サイボウズ式編集部より:チームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。以前、読者のみなさまからご相談を募集したところ、たくさんのお悩みが届きました。届いたご質問やご相談をいくつか取り上げて、ブロガーのみなさまに回答していただく連載も、ついに今回が最終回。朽木誠一郎さんからの回答です。
ご相談内容
この春で社会人3年目になりますが、先輩や上司と仕事をするたびに自分の未熟さを感じ、焦燥感を覚えます。焦る気持ちは向上心の表れ、とも思いますが、焦るたびに落ち込んでじわじわと自信を無くしていき、良くない方向に進んでいる気がします。 まだまだ未熟な自分との向き合い方が知りたいです。(こなつ/若手社員)
今回の回答者:朽木誠一郎。地方の国立大学医学部を卒業後、新卒でメディア運営企業に入社。その後、編集プロダクション・有限会社ノオトで基礎からライティング・編集を学び直す。現在は医療・働き方・テクノロジー・メディアなどをテーマに執筆中。
はじめまして、ライターの朽木と申します。「未熟なライター」と「成熟したライター」だったら確実に前者です。同じ未熟者として、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、「未熟な自分との向き合い方」という悩み、とても共感しました。僕ももともと、こういうことでいちいち悩んでしまうタイプです。
「つべこべ言わずに、目の前の仕事をやる」しかない
どんな仕事でもそうでしょうけれど、上には上がいますよね。ちょっとできるような気になっても、さらにできる人と比べればできないわけです。そうすると落ち込みます。
特に僕が悩んでいたのが「売れる」という感覚でした。メディア業界は安定しているとは言えない業界ですから、同業他社(者)の盛況不況はどうしたって気になります。そうすると、あの人は自分より文章力があるとか、発想力があるとか、その逆ならなんであの人が自分より売れているのかとか、そういうことで頭がいっぱいになってしまうのです。
とはいえ、ずっと手が止まっていると仕事になりません。そこで僕は自分なりの答えを出しました。それは「つべこべ言わずに、目の前の仕事をやる」です。
身も蓋(ふた)もない回答! でも、考えても仕方のないことは、考えるだけムダなんですよね。そして、そんな当たり前のことはきっと、こなつさんもわかっているはずです。
では、われわれ「悩んじゃうタイプ」は、なぜ悩むことを止められないのでしょうか。
このような負のループに陥っているとき、気をつけなきゃいけないと僕が思っているのは、「悩むことが気持ちよくなってしまう状態」です。
「わかっているのに悩んでしまう」ことの気持ちよさ
「焦る気持ちは向上心の表れ」とこなつさんも書いてくださっているように、自分の未熟さに悩む僕たちはおそらく「理想が高い」のだと思います。理想が高いタイプのわれわれは、少し背伸びをした目標設定をしがちです。そして、実際にコトが始まると、現状との乖離(かいり)にびっくりしてしまう。
理想と現実の乖離を埋めるのは、僕の乏しい人生経験で知る限りは、「努力」と「才能」と「運」です。このうち、「才能」と「運」は、おそらく自分の力ではどうにもなりません。
わかりやすくなるように、車の運転で例えてみます。努力はガソリン、才能は燃費などの車体のスペックだと僕は思っています。
つまり、燃費がいい車は少量のガソリンで走れるけれど、そうでなければたくさんのガソリンが必要です。スペックは固有のものなので、後からはなかなか変えられません。運は天候とか道路の状態とか。これは人間には手の出しようがないので、不幸があっても受け入れるしかない。その車でどこまで行けるかは、ガソリン×燃費×運で決まります。
じゃあ、努力すればいいじゃん! と思えど、努力したって「才能」か「運」がなければ目標に届かないことはあるし、そもそも「努力」はしんどい。
すると、僕のようなダメ人間はどうするか。答えは「何もしない」。悩んでいることを言い訳にして、唯一自分にもどうにかできる変数である努力すら放棄してしまうのです。
もう一度。悩んでも仕方ないことは、悩むだけムダです。その時間は何もしていないのと一緒ですよね。
それがわかっていても止められないのは、なんででしょう。僕は、悩むことが努力することよりも、相対的に気持ちよくなっているからだと思います。
「悩んでしまって手が動かない」のではなく、「手を動かしたくないから悩んでいる」
「悩む」という行為は、努力というコストをかけずに、その問題に対処した感覚を得られるため、実はとても楽なのではないでしょうか。車の例えで言うなら、外出しなければならないのに、家の中でマリオカートをしているような状態です。客観的には全く進んでいないのに、本人は運転したような気分になれる。
『嫌われる勇気』などで有名なアドラー心理学には、「目的論」という興味深い考え方があります。
仮に「お腹が痛いから学校に行きたくない」という人がいたとしましょう。ここで、「お腹が痛い」というのはあくまでも「学校に行きたくない」という目的のために作り出した理由だとされるのです。
今回のテーマに目的論の考え方を応用すると「悩んでしまって手が動かない」のではなく、「手を動かしたくないから悩んでいる」のです。
このように、問題と正面から向き合うことを避け、その代わりに「悩む」人というのがいます。こうなると、もはや悩みたくて悩んでいるとも言えるのです。
少なくとも手を動かさなければ、理想は実現しませんよね?
