やはり「野生時代」のアンケートは面白かったな。
ちょうど東京に出てきたころ,「野生時代」という雑誌があった(今でもあるのかな)。
こういう回答であれば,プリコード形式よりも,ずっと意味深淵で有効である。
回答そのものが表現になっている。人となりを映す。
くだらぬ質問には,くだらぬ回答を誘発,といいたいところだが,優れた回答に向上させることもある。
『思想の基準をめぐって』の最後に収録されていた。抜粋しておこう。順変更。
Q:あなたは一言でいうとどんな性格ですか?
A:戦闘的受動性
Q:あなたのもっとも嫌いなタイプの人間は?
A:正義をたのみにする者,集団をたのみにする輩。
Q:あの人に一言
A:わが敵たちに一言。「図に乗るな」
Q:いま,いちばん阻止してみたいものは?
A:進歩反動と保守反動
Q:プロ野球,ひいきのチームは
A:阪神タイガース
Q:洋の東西を問わず好きな女優は?
A:おりません
Q:いまいちばん会ってみたい人は?
A:特になし
Q:いま最も気になる人物は?
A:宮沢賢治
Q:いまちょっとのぞいてみたいもの?
A:木の裏
Q:いまいちばん欲しいものは?
A:自動車とスポーツ・シューズ(注)
(注)これは自転車の誤植であると思うが,自転車では貧弱だと思った編集者が訂正してくれたともうけとれる。とにかく欲しいものの100番目としても自動車は入ってこない。また心の軌跡もないから,たぶん自転車で間違いないとおもう。 (吉本記)
Q:あなたのいちばん好きな場所は?
A:映画館の中
Q:好きなお祭りは?
A:根津権現のお祭り
Q:もっとも怖いものは?
A:高い所(高所恐怖症)
Q:いちばん好きなテレビ番組は?
A:「プロポーズ大作戦」
Q:記憶に残るプレゼントは?
A:父親手ずからつくってくれた洋ダンス。
Q:お歳暮に欲しいものは?
A:ネジ廻し
Q:身につけたいワザは?
A:とんぼ返り。
Q:あなたのラストヒーローは?
A:この辺のボスであるネコのチャーリー
Q:自分が主人公でやってみたい役は?
A:猫廻しの親方(小道具はネコジャラが一本)
Q:あの人にあげたいクリスマス・プレゼントは?
A:「まわりの野良猫」に「小屋」を
Q:隣の家に一言
A:猫をよろしく。
Q:あなたの作れる得意料理は?
A:豚(ロース薄切り)の水たき。短冊に切った人参を芯にして白菜と肉とで大輪の花の形にする。タレは,パセリとネギの微塵切り,からし,おろし玉ネギを忘れずに。
Q:われながら決まったなと思うあのシーンは?
A:よーく考えてみた。何度も考えてみたけれど,そういうことは一度もなかった。
Q:わが家の習慣?
A:毎日毎日,テレビが放映されているあいだは,つけっぱなしにしておく。
Q:もう一度生まれかわれたら何になりたいですか?
A:もうごめんだ!
2012-12-31
いけないと思いつつ
選挙の直後から,しばらく,いくつかの分析テーマが満載になる。
論文の数本も書けそうな気がする。
研究のためではなく,仕事のため,今後の予測精度の向上のため,調査データの性質を知るための分析案が,つぎつぎに浮かんでくる。
しかし,時間はない。没頭したいと願う。年末年始は,分析三昧したい。けれど順番がある。まずは締め切りを過ぎている原稿を1本書くこと。そのあと締め切りに間に合うように,もう1本の原稿を書く。その前にもある。仕事の持ち帰りをすませること。ほかにもあった。手帳に書いてあるだろう。
そうこうしているうちに,時間はすぎていく。選挙データの分析しないまま,そのままになっていく。そして参院選が来てしまう。いけないと思いつつ。
年末年始にのんびりせず,がむしゃらにやったらどうか,と思う。
しかし,この休日って,いいよなあ。寝不足も解消できるし,映画も何本も観てしまうし。
ことしは忙しかったから,年末までは,いいでしょ。
論文の数本も書けそうな気がする。
研究のためではなく,仕事のため,今後の予測精度の向上のため,調査データの性質を知るための分析案が,つぎつぎに浮かんでくる。
しかし,時間はない。没頭したいと願う。年末年始は,分析三昧したい。けれど順番がある。まずは締め切りを過ぎている原稿を1本書くこと。そのあと締め切りに間に合うように,もう1本の原稿を書く。その前にもある。仕事の持ち帰りをすませること。ほかにもあった。手帳に書いてあるだろう。
そうこうしているうちに,時間はすぎていく。選挙データの分析しないまま,そのままになっていく。そして参院選が来てしまう。いけないと思いつつ。
年末年始にのんびりせず,がむしゃらにやったらどうか,と思う。
しかし,この休日って,いいよなあ。寝不足も解消できるし,映画も何本も観てしまうし。
ことしは忙しかったから,年末までは,いいでしょ。
下から目線
日曜の朝刊の読書欄に,後藤正治が吉本宅に訪問した時のことを書いている。床屋の話が中心であるが,このタイプのエピソードは昔から吉本にはあって,一面から視点を加えるものである。
後藤正治は論争における強い攻撃的文体と,日常的生活の庶民性を対比しているが,もともと論争文も同じ根源から発生している。単に知識人が嫌いだということもあるけれど,自分も大知識人だから知識人の特性のいくつかが,たとえば怯懦,女々しさ,狡猾,見栄などが攻撃の対象となる。また,いまの流行語でいえば上から目線(視線・態度)だともいえる。大衆の原像を下から目線に置換するのは,単純化しすぎだと叱られるけれど,基底には,そういう心性がある。これはパリサイ人を攻撃する新約の心性に通じている。
対照的というか正反対の知識人は丸山真男や加藤周一であったが,すでに亡くなった。
高校生の時,友人が「加藤周一がいい」というので,「羊の歌」を読んでみた。なるほど,ということでしばらくファンだった。文体を真似した。
友人には2人の兄がいて,いずれも浪人していた。目標の大学の偏差値は高いところで,そこに何度も落ちていた。
この友人んちは,朝日新聞の読者で「世界」なんかも熱心に読んでいた。今思えば,いわゆる朝日・岩波型知性の典型的な家族であった。我が家はもちろん中日新聞だから,「だめよ,中日新聞なんか読んでいちゃあ」とたしなめられたりもした。進歩的というやつですか。朝日新聞の投稿欄に自分の投稿が掲載されると喜んでいた。その時以来,私はどういう投稿内容だと掲載されるのかが,わかった,ような気がした。
友人は,そのうち「吉本も読まなくっちゃ」と言い始めた。そこで豊橋まで行って,吉本の著作集を数冊買ってきた。まったくわからない。粘着質の文体もなじめなかった。鶴見俊輔のいうような批判内容を私もまた感じたと思われる。
加藤はなにかの対談だったか,こう言っていた。
「日本人は年末になると第九と忠臣蔵なんですよ」
そのころ,第九もまともに聴いたことなく,忠臣蔵に拍手したこともなかったので,立派な知識人は第九や忠臣蔵なんか,喜んじゃいけないのだな,と17歳のボクは思った,と思う。
だいたい,子供のころからしばらく「第九」は大工だと思っていた。5番は「ジャジャジャジャーン」だと思っていた。「忠臣蔵」は中心蔵だと思っていた。テレビで忠臣蔵をみると,討ち入りの場面があって,吉良邸の庭に「お蔵」の壁が見える。この蔵がまんなかにあるような屋敷に討ち入りする話だと思っていた。
ずっとあとになって,ちゃんと忠臣蔵をみて,その意味が「忠臣であるところの大石内蔵助」の物語を短くして人形浄瑠璃の作者が「仮名手本忠臣蔵」というタイトルにした,ということかと理解した。テレビでは殿は大石のことを「おい,クラ」と呼んでいた。
それほど,子供の耳に先に入るほど,大衆化していたということである。ちなみに発音は「ちゅうしんぐら」ではなくて「ちゅうしん・クラ」であるべきだと思うが,スマホと新聞も書くくらいだから,そういう納得であろう。
「第九と忠臣蔵」発言の文脈は忘れたが,たぶん日本文化でも論じていたのであろう。ベートヴェンと浄瑠璃の矛盾なく接合する国とでもいうところか。
どこかしら,バカにされている気分になるので,知的青年としては,バカになってはいけないと啓蒙されるわけである。
ドイツも見たこともなく,浄瑠璃も本物は知らず。そういうところが加藤や丸山には,どこかしら感じられる。吉本が丸山論のはじめに「一兵卒」の体験を取り出したところも,このような背景がある。
さて,年末。すっかり「第九と忠臣蔵」的な日本人生活になっている。
大学生になってから,吉本もすこし理解できてきて,やっと言語美とマルクスの関係もわかった気がした。また,論争の文体はマルクスや太宰治からであった。
あるとき現代詩にかんする評論を読んでいて,加藤周一への言及に出会った。このときの衝撃ときたら!!
