去年のBrexit(EUからの離脱の国民投票)によって一気に注目をあつめることになったイギリスの政治について、その制度と歴史、さらに現在の機能不全を分析した本。
 長年、「ウェストミンスター・モデル」として日本の政治改革などのモデルとされてきたイギリスの政治ですが、近年ではBrexitに代表されるような問題も目立ってきています。その背景としてグローバル化や格差社会といったことがよくあげられていますが、この本では長年イギリスの政治を研究してきた著者によって、あくまでも政治制度を中心に機能不全の背景が分析されています。
 そして、この政治制度にこだわった分析によって、イギリス政治の現在地や日本の政治への示唆がより明確な形で見えるようになっており、単純にイギリス政治の現状を知るだけではない面白さがあります。
 イギリスの現状分析にとどまらず、政治学の知見から現代のデモクラシーの混迷に光を当てた本と言えるでしょう。
 
 目次は以下の通り。
序章 モデルとしてのイギリス?
第1章 安定するイギリス
第2章 合意するイギリス
第3章 対立するイギリス
第4章 分解するイギリス
終章 イギリスはもはやモデルたりえないか?
 
 政治学者のレイプハルトは『民主主義対民主主義』において世界各国の民主主義の分類を行いましたが、その中でイギリスは多数決型民主主義の典型とみなされています。
 多数決型とは「一人でも多い多数派」の意見がそのまま決定につながるような民主主義のスタイルであり、対照的なのが「なるべく多くの人」の支持を得ようとするコンセンサス型民主主義になります(77p)。
 
 ご存知のようにイギリスでは小選挙区制で選挙が行われています。小選挙区制のもとでは1位の候補者しか当選しないため、政党は二大政党に収斂していきます。
 また、小選挙区制には民意をデフォルメする効果もあります。弱小政党の得票は議席に反映されることはありませんし、わずかな得票率の違いが大きな議席の差を生み出すこともあります。
 こうして、選挙制度によってつくられた保守党と労働党の二大政党のどちらかが単独政権をつくり、政権交代を繰り返すことでイギリスの政治は動いてきました。
 
 しかし、小選挙区制と二大政党制だけがイギリスの政治を特徴付けているわけではありません。
 例えば、アメリカも二大政党制で議員は小選挙区制で選ばれていますが、その政治の様子はずいぶん違います。アメリカの議会は両院とも権力を持つ二院制ですし、選挙で選ばれる大統領もいます。さらには三権分立の考えのもと司法も大きな権力をもっています。トランプ大統領の政策が議会や裁判所の判断によって立ち往生しているのは記憶にあたらしいところです。
 
 一方、イギリスでは議会主権の名のもとで政治権力は議会に集中するようになっていますし、その議会においても下院に権力が集中しています。さらにその下院の多数派から首相(執政)が選ばれるため、党内の分裂などがないかぎり首相は強いリーダーシップを発揮することができます。
 政党に関しても、一体性の弱いアメリカの政党などに比べるとイギリスの政党は規律が強く、その一体性も高いです。
 さらに連邦制の国家とは違ってイギリスは集権性の高い単一国家です(スコットランドなどについては後述)。
 つまり、議会主権、小選挙区制、二大政党制、政党の一体性、執政優位、単一国家といったそれぞれの制度がそれぞれ噛み合うことによって典型的な多数決型民主主義のシステムをつくりあげているのです(80pの図2を参照)。
 
 * ちなみに日本も90年代の政治改革以降、多数決型に近づいているが、衆議院議員選挙の比例部分、比較的強い参議院の存在もあってイギリスほど与党や執政に権力が集まるシステムにはなっていない。
 
 勝ったほうが総取りともいうべき多数決型民主主義では、政権交代にともなって政策が右から左へ左から右へと大きく変わりそうなものですが、著者はそうではないと言います。
 ダウンズの「注意投票者の理論」によって二大政党の政策は近づいていくといいますし(92p)、実際、戦後すぐに労働党が築いた福祉制度は保守党政権になっても引き継がれましたし、64年からはじまった労働党のウィルソン政権のもとでは経済停滞の中で福祉の制限や改革が行われました(97ー100p)
 
 しかし、この「合意」の政治は79年に首相となったサッチャーのもとで変化していくことになります。
 サッチャーは「小さな政府」を掲げ、労働党的な福祉政策を厳しく批判したのです。ただ、実際の数字を分析してみるとサッチャー政権において福祉分野への国家支出が大きく減ったわけではありません(106ー108p)。
 サッチャーといえども、政策の「経路依存性」を無視することはできなかったのです。
 
 この後、労働党の党首として保守党から政権を奪い返したのはブレアでした。ブレアは産業の国有化といった目標を捨て、保守党の新自由主義的な路線に寄ることによって新たな支持を獲得しました。
 この政策転換を「ネオ・リベラルの合意」と位置づけることもできます(115p)。実際、保守党のキャメロン首相は「社会の重視」を打ち出し、サッチャーの路線から距離を取り、ブレアの路線に近づきました。
 
