ふと他の文明と比較して、「いやいやいや、やっぱそれおかしいっしょ」と気が付く事例。 メソポタミアの王様たちは文字の読み書きが出来なかった。 東アジアでは中国の皇帝にしろ、日本の天皇であれ、文字の読み書きができることは自明の理であって、そのうえで該当の帝王が能書か、詩才があるかなどといったことが云々された。 古代世界の識字率は、どこの文明・地域でも1パーセントを切ると言われている。中国や日本のような早くから庶民文学の発達した地域でも、「古代」と認識される時代にはそれ相応に低かった。 でも支配者が読み書き出来ないってのはまずいだろー・・・。 例としては皆無ではない。フランス王で、ルイ何世だったか忘れたけど、忘れたけど、自分の名前しかサイン出来なかった人がいたはず。あとシャルルマーニュも自国語の読み書きできなかった。ただそれは、前者は官僚社会で国王は実際には政治にほとんど携わってなかったから、後者は戦争が主な業務だったから、「必要なかった」というのが前提にある。 メソポタミアの帝王は神官も兼ねてるし、行政文書の理解もあるだろうし、証文・訴訟社会なのに文字読み書きできないのはマズいんじゃないのかと…。というか神々への誓いに証文とハンコを使用してた社会で、読めもしない文章にハンコ押して「私はこのとおり神に誓う」とかやってたんだとしたら道化どころじゃないような。いいのかそんなんで。シュメール人意外と適当だな。 王は象徴的な存在かつ実際の政務は官僚がやるので読み書きの必要はない、としても、文字が実用的な業務に用いられていた地域で、王に必要とされる教育に読み書きが入ってないのは異常だと思う。子供時代に教育する時間がなかったわけでもなかろうに…。 そこでちょっと考えてみた。王が文字を読めなくてよかったのは何でなのか。 【仮説1】 書き文字が難解なので、教育にめっちゃ時間がかかる = 即位に間に合わない シュメール語の書き文字習得にベタに教育しても10年とか20年とかかかるので、一部の頭いい王族しか習得できなかった説。これだと、文字を書ける王が「女神に文字を教わった」(天啓)とか言ってる理由もつく。あるいは、話し言葉と書き文字がかなりかけ離れていたので、文語の習得に苦労したのかもしれない。現代のアラビア語のフスハー(文語、死語)とアーンミーヤ(口語)のような関係だったのかも。 ただ、シュメール語はともかくアッカド語やその他の周辺言語でも王が読み書きできてないので、単純に習得の難易度だけではなさそう。 【仮説2】 中世フランスのケースと同じで、王の主な仕事は戦闘だった = 軍事訓練に注力していた でもエジプトのファラオ様は軍事訓練しつつ文字も勉強してたよなあとか。王が司祭の役割も果たす社会なので、脳筋だけでやっていけたとも思えない。最低限、教養科目の教育はあったはずなので、そこに文字が入ってないのはやっぱり不思議。 【仮説3】 王が行政に口出しすると面倒なので意図的に教えなかった = 極端な官僚制度 実権握ってたのは役人で、王は挿げ替え可能な象徴でしかなかった、むしろ文字の読み書きができると政治に口出ししてくるので敢えて教えなかった説。 しかしそれにしては王たちの権力が強すぎるし、自力で勉強する人も出てくるだろうしなあ…。 実態としては、仮説1と2の中間くらいなのかもしれない。 教えるのに時間がかかるので、軍事訓練などのほかの必須科目からすると重要度が低く設定されていて、よほど勉強熱心か、興味のある人しか習得できなかったのではないかと。 ただ、それでいいと思われてたのはやはり不思議だ。 帝王に文字の読み書きが必須あるいは推奨だったのは、アジア限定ではない。中米のマヤやアステカでもそうだし、北欧のゲルマン系の部族でも、ルーン文字の知識は支配者層に推奨の知識だった。 これらの文化に共通することは、文字が呪術的・儀式的な意味をもっていたということかもしれない。 中国でも日本でも、エジプトでも、マヤやアステカでも、北欧でも―― 王に文字の知識が必要とされた文化では、文字の読み書きができることは、一般人にはない神秘的な知識を操ることを意味していた。対する楔形文字の文化圏では、神との契約書の作成には使われたものの、文字そのものに神秘的な意味合いは薄かったようだ。文字の読み書きができても、神秘的な力や超自然的な力を得ることにはならなかったから、帝王に文字の知識は必須とされなかったのかもしれない。 …そう考えてみると、アルファベットも別に文字自体に神秘的な意味はないんだよなーとか。 中世ヨーロッパの帝王たちに読み書きできない人が多かったのって、それもあるのかな…? |
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