母さん、僕は結婚できないんじゃない。しないんだ。

母より「ところであんた、同性愛者なの?」というLINEが来て、まず思ったことは「ごめん。まじで、ごめん」でした。

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とっさに返信したのでちょっと悪ふざけしましたが、本当に心の底から「ごめん」と思いました。

この後「同性愛者であってもそれは個性だから、言ってほしい。親として否定する気持ちはこれっぽっちもない」というくだりが続きます。 

 

きっと勇気が必要だったと思うんです。

65歳、山形の田舎でひっそり暮らす母が、500キロ離れた土地で独りで暮らす息子に同性愛者か否かをきくのって。 

 

僕はいわゆる放任主義といわれる教育方針で育ちました。

子供のころ、親から何度もいわれた教育は「動物や子供を虐待するな、障がい者や外国人を差別するな、人様の娘の腹を無責任に大きくするな、めしは絶対に残さず食え」くらいです。

この教育は徹底していました。

高校の頃、他校の生徒とケンカして何度か警察のお世話になっても放っておかれましたが、オヤジの会社に勤務する外国の人の食事を笑ったときには死ぬかと思うくらいボコボコにされました。

ある意味、本当に徹底した放任主義でした。

 

18歳で「こんな田舎じゃ何もできないべ」と東京に上京して、大学を辞めてフリーターになったり、勝手に就職したり転職したり、いつのまにか名古屋に移り住んだりしました。

いつも親には事後報告であり、事前の報告も連絡も相談も一切しませんでした。きっと事前に相談したとしても、反対はされなかったという自信があります。

実家に帰るのは年に1回あるか無いか。実家に帰っても酒飲んで寝てるか、犬の散歩に行くか、地元の友達と遊びに行くか。 

地元にいたころは彼女が家に遊びに来たりもしていましたが、家を出てからは女っ気無し。

20代のころは帰省の度に母から「彼女いないの?」と聞かれることはありましたが「マザー、僕は誰か一人の男になりたくないんだベイビー」と冗談ではぐらかしました。最近は質問すらされなくなりました。

30代になってからの4年間はさらに帰省の頻度も減りました。1年に2回だった帰省はいつしか1回になり、去年は0回でした。

 

これまで生き方につて何も相談しない自由な次男と、放任してきた親。

僕と親の間には、いつのまにか大きな溝ができています。 

正直、帰省するたびに実家の居心地が悪くなり、家族が他人になっていくことを感じています。実家を出てから15年。当然のことかもしれません。

父と母にえられた生活のリズムや価値観は、15年という歳月で完全に塗り替えられているのです。

きっとそれは親も感じていて、最近では「帰省するのか?」という連絡さえ来なくなりました。

もちろん親子という絆は愛のあるものだと思っています。僕が犯罪に手を染めても、親だけはめしを食わせてくれると信じています。でも、やはり変化はします。

 

田舎で暮らす家族と都会で一人暮らしする息子は、こうやってゆっくり他人になっていくのです。そして、僕はそれが自立であり「親子のあるべき姿」だとも思います。

 

そして、多くの親たちは知らないのです。30過ぎても自由に暮らす生活の楽しさを。

少しの(でも20代に比べれば多い)自由なお金と、誰にも干渉されない毎日。何時に帰るも、何を食べるも、何を着るも、体調を崩すも、フリーダム。

この麻薬のような日々に僕らの体はすっかり蝕まれているのです。

 

でも、そろそろ、限界ですよね。

いくら放任主義とは言え聞いちゃうよね。

気まぐれに帰省するたびに確実に青年からオッサンに変わっていく息子。さすがに先が心配ですよね。

同性愛者か否かではなく、いつしかタブーとなりつつあった結婚の予定があるのか無いのかを聞きたいんですよね。

 

田舎でどくだみを刈る母が、34歳に、おっさんになった息子に同性愛者か否かを聞く。これは僕にとっては一大事なのです。

きっと精一杯の勇気であり、期待であり、心配だったんです。

 

母の暮らす山形は間もなく短い夏。

1年の3分の1は雪の中でひっそりと暮らす両親に僕は何ができるんだろう。

 

 

 

  

結婚しか、無い。たぶん。 

34歳独身の僕にできる親孝行は、もはや結婚しか、ないんです。恐らく。

結婚というのは、父の日とか母の日とか誕生日とか仕送りとかお年玉とか、そんな類の親孝行をはるかに凌駕するようです。きっと。

 

 

 

OK

 

 

 

ベイビー、母よ。そして父よ。あとバツイチの兄よ。ついでに犬よ。聞いてくれ。

18歳で実家を出てからあっという間に34歳になっていたよ。

もう大人、というかオッサンだという自覚もあるよ。

地元の同級生には10歳にもなる子供がいることも知っているよ。

正直、僕だって想定の範囲外だよ。34歳だったらとっくに結婚していると思っていたよ。子供もいると思っていたよ。それどころか仕事とか貯蓄とか、何もかもが想定の範囲外だよ。

でもね、何も考えず生きているわけじゃないんだ。これでも一所懸命生きてるんだ。

毎日目の前の仕事に忙殺され、毎月の家賃や光熱費や税金を払って、雨が降るたびに季節が変わって、友達の結婚式に行ったり風邪をひいたり女の子とデートしたり、独りで生活を維持することが精いっぱいなんだ。

そんな生活が矢のようなスピードで終わっていくんだ。

 

でも、結婚したいって思ったんだ。結婚しなきゃ、じゃなくて、結婚したいって思ったんだ。母よ、まじで勇気出させてごめん。

そして、もう独り身を謳歌するのは十分だと気付くきっかけになったんだ。

 

田舎で山菜や雪と暮らす家族。都会のマンションで暮らす自分。

これからも僕と実家という二本の線はゆっくり、でも確実に離れていくんだろうね。

だからこそ安心させてみせるよ、きっと。

僕は僕の世界で結婚しみせるよ。

母よ、父よ、バツイチの兄よ、犬よ。みなさんが知らない僕の世界で、僕は幸せになってみせるよ。

もしかしたら、兄貴も離婚して、次男も34歳で彼女の一人も紹介できなくて(子育てを失敗したかなぁ・・・)なんて感じているのかもしれない。そうじゃないことを証明してみせるよ。生きているうちに孫を抱かせてみせるよ。

65歳の田舎の母に勇気を出させてしまった僕の罪は、こうやって償っていくよ。 

だから、安心して欲しいんだ。500キロ離れた土地で独りで暮らす次男の将来を。

 

きっとボブカットの似合う、健康でスラリとした美脚の彼女を連れて帰るよ。

二人の老後の人生設計に「孫」というタスクを入れ込んでみせるよ。

孫こそが僕と両親を親子であることを繋ぎ止める重要な存在であると信じているからね。

 

また事後報告になっちゃうかもしれないけど、手放しで喜んでくれよな。

愛する母に勇気を出させてしまった罪は、絶対に償ってみせるよ。

二親に与えられし愛を、遠く離れた土地から、返してみせるよ。

 

とりあえず今年の夏は久しぶりに帰ろうかな。

きっと一人だけどね。

 

ありがとうございました

 

おしまい