昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

禁煙と行動記憶

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とある駅の中。駅の名前も、場所もわからない。
時間もわからない。昼なのか夜なのか、それとも朝なのか。
そもそも、何故私がそこにいるのか。それすらわからない。

 

 

 

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私は喫煙所の前で立ち止まっていた。立ち止まり考え込んでいた。
ここから中へ入るのは、何故かダメと言われている気がするのだ。
誰かが私を止めている気がするのだ。いや、「誰か」とは私自身なのか。もう一人の私なのか、それはわからない。

 

しかし、私は足を喫煙所の前へ進めた。
むさ苦しいほどの白く濃い煙の霧が私を包み、人は皆口から煙を吐き出している。

煙のあまりの濃さに私は思わずむせてしまったが、不思議と不快ではない。
どこか懐かしい煙の匂い。母胎に帰ったかのような安心感。

ひとまず、私はこの匂いで満足することにした。

 

しかし、意識せずスーツの上着のポケットに手をやった。
そこはタバコとライターが常に待機している縄張りだ。

私はポケットからタバコを出し、ライターで火をつける。

 

 

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思い切り久しぶりの煙を吸った。
まるで昔別れた恋人と久しぶりに会ったような、甘い味がした。
水がなくなった池に水が注入され水で満たされるような、そんな満足感。
スゥーっと身も心も充足されてゆく。

嗚呼、この一本は、何故こんなに美味いのか。


しかし、私はここで気づいた。
何故喫煙所の前で足がすくんだのか、火を入れ煙を吸った時点で気づいた。
そう、私は禁煙中だったのだ!!

 

嗚呼、ついに吸ってしまった。
私の挑戦は、またふりだしに戻ることとなった。
自分の意志の弱さが恨めしい。
これほど自分が恨めしく、罪な存在と思ったことはない。

その時、喫煙所の囲みは消え、灰皿だけが立つ、赤い大地がむき出しになった砂漠のような場所に、火がついたタバコを指で挟みながら立ちすくんでいた。
タバコから落ちた灰が、音をたてることもなく私の靴の上に落ちていた。

 

 

 

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・・・という夢を見ました(笑)

 


昨日見た夢を、ちょっとノベル風というかポエム風というか、そんな感じで書いてみただけです。


しかし、めちゃくちゃリアルな夢でした。
「うわ!吸ってしもた~~!」
と何とも言えない罪悪感を感じたら目が覚めた・・・ああ、夢やったんかと。

禁煙中の人が、タバコを吸う夢を見て目が覚めるということはよく聞く話だけれども、
経験したのは初めてでした。こんなマンガのような展開、ホンマにあるんやなと。

 

 

禁煙階級による禁煙スクショ2017年6月25日


夢では吸ってしまったけれども、リアルでは禁煙続行中です。

 禁煙開始からようやく1ヶ月が経ちました。時が経つのはめちゃくちゃ早いのに、禁煙の一ヶ月は非常に遅かった。時間の流れが全く違う二つのパラレルワールドが存在するようでした。アインシュタイン相対性理論が、なんとなく理解できた気がします。

しかし、アプリを見てビックリしたのは、1ヶ月なのに「タバコ代」だけで2万円以上使っていたという事実。てっきり1万2千円くらいだろうと、我が脳内なまくら計算機が勘定していたのですが、その差約8000円也。さすがは我がなまくら計算機、なんぼなんでも誤差ありすぎや(笑

 

禁煙を始めて数々の禁断症状が襲う「魔の72時間」は、もがき苦しみつつも不調だった体調がみるみるうちに良くなったり、味覚や嗅覚が戻りメシが美味くなったりと、ああ禁煙しているな~という充実感を得られます。

充実感を味わっているうちに、ニコチンが体内から抜け「身体的依存」からはひとまず脱出します。
今は、身体をかきむしるような、気が狂うようなタバコ渇望感は全くありません。が、口がむず痒いというかウズウズするというか、口が寂しい感が1ヶ月経っても消えません。割り箸を咥えると安心感を得られるのは、相変わらずです。

parupuntenobu.hatenablog.jp

こちらで、フロイト精神分析学による「口唇期」「口唇欲求」に基づいた喫煙の事を書きました。赤ちゃんの時の欲求不満ってマジで恐ろしや、40年経っても引きずるものなのか。この欲求を満足(克服)させない限り、私の禁煙は一生続くなと。

 

この口唇欲求もかなりの大敵ではありますが、禁煙者にとってもう一つの大敵があります。それは「行動記憶」という内なる敵。

 

行動記憶とは


タバコに限ったことではないですが、ある行動を長年行っていると、それが「習慣」となります。
個人における「習慣」とは、脳が形状記憶合金のように行動をインプットしてしまい、無意識でもそれが出来てしまう。
逆に言うなら、直そうと思ってもなかなか直らない。
そういう行動ことを言うのだろうと思っています。

 

タバコも、長年吸っているとそれがルーチンワークとなり、喫煙をするパターンが固定され、生活の一部として組み込まれていきます。
何年、十何年続けたルーチンワークが禁煙により急にストップしても、脳が生活リズムをはっきり覚えています。
タバコを吸っていた時間や場面になると、


「タバコの時間ですよ~」


ご丁寧にお知らせしてくれるのです。まるでアラームです。
そこでタバコのことを思い出してしまい、真綿で首を絞められるような苦しみを味わう・・・というパターンです。

 

