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法華玄義・序王 12

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 6月24日(土)15時02分24秒
編集済
  經者。外國稱修多羅聖教之都名。有翻無翻事如後釋。

「経」とは、外国には修多羅と称す。聖教の都名(つみょう)なり。
有翻・無翻の事は、後に釈するがごとし。


『妙法蓮華経』の「経」はインドでは修多羅といい、すべての仏教経典に共通する名称である。
この修多羅が翻訳できるとか、翻訳できないとかに関する翻訳の仕方に関しては、
あとの注釈、すなわち『法華玄義』巻第八上に説き明かされている。


記者釋曰。
蓋序王者敘經玄意。
玄意述於文心。
文心莫過迹本。


記す者釈していわく、
けだし序王とは、経の玄意を叙(の)ぶ。
玄意は文の心を述ぶ。
文の心は、迹本に過ぎたるはなし。


『法華玄義』を筆録した弟子灌頂は、師の天台大師智顗の序王を解釈して次のように述べる。

思うに序王は、『妙法蓮華経』の深遠で奥深く勝れた教えの意味合いを述べるものである。

その深遠で奥深く勝れた教えの意味合いは、『法華玄義』の肝心要の要諦、
すなわち師智顗の心を述べるものである。

師智顗の心は、『妙法蓮華経』の迹門と本門とに収まっており、
迹門と本門との教えを超えるものはない。


仰觀斯旨衆義冷然。

仰いでこの旨を観ずるに、衆義冷然たり。


弟子灌頂が、師の天台大師智顗を仰ぎ、師が説く教えの本質、
特に本質を極め尽くした迹門と本門との教えを、心を据えて観ると、
『法華経』の主旨を突き詰めた、深遠で奥深く勝れた義を註釈した『法華玄義』の
解釈の仕方が要を得て理路整然としており、
他に比類するもののない卓越したものとなっている。


-----------------------------------------------

「経]は、サンスクリット語のスートラの音写語である。
スートラは線、条、糸、紐の意味であり、転じて糸によって貫いて保持している意味となり、
義を貫いて(貫穿)衆生を保持している(摂持)ことを表わす。

漢語としての経は、織物の「縦糸」の意で、これにも貫穿摂持の意味があり、
『上宮法華疏』第一には、
「経とはこれ聖教の通名にして、仏語の美号なり。しかるに経はこれ漢の語なり。
外国には修多羅という。
経の義は法と訓じ、常と訓ず。聖人の教えはまた時移り俗を改むといえども、
前主も後賢もその是非を改むることあたわず。
故に常と称す。物の軌則となるが故に法という」とあるように、
永遠に変わらない規準ともなる(常恒)との一貫不変の意味もある。

『雑阿毘曇心論』巻第八には、
スートラに、生み出す(種々の意味を生み出す)、泉のように涌く(汲んでも尽きない)、
顕示する(種々の意味を明らかにする)、大工の墨縄(正邪を弁える)、
首飾り(華鬘)のいとすじ(根本を貫く)の五義があるとする。

スートラは、修多羅、素怛纜と音写し、正経とも訳し、
衆生の機根にかなうことを示して契経とも訳す。ブッダが説く教えをいう。

ブッダが説いた教えはもとダルマ・法といったが、この法は教法の意味であった。
後になって教えの基本線である、教えを貫く綱要の意味を経・修多羅というようになった。

これは、バラモン教で使っていた語を仏教に取り入れたものとされる。
古代インドでは、一般に宗教や学術の基本をまとめた短い文章をスートラと呼んだ。
仏教もこれに倣って釈尊の教えや賢人の教えを文章をまとめたものをスートラと呼んだ。

経に説かれた教えを経法、経教といい、また経を記した書籍を経典という。
経典には小乗経典、大乗経典、秘密経典などがあり、
また経典は意味を表わす文字の文と、文字によって表わされる意味の義からできているから、
文と義とを二経体という。

経の初めは「如是我聞」、わたしが次のように聞いたという文句で始まるが、
経は釈尊入滅後間もなく行なわれた結集によって成立したものであることを標榜するものであり、
西暦紀元前後から四世紀ごろにかけて現われた大乗経典も例外ではない。


 

twitterより。無党派市民層は公明党にドン引きですよ!!?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月24日(土)14時42分37秒
  ★(公明広報に対して)共産党でも学会員でもないがやり方間違ってる。無党派はドン引きですよ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71180


