや…『O・HA・YO』だからパジャマじゃない?っていう。
― ジャケットの内側全体にご自身の絵があしらわれてますけど、表紙になる可能性もあったということでしょうか?
種:私はこっちを表紙にしたかったんだと思います。
― 以前から絵は描かれてたんですか?
種:実は、とても下手でコンプレックスだったんです。でも、コンプレックスだと思うことは逆にやった方がいいと思って、たまたま描いてみたんですよ。そしたら、面白くなって、いろいろ描くようになったんです。でも、「やっぱり顔出そうよ」ってことになって。
― 写真はもちろんですし、文字の位置や大きさも程よくて、全体的にスタイリッシュですよね。CDサイズのジャケットがまだ定着し切っていない時期に、すごく素敵なアートワークだと思います。タイトルがこの表記(『O・HA・YO』)なのもすごく大事だと思うんですけど…。
種:「絶対そうでしょ!」って思ったんですよね。
― 万国共通語じゃないけど…ローマ字だからこそ伝わるものがありますよね。
種:「ゲンキ感」はそこから出て来ると思うんですよ。
Chapter 4. 『うれしいひとこと』—バラエティ豊かな充実作。
― 続いて『うれしいひとこと』(1990年2月)。正直言って、当時は種さんの熱心なリスナーではなかったんですけど、「笑顔で愛してる」とか「ゲンキ力爆弾」、「ダイエット・ゴーゴー」…この時期のシングルはリアルタイムで耳にした記憶があります。メーカーも売り込みをかけていた頃でしょうし。世間一般の種さんのイメージもこのあたりにあるんじゃないかなあ、と思ってて。イコール『O・HA・YO』以降、ご自身のヴィジュアルをジャケットの前面に出すことで、種さんの音楽と実像とが結びつき始めた頃のようにも考えてるんですよね。ちなみに『O・HA・YO』からは1年経ってますね。
種:そうですね。
― その頃にはもう「じっくり作らせて」って会社側に言えるようになってたんですか?
種:納得出来るものを作りたい、とは思ってました…っていうか、自分で曲作って打ち込みもやってると、そんなにいっぱい出来ないっすよ!
― シングル「笑顔で愛してる」は1989年11月発売ですね。アルバムとは同時進行だったんですか?
種:そうですね。すごく覚えてるのは、当時の販促担当者から私の家の留守電に「素敵な曲を書いてくれてありがとう」みたいなメッセージが残ってたんですよね。自分としても、書いた時は相当「やったな」と思った曲だし、プロモーションも一生懸命やってくれて本当に嬉しかったです。
― 自分でも納得出来て、周りも喜んだ幸せな曲なんですね。セルフ・プロデュースも2作目ということで、サウンド的にはバラエティに富んでますね。
種:前作からの奈良部くんはもちろん、西平(彰)さんっていう新たな人にアレンジを頼んだりとか、PSY・Sの松浦(雅也)くんにも1曲やってもらったりとか…。
― 松浦さんが手がけられた「二度と森へは誘わないで」はこの時代ならではの音ですよね。
種:ドギツいよね。あと「雲に映る歌」はよかったですね。スケールの大きな曲がやりたくて、多分、打ち込みも全部自分でやったんじゃないかな。本当に細かくタイミングを動かして、動かして…相当突き詰めました。
― ノスタルジックな感じですね。フレットレス・ベースが印象的です。
種:弾いてもらったバカボンさんに「いい曲ですね」って言われて、すごく嬉しかったのを覚えてますね。自分でもこだわって作った曲だったので。
― 個人的には「安売り水着を結局買ったアタシの歌」にどうしても目が行ってしまい…でも、聴いてみると、すごく切ない曲なんですよね。「これはやられた!」と思って。
種:「バッカだなあ、私…」っていう女子の歌を書かせたら、結構いいと自分でも思ってるんですよね(笑)。得意だし、作ってて盛り上がるんですよ。「かわいそうだと思ってね」とか。
― まずタイトルで引きつけて、聴いてみたい、って思わせるパターンですよね。かと思うと、「ダイエット・ゴーゴー」みたいな振り切れた曲もあったり。身近にダイエット中の人がいたとか?。
種:いや、単に作ったんです。
― イントロの呼吸はどなたかのサンプリングですか?
種:奈良部くんだったかなあ?最後にいろんな食べ物を挙げて行くでしょ?スタジオのアシスタントとマニピュレーターにやってもらったんですけど、あれは楽しかったな。
Chapter 5. ジュリアン・ウィートリーさんとの初仕事。
種:このアルバムはミックスがよかったと思う。
― 後にご主人となるジュリアン・ウィートリーさんですよね?