ギリシャ自然哲学をマルクスがベースにしているところまで,さかのぼり,疎外や労働の概念をつかもうとする。人間が自然になにかを加えると,人間もなにか加えられる。そういう根本的なところから弁証法もつかもうとする。
言葉を発すると,発した人間も影響を受ける。そういうことに,つながっていく。人間もまた形成される。
吉本の顔は,あくまでも,丸山や加藤のようなえらそうな知識人の顔ではなくて,船大工の息子の顔のまま,亡くなった。ちなみに「試行」のマークは鬼瓦であったが,自分の顔をモチーフに商標にしたのだと思っていた。
自分の発した言葉に,自分もまた影響を受け形成される。思想だけでなく,生活もなにもかも。その顔つきもまた,思想を反映する。
日本の,また人類の,ことし最大の精神的損失。吉本隆明の死。
むかし雑誌「野生時代」のアンケートの1問に,吉本のこんな回答があった。
Q「生まれ変わったら,何になりたい?」
A「もうごめんだ!」
吉本さんの魂よ,やすらかに眠れ!
後藤正治は論争における強い攻撃的文体と,日常的生活の庶民性を対比しているが,もともと論争文も同じ根源から発生している。単に知識人が嫌いだということもあるけれど,自分も大知識人だから知識人の特性のいくつかが,たとえば怯懦,女々しさ,狡猾,見栄などが攻撃の対象となる。また,いまの流行語でいえば上から目線(視線・態度)だともいえる。大衆の原像を下から目線に置換するのは,単純化しすぎだと叱られるけれど,基底には,そういう心性がある。これはパリサイ人を攻撃する新約の心性に通じている。
対照的というか正反対の知識人は丸山真男や加藤周一であったが,すでに亡くなった。
高校生の時,友人が「加藤周一がいい」というので,「羊の歌」を読んでみた。なるほど,ということでしばらくファンだった。文体を真似した。
友人には2人の兄がいて,いずれも浪人していた。目標の大学の偏差値は高いところで,そこに何度も落ちていた。
この友人んちは,朝日新聞の読者で「世界」なんかも熱心に読んでいた。今思えば,いわゆる朝日・岩波型知性の典型的な家族であった。我が家はもちろん中日新聞だから,「だめよ,中日新聞なんか読んでいちゃあ」とたしなめられたりもした。進歩的というやつですか。朝日新聞の投稿欄に自分の投稿が掲載されると喜んでいた。その時以来,私はどういう投稿内容だと掲載されるのかが,わかった,ような気がした。
友人は,そのうち「吉本も読まなくっちゃ」と言い始めた。そこで豊橋まで行って,吉本の著作集を数冊買ってきた。まったくわからない。粘着質の文体もなじめなかった。鶴見俊輔のいうような批判内容を私もまた感じたと思われる。
加藤はなにかの対談だったか,こう言っていた。
「日本人は年末になると第九と忠臣蔵なんですよ」
そのころ,第九もまともに聴いたことなく,忠臣蔵に拍手したこともなかったので,立派な知識人は第九や忠臣蔵なんか,喜んじゃいけないのだな,と17歳のボクは思った,と思う。
だいたい,子供のころからしばらく「第九」は大工だと思っていた。5番は「ジャジャジャジャーン」だと思っていた。「忠臣蔵」は中心蔵だと思っていた。テレビで忠臣蔵をみると,討ち入りの場面があって,吉良邸の庭に「お蔵」の壁が見える。この蔵がまんなかにあるような屋敷に討ち入りする話だと思っていた。
ずっとあとになって,ちゃんと忠臣蔵をみて,その意味が「忠臣であるところの大石内蔵助」の物語を短くして人形浄瑠璃の作者が「仮名手本忠臣蔵」というタイトルにした,ということかと理解した。テレビでは殿は大石のことを「おい,クラ」と呼んでいた。
それほど,子供の耳に先に入るほど,大衆化していたということである。ちなみに発音は「ちゅうしんぐら」ではなくて「ちゅうしん・クラ」であるべきだと思うが,スマホと新聞も書くくらいだから,そういう納得であろう。
「第九と忠臣蔵」発言の文脈は忘れたが,たぶん日本文化でも論じていたのであろう。ベートヴェンと浄瑠璃の矛盾なく接合する国とでもいうところか。
どこかしら,バカにされている気分になるので,知的青年としては,バカになってはいけないと啓蒙されるわけである。
ドイツも見たこともなく,浄瑠璃も本物は知らず。そういうところが加藤や丸山には,どこかしら感じられる。吉本が丸山論のはじめに「一兵卒」の体験を取り出したところも,このような背景がある。
さて,年末。すっかり「第九と忠臣蔵」的な日本人生活になっている。
大学生になってから,吉本もすこし理解できてきて,やっと言語美とマルクスの関係もわかった気がした。また,論争の文体はマルクスや太宰治からであった。
あるとき現代詩にかんする評論を読んでいて,加藤周一への言及に出会った。このときの衝撃ときたら!!
ギリシャ自然哲学をマルクスがベースにしているところまで,さかのぼり,疎外や労働の概念をつかもうとする。人間が自然になにかを加えると,人間もなにか加えられる。そういう根本的なところから弁証法もつかもうとする。
言葉を発すると,発した人間も影響を受ける。そういうことに,つながっていく。人間もまた形成される。
吉本の顔は,あくまでも,丸山や加藤のようなえらそうな知識人の顔ではなくて,船大工の息子の顔のまま,亡くなった。ちなみに「試行」のマークは鬼瓦であったが,自分の顔をモチーフに商標にしたのだと思っていた。
自分の発した言葉に,自分もまた影響を受け形成される。思想だけでなく,生活もなにもかも。その顔つきもまた,思想を反映する。
日本の,また人類の,ことし最大の精神的損失。吉本隆明の死。
むかし雑誌「野生時代」のアンケートの1問に,吉本のこんな回答があった。
Q「生まれ変わったら,何になりたい?」
A「もうごめんだ!」
吉本さんの魂よ,やすらかに眠れ!