★批判する者は敵と見なし、誹謗、中傷で傷つける。安部政権と同じレベルに公明党はなり下がった、ということ。なぜここまでダメになったのか。


★公明党の化けの皮が剥がれたんじゃないですか?共産党支持者でなくても、これはダメだと思いますよ。まあ、共産党に躍進されたら困るのでこれを出したんでしょうけど、有権者は馬鹿じゃないですから。


★無党派市民層は公明党の共産党disにドン引きするだろうし、投票するとこないから今回の都議選では共産党に票が行くんだろうけど、大多数の人らって共産党も公明党も嫌いだ。都議選の投票率ってどうなるんだろう。


★流石にこれはドン引きします。。。 ?投稿者:竜女の誓い
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71085

★無党派、ドン引き!(((≧▽≦))) ?投稿者:フロム関西
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71187
?
 

京都平野様の言葉に救われた気がします。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月24日(土)14時16分49秒
  >池田先生に恥ずかしないか。
>池田先生やったら、どうしはるか考えたことあるか。

この精神。短大時代に散々口にしては悩み、考えてたなぁ。
短大が特別って言いたいのでは必ずしもなく、「創価=価値創造」を自負するならば誰もが
言われて「訓練」を受けたのではないかなと。

多くの情報をここに来てから見聞きするようになりましたが、「54年問題の総括」って、
とどのつまり、「池田先生ならば…」の繰り返しなのではと、思っている私がいます。(私54年は生まれてないけど…)
 

師弟不二アーカイブより【遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 6月24日(土)14時11分10秒
  【投稿者:斎藤正二 投稿日:2015年 3月 3日(火)11時51分49秒】

遠藤文書は事実である。聖教新聞社内では、かねてよりこの執行部の対応について疑義を抱いている人が少なくない。特に、長谷川重夫本部長には不信感を抱く者が多い。

1990年代後半、第一庶務の長谷川重夫は師匠池田先生の同行から外された。が、その後も外されたことを知らない幹部や会員からは、さも先生に報告できる立場であると自らの権力の立場を堅持していた。関西の西口副理事長などからはその姿を「長谷川は権力の衣を着たがる小さい男や」と酷評されるほどであった。

長谷川重夫は池田先生同行当時より、師匠のご伝言の引用に自ら勝手につけ加えたり削除するなど、御指導のカギかっこが曖昧であることを聖教新聞社報道部では何ども指摘される話題となっていた。それだけ師匠の言について不誠実な男なのである。

その師匠利用の不誠実さが韓国SGI分裂問題の一因へとなったことを知る人は少ない。

1999年8月、韓国SGI執行部を批判するインターネットサイト「無窮花」が開設。朴理事長による金銭面等の不正疑惑等が告発された。が、2000年5月朴理事長再任を韓国SGI評議会に上程。強硬採決。これを契機に韓国全土で「善の連帯」が決起。

秋谷会長(当時)の範囲内では収拾つかず、同年5月15日に池田大作先生自ら事の解決をはかるために首脳会議に参加されることに。

その会議の中で明らかになったのだが、当時韓国SGIを担当していた故・和泉議長が池田先生に事の経過を報告するべく第一庶務の長谷川重夫に伝えていたことが先生には一切伝わっていなかったことが発覚したのである。以下会議記録より。


(中略)


遠藤文書には今の執行部の体質が如実にあらわれているが、かねてよりこうした実態はあった。

丹治正弘が編集総局を支配しようとしていた折にも、報道部の相島が長谷川に相談したが、「私はね彼を信頼しているんだよ」と門前払い。韓国問題の時からまったく成長していなかった。

遠藤さん斬りや宮地を異動させた執行部の体質は遠藤文書に綴られた通りである。この一連の流れから、聖教新聞社内では、長谷川は悪を擁護するが、正義の声には相手にしないことで有名となった。

ちなみに、相島は第一庶務の中野富美雄にも丹治問題を相談したが「丹治は正義だ。お前が題目をあげて成長しろ」とつっぱねられたこともあわせて記しておこう。

・・・・・(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1249

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★★師弟不二ARCHIVE★★
http://sgi-shiteifuni.com/
 

タバコ吸わはりますか?