種:ジュリアンとは初めて組んだんですけど、一緒にやってる最中は地獄でしたね、本当に。
― どういうことですか?
種:合宿レコーディングが大嫌いなんで。ミックスのためにイギリスに行ったんですけど、ロンドンじゃなくて、田舎のスタジオだったんですよ。周りになんにもなくて、本当に煮詰まりましたね。話も全然通じないし…。
― 言語的な問題?
種:それもあるし、気持ち的にも…「コイツ、気が合わねー!」と思って(笑)。いろいろ説明して、「ああじゃない、こうじゃない」…通訳もいたんだけど、「多少間違っても、自分の言葉で話した方が絶対に通じるから」と言って去って行き(笑)、仕方ないから直接話してたんですけど、曲の主旨を理解してもらうのがすごく大変でしたね。
― ジュリアンさんにミックスを依頼した理由は?
種:何人か候補が挙がってて、資料音源を聴いた上でさらに絞って、その中でスケジュールが合った人ってことです。彼はバンド系が得意なんですよ。だから、やっぱりドラムの音作りに対するこだわりはすごくいいな、っていうか…レコーディングに対する考え方が日本とイギリスでは相当違うのが分かりましたね。
― 具体的には?
種:まず家屋の作りが違う。木造の家に住んでる人と、石造りの家に住んでる人とは、やっぱり音に対する感じ方が違うので…。スタジオの構造自体が違うし、その中に楽器を置いたら、出て来る音自体、全然違うのが当り前ですから。
― 本作ではジュリアンさんはミックスのみの参加?
種:そうです。
― イギリスには1週間ぐらい行って…。
種:もっと行ってたと思います。
― アルバム・タイトルは収録曲に由来しているんですか?
種:そうです。曲の方が先に出来てて、やっぱりいい言葉だな、と思って。
― 前作に続いてインパクトのあるジャケットですね。
種:デザイナーが代わったんですよね。前作の前田くんもいいんだけど、彼はカジュアル路線で、今回はもうちょっと深いものが作りたいと思ってたから、遊佐(美森)ちゃんを手がけてた石川(絢士)さんに頼んでみようと思って。
― ブックレットの中面も含めて、いい写真ばかりですよね。
種:ありがとうございます。
― タイトル文字は日本語なのに英語っぽくも読める、みたいな。
種:オシャレだよね。
Chapter 6. 『音楽』—セルフ・プロデュース初期の到達点。
― そして『音楽』ですが…前作からの間隔は短いですね。『うれしいひとこと』が1990年2月、『音楽』が1990年11月。
種:ええー!同時に本(『おおきなもの〜Tomokoからの風景』)も書いてるんですよ。確かに、今思えば、ほとんど寝ないで仕事してたような…朝6時に起きて、まず本の原稿を書くんですよ。原稿用紙何枚か書いたらスタジオに行って、ずーーーっと作業して。マニピュレーターから「もう付き合っていられない」ってクレームが来るぐらい…3時とかまでやってたから。で、3時間寝て、また6時に起きて原稿書き…っていう生活。
― 『O・HA・YO』と『うれしいひとこと』でセルフ・プロデュースの階段を徐々に上がっていたと思ったら、『音楽』でいきなりえらい角度で階段が上昇して、方向まで変わってしまったように感じます。 短いピースがあったり、オーバーチュアがあったり、最後に遊びみたいな曲もあったりしますけど、コンセプト・アルバムと考えていいんですか?
種:はい。
― どのようなコンセプトですか?
種:自分にとっての「音楽」みたいな…多分、当時はものすごく頭に来てたんだと思うんですよ。
― 何に対して?
種:周りの全てに。レコード会社とか媒体に求められる種ともこ像ってあるじゃないですか。それと自分のやりたいことがあまりに違ってて。そのことで周囲からいろいろ言われて頭に来てたんだと思います。
― その反発心は、写真を汚したアート・ワークにも現れてますね。
種:(笑)会議室に集まって、写真をいっぱいコピーして、絵の具でいろいろ描いたの。表紙は私がやったんだけども、ちょっとプロっぽいやつはデザイナーがやってたり。楽しかったなあ。
― 話を戻して、周りに対する反発とか、抑えられたものが爆発したっていうのは、何か具体的なきっかけがあったんですか?
