人間はつらい生き物
ネガティヴが行き過ぎると、逆に自分はすごくポジティブなんじゃないかと疑ってしまいます。
マイナス×マイナスでプラスになるパターンを期待したいところですが、なかなかうまくはいきません。
相変わらず人を見れば悪口を言われていると思いますし、人見知りは永遠に治りません。
街中にあるビルも恐いです。いつか自分に向かって倒れてきそう。
かと言って平野に行きますと、今度は雷が落ちてきた時に直撃します。逃げ場なんてありません。
人間関係はいつも希薄です。自分のことを好きな人なんて元々いないのに、誰かに嫌われるの恐れてしまいます。
そして、そんなことを考える必要はないって全部わかっているからこそ、手の打ち用もないのです。
どうしてこんなにも生きづらいのでしょうか。
どんなに辛くても、人は耐え続けなければいけないのでしょうか。
こんなことを書くとヤノユウは何か嫌なことがあって病み始めたのかな?と思われそうですが、ぼくは誕生日以外いつもこんなことばかり考えています。
別にメンヘラなわけではないです。むしろ人間ってみんなこんな人ばっかり。
なんとかしないといけませんね。
現実から目をそらそう
とは言っても、有効な解決策はなかなか見つかりません。
現実はどこまでも非情なのです。
そこで提案したいのが、とりあえず現実から目をそらし続けよう!ということ。
これは単なる現実逃避ではありません。
ちゃんとした理由があるのです。
そもそも、今ぼくたちの心をすり減らしている要因の多くは、生活の中に潜むノイズによるものです。
ここでいうノイズとは雑音の意味を超えて、人が快適に暮らすために不要なすべての情報と定義しましょう。
ノイズは抽象化した概念ですので、例えば、「知りたくなかったこと」とかに置き換えて考えた方がわかりやすいかもしれません。
ノイズは様々な形でぼくたちの脳へとインプットされます。
おそらくそのほとんどは視覚によるものです。
残念ながら人間は目で見たものをすぐに無かったことにはできません。
人はいつのまにかそれを見てしまい、蓄積してしまいます。
思い出せるものだけを記憶とするのなら、これらは然程問題にはなりません。
ただ、ぼくたちは全てを意識して生きているわけではないのです。
無意識の領域にもノイズはしっかりと蓄積されています。
このノイズはとても厄介です。
意識していないので取り払うこともできません。
結局ぼくたちにできることは、このノイズを最初からインプットしないこと。
目を閉じて、現実から情報を遮断することです。
それでもうまくいかない時に気づけること
新たなノイズをインプットしない対策は上記の通りです。
ところが人間は不便なことに、せっかく情報をシャットアウトしようと目を閉じても、自らの妄想が自分を攻撃することがあります。
これもまた、ただ考えなければいいだけのことなので、確実に解決できる手段はありません。
考えないことは考えることよりも遥かに難しいのです。
これは人間である限り永遠に続きます。
本当に不便で嫌気がさしますね。
みんな程度に違いはあれど、不毛な悩みにうなされて暮らしています。
これだけの人が毎日苦しんでいるのに、その大半が次の日も悩もうとしているのは実に不思議です。
まるでいつかは解決することがわかっているかのような、何か目に見えない支えがあるかのような、そんな印象を受けます。
それもそのはず。実はこの支え、誰にでもあります。
ノイズに紛れて無意識のうちに、一つの情報をインプットしているからです。
それは「人はいつかクラゲになって、悩みから解放される。」ということ。
これまでどんなに苦しいことがあっても生きてこれたのは、意識的にしろ、無意識的にしろ、この希望をインプットしていたからに他なりません。
やっと気づけましたね。
あとは行動に移すだけです。