 投稿者:京都平野  投稿日:2017年 6月24日(土)13時49分48秒
編集済
  猫がタバコ吸っとな。
まぁ、そんなんどうでもええけど。
まさか、信心してる人で未だにタバコ吸っとる人おるんか?
電子タバコも、同じやけど。
タバコもやめられんようやったら難しずぎるで。
いつまで続くんかな、猫シリーズ。
誰か興味持っとるんか。
そういえば、あれ以来あの人出てこんな。
文章似とるな、妄想やけど、あいも変わらずで。
あの人元気かな、裁判どうなったんかな。
仕事よりも、俺は板の方が忙しいねん。
だからか、いつも妬まれてたんやわ。
まず、男は仕事で社会で実証示さんとな。
よう言われるわ、人それぞれやって。
いろんな個性があるから、認め合わなあかんって。
会ってみな、その人を評価するなと言わはるけど、
会う前に、電話でのやり取り、その他で感じる部分って、あるやん。
俺は、いつも会う会う言うてるけど、
会う前に色々チェックしてから会うてるねん。
会ったとしても、平気で池田先生の裏話を平気で、
話さはる人もおるけど、その時点でアウトやん、何様なん。
まあ、しかし信心ないな。
池田先生に恥ずかしないか。
池田先生やったら、どうしはるか考えたことあるか。
アホな俺でも、いつも考えてるがな。
無理かな、相変わらずにね、進んで行くんやろな。
これでええと思って、気付いた時は、今世終わってまうで。
今日は土曜日ですがな、仕事したはる人ご苦労様どす。

追伸
一人さんと猫さんのやり取りの投稿ようわからんけど、
何が言いたいんか、説明してくれる人おらんかな。
 

青年大会について。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月24日(土)13時44分33秒
編集済
  来月開催が予定されていて、「マル都」の後はその体制になるとか。

別に開催自体は否定しないのですが、今年に入ってからその話を聞かされるたび、違和感しか感じなかった。
創価学会の歩みの意味を深めるなら、歌や踊りでなく、より教学を深めたり、お互いに多くの自己の課題について語り合って、自分を見つめ直すことが肝要かと思って。

その青年大会に、未来部の有志も参加するのですが、参加確認も本当に、本人の意思が尊重されてるのか??
な感じもしましたし。引率も両親でなく、青年部主導なんですよね。。
まだ小学生の子どもを、そう近くもない練習場所まで車で引率することになるのでね。。
何となく?ですけど、いささか「合法的に」監視されてる気がして嫌な思いをしてます。
(未来部担当者として活動するのはいいのですが、それも何だか縛り付けられてる感じもしてちょっとな、、と
思い始めたり。)


当日は…いろんな予定を入れて何とか参加を避けようと試みてます;;
心がそちらに向かないのに参加してもって思うし。でも、これも吊し上げ対象になるのでしょうかね。。
 

わが友に贈る 2017年6月24日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 6月24日(土)12時26分16秒
  ブロックの大躍進こそ
栄光への決定打だ!
尊き本陣長・白ゆり長よ
わが愛する天地から
東京凱歌の大潮流を!
 

平和は、連続勝利の賜物だった

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 6月24日(土)12時17分57秒
  戦後70年の平和は、何もしなくて得られたものではない。

平和主義勢力と軍国主義勢力との、熾烈な戦いにおける、連続勝利の賜物だ。

今まで何もしなくても平和だったのだから、これからも何もしなくても平和は続く、と考えている能天気な人達が、日本を壊す。  平和主義者達の闘争の果実だけを、ただ食いしてきた人達のことだ。

平和主義勢力と軍国主義勢力の、力のバランスは、PKO参加を「蟻の一穴」とし、イラク自衛隊派遣、安保法制を経て大きく崩れた。特にイラク派遣以降の平和主義の衰退は著しい。

イラク以前は平和主義の中心だった創価学会公明党が、今は軍国主義の尖兵へと変質した事に、創価学会員自身が気付いていない。これこそが、一切の諸悪の根源だ。
800万世帯が、平和主義から軍国主義に、宗旨替えしているのだ。

大きく崩れたバランスを修正する為、平和主義的無党派層の参入が、是非とも求められる。
今まで通り、気楽に生きる為にしなければならない事は、投票に行くこと。とりあえずは、それだけ。

共謀罪が成立し、超絶監視システム「Xキースコア」を政府が手にした今、携帯、スマホ、パソコンなどが、そのまま持ち主を監視する道具に変わる。
電源を遠隔操作で強制始動。携帯のマイクで盗聴。パソコンのカメラで盗撮。果ては位置情報を使い、無人機を飛ばして爆撃、持ち主を殺す事さえ秘密裡に行える。
蓄積されたデーターは、何年も前にすでに、400億件を超えている。