種:自分がやりたいのは、レコード芸術、スタジオ芸術を突き詰めることで…当時、ステージでもすごく凝ったことをやってたんですよ。だから、ライヴではエンタテインメントを追求して、スタジオでは芸術を極める、っていう両極端なことがしたかった、っていうのもありますね。さっきも言ったように、自分がやりたいことと、周りのリクエストが噛み合ないことがあるのは理解してはいたんですけど。
― 確かに、前作までのような作品を求められる…媒体にたくさん露出して、上り調子のタイミングならなおさらですよね。でも、そういう時でも自分の意志を貫こうとするのは相当な覚悟だったんじゃないですか?
種:みんなが「次はオリコン何位だ!」とか言ってるのを聞いて、何か空しくなっちゃったんですよね…申し訳ないんだけど。「私、何やってんだろう?」と思って。
― 「自分が勝負したいのはそこじゃない!」と?
種:すごく思ってた。
― シングルの「君と歩いてく」「水の中の惑星」を聴いても、直近の「ゲンキ力爆弾」とか「ダイエット・ゴーゴー」とかとは明らかに違う…スルメ系というか…。
種:なるほど(笑)。
― 元気で楽しい種ともこじゃなく、じっくり聴かせる…そういうところにシフトしてる感じがして、それは種さん自身のメンタルもそういった方向に行ってたのかな、と…。
種:そうですね。
Chapter 7. チームで作り上げたアルバム。
― これだけ濃密な作品を1年もかけないで、しかも、同時に本も書きながら作ってしまったというのは、創作意欲とかテンションは相当なものだったんでしょうね。
種:奈良部くんとのコンビネーションもすごく上手く行ってたんですよ。だから、彼と私とジュリアンで1つのチームっていう感じで作り上げたアルバムですね。
― 武部さんとの『Che Che-Bye Bye』みたいに、チームとしてガッチリ固まったら、やっぱりいいものが出来るんですね。
種:奈良部くんとは、『ベクトルのかなたで待ってて』の頃から私がプロデュースと打ち込みをやって、奈良部くんが色づけをして、っていう作業を続けて来て、このアルバムで頂点に達したかな、っていう…。
― 種さんの場合、3作ごとに節目が来るんですかね(笑)。ホップ、ステップ、ジャンプじゃないけど。ちなみに、コンセプト・アルバムということですが、「1-2-3-4!」とか「Tomoko Goes To Studio」とか「O・S・O・S」とか、短い作品は後からはめて行ったんですか?
種:いろいろですね。スタジオで実験的にやってみて、その中からピックアップして、っていう…。
― 「Tomoko Goes To Studio」は、ビートルズの「Revolution 9」じゃないけど、かなりアグレッシヴな作品じゃないですか?こういった遊びは時代的にかなり異端でしたよね。
種:「こんなの入ってると売れない」ってディレクターにもさんざん言われました。
― でも、必要だった。
種:だから、何度も衝突して…ディレクターが途中からスタジオに来なくなっちゃったんですよね。封筒にお金が入ってて、「ここから出前代払って」って言われて。
― アーティスティックなマインドについて行けなくなった…それとも、自分のコントロール下では難しい、っていうことなんでしょうか?
種:それもあるでしょうね。ただ、その頃に新会社が発足することになって、ディレクターはそっちに移ることに決まってて、その準備で忙しくなったのが一番大きいと思うんですけど、そういう社内的なゴタゴタもありつつ…。
― 「The Rainbow Song」は後に映画『虹の女神 Rainbow Song』(2006年)用にリメイクされて、さらにインスト・ヴァージョンが最近になってCMで流れたり…こんなに人に影響を与えると思ってました?
種:不思議ですね。アレンジは中原(信雄)くんと一緒にやりました。彼はもともと(戸川純と)ヤプーズにいた人で、遊佐ちゃんを介して知り合った。あと「さあ、自己紹介」は思い切りプリンスでしょ(笑)。
― プリンスの影響はアルバムの随所にありますよね。
種:メッチャクチャあると思いますよ(笑)。
― じゃあ、岡村靖幸さんにもシンパシーを感じてたんじゃないですか?彼も同時代のプリンスを思い切り意識してましたし。
種:私は大好きでしたよ。 奈良部くんは岡村くんともやってたし。
― ちなみに、岡村さんの『家庭教師』が1990年11月16日、『音楽』が11月21日リリースです。
種:へえー、同じ頃なんだ!『家庭教師』には本当にブッ飛びましたね。
—プリンスの影響下でまさに同時期に産まれたアルバム…非常に興味深いですね(笑)。
Chapter 8. 枠に囚われない曲作り。
種:あと「Wings of Angels」は達成感がありましたね。構成っていうか、塊としてすごく有機的に作れたんです。いつも思ってることなんですけど、日本のポップスって、Aメロ、Bメロ、サビ…大サビからまたサビを繰り返す、みたいな形式があって、そういう作り方をしていると、つい入れ替え可能みたいな感じになってしまうんです。だから、そうじゃない曲が作りたい、っていうのはずっと思ってるんですよね。
― シェイプから逸脱というか、枠に囚われない作り方が出来たということですね。
種:洋楽って実はそうじゃないですか?キャロル・キングにも、A→B→Aって進行がよくあるじゃないですか。いい曲っていうのは、Aメロ、Bメロがサビに行くための踏み板になってるような曲じゃないから。どう考えても、冒頭からいいんですよね。
― 非常にアーティスティックな意見ですけど、大切なこだわりだと思います。
種:今でも、そういう曲が出来るとすごく嬉しくなります。
― 先に出た「Tomoko Goes To Studio」は、この頃の種さんの1日の生活をまとめたセミ・ドキュメントって感じですか?
