映画 聲の形 感想
2016年はアニメーション映画が豊作だったみたいで
「観たい」と思っていた作品が3つくらいありました、その中の一つです。
ようやくDVDレンタルして観ました
以下「これから観る人」には配慮してません。
映画 聲の形 おおざっぱな感想
主人公、将也は最初死のうとしていた。
だから物語終盤で「俺が生きるのを手伝って欲しい」とヒロイン梢子に告げるのは理屈にあってる告白シーンだと思った。
梢子もその告白シーンの前で死のうとしてるので、きっとこの二人の高校生カップルは支えあって生きていける関係になれると思う。
なんで男と女は二人で一緒に居たがって、一緒に生活したがって、一緒に生きようとするのか
そういうのを疑問に感じることがあるけれど
一人で生きていけなくて、生きていける理由か、希望か、夢みたいなものか、それとも何かの期待なのかもしれないけれど
「生きていこう」と思える理由を相手との関係のどこかに感じるのなら、それでいいんじゃないかと思う。
梢子が死のうとした理由は、将也の世界(おそらくほとんど家族とすごしている自分よりずっと大きな人間関係の中で生きている)を壊してしまったから自分が消えれば良いと思ったのだろうけど
梢子にとってもっと大きな理由は、その将也が自分の世界に帰る時、将也が自分に恋をしていない場合。
もう少し踏み込んで考えると、恋は実ったとしても、破れるのもまた恋愛で
その時に味わうであろう生きていけなくなる程の虚脱感への畏れもあったと思う。
「将也の世界を壊してしまいました ごめんなさい」と死んでしまえば、自分を含めた誰も傷つかなくて良い。
「今は幸せだからそれでいい」くらいの気持ちはあった気がする。
だから将也に「生きるのを手伝って欲しい」と言われれば
「つきあうしかないな」と思うしかなくて、告白として理屈が合ってて良いストーリーだと思った。
映画 聲の形 あらすじ
石田将也は小学6年生
転校生の聴覚障がい者、西宮梢子を虐め始める。
虐めの始まりはクラスメイトの仲の良い女子、植野直花が梢子をだんだんと面倒くさい奴だと思うようなり
それに同調している内に、将也の方が虐めの首謀者になる。
虐めがエスカレートする中で、学校に発覚し将也は担任の先生に問い詰められ、虐めを認める。
その時直花は先生に梢子を虐めてる将也を見てどう思っていたのか尋ねられ
「ちょっとからかってた的なことはあったと思う」と答える。
(将也が虐めていたことは認める 自分のことは言わない)
ここから将也はクラス内で孤立し、誰とも上手くつきあえなくなり徐々に「虐められっ子?」という立場に変わっていく。
その後梢子とは殴り合いになり、その後で梢子は転校してしまう。
高校入学時点では、彼の視界にはクラスメイトの顔には全てバッテンが貼られていて、顔を見ることができなくなっている。
そして将也が決心したのは「死ぬこと」であり、死ぬ前に「梢子に会いたい」と思い会いに向かう。
最初は怖がられ逃げられる将也だが、会って話すことが叶い、梢子に手話で「またね」と言われる。
「また会いに行ってもいいんだろうか?」と悩みながら梢子のもとへ通いだして、後はよくある恋愛ストーリー
とも言えるけど、将也は死ぬことはやめて梢子との関係を深めていく。
その中でクラスメイトとの関係も徐々に良くなっていき、梢子が小6の時に優しくしてくれていた「佐原さんに会いたい」と言い出したために、佐原さんを探しに行ったことで、小学校6年生の頃、梢子を虐めていたグループで将也と不仲になったグループとの関係がまたできてくる。
ストーリー途中で、梢子を虐めていた女子の首謀者と言える直花が梢子に
「あんたが転校してきたから私たちの関係は壊れた、あんたが転校する前に戻りたい」
と告げる。
将也は昔の友達とは再度離れていき、梢子の家族との仲を深めていくが
梢子の家族と一緒に花火大会に出かけた時に、梢子は先に帰ってしまい自殺を試みるのだが、将也がかけつけて未遂に終わる。
梢子は助かったのだが代わりに将也がマンションから転落して意識不明のこん睡状態になる。
そして、目が覚めてから「俺が生きるのを手伝って欲しい」と梢子に告白する。
そして退院後に将也の学校の文化祭に梢子を連れて登校する・・・。
映画 聲の形 感想
「面白ったか?」と考えてみたら「”面白い”とは違うけど、観て良かった」って思うかな。
物語の前半では梢子が虐められるシーンが続いて、実に嫌な気分になった。
ただ、将也達男子の反応はごく普通かもしれない。
直花達女子の反応も普通かもしれない。
耳が聞こえないから上手に関われない、まどろっこしい
「西宮さんと会話するために手話を学びましょう」と先生に言われたって「なんで?」と思うのも自然だろうと思う。
クラスに30人~40人の子供がいるのだから「”なんで?”と思う子がいない」と想像する方が不自然。
場面が高校生になって将也が梢子に会いに行こうと決心して通い始めた時に、視聴者として私は
「梢子が可愛い女子だからそういう気にもなるけど、男子だったらどうするの?」と思った。
将也は死ぬ気だったんだから、相手が可愛いか可愛くないか、女子か男子かなんてのは関係ないかもしれない。
たぶん関係はないんだけど(笑)
最終的にはお互いに必要な関係になるのだから、異性だったのは「結果的に良かった」と思えば良いのかもしれない。
でも少し”ご都合主義的かな”とも思った。
男の子と女の子が恋愛をしてしまえば支えあえるんだけど、多くの人間関係は”支えあえない関係”でしかなくて
「子供の頃虐めてスイマセンでした」と将也が言ったにせよ、そこから何かが発展するわけでもなくて
将也は無事初志貫徹して死ぬことができる・・・。
まわりくどいことを考えるのはやめるべきだけど、梢子が可愛い女の子だったのは結局「夢のあるストーリー」だと思う。
まあ夢はあってもいいんだけど。
死のうと思ってた将也の生きる理由に梢子はなって
梢子にとっては楽しい毎日を届けてくれる大切な存在が将也なんだろう。
ラスト、文化祭に梢子を連れていき
「俺、クラスで浮いてるんだ」と言う将也。
高校生男子が好きな女の子に言うには超絶かっこ悪いセリフだと思うけど
本当にそうなんだから、自然なセリフで良かったと思う。
そうでなければ、物語冒頭で「死のう」って思わないわけだし。
そこからまた文化祭に小6の時のメンバーが集まってきて、関係を再々修復しそうな雰囲気でお話は終わる。
この物語で、観てる側として何を想ったかと言うと
「人は支えあってる部分と邪魔をしあってる部分があって、語感が美しい”支えあい”の方ばかりに目を向けがちだけど、”みんな邪魔なんだよ”という認識も人間関係の上では必要かもしれない」と思った。
誰かのために生きてるわけではないんだから、誰かが自分の邪魔をしていても「そういうもんだ」という認識。
将也と梢子は支えあって生きることを選択したんだからこれはこれでいいんだけど。
恋愛は恋愛してる二人には意味があったけど、他の誰かにはほとんど関係のないような描き方も良かった。
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