 しかし、このブレア政権のころからイギリス政治を支えてきた制度が変化し始めます。
 まずは地方分権の動きです。以前からスコットランドは分権を求めてきましたが、これに応えようとしたのがブレアでした。ブレアは立法権を持ったスコットランド議会、ウェールズ議会の設立についての住民投票を行うことをマニフェストに明記し、97年にはスコットランドとウェールズの議会が98年には北アイルランドの議会が誕生します。
 これは住民の要望に応えた措置と言えますが、同時に単一国家であったイギリスの仕組みを変更し、またスコットランド国民党(SNP)が伸長する場を与えるものでした。
 
 また、ブレア政権では内閣ではなくブレア個人に権力が集中しました。ブレアは他の閣僚や省庁のスタッフよりも首相官邸に集めたアドバイザーを重用し、リーダーシップを発揮しました。これを政治の「大統領制化」とも言います(163ー168p)。
 しかし、このブレアのリーダーシップはイラク戦争で躓きました。労働党内部からの造反も出る中でイラク戦争への参加を強行したブレア首相でしたが、大量破壊兵器が見つからなかったこともあって厳しい批判に晒され、ブレアの党内での求心力は落ちていきます。
 また、イラク戦争に関しては保守党も賛成したために、第三党の自由民主党が支持を集めることになりました。2005年の総選挙で自由民主党は22%の得票率で62議席を獲得しています(172-173p)。
 
 さらに多党化の傾向はEUとの関係においても進みます。EUには欧州議会が設けられ、各国から議員が選ばれているのですが、1999年からイギリスでも比例代表制によって欧州議会の議員が選ばれるようになりました。
 そこで伸長したのがUKIP(英国独立党)です。UKIPは反EUを打ち出す新興の単一争点政党で、大政党しか勝ち上がれない小選挙区では存続が難しいタイプの政党です。
 ところが、欧州議会の比例代表選挙はUKIPのような政党が育つ土壌を提供しました。EUの作った制度が反EU政党を育てたというのは皮肉ですが、UKIPは欧州議会の選挙を通じて勢力を広げ、2014年の欧州議会選挙では小選挙区では得票率27.5%でついにイギリスでの第一党となりました(146-148p)(遠藤乾『統合の終焉』に「欧州議会選挙は、ヨーロッパ次元というよりも国内次元の政治争点をめぐって争われる「二流の総選挙」の傾向が強い」と書かれているように欧州議会選挙への関心は全体的に低い)。
 
 この本では、こうした選挙制度の混合がどのような帰結を産むのかということや、第3の政党の出現によって一番議席を減らすのは第2党であり、一党優位化が進みやすいといった政治学の知見の紹介しています(194-202p)。
 このあたりはさまざまな選挙制度が混合している日本の政治を考える上でも示唆に富むものです。
 
 このような多党化が進む中で問題となるのが「民意の漏れ」の問題です。
 イギリスの二大政党の得票率は低下しており、1970年までは90%近くあった得票率が60%代後半にまで落ちてきています。しかし、小選挙区制の仕組みもあって議席率は 依然として85%以上を占めています(189pの図9参照)。
 得票レベルでは二大政党制は崩れつつあるのに、議席的には二大政党制が続いているという、有権者の意思が議会構成にうまく伝わらないような状況になっているのです。
 
 こうした「民意の漏れ」に対応し、同時に政党内部の対立を抑えるために近年多用されるようになっったのが国民投票です。
 国民投票は、「二大政党制に基づくイギリス民主主義の機能不全を、「究極の多数決」に基づいて補う役割」(228p)を持っているのです。
 しかし、キャメロン首相が保守党内をまとめ上げ、UKIPに見られる反EU世論のガス抜きをはかるために行った国民投票は、まさかの「EU離脱」という結果に終わりました。
 
 このようにイギリス政治は、今までウェストミンスター・モデルを支えてきた、二大政党制や議会主権、単一国家といったパーツの組み合わせが崩れ、機能不全を起こしています。
 「EU離脱」という決定だけでなく、この政治制度の機能不全がイギリス政治を「分解」させていくことになるかもしれません。
 一時期は、日本の政治改革のモデルとされたウェストミンスター・モデルですが、もはやモデルとしての輝きを失いつつあるのです(ただ、日本には欧州議会もスコットランドのような存在もないので純粋な多数決型民主主義を目指す道は可能性は残ってはいるな、と賛否は別にして個人的には思いました)。
 
 以上のように、イギリスの政治状況を読み解くととともに、政治制度そのものを考えるためのさまざま知見が散りばめられた非常に面白い本です。
 やや専門的な議論も登場しますが、語り口は平易で図などを用いた説明もわかりやすいですし、政治について興味のある人に幅広くお薦めしたいですね。
 
分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)
近藤 康史
4480069704