もしそうなら、「先輩や上司との比較」をして「焦燥感を感じてしまう」のも、「焦るたびに落ち込んでじわじわと自信を無くしていく」のも、一種の逃避です。「努力する」という解決方法がわかっているのに、なんだかんだ理由をつけてそれをしないなら、悩むのを止めたくないんです。もっと言うと、努力したくないんです。もちろん、悩むことも成長する上ではきっと、必要でしょう。でもそれは、手を動かしているなら、という条件で。いずれにせよ、手を動かすことでしか、理想は実現しませんから。
もちろん、こなつさんが手を動かしているかどうかは、この相談からだけではわかりません。手を動かしているなら、少なくとも前には進んでいるといえるでしょう。
その結果、目標までたどり着けるかどうか。これもわかりません。僕にも、こなつさん自身にも、神様以外わかりません。
じゃあ、どうすればいいのか、は簡単です。目標が高いなら、それを達成できるように頑張るか、目標を下げるかしかありません。
悩むくらいなら、目標を下げればいいのです。こなつさんの場合なら、比較の対象になっている先輩や上司のようになるのを一旦、諦める。自分のペースでゆっくりやる。
誤解しないでください、これは逃避ではありません。むしろ、悩むことに依存する方が逃避であり、それよりはよほど建設的です。
目標を現実的なものに変更し、「悩んで」手が止まるのを防ぐ。もしかすると、まったくイメージのつかない今の目標を追いかけるより、成長スピードが早いかもしれません。
こんなふうに言われて「いや、できる」と反発したのなら、今のままの高い目標を追いかけてみるのもいいと思います。
だって、こなつさんが悩んでいるかどうかはともかく、先輩や上司からは今の仕事ぶりについて、特に何も注意などはされていないのですよね。
それなら、外から見ていれば、こなつさんの成長は順調ということです。
「未熟」と感じるのは目標設定の問題
つまり、これは結局、目標設定の問題になります。こなつさんが悩んでいるというのは紛れもない事実なので、まずは今の目標が妥当なのかどうか、自分で考えてみましょう。
いつまでにどうなりたいか、そのためにどうするかを決められるのは、自分だけです。
もし自分だけではわからなければ、先輩や上司に相談してください。大丈夫、チームで仕事をしている以上、彼ら彼女らはこなつさんの目標設定に責任があります。
ただし、悩んでいることが気持ちよくなっていないかどうかは、いつでも気をつけておきたいと、僕は思っています。
最後になりますが、「未熟である」という感覚は多分、一生続きます。
思い出してください。「未熟」の反対は「成熟」でした。では、成熟した人は、自分を「成熟している」と思うでしょうか。常に目標を高く持ち、自分の至らない点を追求するのではないでしょうか。
そうだとすると、自分のことは未熟だと思っているくらいが、一番成長スピードが速いのかもしれません。
イラスト:マツナガエイコ
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