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戦後70年、不明の父「帰る」昨年死亡通知

戦前に朝鮮北部で撮影された家族写真を持つ小林晃さん。立っているのが父恒一さん、肩に手をかけられているのが晃さん=千葉県浦安市で2016年8月19日、青島顕撮影
アルセニエフと新義州の位置

 70年間消息が分からなかった父は旧ソ連に抑留され病死していた−−。千葉県浦安市の牧師、小林晃さん(77)は昨年、厚生労働省から父の死について通知を受けた。ソ連の日本人抑留者記録に名が見つかったという。今月、戦時死亡宣告の取り消しを受け、小林さんは戸籍の訂正を準備している。父の人生を正しく記録し直すためだ。「消えていた父が帰ってきた思いだ」。小林さんは23日、東京・国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で営まれるシベリア抑留犠牲者追悼の集いに初めて参加する。

千葉の77歳男性、戸籍の訂正進める

 小林さんによると、父恒一(つねいち)さんは終戦前、日本が統治していた朝鮮北部の新義州で警察官をしていた。「戦後、進駐してきたソ連側に呼び出されて家を出たまま行方不明になった」と後に母から聞かされた。

 終戦時6歳だった小林さんは翌年、母に連れられて広島県に引き揚げたが、下の妹歌子さんは引き揚げ前に生後6カ月で亡くなり、上の妹千穂さんは1947年に5歳で病死した。5人家族が母子2人になり「心がすさんでいたこともあった」。

 約20年後、父は戦時死亡宣告を受け、靖国神社から合祀(ごうし)の連絡があったが、無断で合祀され、釈然としない思いが募ったという。苦労して育ててくれた母ヒサコさんは2010年、89歳で亡くなった。

 厚労省の通知が郵送されてきたのは昨春だった。旧ソ連が作成した日本人抑留者の記録に「カバヤシ・ツニイチ」があり、小林恒一さんと確認されたとあった。「1947年10月にロシア沿海地方の野戦病院で腹膜炎のため死亡した」と書かれていた。39歳の若さだった。

 「抑留されていたなんて」。寝耳に水だった。昨秋、厚労省の墓参団に参加して埋葬地のロシア・アルセニエフを訪ねた。その地の遺骨は既に収集され厚労省に届いていたが、状態が悪くDNA鑑定でも特定できなかった。だがシベリア抑留を調べ、ほとんど記憶にない父を身近に感じるようになったという。

 今年7月には本籍地の広島県福山市を訪ね、裁判所に戦時死亡宣告取り消しを申し立て、今月13日に確定した。死亡届を出し直し、戸籍の訂正を準備している。

 「父が記録によって心の中に帰ってきた。戦後70年、自分の気持ちにやっと一区切りがつきそうです。でも、もう少し早く分かっていれば、母もすっきりと旅立てたのに」

 23日の追悼の集いでは、そんな複雑な思いとともに「戦争を繰り返してはならない」と訴えるつもりだ。【青島顕】


シベリア抑留

 第二次大戦終結後、旧満州(中国東北部)、朝鮮半島などにいた旧日本兵ら約60万人が旧ソ連によってシベリアを中心とするソ連全域、モンゴルに連行された。最長11年間、木材伐採や鉄道建設などのインフラ整備に使役された。抑留中に約6万人が死亡したとされる。ソ連の独裁者、スターリンが1945年8月23日に出した秘密指令が端緒とされ、2003年から抑留体験者や遺族らがこの日に犠牲者追悼の集いを開いている。

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