少し前の事になってしまいますが、東京荒川区にある都立産業技術高等専門学校に3度目のお邪魔をしてきました。ここには余り広く知られていませんが、戦中戦後の貴重な航空機や発動機が陳列されており年10日程一般公開されていたりします。
科学技術展示館について(荒川キャンパス)|東京都立産業技術高等専門学校
ここは国内唯一航空課がある高専、隅田川と巨大な貨物駅に囲まれた汐入地区にあります。江戸時代にはたびたび襲ってくる洪水が運んだ肥沃な土地で、作物が良くできた場所だったとか。
ドナウ通りというヘンテコな名称の通りを、再開発で立ち並ぶ高層マンション群を見ながら進んで行きます。江戸から続く町の割には戸建ての建物があっても良さそうですが、見当たりません・・。
目的地の航空高専に到着。ここは昭和13年に東京府立航空工業学校として開校し、80年近い歴史のある学校の正門です。
科学技術展示館の入り口。向こうに見える銀色の機体は東洋航空TT-10練習機(JA3026)。戦後7年間の航空禁止解禁直後に作られた戦後の国産機第二号で、現存するものでは最も古い機体。木材や布、戦前の機体の計器等で製造されています。今はなき藤沢飛行場にあったとか・・。
2階より展示場の全体の眺めです。
一式陸攻操縦士として南方戦線で活躍された高橋淳さんが操縦したことのあるSTOLP SA300スターダスター・ツーの実機。
高橋淳さんには、調布飛行場にて初めて紹介された時に、大変失礼なことを意図せずも最初に言ってしまったのをまだ後悔しています。ごめんなさい。
右翼のところに、ビニール張りになっている部分があるのが見えますでしょうか? 教材用に内部構造が見られるようにワザとしてあるのだと思います。木製のパーツで桁をつないで主翼のカタチが形成されています。
頭上を飛行するかのように展示されているのは東洋式フレッチャーFD-25A。戦後に東南アジア諸国に軽戦闘機として販売を目指した機体。武器三原則のない戦後すぐの時代だっただからか、その武器輸出の計画を初めに聞いた時には、少なからず驚かされました。
何故かこの機体だけマニュアルが側に置かれていたのでピンと来ました。パラパラめくるとありました、主翼下の爆弾への説明。ひとつ前の写真にも主翼下のパイロンが写っているので見比べてみて下さい。
富士重工FA-200エアロスバル。この写真では見えにくですが、主翼前方付け根の部分に「フムナ」とカタカナで書かれています。自分が日本産固定翼機で操縦した事のある唯一の機種で、馴染みがあります。
富士重工B204です。この機体は元警視庁所属で安田講堂事件や浅間山荘事件に投入された実機らしく、まさに歴史の目撃者。自分が訓練を受けたヘリはジェットレンジャーだったので、姿が似通っていて操縦できそうな気が・・。
国産開発されたヘリ「よみうりY-1」、登録機体番号はJA7009。JA7001~7006(04は欠番)まではすべて新聞社運行の外国製ヘリで登録。続く、JA7007とJA7006は日本ヘリコプター輸送(NH)で、現在の日本最大の航空会社ANAの前身となる会社が初めて運行した航空機達でした。この2機体番も外国製ヘリ。
それに続くJA7009が、目の前にある初の国産機「読売Y-1」だとか。設計にはゼロ戦の堀越二郎氏も関わったとかいないとかと以前教わった気がします。
エンジンは戦前使用されていた神風三型を機体に対して垂直に置いてあります。しかもメインローターに直結!? 地上試運転のみで飛行しなかった機体が此処に残っているのが不思議に思えてなりません。
東京瓦斯電気工業製造の神風三号エンジン単体の展示もされていました。油が滴っていたので実働エンジンなのかも・・。
ローターの先端にラムジェットエンジンを搭載したJHX-3。この機体は実際に飛行したとか。宮崎駿監督の「カリオストロの城」でカリオストロ伯爵が乗っていたオートジャイロにも、このタイプのものが主ローターに付いていました。
床に置かれているので内部を少し撮影。超高速で回るメインローターで相当な爆音を鳴らしながら回っていたのでしょうから、剥き出しの操縦席には現代のヘッドセットを例え持ち込んでも座りたくないと思ってしまいます。
この航空高専の展示館は公開日限定のためか、展示品がマニアック過ぎるせいか、殆ど一般的に知られていない航空博物館のような場所です。
戦後に受けた航空開発禁止が解けて直ぐの試作機から、シーラス社(英)の直列4気筒エンジンまでがなにげに置いてあったりする謎空間だったりします。
三菱重工が開発しているMRJで、国産飛行機が再度ブームになった時には、こんな独り占め状態を楽しめなくなる日が来るかもしれませんので、静かに楽しめる間に訪れるのが良いかもしれません。