ユリイカ『特集・加藤一二三 棋士という人生』を読む

 

 ユリイカなんて買うの、何年ぶりだろうか。ともかく、加藤一二三特集であり、佐藤康光羽生善治森内俊之先崎学糸谷哲郎などと名前が並んでいたので、買わずにはおれなかった。やはり、棋士による加藤一二三観というものが面白いように思えた。

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ちなみに、おれと加藤一二三というと先に書いたとおりである。名前も棒銀もかっこいい大ベテランのはずが、現在の「ひふみん」ブームにやや戸惑っているというあたり。とはいえ、「加藤一二三伝説」のたぐいは大いに好きである。

このユリイカにもいくつか伝説が語られている。とはいえ、その前に加藤一二三のインタビューから気になったところを。

塚田正夫実力制第二代名人はいままでの将棋の歴史のなかでいちばん寡黙な棋士なんですが、塚田先生には「勝つことはえらいことだ」というシンプルな名言があります。これ以上シンプルなことなはないんだけれど(笑)、誰にも言えない名言ですよ。

 いままでの将棋の歴史のなかで一番多弁な棋士加藤一二三本人という気もするが、まあそれはいい。「勝つことはえらいことだ」。これは強い。強いが、それがゆえに将棋連盟には三浦九段の問題みたいなもんが起きたんじゃないかとちょっと思ったりはするけれど。大相撲とかもそうかな、とか。わからんけど。

さて、「神武以来の天才」という呼ばれ方を好まなかったという加藤一二三。しかし、天才だろうというエピソード。

……あるとき、羽生さんとなにげなく軽く会話したときに、羽生さんに「加藤先生は将棋の勉強をいつされたんですか?」と訊かれたんです。はっきり言って将棋の勉強という勉強をしたことがないものだから、率直に「私はそんなに将棋の勉強をしたことがないんですよ」と答えたら、もう一度はっきりと同じ質問をされました。

「あまり記憶にないうちに」四段になって、気づいたらA級八段。なんですか、そりゃ。

先崎学曰く。

 加藤先生がどういう天才かというと、手が見える。たとえば加藤先生と盤を挟んで目の前で検討していくとすると、加藤先生は次から次へと駒を動かしていくんですよね。その手がいいか悪いか考えていない。考える間もなく次から次へとどんどん手が動いて、つまり、見えて見えてしょうがない。

そしてさらに。

 才能というのは生ものなので腐りやすいんです。取り扱い危険物というか、かえってその腐ったにおいに自分自身が耐えられなくなって駄目になってしまう。それよりも将棋の世界は必ず勝ち負けがつくので、負けたときにどう乗り越えていくというか、ひじょうに精神的ストレスを伴うところで対峙していかなければいけない。そういうとき将棋の才能というのは役に立たないですからね。プロのトップ10に入るような世界では、才能があっても勝ち負けに対する耐性がなければ駄目なんです。

 長いこと、本当に長いこと一線級でやってきた加藤一二三の強さ、その耐性。そこにしびれる。あるいは信仰による力だったかもしれないし、まあとにかく持って生まれた強さだったかもしれない。その強さで鰻を食い、上寿司を食って戦ってきたのだ。また先崎学の発言から。

加藤先生は将棋連盟で対局するときはいつも鰻重か上寿司しか頼まないのですが、「先生、鰻とお寿司どっちがお好きなんですか」と訊いたら「寿司です、寿司です」と言われたのがいちばん印象に残っています(笑)。「じゃあなんで鰻頼むんですか」「いつも寿司だと飽きちゃうから」と。昼夜同じものばかり食べるのにそういう感覚があるのかと驚きました。ふつう鰻からお寿司に移行するとしても、お昼は鰻で夜がお寿司といったふうに中間の時期があるはずなのに、ある日突然どっちかに切りかわるというのは、いまだによくわかりません(笑)。

 やはり将棋指しといえば対局中に何を食べるかが大きな問題であって、加藤一二三といえば鰻重(とカルピスとチョコレート)、そして寿司。寿司の方が好きだったのか。いやはや。

で、話は今話題の藤井聡太四段のことなろうか。再び加藤一二三のインタビュー。

藤井さんの先輩に対する気遣いというのは、具体的に言いますと、十二月二十四日の竜王戦の予選のとき、午後三時ごろに私はカマンベールチーズを取り出して食べ始めたんです。そうすると、藤井さんが鞄からチョコレートを取り出して食べはじめた。そこに私は感心したんです。彼が先にチョコレートをたべはじめてもまったくなんのマナー違反でもない。けれども、私が食べるのを待って、間合いを測ってやおらチョコレートを食べはじめた。「そうかそうか、藤井四段はちゃんとタイミングが測れているな」と感心しました。

 あた食べ物の話をしてる……のはともかく、先輩に対する気遣いはないよりあったほうがいいという加藤一二三。藤井四段の「タイミング」、やはりただものではない。まあ、この話はワイドショーなんかでも語られていただろうか。

藤井四段に関するそんなエピソードをもう一つ。

……藤井さんは私の最年少プロ入り記録を抜いてたしかにおめでたい。けれども、私は十八歳で八段になったんですが、この記録を藤井さんは抜くことができない。私の記録はいまだかつて抜かれていないけれど、それは私にとって特に感心のないことだったんです。そのとき、非常に印象に残ったのは、藤井四段が私の目の前で指折り数えてこくりと頷きました。記録を抜けないということを彼が自分でたしかめたのを見て、私は非常にほほえましかった。私だったら対談が終わったあとに、ひとりきになってから数えてみると思う。同時に思ったのは、彼は気持ちのうえでは私の記録を抜けると思っていたから数えたわけです。この自信のほどは高く評価できる。これこそおもしろい。われわれの世界ではこういうのがいいんですよ。

 ……ん? 順位戦はともかくとして、竜王位一期獲得で八段じゃ。まあいいか。どちらかというと闘志むき出しでない印象もある(とはいえ、闘志のない人間がプロの将棋指しなんかになれはしないだろうが)藤井四段、この負けず嫌いはいい。まさに「こういうのがいいんですよ」だ。

それにしても、将棋界の暗い話題をふっ飛ばした藤井四段の、最初の対局者が加藤一二三。仕組まれたものかどうか知りはしないが、なんという運命だろうか。おれは加藤一二三という偉大なる棋士が「ひふみん」と呼ばれてバラエティに出るのもいいと思うし、藤井四段の昼食が注目されるのもいいと思う。なにせ、吹けば飛ぶような将棋の駒、先崎学に言わせれば本当の虚業、とにかく盛り上がっていこうじゃないですか。以上。