2012-12-30
優柔不断
決められない政治
決められない私=勝負できない。
勝負師ではない,山師ではない。
ipadを手にして,wi-fi を契約しなければいけないか,便利か,と考える。
それが面倒である。
wi-fiの仕組み,優劣を勉強する気が出ない。
自宅の「普通の」無線LANと差し替えるのか,ダブルで契約するか,損か得か
外出先で,テザリングできればいいではないか主義をとるか,けちることはない主義にするか
これらが,決められない。面倒である。
で,家で「普通の?」無線LANにipadがつながった。おお,なんだ。wi-fiでなくてもいいのか。
ということで,この件は決着。
サラブレッドは好きだが,馬券を買う習慣がない。
連単と連複の違いもわからない。単勝だけは理解できる。
それでも,と思って。携帯で馬券を買えるようにセットアップしてみた。
しかし,買えない。
せめて有馬記念だけでも買おうかと思ったが,忙しかったせいだけでなく,買えなかった。
決められないのである。そして,どうでもよくなって,衝動買いする。そして損する。確率論的な準備もなく買うこともよしとできない。
一番人気とはいえ,ゴールドシップに絶対感を持つことができない。古馬の選択ができない。もし体調万全でオルフェーブルとジェンティルドンナが出ていれば,これとゴールドシップで,3連単だか,3連複だかを買うことができただろうが・・・。
で,結局は買えない。決められない。
しかも,ゴールドシップがオルフェーブルやジェンティルドンナに勝ったのか,どうか(もし両者が出ていれば)ということが,最大の関心。つまり馬券に興味がない。あまりよくない競馬ファン。
だから賭け事はできない。
安倍発言のあと円安で,気持ちが安らいだ人々は多い。
どこまで続くのかと疑念があった。選挙では安倍自民が勝てるとは限らない,とその当時は考えた。
しかし期待で金融行動が決まるのだから,様子を見てもよかったのかも知れない。
投機的なことは向いていないのだ。
決められない私=勝負できない。
勝負師ではない,山師ではない。
ipadを手にして,wi-fi を契約しなければいけないか,便利か,と考える。
それが面倒である。
wi-fiの仕組み,優劣を勉強する気が出ない。
自宅の「普通の」無線LANと差し替えるのか,ダブルで契約するか,損か得か
外出先で,テザリングできればいいではないか主義をとるか,けちることはない主義にするか
これらが,決められない。面倒である。
で,家で「普通の?」無線LANにipadがつながった。おお,なんだ。wi-fiでなくてもいいのか。
ということで,この件は決着。
サラブレッドは好きだが,馬券を買う習慣がない。
連単と連複の違いもわからない。単勝だけは理解できる。
それでも,と思って。携帯で馬券を買えるようにセットアップしてみた。
しかし,買えない。
せめて有馬記念だけでも買おうかと思ったが,忙しかったせいだけでなく,買えなかった。
決められないのである。そして,どうでもよくなって,衝動買いする。そして損する。確率論的な準備もなく買うこともよしとできない。
一番人気とはいえ,ゴールドシップに絶対感を持つことができない。古馬の選択ができない。もし体調万全でオルフェーブルとジェンティルドンナが出ていれば,これとゴールドシップで,3連単だか,3連複だかを買うことができただろうが・・・。
で,結局は買えない。決められない。
しかも,ゴールドシップがオルフェーブルやジェンティルドンナに勝ったのか,どうか(もし両者が出ていれば)ということが,最大の関心。つまり馬券に興味がない。あまりよくない競馬ファン。
だから賭け事はできない。
安倍発言のあと円安で,気持ちが安らいだ人々は多い。
どこまで続くのかと疑念があった。選挙では安倍自民が勝てるとは限らない,とその当時は考えた。
しかし期待で金融行動が決まるのだから,様子を見てもよかったのかも知れない。
投機的なことは向いていないのだ。
2012-12-29
2012-12-25
先輩の死
ことし先輩が亡くなった。
まったく知らなかった。
いまの会社を紹介してくれたのだから,私の後半生の起点を作った人である。
1,2年前くらい,会長と3人で,神楽坂で食事をしたのが最後であった。
その時,いささか食が細く感じられ,また老けた印象ではあったが,死の影は感じることはなかった。
先輩は,早稲田を卒業して,IBMに入社して,そこを辞めた後,半導体製造の会社に入り,海外事業をやっていたところで,その会社もやめた。
私生活は語ることがなかった。そういうところがよかった。私の人生の暗い時期の,暗い部分での知己であった。感謝している。
結局,年賀状も出すわけでもないが,会長がたまに同窓会で会ったりした時に,消息をきくくらいであった。その同窓会も欠席が多いことであったろう。
最後は,中国人の奥さんと一緒に,中国茶の店を浅草に出して,御茶屋の主人になっていたわけであるが,死亡通知がくることもなかった。
生前,新宿のゴールデン街の話をしていた時,「江口のやっているシエロって店がある」といっていた。いまでもシエロの看板があるから,今度,行ってみようかと思っている。
しばらく,その死を知らなかった。最初にFaceBOOKをみてみた。そのままである。
私がフェイスブックに登録しただけで,ほっておいたところ,先輩がみつけてくれた。
先輩のフェイスブックはそのままになっている。
私も死んだら,ファイスブックはそのままであろうか。WEBサイトはお名前.comが存続している限り,また私の銀行口座がある限り,私の死後もそのままなのだろうが,いつか消える。
これからWEB時代は死者のページをそうしていくのであろうか。今後,人類は,無数のつぶやきを記録したまま,ただただ,容量を爆発させながら,記録を保持していくのであろうか。
Googleは世界をどう考えているのであろうか,考えていないのであろうか。
まったく知らなかった。
いまの会社を紹介してくれたのだから,私の後半生の起点を作った人である。
1,2年前くらい,会長と3人で,神楽坂で食事をしたのが最後であった。
その時,いささか食が細く感じられ,また老けた印象ではあったが,死の影は感じることはなかった。
先輩は,早稲田を卒業して,IBMに入社して,そこを辞めた後,半導体製造の会社に入り,海外事業をやっていたところで,その会社もやめた。
私生活は語ることがなかった。そういうところがよかった。私の人生の暗い時期の,暗い部分での知己であった。感謝している。
結局,年賀状も出すわけでもないが,会長がたまに同窓会で会ったりした時に,消息をきくくらいであった。その同窓会も欠席が多いことであったろう。
最後は,中国人の奥さんと一緒に,中国茶の店を浅草に出して,御茶屋の主人になっていたわけであるが,死亡通知がくることもなかった。
生前,新宿のゴールデン街の話をしていた時,「江口のやっているシエロって店がある」といっていた。いまでもシエロの看板があるから,今度,行ってみようかと思っている。
しばらく,その死を知らなかった。最初にFaceBOOKをみてみた。そのままである。
私がフェイスブックに登録しただけで,ほっておいたところ,先輩がみつけてくれた。
先輩のフェイスブックはそのままになっている。
私も死んだら,ファイスブックはそのままであろうか。WEBサイトはお名前.comが存続している限り,また私の銀行口座がある限り,私の死後もそのままなのだろうが,いつか消える。
これからWEB時代は死者のページをそうしていくのであろうか。今後,人類は,無数のつぶやきを記録したまま,ただただ,容量を爆発させながら,記録を保持していくのであろうか。
Googleは世界をどう考えているのであろうか,考えていないのであろうか。
指導者の死
吉澤正先生が亡くなった。
最後は,統計検定の創設でご一緒した。
最初は,日本科学技術連盟であった。多変量解析研究会に出てこないかという誘いであった。
このきっかけは,シンポジウムで講演に招かれたことであった。
このようにして,吉澤先生は統計や多変量解析に関与している実務家を,積極的に輪の中に招き入れてくれた。
研究会はとても活発であった。奥野先生の伝統を感じることができた。そこには芳賀敏郎先生と吉澤正先生がいて,研究会をリードしていた。
私が講演したのは1994年のころのはずで,すでに統計学関係の学会にも1990年ころから入会していたので,必ずしもアカデミアと接点がなかったわけではないが,書物の著者と直接,話をするようになったのは,吉澤先生によるところが大きい。ここで多くの人々と知り合った。