テロを防ぐという口実の下、あの日本政府にそういう力を持たせても構わない、と思うなら、今度の都議選、与党に投票すればいい。

もうその人は、立派なファシストだと、私などは思うが。
 

「久遠即身成仏論」についての一考察に対して 4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 6月24日(土)10時46分53秒
編集済
  松戸様へ

ヒンドゥー教の基本的な教義である「梵我一如」について、
<池田:なるほど、そこで輪廻生死(サンサーラ)を超克し、解き放たれる事を解脱「モークシャ」、その様になった状態を涅槃「ニルヴァーナ」といったわけですね。>
これは仰る通り、厭離断九・始成正覚を目指す小乗仏教の考え方に似ています。

このインド文化の影響下の伝統的仏教は、言い換えると我(エゴ)を滅して梵我一如の精神世界を目指す。漢字文化の大乗仏教ではそれに対し、<このウパニシャッドと対照的に「無始無終の輪廻の生命」に価値を見たのが大乗仏法である>。つまり、梵我一如は本性であるが、到達すべき目標と見るか、あるいは逆にその本性を覚醒・薫発・活性化するのかという相違がある。

これはそのまま小乗的従因至果型か大乗が目指した従果向因型成仏観の相違として理解できよう。
注:「梵我一如」を参考にすると「仏教ではない」と批判されてしますが、梵我共に実体視しなければ問題ないと思っている。
また、この思想は本覚・仏性論にまで影響を与えているかもしれない。この点について詳しい人がいれば、ご教授を乞う。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/70842

2/5の部分への返信です。

<松戸様(上記より)>
>このインド文化の影響下の伝統的仏教は、言い換えると我(エゴ)を滅して梵我一如の精神世界を目指す。
漢字文化の大乗仏教ではそれに対し、<このウパニシャッドと対照的に「無始無終の輪廻の生命」に価値を見たのが大乗仏法である>。
つまり、梵我一如は本性であるが、到達すべき目標と見るか、あるいは逆にその本性を覚醒・薫発・活性化するのかという相違がある。
これはそのまま小乗的従因至果型か大乗が目指した従果向因型成仏観の相違として理解できよう。<

<一人のSGI>
「梵我一如は本性である」と、書く場合、この語彙に気を付けて欲しいと思います。
なぜなら、この部分が私がこちらの幹部達と何十年も戦ってきたことの本質だからです。
松戸様は多分、「梵」を仏界、「我」を九界と観て、十界互具による九界の生命に仏界を薫発する従果向因型成仏観という法華経の見地からおっしゃられていると思いますが、「梵我一如」とは
あくまでもウパニシャッドの生命観を説明した用語です。

ウパニシャッドの「梵」とは生命の創造主である絶対的な真理、「我」とはそこから創造された、いつかは消滅することを目的とする個々の生命です。
ウパニシャッドは汎神論ですから、「我」の中に「梵」が内在してはいますがその「梵」と完全に一如になるには「我」を消滅しないといけないのです。
ですから、宿業でさえもきらいます。
最終的には良い宿業でさえも輪廻の基となるので追及するものではありません。

これは本有の十界、個々の生命の永遠を説くが故に善業(大いなる因果、常なる因果の両方において)を積む事を修行とする大聖人の仏法とは大いに違うところです。

ですから、「梵我一如は本性である」と言い切ってしまうと、生命の本質を曲解してしまうことになると思いますがいかがでしょう。

<松戸様>
>「梵我一如」を参考にすると「仏教ではない」と批判されてしますが、梵我共に実体視しなければ問題ないと思っている。<

<一人のSGI>
上記の中で「「梵我一如」を参考にすると「仏教ではない」」というのは事実です。

先ほども書いた様に、ウパニシャッドの「梵」とは生命の創造主である絶対的な真理であり、個々の生命はそこから生まれる、つまり個々の生命は
「無始無終」でないなら、この生命の創造主思想はやはり「外道」です。
個々の永遠の生命の因果を説かないからです。
彼らの言う因果は「梵我一如」を到達するまでの輪廻を繰り返す期間だけに限る半端な「因果論」です。
大聖人は開目抄でそれを厳しく破折しています。

其の見の深きこと巧みなるさま儒家には.にるべくもなし、或は過去・二生・三生.乃至七生・八万劫を照見し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より 返つて三悪道に堕つ 一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずと・をもえり、
  開目抄 p187