種:そうです。「48tracksぶんのI Love You」もそうだけど、「スタジオで仕事する種ともこ」がテーマなんですよね。
― 48トラックなんて、分からない人には分からない用語ですけど、それもよしとしてしまう覚悟とか、勢いとか、気負いとか(笑)…そういうのが充満してるアルバムだと思います。種さんとしては「やったぜ!」と?
種:自分的にはやり切った感がありました。
― ミックスダウンでは再度イギリスに行ったそうですが、今回は録音も含めて全曲ジュリアンさんが担当されて?
種:そうですね。レコーディングは日本でしたんですけど、彼は食事が合わなくてゲッソリ痩せてました(笑)。
Chapter 9. タイトルに込められた想い。
― 『音楽』っていうタイトルにも自信というか、決意のようなものが感じられますね。
種:「そんなタイトル、つけちゃ駄目だよ。次出せなくなるよ」って言う人もいて(笑)。
― ハードル上げまくり。でも、「自分にとって今リアルなもの」ってことですよね?
種:そうですね。
― オビにはローマ字表記もありますけど、敢えて漢字で『音楽』って表記したのは…自分の中で何か去来するものがあったんですか?
種:チャレンジですよね、本当に。自分としては、すごく達成感があったんで。
― 「第2期種ともこの締めくくり」みたいな?
種:そうなりましたね。
― ディレクターがスタジオに来なくなったりしたことで、何らかの危機感はありましたか?それとも、「うるさい人がいなくなった!」みたいな感じですか?
種:周りのスタッフは冷たかったですよね、この頃は。マネージャーもディレクターも来なくて、「マルチ(テープ)、誰が運ぶの?」みたいな。精神的にはすごく孤独だったんですけど…。
― その分、スタジオ内の結束が固くなった。
種:とにかく、自分たちのやりたいことをやるっていう気持ちが、ものすごく強かったっていうことですよね。「売り上げのために音楽やってんじゃない!」っていう、それだけで突き進んで行った感じですね。
― それが『音楽』っていうタイトルに結実しているわけですね。「私達がやってるのはビジネスじゃないんだ!」と。
種:「音楽やってんだ!」っていう気概はあったかも知れません。
― だから、タイトルや内容を含め、異常な緊張感とテンションがあふれてる。とにかく周囲のゴタゴタを全てシャットアウトしたい、とか…。
種:そういう気持ちはありましたね。
― そうなると、作品の純度は増して行くのかも知れませんね。
種:とにかく、ずっとスタジオにいたかったんですよ。雑音が入らないから(笑)。
― リリース当時はどのように受け入れられたんですか?
種:「種ともこ、終わったな」っていう評判でしたよ。
― 世間が求めていたのはやっぱり…。
種:ポップで楽しい「ダイエット・ゴーゴー」の続編みたいなものだったと思うんですよ。
― 『音楽』は相当冒険してますもんね。
種:自分としては「よくここまでやったな」って思ったけど、「よく分からない」「可愛くない」っていう感想が多かったように思います。
― 1年も経ってないのに、ジャケットも含めて、前作とのギャップがえらいことになってますもんね(笑)。
種:「とにかく炸裂する」ことと「可愛いじゃなくて、カッコいい女になろう」っていうのを、奈良部くんとは当時よく話してたんです。
― 年齢的にもそうなって来ますよね。いつまでも可愛く楽しいではいられない。ところで、種さんって3作ごとに炸裂したくなるんですか?『Che Che-Bye Bye』の時も、武部さんと「炸裂しようね」って話していたとうかがいましたが…。
種:そう言えば、最近の「恋愛3部作」(『Uh Baby Baby』『True Love Songs』『Love Song Remains The Same』)でも「3作目で炸裂しよう」って言ってたんだよね(笑)。
― それでは、続きは次回ということで。
種:はい。