日夜読者登録をしている約150のブログを全部回っていると疲れてきます。更にこの土日はやはりこの話題について触れている人が多かったのでやはり、悲しい気持ちにもなりましたし。
小林麻央さん死去 がん闘病つづるブログに多くが共感 - BBCニュース
あえて言いますが、ご本人は死=悲しみではないんだ、とあくまでも言うでしょうが
死が悲しくないわけがないだろ。
どんな言い方をしても、死は悲惨だし、我々は、みんな死にます。こんな悲しいことがあるか。
そこを深く掘り起こすと本当に立ち上がれなくなって来るのでムリヤリ話を戻すと、たくさんの方がブログにこの件を書いていて、それを片っ端から見まくっているうちに、ちょっと違和感を感じたのがタイトルの「小林麻央さんのご冥福をお祈り致します。で、本題の株のはなしですが…」なんですよ。
その例は極端な例ではあるんですが、しかし多くの方が、テーマが「死」と関係ない記事の中で、ついでのように「小林麻央さんが亡くなりましたねー!」…なんですよ(´・_・`)
人の生き死には、片手間で書いて良いハナシか?
私の場合速報が入った時点で一回日記的記事にリンクをあげましたがその後、削除しました。やはり、思いつきのようにちょろっと書いて良いハナシでもないからです。
この件については「じゅうぜろ」だと私は思っています。がっつり書くか、全く書かないか、です。でないと故人に失礼ではないかと考えます。
なのに、どうしてあなた方はそうも、人の死の話をオープニングトークでひょろっと書いては「今日もツカミはオッケー!」とばかりにバァアアン!とアフィリリンクを貼って、ドヤ顔でガッツポーズをとるのでしょうか。いやガッツポーズなんかとってへん。と言い訳するかも知れませんが、はたから見るとガッツポーズとってるようにしか見えない。
この雑記ブログではいちおうオールジャンルで色々な記事を書いてはいるものの、ブログタイトルでお判り頂ければ幸いですが本来のコンセプトは「ちゃちゃを入れる」「茶化す」なんですよね。だからこそ、人の死についてこのブログで語るのは不謹慎だと思う…だけどね、
「小林麻央さんの死をブログに書く人」
「それもなんか、オカシな書き方をする人」
については、いくらでも茶化すことが出来るんですよ。
第三者が客観的に見ると、
君たち、面白いぞ
(´・_・`)