更に上記の文中に「梵我共に実体視しなければ問題ないと思っている。」
とおっしゃっているのは私にはよく理解できません。

ウパニシャッドでは、「梵」は実体で「我」は実体ではなく、大聖人の仏法では「仏界」「九界」共に本有の十界ですから、「実体」があることになります。
生命の本質は、常、楽、我、浄であり、「我」は「常住」です。

但し、この「我」にも二種類あり生命に内在する三身の「我」は変化しませんが、凡夫の側面の「我」は三世間の「衆生世間」で分析されている様に十界の生命を往復しているので変化の連続です。
しかし、それでもその奥は、一貫した個の生命の因果の法理で律されている以上、やはり凡夫の「我」も実体があるということになるのではないでしょうか。

<松戸様>
>この思想は本覚・仏性論にまで影響を与えているかもしれない。<

<一人のSGI>
これはもうすでに説明した通り、外道と内道、創造主と個の生命の関係において、完全に異なっている思想なので同じ土俵では語れないと思います。
 

「日蓮久遠本仏論」についての一考察に対して 3

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 6月24日(土)10時34分58秒
編集済
  (題名については「日蓮久遠本仏論」の一連の対話なので双方で通しナンバーにしました。
ですからこの私の返信は、松戸様の先の投稿の1、2に続いて 3としました。)

松戸様へ 遅くなりました。

仏法では<「普遍の宇宙の法則」・自身の内にある「因果の法則」>を説くので、キリスト教のような<特定の「世界の創造主」は要らないという事になります>。
<その観点から行くと、釈迦や大聖人は当然「世界の創造主」などではなく生身の人間であり、「普遍の宇宙の法則」を教えてくれる「教主」であり、それを身に体現したことにより智慧、慈悲、勇気などの徳がその行動に顕れている人ということになります>。
以上、正論です。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/70842

1/5の部分への返信です。

松戸様の意見も上記の私の意見に同意とのことですね。
ただ、この(「普遍の宇宙の法則」を教えてくれる「教主」)というのは
仏の主、師、親の三徳の内の「師の徳」になると思います。

大聖人の存在の全体観としては、先日の投稿に書いた通りの見解です。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71155

>この時、大聖人は「久遠元初の自受用報身如来」という「文底の釈尊」であり、同時に、その「法」を説く「本因妙の教主」です。
その事から私達は、大聖人を末法の御本仏と呼ぶのだと思います。<

ご自身の生命を「久遠元初の自受用報身如来」の「仏」と拓いた大聖人はこう言われています。

「我日本の柱とならむ・我日本の眼目とならむ・我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」
   開目抄(232頁)

柱 (衆生を護る力、働き)-主の徳、
眼目(衆生を主導する力、働き) -師の徳
大船(衆生を慈しむ力、働き)-親の徳

これが私が大聖人の「体」が「教主」だけでなく、「仏」そのものであるという証左にしたい箇所です。
ちなみに、私は「仏」という定義を「自身の内にある「久遠元初の自受用報身如来」を拓き顕した凡夫」と、又、久遠元初とは、時や空間を超越した、常住普遍の「本因妙の仏」の永遠の世界の事だと解釈しています。
 

すべての人の心に花を

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月24日(土)09時47分34秒
編集済
  ちょっと立読みさんに同意です。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71204
>物事の判断基準は、御書でもなく、先生の指導でもなく、学会の方針で決まる。今の学会に「会員」は多くいるが、「仏法者」は殆どいない。<

ちょうど数日前、偶然出て来た『となりの創価学会』から池田先生の言葉「創価学会には、一人も人材がいない」を添付します。

>いま身近で功徳の話をほとんど聞かない。本人にとって何気ない事でも、座談会などで「あの話をしてよ」と言われ発表。後になって「功徳だった」と思う本人。歓喜はどこに?<

「♪そこぉに行けばぁ~どんな夢もぉ~かぁなうとぉ言うよぉ~」という歌があった。
https://www.youtube.com/watch?v=9gOAH6jL1Pc
どこに? そこで東京? 「♪誰も皆ぁ~行きたかるがぁ~はぁるかなぁ~世界ぃ~」

>単なる「会員」の集まりではく、「仏法者」が充満する先生の学会を取り戻したい<

最後はやはり、今日は沖縄の歌にしよう。
https://www.youtube.com/watch?v=5TRBfVGyudY
 

二十一世紀への対話 85

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 6月24日(土)09時38分59秒
  【池田】 他のあらゆる人間の活動と同じく、経済活動においても自己超克こそが自己救済への唯一の道であるという、博士の御主張には私もまったく賛成です。
しかし、同時に博士は、労働運動における目標が、欲望追求から人間存在の本源の探求へと転換されるべき点については、それは自主的にはなされず、何らかの独裁制によって達成されるだろうとの見解を示されました。これに対しては、私は一種の不安を抱いて受けとめざるをえません。もちろん、こうした博士の御見解はあくまでも歴史家としての客観的な推測であって、人類が未来に歩むべき必然の道ではないと了解しますが――。