研究会の様子や,それとは別にやっていた勉強会の様子は,またいずれ書いておこうかと思うが,現在,研究会の伝統は,わずかに芳賀敏郎先生にのみ,受け継がれているといっても過言ではないだろう。
通夜でお会いした芳賀敏郎先生は,吉澤先生の一回り上であるが,変わらずお元気であった。
多変量解析研究会は残念ながら,活動場所であった日本科学技術連盟の意向で,廃止されてしまった。活動を続けるには,吉澤先生に匹敵する後継者の存在が必要であったが,私にはそれをする力量はなかった。
1996年から筑波大学の社会人大学院で非常勤講師をやるようになった。吉澤先生が「やってよ」というのであるが,私のようなものが大学の先生だなんて,とんでもないと思った。あれは博士の仕事でしょ,と思った。私はただのサラリーマンです。
非常勤講師というのは不思議なもので,いちど始めると,あの人は非常勤講師をやってくれる人だと思われるのでしょうか。つぎつぎに頼まれるのです。それでかれこれ,あちこちの大学で,2012年にいたるまで,多変量解析や社会調査や,等々の非常勤講師をやっている。
筑波大学を吉澤先生が退任されたあとも,品質管理の分野で,どことなくつながりがあった。統計センターに移られたときにも,いちど若松に伺ったことがある。
しばらく,ご無沙汰だな,と思っていたが,統計検定の創設を手伝っていたところ,やはり,ここでつながった。結局,統計の世界に私が入り込んでいたということになる。
会社員であるが,すこし二足目のわらじを履いているのは,このようなわけで,吉澤先生によるところがすべての始まりであった。
最後は,統計検定の創設でご一緒した。
最初は,日本科学技術連盟であった。多変量解析研究会に出てこないかという誘いであった。
このきっかけは,シンポジウムで講演に招かれたことであった。
このようにして,吉澤先生は統計や多変量解析に関与している実務家を,積極的に輪の中に招き入れてくれた。
研究会はとても活発であった。奥野先生の伝統を感じることができた。そこには芳賀敏郎先生と吉澤正先生がいて,研究会をリードしていた。
私が講演したのは1994年のころのはずで,すでに統計学関係の学会にも1990年ころから入会していたので,必ずしもアカデミアと接点がなかったわけではないが,書物の著者と直接,話をするようになったのは,吉澤先生によるところが大きい。ここで多くの人々と知り合った。
研究会の様子や,それとは別にやっていた勉強会の様子は,またいずれ書いておこうかと思うが,現在,研究会の伝統は,わずかに芳賀敏郎先生にのみ,受け継がれているといっても過言ではないだろう。
通夜でお会いした芳賀敏郎先生は,吉澤先生の一回り上であるが,変わらずお元気であった。
多変量解析研究会は残念ながら,活動場所であった日本科学技術連盟の意向で,廃止されてしまった。活動を続けるには,吉澤先生に匹敵する後継者の存在が必要であったが,私にはそれをする力量はなかった。
1996年から筑波大学の社会人大学院で非常勤講師をやるようになった。吉澤先生が「やってよ」というのであるが,私のようなものが大学の先生だなんて,とんでもないと思った。あれは博士の仕事でしょ,と思った。私はただのサラリーマンです。
非常勤講師というのは不思議なもので,いちど始めると,あの人は非常勤講師をやってくれる人だと思われるのでしょうか。つぎつぎに頼まれるのです。それでかれこれ,あちこちの大学で,2012年にいたるまで,多変量解析や社会調査や,等々の非常勤講師をやっている。
筑波大学を吉澤先生が退任されたあとも,品質管理の分野で,どことなくつながりがあった。統計センターに移られたときにも,いちど若松に伺ったことがある。
しばらく,ご無沙汰だな,と思っていたが,統計検定の創設を手伝っていたところ,やはり,ここでつながった。結局,統計の世界に私が入り込んでいたということになる。
会社員であるが,すこし二足目のわらじを履いているのは,このようなわけで,吉澤先生によるところがすべての始まりであった。
2012-12-16
美人薄命
「鬼龍院花子の生涯」のクライマックスは2か所あり、いずれも原作にない。
1つは少女の松恵が、「うちが嘘をついたがや」と嘘をついて、
「お父さん!許しとおえ」「お父さん,許しとおえ」「許しとおせ」
と訴え続けるところ。
もう1つは、夫の仏前で「なめたら、なめたらいかんぜよ」と啖呵をきるところである。
いずれも高ぶる感情の切なさが、ピークに達する。映画として、いいよなあと思うところである。
2つとも転調あるいは転化による表現の重層化である。監督の手腕か脚本か。
なぜ、ここで原作を脚色したのか。
映画としては,そうでしかありえないような必然的だと思える感情の流れを創出している。
嘘はついていない,と言い張り,殴り合う。
同じ感情の流れが,ぶつかり合い,さらに,
次の段階と次元に転化して,「うちが嘘をついたがや」と重層化する。
白状したのではなく,嘘をついたと嘘をつくことにり,松江の人間性が押し出される。
骨壺のシーンはCFで何回も観て,誰でも知っているが,実は、まともに観たのは初めてである。
懇願し,うつむき,分骨を請う,犬猫以下の極道の娘と罵られ,しおれている女から,
意を決して仏前に進み出て,骨をつかむ。この転化に百万もの感情を含ませながら,
「どきや」と,凄む。
これが暴力団と任侠の差異であり,「筋を通す」人間の極限的な表現であり,
松江がただひとつ鬼龍院から肯定的に受け取った何かであった。
夏目雅子が女優になった瞬間でもある。
夏目雅子と私は同い年だが、同時代にはまったく興味がなかった。
カネボウのCMも話題になったのを横目に、美人とも思えず、
口のおおきな、パーツが大雑把な女だという印象だけであったため、
夭折の悲しみもなかった。
いまは違う。27年の生涯の精一杯を思うと、惜しみない思いが湧く。
同時代には,こちらは20歳代のぺーぺーの会社員。何者でもなく,
夏目雅子など,どうでもよかった。どうせ縁はないし,美人ならほかにもいた。
母親もさぞや,心を痛めたことであろう。どうしようもないことだと思いつつ,
大切な娘をなんとかしたいと思っていたことであろう。
「おまんら なにしゆがぜよ」
「どきや」
「あては、高知 九反田の侠客、 鬼龍院政五郎の」
「鬼政の娘じゃき」
「なめたら」 「なめたらいかんぜよ」
1つは少女の松恵が、「うちが嘘をついたがや」と嘘をついて、
「お父さん!許しとおえ」「お父さん,許しとおえ」「許しとおせ」
と訴え続けるところ。
もう1つは、夫の仏前で「なめたら、なめたらいかんぜよ」と啖呵をきるところである。
いずれも高ぶる感情の切なさが、ピークに達する。映画として、いいよなあと思うところである。
2つとも転調あるいは転化による表現の重層化である。監督の手腕か脚本か。
なぜ、ここで原作を脚色したのか。
映画としては,そうでしかありえないような必然的だと思える感情の流れを創出している。
嘘はついていない,と言い張り,殴り合う。
同じ感情の流れが,ぶつかり合い,さらに,
次の段階と次元に転化して,「うちが嘘をついたがや」と重層化する。
白状したのではなく,嘘をついたと嘘をつくことにり,松江の人間性が押し出される。
骨壺のシーンはCFで何回も観て,誰でも知っているが,実は、まともに観たのは初めてである。
懇願し,うつむき,分骨を請う,犬猫以下の極道の娘と罵られ,しおれている女から,
意を決して仏前に進み出て,骨をつかむ。この転化に百万もの感情を含ませながら,
「どきや」と,凄む。
これが暴力団と任侠の差異であり,「筋を通す」人間の極限的な表現であり,
松江がただひとつ鬼龍院から肯定的に受け取った何かであった。
夏目雅子が女優になった瞬間でもある。
夏目雅子と私は同い年だが、同時代にはまったく興味がなかった。
カネボウのCMも話題になったのを横目に、美人とも思えず、
口のおおきな、パーツが大雑把な女だという印象だけであったため、
夭折の悲しみもなかった。
いまは違う。27年の生涯の精一杯を思うと、惜しみない思いが湧く。
同時代には,こちらは20歳代のぺーぺーの会社員。何者でもなく,
夏目雅子など,どうでもよかった。どうせ縁はないし,美人ならほかにもいた。
母親もさぞや,心を痛めたことであろう。どうしようもないことだと思いつつ,
大切な娘をなんとかしたいと思っていたことであろう。
「おまんら なにしゆがぜよ」
「どきや」
「あては、高知 九反田の侠客、 鬼龍院政五郎の」
「鬼政の娘じゃき」
「なめたら」 「なめたらいかんぜよ」
2012-10-07
数量化思想
「社会と調査」9号がきて,ざっと読んだ。
数量化の特集。
