むぎろぐ

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元看護師が色んなことを書いていく雑記ブログ

余裕がない人に「頑張って」って言うのは残酷だ

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どうも、むぎです

今回は僕が最近気になることについて書いていこうと思います。

 

内容は「頑張って」という励ましについてです。

「頑張って」って言われるとあなたは嬉しいですか?

 

僕は「頑張って」って言われると

 「素直に嬉しい」

と思える時と

 「正直今はちょっとしんどい」

と思う時があると感じているんですけどあなたはどうですか。

 

今回はそんな感じの内容になります。

「頑張って」って言われて嬉しいとき

「頑張って」って言われて嬉しい時があります。それはどんな時でしょうか。

 

それは頑張っていることが好きなことや楽しいことの時なんじゃないか。学生なら部活とか社会人だったら趣味とかがそれに当たるかもしれない。

部活の応援とかってやっぱり嬉しいし「頑張ろう」って素直に思える気がする。

 

好きなこととか楽しいことをする時って自分にとってそれが苦痛ではないから誰かの励ましとか応援が素直に嬉しい。

 

素直に自分の中に「頑張って」って言葉が入ってきてそれが励みになる。

 

「頑張って」って言われるのが苦痛なとき

逆に「頑張って」って言われるとちょっと苦痛に感じる時もあります。それはどんな時でしょうか。

 

それはさっきと逆で頑張っていることが嫌いなことや苦痛なことの時だと思う。学生なら勉強だったり社会人なら仕事がそれに当たるはずだ。

嫌いなことや苦痛なことをしている時に「頑張って」なんて言われるとどう感じるのか。

 

もちろん嫌なことや苦痛なことをしている時に「頑張って」って言われて「よし頑張ろう」って思える人もいるだろう。でもそう思える人はまだ頑張れる余裕がある人だ。

 

余裕がない時に「頑張って」って言われると

「ただでさえ嫌なことをしていてすでに頑張ってるのにまだ頑張らないといけないのか」

という気持ちになる。

 

「頑張っている」と判断するものさしの長さは人それぞれ

「すでに頑張っている」というのはその人の主観であって周りの人にそう見えなかったりするのがまた難しいところだ。

 

周りの人は何も考えずに「頑張って」と言う。

「まだ頑張れる」と相手に期待して「頑張って」と言うこともあるかもしれない。

 

周りの人にとってみれば「頑張って」という言葉は親切であったり相手に対する期待であったりするけど言われた方は「もう頑張っている」と感じているかもしれない。

 

「頑張って」という言葉が負担になるとそれに追い詰められてしまうこともある。

 

親切にされたり期待されたりすることは一見すると悪いことではないように思えるけど言われた方にとっては非常に残酷な言葉のように聞こえてしまうこともある。

 

そういうことが積み重なってしまえばそれこそうつになってしまって人生を狂わせる可能性だってある。

 

こういうすれ違いが起こってしまうのは人によって「頑張っている」と判断するものさしの長さが違うからではないか。

 

余裕のない相手をこれ以上追い詰めないために僕たちができること

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では僕たちはどうやって余裕がない人と関わっていけばいいのか。

 

安易に「頑張って」と励ませないしそれが相手にとって負担になってしまう可能性があるのならコミュニケーションなんて取れないじゃないかと思う人もいるかもしれない。

 

僕が「こうしたらいい」と思うただ1つの方法は「ただ受け入れてあげる」ことだ。

 

否定もせずに、励ましもせずにただ受け入れてあげる。

 

その人が「大変だ」と感じているならそれを受け入れてあげる。

 

「大変じゃないよ」とか「○○くんなら大丈夫だよ、頑張って」なんて言葉は相手にとってみれば何の励ましにもならないし無責任で残酷だ。

 

受け入れてあげることで相手にとってそれが嬉しいこととかプラスになるかといえば必ずしもそうではないけど少なくともマイナスに働くことにはならないはずだ。

 

余裕がない人をこれ以上追い詰めるようなことにはならないはず。

 

「自分のことを分かってくれる、理解してくれる人がいる」

 

そう感じることができるだけでその人は少し、ほんの少しだけでも救われるはずだ。

 

自分のことで精一杯で生きづらい世の中で「誰かを受け入れる」ということはとんでもなく負担で難しいことなのかもしれない。

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でもそれで少なからず救われる人がいるとしたらそういう関わり方をしてもいいのではないだろうか。

 

まとまりもなければ説得力もないことを書いてしまいましたが記事の内容は以上です。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

ではまた!