【トインビー】 もちろんそうではありません。私は、独裁制の確立を望むものではありません。むしろ恐れております。独裁制はそれ自体、絶対悪です。ところが、過去においては、独裁制はしばしば社会の大変革にともなう不可避の代償の一部となってきました。これまで諸民族が、いかに不本意であっても独裁制を容認してきたのは、自分たちで提示したり想像したりできるどんな代案よりも、独裁制のほうがまだ小さな悪であるようにみえたからです。つまり、もはや機能を失ったとわかった体制を社会から取り除くよりは、独裁制を打ち立ててしまうほうが、はるかに容易だったのです。
日本の徳川家康、漢の劉邦、ローマ帝国のアウグストゥスは、いずれも独裁者でした。この三人は、彼らの前任者たち――豊臣秀吉、秦の始皇帝、ジュリアス・シーザー――の創立した似たような体制が失敗に終わったにもかかわらず、いずれも永続的な独裁制の樹立に成功しています。これはなぜでしょうか。彼らの成功の因は、一般世論が、より大きな悪を避けるためにはやむをえないと考える範囲内に、その独裁色を抑えたことにありました。独裁制は、当時、社会的・政治的無秩序という、より大きな悪を前もって防ぐための、より小さな悪として選ばれたのです。
人間は必ずしも、独裁制を自ら招くように運命づけられているわけではありません。しかし、独裁制が出現するとき、それこそは抑制を失った利己主義と反社会的行為に対する報いなのです。私は、現在の世界の安定化は――少なくとも物質面の安定化は――ある程度の独裁力によらなければ、あるいは不可能かもしれないという危倶を抱くのです。

【池田】 おっしゃる意味はよくわかります。たしかに、今日の労働運動における自由放任主義や、経済活動における欲望追求第一主義が大多数の民衆の生活を圧迫し、社会生活を無秩序に落とし入れていることは、独裁制への移行を推し進める契機となりうるでしょう。また、労働組合の指導者や企業の経営者たちが、一般民衆を自分たちの犠牲にしてもかまわないという態度を改めないかぎり、独裁制による新しい秩序を期待する機運が強まっていくことは、避けられないかもしれません。
しかし、このような一見不可避にみえる動向に対しても、これを食い止める道は残されていると私は信じますし、そのために、人類は最大限の努力をすべきであると考えます。たとえば、私が冒頭にあげた公害産業や兵器産業における組合の抵抗の例は、自己の欲望追求のためではなく、社会全体の平和と人々の幸福を守るために立ち上がったケースです。こうした目標のもとに組合労働者たちが団結するに至ったかげには、組合員による自己変革の戦いがあったといえましょう。
しかもそこには、利己という本能的欲求ではなく、社会全体の人々の幸福を守る利他主義の、いわば宗教的ともいえる信念が基盤にあったと思われるのです。さらに、そうした信念に加えて、社会の全体的見地から、企業が撒き散らす廃棄物の恐ろしさや、その生産品が人類にもたらす脅威を考える英知もあったに違いないと思います。
こうした例にみられるように、労働運動の指導者や組合員たちが、宗教を根底とした信念と広い見識と勇気をもって、社会全体の調和をめざす努力をしていくならば、私は、今日の労働運動の帰結が、あながち収拾のつかない社会的無秩序に陥ることはないと信じます。ただし、ここに私のいう自己変革の条件とは、あらゆる人間同胞の苦悩を自己の生命の奥深くに、痛く感じることのできる人格の確立であり、また社会全体との調和を図りうる人格とは、慈悲の精神に満ちた人間性のことです。
もとよりこうした自己変革への戦いは、決して容易な道ではありません。そこには厳しい宗教的実践が要求されましょう。しかし、私は、人間生命のあり方を正しく説き明かした真実の生命哲学、宗教によるならば、人類が自己変革を成し遂げていくことは可能であると信じるのです。
 