「行動計量学」の特集とは,すこし変えた特集。
森本論文:仮釈放の背景がよくわかった。
高橋論文:林の肉声の保存。思い出すね。
林文論文:ダミー変数の重回帰でなく,主効果だけの分散分析としたら・・・
吉野論文:林を伝えようとする。いつも面白い。数量化してはいけないもの。本質的なもの。愛は数量化してはいけない。なるほど。
村上論文:3類は外れ値で困る経験は多い。林の分析に外れ値はない。それが秘密だ。また,回転のこと。たしかに,因子分析になれた人が3類を使った時の戸惑いである。
佐藤コラム:ふむふむ。
数量化の特集。
「行動計量学」の特集とは,すこし変えた特集。
森本論文:仮釈放の背景がよくわかった。
高橋論文:林の肉声の保存。思い出すね。
林文論文:ダミー変数の重回帰でなく,主効果だけの分散分析としたら・・・
吉野論文:林を伝えようとする。いつも面白い。数量化してはいけないもの。本質的なもの。愛は数量化してはいけない。なるほど。
村上論文:3類は外れ値で困る経験は多い。林の分析に外れ値はない。それが秘密だ。また,回転のこと。たしかに,因子分析になれた人が3類を使った時の戸惑いである。
佐藤コラム:ふむふむ。
2012-09-03
締切
たまっている原稿を1つ出す。
結局、締切2日前に着手、3日で書いた。
というと失礼に聞こえるが、手を動かしたのが3日ということである。
むかし五木もエッセーで似たことを言っていたが、実感。
毎日、少しずつかける人がうらやましい。
30頁原稿は3日でかけるのに、2頁原稿がまだ半分残っている。
2頁のほうが難しいのか。濃縮のせいか。
小説より、批評が、批評より、詩が、
叙事より、抒情が、抒情より、象徴が、
長いより、短いが、大変ということか。
ある緊張度の高い表現というものの力。
迷惑かけるから、引き受けないのがよさそう。
会社員だから、こういうのは就業時間外にやっているから
大変なのよ。
PCを修理に出すというハプニングもあったし、
Windows7に対応していないソフトもあったし。
お断りした方々にも、締切過ぎた人々にも、申し訳アリマセン・・・
Vivaldi Winter をFischerのバイオリンで聞きながら書いたやったんだが。
咳がなおったみたい。
3か月も継続していたのに。
4つめの医者で、やっと完治か。
1.診療所
2.ある内科
3.有名な先生のいる耳鼻咽喉科
4.老齢の先生のいる耳鼻咽喉科
と変遷。
1と2は同じ処方であった。
3は漢方薬。診察したものの、吸引くらいか。いい先生だが、自然治癒にもっていこうとしたんだな。
4はスコープ診察・治療、くすり9種類(外用薬が半分)
のどの奥まで診察して、治療したのが良かったか?
「真っ赤だった」というからなあ。
鼻から入れていたくない、人間ドックの胃カメラもこれにしてほしい。
ステロイド系がすこし気になったけれど、まあ5日くらいはいいか。
ピタリと止まった感じがする。
ずっと外出していないので、月曜から出社してみないとわからないが。
2012-08-18
スマホ
人類の発明品としては,最高傑作ではないか,スマートフォン。
遠くにいる人と,話ができる。顔も見ることができる。テレパシーではなく,スーパーマンではなく,技術的に。
iPhone4s
GALAXY S III SC-06D
それからauも,3台も使っている・・・・。
いずれもすばらしい機械。だけれど一言,ユーザーヴォイス。
複数を使っての比較として,最大の違いは操作性ではなくて,バッテリーの消耗速度。
GALAXYの消耗は早いだけでなく,スリープ状態なのに,どんどんバッテリーが減少し続けるのである。iPhoneはそんなことはない。スリープにしておけば,ほとんど減少しない。
なぜだろう。
あまりに減るので,GALAXYのバッテリーを2個買って,さらに心配で充電器も買ってしまった。消費活性化効果はあったことになるか・・・・。
OSの違いを感じる。ちょうどパソコンの Windows と Mac の違いのような,派手とシンプルというか。
MS-DOS時代に必死で節約した感覚がよみがえり,GALAXYを隅々まで探索。
まずホーム上のアイコンをすべて削除(1つだけスイカを残し)。
壁紙は当然,静止画に戻す。
いろいろDLしたアプリだが,デフォルトのように設定したものを制御。
特に同期はだめである。Facebookのアプリが同期をとるようになっていて,ずっと起動して密かに通信している。これではバッテリーが減るはずである,眠っていないのだ。iPhoneのFacebookアプリはそんな動作はしない。
この密通はいけない。
iPhone では自分で起動したアプリを時々,自分で消せば,それで消える。
GALAXYも同様に長押しで起動したアプリを全部消すことができる。ところがそれは表面的なことで,裏では,アプリが起動している。自分が起動したのではないアプリが起動している。また,消したのに,消えたふりして,裏で起きて何事かを,こそこそやっている。残って何をやっているのだろうか,バッテリーを消費して。
GALAXYの本体設定で,裏で起動しているアプリをみると,もうズラリ!
ひとつずつ消えてもらう。起きている必要はないのだ。
iPhoneではGPSを有効にしても,アプリ起動時しか作動しないようだが,GALAXYでGPSを有効にすると大変なことに。
iコンシェルの契約をやめたので,羊さんに消えてもらい,ついでにアンインストールもしようとしたら,決してアンインストールできないようになっているようで,いつも裏で起動している。
ソフトウエアの更新のメッセージがよく出る。この更新チェックを消すことができない。いつもいつも寝ないで起きてチェックしているらしい。そしてバッテリーを消費する。夜中もずっと。
iphoneでも更新メッセージが出るが,GALAXYは毎日このメッセージが出る。いつもいつもチェックしている。しかも自分でインストールしたこともないアプリなのに・・・・。
iPhoneは,そういうことはしなのい。
はじめは「更新は善だと」の信念から2,3更新をクリックしてしまったら,これまた導入する気もないのに,ずらりと待機しているアプリたち。
いったん入れたら最後,消えない。アンインストールしようとすると,アンドロイドシステム全部が消えますよ,とすごいメッセージが出る。
設定に開発者用のメニューがある。こんな恐ろしいメニューはユーザーにどうして見せる必要があるのだろうか。
わからないことがあると,手帳にメモしておいて,あとで調べたり,教えてもらったり,ということになっているのだが,
iPhoneを使い始めた時には,こんなことはしなかった・・・。
遠くにいる人と,話ができる。顔も見ることができる。テレパシーではなく,スーパーマンではなく,技術的に。
iPhone4s
GALAXY S III SC-06D
それからauも,3台も使っている・・・・。
いずれもすばらしい機械。だけれど一言,ユーザーヴォイス。
複数を使っての比較として,最大の違いは操作性ではなくて,バッテリーの消耗速度。
GALAXYの消耗は早いだけでなく,スリープ状態なのに,どんどんバッテリーが減少し続けるのである。iPhoneはそんなことはない。スリープにしておけば,ほとんど減少しない。
なぜだろう。
あまりに減るので,GALAXYのバッテリーを2個買って,さらに心配で充電器も買ってしまった。消費活性化効果はあったことになるか・・・・。
OSの違いを感じる。ちょうどパソコンの Windows と Mac の違いのような,派手とシンプルというか。
MS-DOS時代に必死で節約した感覚がよみがえり,GALAXYを隅々まで探索。
まずホーム上のアイコンをすべて削除(1つだけスイカを残し)。
壁紙は当然,静止画に戻す。
いろいろDLしたアプリだが,デフォルトのように設定したものを制御。
特に同期はだめである。Facebookのアプリが同期をとるようになっていて,ずっと起動して密かに通信している。これではバッテリーが減るはずである,眠っていないのだ。iPhoneのFacebookアプリはそんな動作はしない。
この密通はいけない。
iPhone では自分で起動したアプリを時々,自分で消せば,それで消える。
GALAXYも同様に長押しで起動したアプリを全部消すことができる。ところがそれは表面的なことで,裏では,アプリが起動している。自分が起動したのではないアプリが起動している。また,消したのに,消えたふりして,裏で起きて何事かを,こそこそやっている。残って何をやっているのだろうか,バッテリーを消費して。
GALAXYの本体設定で,裏で起動しているアプリをみると,もうズラリ!