私の場合、タバコが生活の隅から隅まで染み付いており、何か行動する前に「一服」、行動した後に「一服」という習慣を、20年以上続けていました。

 

例えば仕事から帰宅した後の場合。

 

仕事から帰宅:一服
パソコン起動。ブラウザが立ち上がるまで:一服
晩御飯を作るため:一服
晩御飯完食!:一服
洗濯物干さなあかん!干す前に:一服
洗濯物干し終わりました:一服
あ、ブログ書こうか:一服
ブログ書いてアップしました!:一服
好きな女の子からLINE(メール)が来た!嬉しい!:一服
彼女からの返信が遅くてなんかイライラする:一服
返信待ってる間に風呂に入ろう:一服
あー、いい風呂やったな!:一服
返信来てへんやないかい!イライラ:一服
さて、そろそろ寝ようか:一服
布団に入る前に:一服

 

客観的に書いてみると、ゾッとするほど中華三昧ならぬタバコ三昧。
なんじゃこりゃ!?と自分が自分に呆れました(笑)

 

このように、自分とタバコがかけがえのないパートナーになり、引き離せない関係になってゆきます。
こうして行動を文字に起こしてみると、あるパターンで一服することが多い、

私の場合は、何か行動を起こす前、起こした後、または感情が高ぶった時に「一服」が多いのがわかります。

特に、「食後に一服」は快感と至福感を伴うもの。タバコ吸っててよかった~♪と思える至福の時です。喫煙者や元喫煙者なら、この文章だけでもスターが5つくらいつくくらい同意だと思います(笑

しかし、これが禁煙となると厄介な壁となります。禁煙1ヶ月が経った今でも、食後にタバコを吸う映像が脳で再生されます。が、以前と違うのは、食後に喫煙フラッシュバックが現れたら、

「喝!!」

ですぐ消失すること。いわゆる「吸魔」は数秒、あるいは気合一発で消し飛びます。

 


脳が覚えているのは、習慣としての動作だけではありません。
喫煙した時の多幸感や至福感、安心感や向上感など、快楽物質ドーパミンが大量に出た時の脳内オーガニズムも覚えています。

 

ストレス発散でタバコを吸っている人も多い、または多かったと思いますが、ストレスを解消させるために一服、ドーパミンでリラックス・スッキリ効果というパターンだと思われます。
喫煙によりドーパミンが過剰に分泌されると、脳は更なる快楽を求めてドーパミンをもっと出そうとするのですが、一回に出る量は限られてくる。すると、喫煙の頻度を多くして「常に出ている」ように脳が要求してしまう。

さらに、ドーパミンは過剰分泌されると、依存症の原因となることが現代の研究からわかっています。
タバコがどうしてもやめられないという事は、ニコチン中毒の依存症だけではなく、ドーパミン過剰分泌による依存症もあるでしょう。

そのドーパミン依存症の他に、行動の区切りとしての一服という生活習慣も複雑に絡み合い、禁煙を困難なものにしています。
しかしこの脳のメカイズム、タバコだけでなくアル中やギャンブル依存症も、根っこは同じです。

 


禁煙して何週間も経つと、もう吸いたいと思わないだろう、大丈夫。

非喫煙者は思ってしまいますが、禁煙者の頭はまだまだ「タバコ」を覚えているのです。
それも、「ルーチンワーク」としてのものと、「ドーパミン分泌命令」の2種類が。
前者は、吸いたい!と思っても一瞬だけ、禁煙2週間後くらいには「あっそ」で流すことができます。しかし、後者は「脳の奥が痒くなる感覚」に襲われ、しかも脳など直接掻けない。頭皮を搔いても何の効果もありません。
そんな不快な感覚が頭を襲って少し経つと、タバコがフラッシュバックのようにふと映像に現れ、むしょうに吸いたくなってしまいます。

昔付き合っていた、やさしい恋人のことを思い出すような感覚に似ています。それもその恋人は、思い出補正がついてキラキラ輝いている

 

そう、これなんです!これが禁煙の真の敵なのです!

私が過去に禁煙した時も、すべてこの「脳の異常な痒さ」(と口の異様な寂しさ)で断念したのです。


しかし、これだけは治そうと思っても治せるものではありません。
脳内ホルモンの分泌が、タバコなしでも正常に稼働し、今まで分泌過剰だったドーパミンが正常になっても脳が満足するまでには、非常に長い時間を要します。これがまた人によって相当個人差があり、はいこの期間と区切ることは不可能に近い。
理論的には100日なのですが、じゃあ100日経ったら楽になるのか、と言われるとそうとは限らないのが、禁煙の非常に厄介な所。
自分の禁煙に対して戦意喪失しそうな憂鬱な気持ちになりますが、喫煙も禁煙も自分で選んだ道。ここで真正面から取り組まないと、将来いつか後悔する時が来るような気がします。
肺がんとかそういうものではなく、何故お前はここで踏ん張らなかったんだ!という、精神的な後悔が。

 

しかしながら、禁煙自体は好調に進んでいるので、「よっぽどのこと」がない限りもう吸うことはないでしょう。

 

お次は、禁煙1ヶ月達成で得たメリットなどを書いて行こうと思います。

むしろ、今回はそれを書くつもりだったんですけどね。

 

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