バイクの写真@ゴーパチ
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沖縄で「暴走族のパシリ」になる

調べる社会と調べ方の出会い

2007年@ゴーパチ(国道58号線)

私は2007年から現在まで沖縄の暴走族やヤンキーの若者への取材をしてきた。

建築現場などで共に働きながら取材する参与観察は、調査期間中に178名の対象者にあいさつを行い、話を聞かせてもらった。

あれから10年が経ち、バイクに乗っていた若者も、現在ではサラ金の経営と回収業、台打ち、性風俗店の経営、ボーイ、型枠解体業、鳶、塗装、彫師、バイク屋、ホストになった。

彼らへの取材は沖縄のゴーパチ(国道58号線)で、暴走する彼らを原付バイクで追いかけたり、彼らが働く建築現場で一緒に働きながら、すすめてきた。

そのような方法をとったのは、アンケート調査や生活史インタビューが難しかったという、単に消極的な理由だった。

2007年、私はゴーパチに併設するコンビニで暴走族やヤンキーの若者に声をかけて取材を開始した。

――「東京から取材に来たんですけど、少し話聞かせてもらえないですか?」
少年「チャンプロード(暴走族専門雑誌)?」
――「チャンプロードではなくて、学生なんだけど、ダメですか?」
少年「なんだ、なんの話聞くの?」
――「仕事の話とか、将来のこととか、教えてほしいんですが。もしよかったら、グループに入れてもらえんですか。」

暴走族雑誌の記者ではなくて、内地から来た学生であることを伝えると、彼らは少しトーンダウンした。

少年「お兄さん、内地の人?」
――「うん、東京から来たけど、生まれは広島。」
少年「だったら、まずは方言覚えんと。」
――「おー、教えてよ。」
少年「『わんねー、ほーみーしーぶさっさー』ってわかる?」
――「なんて意味?」
少年「沖縄の人は良い人で、幸せをありがとうって意味だから、女の人に会ったら使ってよ。」
――「おおーいいねえー。教えてくれて、ありがとう。」

 

彼らとのやりとりはぎこちなく、相当に警戒された。

私はただでさえ彼らのまわりにはいない「怪しい学生」であることに加えて、私服警官と誤解されたからである。当然だと思う。

私は、コンビニで休憩する暴走族少年たちに声をかけても、出身中学や年齢といったことぐらいしか聞けず、そしてそんなことを聞いてくるのは私服警官くらいで、ますます怪しまれて取材は難航した。

それでも、そのなかのひとりから、さっきの方言はうちなーぐち(沖縄方言)で「私は、セックスをしたいです」という意味の下ネタだから女の子に使っちゃだめだよとこっそり教えてもらって、ほろりとした。

こうやって彼らの意外な面をみたりしながら、取材を続けることができた。