ひとつずつ消えてもらう。起きている必要はないのだ。
iPhoneではGPSを有効にしても,アプリ起動時しか作動しないようだが,GALAXYでGPSを有効にすると大変なことに。
iコンシェルの契約をやめたので,羊さんに消えてもらい,ついでにアンインストールもしようとしたら,決してアンインストールできないようになっているようで,いつも裏で起動している。
ソフトウエアの更新のメッセージがよく出る。この更新チェックを消すことができない。いつもいつも寝ないで起きてチェックしているらしい。そしてバッテリーを消費する。夜中もずっと。
iphoneでも更新メッセージが出るが,GALAXYは毎日このメッセージが出る。いつもいつもチェックしている。しかも自分でインストールしたこともないアプリなのに・・・・。
iPhoneは,そういうことはしなのい。
はじめは「更新は善だと」の信念から2,3更新をクリックしてしまったら,これまた導入する気もないのに,ずらりと待機しているアプリたち。
いったん入れたら最後,消えない。アンインストールしようとすると,アンドロイドシステム全部が消えますよ,とすごいメッセージが出る。
設定に開発者用のメニューがある。こんな恐ろしいメニューはユーザーにどうして見せる必要があるのだろうか。
わからないことがあると,手帳にメモしておいて,あとで調べたり,教えてもらったり,ということになっているのだが,
iPhoneを使い始めた時には,こんなことはしなかった・・・。
2012-08-10
統計の問題
「この記事のどこに問題があるか答えなさい」
という問題を作ることができる事例。
午前5時前に視聴率24・8% 国民の4分の1が未明に応援
という問題を作ることができる事例。
午前5時前に視聴率24・8% 国民の4分の1が未明に応援
2012.8.10
13:04
10日未明にNHK総合で生中継されたロンドン五輪サッカー女子決勝の日本対アメリカ戦で、午前4時55~56分に瞬間視聴率が24・8%に達したことが10日、ビデオリサーチの調べで分かった(関東地区)。後半9分に米国が追加点を挙げた直後の場面だった。
前半の平均視聴率は19・4%だった。ビデオリサーチが同日発表した視聴率は午前5時までで、後半の平均視聴率と瞬間最高視聴率は13日に発表される。
前半の平均視聴率は19・4%だった。ビデオリサーチが同日発表した視聴率は午前5時までで、後半の平均視聴率と瞬間最高視聴率は13日に発表される。
2012-08-05
咳をしてもひとり
ひと月ほど,とまらない咳だが,そろそろ終息か
診療所,近所の内科,そして耳鼻咽喉科と3軒
風邪(寝冷え)か,飲酒のせいか,というのが自己判断
周囲は悪い病気じゃないかというが・・・・
真の遠因を考えてみると,それよりも以前の居酒屋。
3人でうるさい居酒屋で話をしていたが,あまりにもうるさいので
熱心に説明していたところ,帰りのころにのどがつぶれた。
カラオケのやりすぎの後のように・・・
そこで喉を傷めたに違いない
100分×2の講演をしても大丈夫であったが・・
スマホに変更した。ギャラクシーS III
画面ロックのパスワードを間違えて設置してしまったようだ
どのように間違えたのか,間違え方を再現できず,結局,使えない・・・
運の悪い,今日この頃
診療所,近所の内科,そして耳鼻咽喉科と3軒
風邪(寝冷え)か,飲酒のせいか,というのが自己判断
周囲は悪い病気じゃないかというが・・・・
真の遠因を考えてみると,それよりも以前の居酒屋。
3人でうるさい居酒屋で話をしていたが,あまりにもうるさいので
熱心に説明していたところ,帰りのころにのどがつぶれた。
カラオケのやりすぎの後のように・・・
そこで喉を傷めたに違いない
100分×2の講演をしても大丈夫であったが・・
スマホに変更した。ギャラクシーS III
画面ロックのパスワードを間違えて設置してしまったようだ
どのように間違えたのか,間違え方を再現できず,結局,使えない・・・
運の悪い,今日この頃
2012-07-30
集中力
必ずしも,加齢のせいでもなく,
必ずしも,過労のせいでもなく,
なにごとも遅くなる。遅れる。
締め切りを過ぎた原稿がたまる。
6月末の原稿1つ。半分書いて,そのまま1月経過。
先週締め切りの原稿,ようやく日曜の夜に出す。
8月末の原稿未着手。
それから,それから,あれも。
集中力を自宅でも維持するために,VIVALDIの特に,Winter or Summer を流す。
電車の中では,講演がよい。南島論が長くて,よい。糸井の仕事をほめよう。
しかしPCに向かいながら,講演を流すといけない。聞いてしまうから。
声を聴いていると,生きているようだ。
漱石の時代にも,いい録音装置があればよかった。漱石の講演録,漱石の声。
必ずしも,過労のせいでもなく,
なにごとも遅くなる。遅れる。
締め切りを過ぎた原稿がたまる。
6月末の原稿1つ。半分書いて,そのまま1月経過。
先週締め切りの原稿,ようやく日曜の夜に出す。
8月末の原稿未着手。
それから,それから,あれも。
集中力を自宅でも維持するために,VIVALDIの特に,Winter or Summer を流す。
電車の中では,講演がよい。南島論が長くて,よい。糸井の仕事をほめよう。
しかしPCに向かいながら,講演を流すといけない。聞いてしまうから。
声を聴いていると,生きているようだ。
漱石の時代にも,いい録音装置があればよかった。漱石の講演録,漱石の声。
2012-07-21
帰無仮説
The Double(2011)顔のないスパイをDVDでみた。
帰無仮説,P値という言葉が登場。
ただし,あの場面で
H0: 犯人はAだ
H1: 犯人はAではない
という設定で,犯人をBにするのは無理で,
友人のほうが,
H0: Bは犯人ではない
H1: Bは犯人である
としているわけだが,H1は「Bは犯人ではない,とはいえない」か。
ここの会話は,単に統計的検定を日常的に使っただけ。
字幕では「論理統計学の応用さ」となっているが
吹替では「ハーバードの統計学で起きてたやつもいたのさ」
吹替のほうが正しそうだが,リスニング能力が低く,どうしても「論理統計学」と言ったのかを確認できない。悲し。
論理統計学と言っているのかな,と思ったのがそもそものきっかけ。
字幕はずいぶん違うな・・・
帰無仮説,P値という言葉が登場。
ただし,あの場面で
H0: 犯人はAだ
H1: 犯人はAではない
という設定で,犯人をBにするのは無理で,
友人のほうが,
H0: Bは犯人ではない
H1: Bは犯人である
としているわけだが,H1は「Bは犯人ではない,とはいえない」か。
ここの会話は,単に統計的検定を日常的に使っただけ。
字幕では「論理統計学の応用さ」となっているが
吹替では「ハーバードの統計学で起きてたやつもいたのさ」
吹替のほうが正しそうだが,リスニング能力が低く,どうしても「論理統計学」と言ったのかを確認できない。悲し。
論理統計学と言っているのかな,と思ったのがそもそものきっかけ。
字幕はずいぶん違うな・・・
2012-06-24
2012-06-23
精神と肉体
あすは宝塚記念。