ヘイ・ブラザー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月24日(土)09時21分9秒
  暫く不定期で勝手に再掲します。
>中野区除名処分は対話拒否、一方的な査問、切り捨て体質なんです。資料を添付します。
みていただばわかるはずです。これは、絶対におかしいんですよね。そのおかしな事を実行しているのが学会本部と中野総区幹部なんです。地元組織を使い村八の人権侵害をしてるんです。
おかしいなものは、おかしい。それを言い切るのが学会精神です。おかしいと言い切っていきます。
☆中野区の除名処分について驚きの事実をカキコします。☆
http://6027.teacup.com/situation/bbs/61659
▲参考までに。サンプラー座ナカノさん投稿
中野区の事件について
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49549
清水の舞台から跳ぶ思いで
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39302
反響広がるN区の現場の声から
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39713
東京N区の除名事件と二十歳問題
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45808
◆参考までに。ギまんだらけさんの下記報告
中野の現状レポート
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39460
続報!中野の恐ろしい言論封殺
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39691
続・中野の現状レポート
http://6027.teacup.com/situation/bbs/42592
続々・中野の現状レポート1
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48425

続々・中野の現状レポート2
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48426

『ヘイ・ブラザー』アヴィー・チー
https://www.youtube.com/watch?v=6Cp6mKbRTQY
http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/11/hey-brother-avicii.html
ヘイ! ブラザー! こんなキツイことを言われているぞ。気づけ!
『徹底検証 日本の右傾化』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69917
【現在進行形の平和人権抑圧翼賛の公明党と思想的淵源の乖離を「『池田先生の平和・人権思想』が、“創価学会八二七万世帯の信者一人一人に内面化されていなかった”ことも証明】
【平和思想は「内面化」されてなかったし、池田会長の個人の見解】
 

堕ちた天使

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月24日(土)09時09分17秒
  ひかり「おお嫌だ。よしてくださいよ。 あんなの、公明党じゃないんですから」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71201
このひかりさんの台詞は私のみならず、多くの人の声を代弁していると思う。

司馬遼太郎は『この国のかたち 一』「4 “統帥権”の無限性」で「昭和ヒトケタから同二十年の敗戦までの十数年は、ながい日本史のなかでもとくに非連続の時代だった(略)――あんな時代は日本ではない。と、理不尽なことを、灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動が私にある。日本史のいかなる時代ともちがうのである」と訴えていました。
この『魂の叫び』とも通じるのではないでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=GSUq4ZBGuJM&list=PL4_H3a_XfCG5rnNbguCKUkks3PTYHxB0-

『司馬遼太郎の自筆原稿見つかる 「竜馬がゆく」最終回も』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170623-00000070-asahi-soci
ちょうど昨日、こんな報道がありました。
>「竜馬」の自筆原稿が見つかったのは初めて。ラストシーンの「天が、(略)その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」という、作品の坂本竜馬像を象徴する部分が含まれている。激しく手を入れた跡が残っており、最初に「天はその若者を惜しむように召しかえした」と書いた後、「惜しげもなく」と、竜馬像がより印象的に伝わるような修正がされていた。<
二十歳の頃、この「天が、(略)その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」に震える思いをしたことを今も覚えています。最初は真逆に書かれていたと知り、また驚きました。何かの真理を見つけたかのようです。池田先生はよく「仏法に偶然はない」と言われていましたが、全ては必然で、では“使命”とは何か? 考えさせられます。

ソウカ。コンペー党になってしまったのか。司馬さんの言う「非連続の時代」「あんな時代は日本ではない」、ひかりさんの言う通り「あんなの、公明党じゃない」なら、その“使命は”はいずこに? 「その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」ということになるのだろうか?

“時が経ち ふと、グラビア雑誌を眺めてたら”
“なんと 俺のエンジェルが その雑誌に載っかってたのさ”
“鳥肌が立ったさ 俺の想い出が売られちまってさ”
“俺の天使が折込ページに ヌードで載ってやがったんだ”
『堕ちた天使』J・ガイルズ・バンド
http://www.dailymotion.com/video/x1v6e9_j-geils-band-centerfold_music

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

食法餓鬼

 投稿者:ちょっと立読み  投稿日:2017年 6月24日(土)08時48分17秒
  安保、カジノ、テロ法とすべてが強行採決され、「質問の機会はあった」だの、「審議は尽くされた」だの言っているが、
国民の多くは中身に理解も納得もしていない。

「大衆とともに語り・・・」の基本精神を掲げた公明党は、なぜ強行採決に加担するのか。
先生の創られた公明党はどこに行ってしまったのだろう?

