今回の被ばく事故とは
事故は、6月6日午前11時15分、茨城県にある原子力機構「大洗研究開発センター」の燃料研究棟と呼ばれる施設で起きました。5人は、プルトニウムなどを入れた容器の中身を確認する作業を行っていました。
この日、5つめの容器のふたを開けようとしたとき、容器内の袋が破裂してプルトニウムなどが飛び散りました。5人は、作業していた部屋の外へ汚染の拡大を防ぐため、すぐに退避しませんでした。体に付着した放射性物質を取り除くテントが設置されるまで、3時間以上、室内にとどまり続けました。5人の作業員は全員、体内に放射性物質を取り込む「内部被ばく」をしました。
なぜ事故は起きた?
なぜ、事故は起きたのか。プルトニウムなどの核燃料物質は、ポリエチレンの筒に入れられ、さらに2枚の樹脂製の袋で密封されて金属製の容器に入れられていました。この容器は、施設の保管庫に置かれていましたが、平成3年から26年間、一度も開けられたことがありませんでした。原子力機構は22日、「放射性物質の粉末を固めるために使われていた合成樹脂製の接着剤が放射線で分解され、ガスが発生した可能性がある」と現段階での推定原因を国に報告し、引き続き調査を行っています。
“前兆現象”はあったのに
この事故について「想定外だった」と説明していた原子力機構。取材を進めると、実は袋が膨らむ事態は、茨城県東海村にある原子力機構の別の施設で起きていたことを、ことし2月、原子力規制委員会に報告していることが分かりました。いわば「破裂の前兆現象」とも言えるこの情報。作業計画に反映していれば、事故は防げたかもしれません。23日、規制委員会が行った立ち入り検査で、こうした情報は職員の間で共有していたものの、作業計画の責任者が十分、理解していなかったことが明らかになりました。
退避基準 監視も不十分か
さらに取材を進めると、緊急時に作業員の退避基準となる被ばく量の設定や、室内の放射性物質の監視態勢が不十分だった可能性があることがわかってきました。事故後、作業員たちは3時間以上放射性物質で汚染された室内にとどまり、すぐに部屋の外に退避しませんでした。この判断の根拠について、事故対応のマニュアルには、被ばく量が「15ミリシーベルトを超えるおそれがある場合は直ちにその区域から退避する」と記されていました。
しかし、今回のような事故の場合、マニュアルの基準が不十分な可能性がありました。というのも、作業員たちが放射線管理の参考にしていた線量計は、体の周りの線量を計るもので、問題になった内部被ばくの量を計ることができません。その線量計が計測した放射線量は退避する基準の250分の1に過ぎませんでした。部屋には、室内のプルトニウム濃度を把握するためのモニターも備えられていましたが、なぜか部屋の中の深刻な汚染を正確に検知できず、作業員の退避につなげることができなかったのです。原子力機構は今後、マニュアルやプルトニウムの監視態勢の見直しを検討していきたいとしています。
作業員の被ばく量めぐる混乱
事故の翌日、放射線医学総合研究所に運ばれた作業員たち。
原子力機構は当初、1人の肺からプルトニウムが2万2000ベクレル計測されたと発表しました。しかし、研究所で行われた肺の検査では、プルトニウムの量は「検出限界値以下」。つまり、検査装置が捉えられないレベルでした。ただ、プルトニウムは検出が難しい物質とされ、体格によって被ばく量が1万ベクレルから5000ベクレル以下であれば、検査装置が捉えられず、実際にどの程度被ばくしたかは、尿などの検査を一定期間行って評価しないと分からないということです。今のところ、5人に体調の変化はないということですが、放射線医学総合研究所で排出を促す薬を投与し、治療が続けられています。
プルトニウムは、出す放射線の種類から、特に内部被ばくで人体に影響を与えやすく、扱う際は非常に気をつけなければいけない物質です。プルトニウムの内部被ばくという深刻な事故を起こした原子力機構は、その危機管理が希薄だったと言わざるを得ません。
原子力機構の児玉敏雄理事長は、「機構全体として、危険への感度や予知能力に問題があったと考えている。組織や職員の意識の問題にも手を入れなければならない」と述べ、職場風土そのものに問題があったという認識を示しています。
ずさんな管理を指摘
核燃料物質のずさんな管理を行っていたのは、大洗研究開発センターだけではありませんでした。原子力規制委員会によりますと、今回のセンターを含む全国8か所の事業所で、プルトニウムなどといった核燃料物質が不適切に管理されていると指摘されています。
実験などに使った核燃料物質は、ルール上、貯蔵スペースに戻すことになっていますが、研究施設では「また使うから」とか「状態を観察する必要がある」などの理由で、仮置きが常態化。使う予定のない核燃料物質の「放置」があとを絶たず、規制委員会がことしに入って是正を求めていました。今回の事故は、こうした規制委員会の指摘を受けて、置きっ放しになっている核燃料物質をしまうための貯蔵容器の空きスペースを探す作業の途中で起きました。
ずさん管理が常態化 背景は?
規制委員会が、原子力機構で核燃料物質が入った貯蔵容器が不適切に管理されていると指摘した数は合計4571個にのぼります。中には37年間も置きっ放しのものもありました。なぜ、こうしたずさんな管理となったのか。私たちは、匿名を条件に、原子力機構の元職員と現役職員から話を聞くことができました。元職員は、研究を優先するあまり、厳重に管理すべき核燃料物質の後始末が先送りされる傾向にあると話していました。
元職員:「いろんなものを残してきた。後始末をどうするのか頭にはあったが、その作業は非常に大変で、時間と手間がかかることがわかっているので、先延ばししてきた」
また、現役の職員は、長年放置された貯蔵容器の中には、何が入っているのか正確な情報がないものも多いと話しました。
現役職員:「至極迷惑な遺産だ。中身がどういうものかわからないものが多く、保存・貯蔵されている。中身について、きちんとした情報があれば、計算、予測して『30年後にこれだけ気体が出るから危ない』といったことがわかるかもしれないが、元の情報がないと予測は難しい」
先送りされた負の遺産
取材を通じて感じたのは、何十年も続いてきた原子力研究の負の遺産が、今回、被ばく事故という形で現れたのではないかということです。国はプルトニウムを「資源」と位置付け、実験で使用しても「再利用」することにしています。しかし、再利用には不純物を取り除くなどの処理に手間がかかります。結果として、処理されないプルトニウムがそのまま保管されるケースがあり、現場の職員からは「実際には再利用なんてできない」とか「早く処分したい」という声も聞かれました。しかし、処分する場所はありません。原子力発電所で使った、高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の問題と同じようなことで、日本の原子力が抱える構造的な問題とも言えます。原子力研究の推進の裏で、先送りされてきた負の遺産、この後始末に、正面から向き合っていくことが必要だと思います。
- 科学文化部
- 重田八輝 記者