ウマにも感情というか精神の影響があるなと思えるのは,低迷するオルフェーブルである。
ディープインパクト以来の強いウマの出現との思いで4冠をみたが,気持ちがレースに影響するのであろう,としか敗戦を分析できない。
あすは。メンコもとって,いつも通りで出てくるだろう。
池江も池添も,迷いで揺れているのであろう。
オルフェに任せたい,という思いと,折り合い,制御したいという思い。
オルフェの父,ステイゴールドの同世代で最強は,サイレンススズカである。
サイレンススズカもまた,気持ちよく走ることだけが重要な悲運のウマだった。
無事これ名馬,とはいかなかったが,速すぎて骨折したのか,それとも不運に過ぎないのか・・・
オルフェをみていると,サイレンススズカを思い起こす。
宝塚記念でオルフェが復活の勝利をするとしたら,持ったまま走らせて,
早めに先頭に出て,そのまま10馬身差で圧勝する。
ウマにも感情というか精神の影響があるなと思えるのは,低迷するオルフェーブルである。
ディープインパクト以来の強いウマの出現との思いで4冠をみたが,気持ちがレースに影響するのであろう,としか敗戦を分析できない。
あすは。メンコもとって,いつも通りで出てくるだろう。
池江も池添も,迷いで揺れているのであろう。
オルフェに任せたい,という思いと,折り合い,制御したいという思い。
オルフェの父,ステイゴールドの同世代で最強は,サイレンススズカである。
サイレンススズカもまた,気持ちよく走ることだけが重要な悲運のウマだった。
無事これ名馬,とはいかなかったが,速すぎて骨折したのか,それとも不運に過ぎないのか・・・
オルフェをみていると,サイレンススズカを思い起こす。
宝塚記念でオルフェが復活の勝利をするとしたら,持ったまま走らせて,
早めに先頭に出て,そのまま10馬身差で圧勝する。
2012-06-09
2012-04-15
線なし
デスクトップをやめて、17インチのノートにすることにした。
Windows7にしたら、AMOS7が動かなくなった、これで個人用はAMOSとサヨナラ。RとEQSを主体に。
キーボードとマウスを無線にするのは、すでに実施していたが、Bluetoothで、いまやUSBなどのドングルも不要で、すっきり。
しかも、ワイヤレス・ディスプレイで42インチのTV画面をPC画面にできる。TVのスピーカーも使える。
いまやケーブルが残るのは、電源のみ。
夏場のノートの熱は心配だが、いろいろ冷却用品があるらしい。
MACユーザーになりきれないところは残念。iPadも使いたいが・・・。
TeXを通常ツールにしたいが・・・。
DELLにしたのは、一番安かったから。
電話で質問したら、オンラインでこっちの画面を共有するという。つながる時代とはいえ・・・。
WEBカメラもついているのだが、そのうち見られそうな気分。
Windows7にしたら、AMOS7が動かなくなった、これで個人用はAMOSとサヨナラ。RとEQSを主体に。
キーボードとマウスを無線にするのは、すでに実施していたが、Bluetoothで、いまやUSBなどのドングルも不要で、すっきり。
しかも、ワイヤレス・ディスプレイで42インチのTV画面をPC画面にできる。TVのスピーカーも使える。
いまやケーブルが残るのは、電源のみ。
夏場のノートの熱は心配だが、いろいろ冷却用品があるらしい。
MACユーザーになりきれないところは残念。iPadも使いたいが・・・。
TeXを通常ツールにしたいが・・・。
DELLにしたのは、一番安かったから。
電話で質問したら、オンラインでこっちの画面を共有するという。つながる時代とはいえ・・・。
WEBカメラもついているのだが、そのうち見られそうな気分。
2012-03-19
2012-03-17
最初と最後
吉本さんを初めて見たのは学生時代だったか.
いきなり千駄木の自宅にピンポンした(ああ恥ずかしい!)
「このあたりだよな」と路地の奥に探し当てた.
きっと,こんな失礼なストーカー的な読者がたくさんいるだろうね・・・.
もちろん口実が必要だから
「試行」の購読をしたいんですけど
と見え透いた用事をいう.
吉本さんが,直接,玄関に出てきた.
「ああ,あ」てな感じ.
奥から.吉本ばなな(に違いない)の声がして「誰~」
夕食の時間帯だった.ラーメンの匂いがしていた.
吉本さんは.「じゃあ,ここに送り先を書いて」とかいい,
それを書いて購読料を払う.
ちょっと吉本さんを見ていたら,
「ああ,受け取り,受け取り」と言って,領収書を書いてくれた.
そのまま玄関をあとにした.
人生には,いくつか,恥ずかしい過去があるが,これもその1つ.
ああ,なんて恥ずかしいことを・・・・
いきなり千駄木の自宅にピンポンした(ああ恥ずかしい!)
「このあたりだよな」と路地の奥に探し当てた.
きっと,こんな失礼なストーカー的な読者がたくさんいるだろうね・・・.
もちろん口実が必要だから
「試行」の購読をしたいんですけど
と見え透いた用事をいう.
吉本さんが,直接,玄関に出てきた.
「ああ,あ」てな感じ.
奥から.吉本ばなな(に違いない)の声がして「誰~」
夕食の時間帯だった.ラーメンの匂いがしていた.
吉本さんは.「じゃあ,ここに送り先を書いて」とかいい,
それを書いて購読料を払う.
ちょっと吉本さんを見ていたら,
「ああ,受け取り,受け取り」と言って,領収書を書いてくれた.
そのまま玄関をあとにした.
人生には,いくつか,恥ずかしい過去があるが,これもその1つ.
ああ,なんて恥ずかしいことを・・・・
2012-03-11
ギリギリ
確定申告やっと終了。
いつもギリギリ。なぜだろう。この余裕のない生活。
e-TAXでなかったらたいへん。
SHAME はつまらない.前評判が理解できない.駄作とは言わないが.
WAR HORCE は脚本がいいので耐えられるが,評論家が評価するほどだろうか.
まだ,最後の忠臣蔵の感動のほうがいい.日米の文化障壁か・・・
暗い空間に,ひとりでいる.スクリーンに入る.
好きな場所・・・映画館.
座席はいつでも最後列の真ん中を予約する.
最後列は,それ以前の座席とのX軸が不等であるため,気分がよい.
腕を上げたりできる.すこし行儀が悪くても迷惑にならない.
できればレイトショー.すると前の列,座席に人が座る確率が低い.足を伸ばせる.
好きな街 ・・・桜木町,とくに1970年代までの桜木町.夏も冬も.
いつもギリギリ。なぜだろう。この余裕のない生活。
e-TAXでなかったらたいへん。
SHAME はつまらない.前評判が理解できない.駄作とは言わないが.
WAR HORCE は脚本がいいので耐えられるが,評論家が評価するほどだろうか.
まだ,最後の忠臣蔵の感動のほうがいい.日米の文化障壁か・・・
暗い空間に,ひとりでいる.スクリーンに入る.
好きな場所・・・映画館.
座席はいつでも最後列の真ん中を予約する.
最後列は,それ以前の座席とのX軸が不等であるため,気分がよい.
腕を上げたりできる.すこし行儀が悪くても迷惑にならない.
できればレイトショー.すると前の列,座席に人が座る確率が低い.足を伸ばせる.
好きな街 ・・・桜木町,とくに1970年代までの桜木町.夏も冬も.
2012-03-05
通俗性の超え方
THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO
謎解きだけの面白さではないところが重要なように思える。
サスペンスの背景が宗教と人間の罪であるところも、日本人としては、深刻になれない。
R15になる場面についても、Restrictedになることじたいは、いいのだけれど、現象的な問題ではなくて、卑劣さが本質的なのだから、熱演にもかかわらず、メタファーにしてもよいくらいである。
みつけたところが最終場面ではなくて、また、そこがクライマックスではなくて、本当にクライマックスだと思えたのは、つまり、ああ、いい映画だよなあ、これが映画だよなあ、と思えるのは、本当の最後の場面である。ゴミ箱に捨てるところである。
映画のタイトルは、この映画の主人公を指示しているけれど、まったく妥当である。サスペンスのストーリーそのものは、あまり重要ではないと思えるほどである。
自分のためにはしないこと、できないことでも、人のためにはできること、することがある。
それも、まんまと上手にやってのけることができる。
喜んでもらえると思って、喜んでもらいたくて、そうする。プレゼントという行為もそういうところがある。
不幸な女が、幸せになるのではなくて、やはり不幸になるところの描き方がいい。このところのためにすべての,それまでのストーリーのすべてがあるかのように。
一歩間違えば、ただの通俗的な失恋にならない、悲しみを表現できるために、あるかのように。
謎解きだけの面白さではないところが重要なように思える。
サスペンスの背景が宗教と人間の罪であるところも、日本人としては、深刻になれない。
R15になる場面についても、Restrictedになることじたいは、いいのだけれど、現象的な問題ではなくて、卑劣さが本質的なのだから、熱演にもかかわらず、メタファーにしてもよいくらいである。
みつけたところが最終場面ではなくて、また、そこがクライマックスではなくて、本当にクライマックスだと思えたのは、つまり、ああ、いい映画だよなあ、これが映画だよなあ、と思えるのは、本当の最後の場面である。ゴミ箱に捨てるところである。
映画のタイトルは、この映画の主人公を指示しているけれど、まったく妥当である。サスペンスのストーリーそのものは、あまり重要ではないと思えるほどである。
自分のためにはしないこと、できないことでも、人のためにはできること、することがある。
それも、まんまと上手にやってのけることができる。
喜んでもらえると思って、喜んでもらいたくて、そうする。プレゼントという行為もそういうところがある。
不幸な女が、幸せになるのではなくて、やはり不幸になるところの描き方がいい。このところのためにすべての,それまでのストーリーのすべてがあるかのように。
一歩間違えば、ただの通俗的な失恋にならない、悲しみを表現できるために、あるかのように。
2012-03-03
いつでも夢を
本当の30年代の映画をみてみる。
「いつでも夢を」
わかりやすい構成
勧善懲悪
前向き、希望、未来
50年前
今思えばすこしクサイ演技
しかし、いろいろ、言ってみても、確かに昭和30年代の高度成長期の日本を
切り取っている価値は変わることがない
三丁目は、われわれの思い出のリアリティーであるが
撮影じたいが、そのまま、すべて同時代の昭和30年代
吉永小百合の映画としては「キューポラ」のほうが好きだが、
歌が先にヒットし、その歌のもつ背景を映画化した
松原智恵子は、このころから、はかないイメージだったんだな
どちらが美人かといえば、松原智恵子だけれど、
どうしても吉永小百合のほうに魅力がある
日活の戦略なのか、大衆の支持の結果なのか・・・
レコ大の歴代受賞を確認すると
「いつでも夢を」(1962)から歌える。それ以前は歌えない・知らない。5歳の耳に聞こえた最初の歌。
1985の中森明菜から歌えない。
不思議なことに五木ひろしの歌は歌えない(好きじゃない、ということだろう)
Mは22歳の死の床で、無意識の中でベッドで「見上げてごらん」を突然、歌いだしたという。
私の死の床では、この歌かも知れない
2012-02-12
1964
三丁目64 を観た.
われらの昭和30年代である.
芝居がかった演出もいい.
スカイツリーの年に,この映画,というタイミングもいい.ところで「業平」の駅名,残すべし.
「続」はいまひとつの印象もあるが,33年と64年はいい.
64は「終わり」の感じがよく出ていた.昭和39年,30年代の終わり.
もう夕日の見えなくなる東京,高速道路が走る東京,路面電車の消える東京,風景の終わりである.
1本の万年筆を大切にできた時代の終わり.
すでに高度成長は始まっているものの,東京五輪で,現象的に変わってしまう1964.
そのとき,小学1年生.
未来を感じさせるよりも,終わりの感じが出ていたところが,よい.
未来はない.どんどん給料があがり,みな大学に進学し,という表層の成長がやってくる.
これなら 「allday s二丁目の朝日」 に耐えられる.
1960年代は大学紛争で頂点に達し,1972年の連合赤軍で大衆的な気分が終わる.
つぎに時代の変わり目は1975年前後である.なにかが変わった1975年.
そのあと1985のバブルまで突き進む.1990以降の,長くころげおちる毎日・・・
どうしても,小雪だけが,ただひとり,いい女として残る映画,というのが最終評価.
われらの昭和30年代である.
芝居がかった演出もいい.
スカイツリーの年に,この映画,というタイミングもいい.ところで「業平」の駅名,残すべし.
「続」はいまひとつの印象もあるが,33年と64年はいい.
64は「終わり」の感じがよく出ていた.昭和39年,30年代の終わり.
もう夕日の見えなくなる東京,高速道路が走る東京,路面電車の消える東京,風景の終わりである.
1本の万年筆を大切にできた時代の終わり.
すでに高度成長は始まっているものの,東京五輪で,現象的に変わってしまう1964.
そのとき,小学1年生.
未来を感じさせるよりも,終わりの感じが出ていたところが,よい.
未来はない.どんどん給料があがり,みな大学に進学し,という表層の成長がやってくる.
これなら 「allday s二丁目の朝日」 に耐えられる.
1960年代は大学紛争で頂点に達し,1972年の連合赤軍で大衆的な気分が終わる.
つぎに時代の変わり目は1975年前後である.なにかが変わった1975年.
そのあと1985のバブルまで突き進む.1990以降の,長くころげおちる毎日・・・
どうしても,小雪だけが,ただひとり,いい女として残る映画,というのが最終評価.
2012-02-01
余裕
余裕がないと,何からやらなくなるか.
ワイシャツのアイロンがけ.
歯間ブラシ
今回,年賀状を書けなかった.
みなさん,すみません.
1月末の寒中見舞いになってしまいました.
あまり枚数はないから,なんとかなるはずなのに.
いつか12月1日なると,何百枚でも,年賀状に時間を割くような生活をしてみるか・・・.
本の原稿を書いていた.
というのも小さな嘘があり,同窓会に出る時間は割いた.
書いてみると,どうだったかなあ,と考える.
結局,書きたいことを書いた,というところだろうか.
まえがき,どうしようかとつらつら,あと数日,考えてみる.
^^^^^^^^^^^
DVDかりて「ノルウエーの森」を見たけれど,つまらなかった.
あれだけ評価の高い村上だから,読んだら,いい作品かも知れない,
小説を読まなくなる時期と,村上春樹の登場が,同じころだったかも知れない.
1967年の必然性が,映画にはなかった.
現在の早稲田でロケしたのが悪いように思う.3号館のむこうに見える
演劇博物館が現在の姿をしているせいか?
色を落としても,1967年に見えない.
文学部の建物は昔のままのところを映していたが,これも1967年に見えない.
なぜだろう.
俳優が1967年になっていないのか.
「3丁目の夕日」は昭和33年に見える.セットだとわかっても,33年に見える.
俳優も若いのに,33年に見える.
小雪もいい女に見える.
ワイシャツのアイロンがけ.
歯間ブラシ
今回,年賀状を書けなかった.
みなさん,すみません.
1月末の寒中見舞いになってしまいました.
あまり枚数はないから,なんとかなるはずなのに.
いつか12月1日なると,何百枚でも,年賀状に時間を割くような生活をしてみるか・・・.
本の原稿を書いていた.
というのも小さな嘘があり,同窓会に出る時間は割いた.
書いてみると,どうだったかなあ,と考える.
結局,書きたいことを書いた,というところだろうか.
まえがき,どうしようかとつらつら,あと数日,考えてみる.
^^^^^^^^^^^
DVDかりて「ノルウエーの森」を見たけれど,つまらなかった.
あれだけ評価の高い村上だから,読んだら,いい作品かも知れない,
小説を読まなくなる時期と,村上春樹の登場が,同じころだったかも知れない.
1967年の必然性が,映画にはなかった.
現在の早稲田でロケしたのが悪いように思う.3号館のむこうに見える
演劇博物館が現在の姿をしているせいか?
色を落としても,1967年に見えない.
文学部の建物は昔のままのところを映していたが,これも1967年に見えない.
なぜだろう.
俳優が1967年になっていないのか.
「3丁目の夕日」は昭和33年に見える.セットだとわかっても,33年に見える.
俳優も若いのに,33年に見える.
小雪もいい女に見える.
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