多数の方に聞いてみました。
法案の意図説明に理解もないまま行われる強行採決の連発に、「公明党はなぜ加担するのか?」と。

しかし、誰も答えてくれる人はいません。
それなりに筋違いの回答はするが、「国民が理解していない現実に、あなた個人はどう思う?」と聞くとみんな黙ってしまいます。

これが先生の創られた学会なのだろうか。
「幹部に聞いてみたら」と促しても、質問しづらい空気が蔓延していて誰も確認しようとしない。


(どなたかにアップして頂いたご指導を引用させていただきます)

【創立者の語らい1】

「そこで私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、批判をしてはいけないということは一つもありません。いくらでも批判してけっこうです。
また、私はご存じのように創価学会の会長であります。創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。
大学としても、学会としても、また私としても、反省すべきことは反省しなくてはならないし、改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。
皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、いかなることを論じてもよい。自由奔放であっていただきたい。これだけは、はっきりと申し上げておきます。」(第一回 滝山祭)



世間で当り前えの事も質問もできない。
今の学会の中では政治を学べない、世論の空気を感じる事もできないと実感する。
しかし、みんなは政治を理解していると思っている。

手前ミソで植え付けられた情報で自己主張はするが、批判と感じる声には「魔」という烙印を押して聞く耳を持たない。
これが現学会の信仰観の様だ。

物事の判断基準は、御書でもなく、先生の指導でもなく、学会の方針で決まる。
今の学会に「会員」は多くいるが、「仏法者」は殆どいない。

山口代表や佐々木さやかの発言を聞いて、世間からバカにされている事を、そろそろ気付いていい頃だと思う。
彼らのおこないが、信頼の中に生まれる広宣流布の対話を妨げている事に気付いてほしい。

彼らも、言わされ、やらされ、恥をさらす事が仏法の目から見て、いかに恥ずかしい事なのか気付いてほしい。

こんなおかしな状況の中、何も感じていない職員はいるのだろうか?
もし、そうなら本部や党はアホしかいない事になる。

先生が作った本部は、広宣流布のためにある。
その基準を失った学会の繁栄のためにあるのではない。

一般の企業で社員は、会社の利益のために働く。
学会本部は、広宣流布のためにある。本部も党も職員は、ちゃんと仕事をして頂きたい。
損害を与える社員は、一般社会ではクビになる。

資本を支える株主に位置する「会員をバカにしているのか!」と言いたい。
何のための学会か、まったく分からない。

家庭内で、子供や夫婦間の事で悩む家庭があっても、親身に聞いている様で最後は「F取って頑張ろう」
「啓蒙して乗り越えよう」と言う。

仏法は一念三千である。
全ては一念で決まる。本人達ととことん向き合う気持ちがあるのか無いのかが大事なはず。
方法は様々でも、相手に対して殴り合ってでも向き合う、心の覚悟があるのかが大事だと思う。
その糸口も与えずノルマだけを課す。

問題からそっぽを向かいしておいて、結果が良ければ「功徳」。悪ければ、さらに「ノルマ」を与える。
仏法は道理である。これを信仰と呼ぶのだろうか?

悪い言い方をすれば、「大変だねぇ、でもそんな事より選挙頑張ってよ」と言っているようなものである。

いま身近で功徳の話をほとんど聞かない。
本人にとって何気ない事でも、座談会などで「あの話をしてよ」と言われ発表。
後になって「功徳だった」と思う本人。歓喜はどこに?

活動にどんな不満があっても「先生が作られた」という印籠を出しては信仰から外れたノルマを課す。
功徳からかけ離れた組織を作り、自分達の満足を満たす執行部は「食法餓鬼」である。

職員の中でも、いまのおかしな学会に気付いている人がいるのかもしれない。
しかし、その人達は先生に「時の流れには逆らえません」と報告するのだろう。
54年と同じく保身のために。

師だけを仰いで邁進してきた先生の戦い。師弟のご指導から一体なにを学んできたのか?
「時流とはなんだ!」と怒っていただかなければ何もできないのだろうか。

広宣流布のために智慧を出し、手を打つ。これが先生の作られた学会であり、信仰である。
その働きもせず、対話の妨げを行う本部に信心はない。
本部に任せておいたら広宣流布はできないと皆が気づくべきだろう。

人は注意を受けて襟を正すもの。忠言もされず耳も傾けない人が狂っていくのは必然。
皆が「おかしい・・・?」と思ったことを声に出さないから、ズレていくのだと思う。
「打ち出しの妨げ」などと言い、その意見の人を煙たがり追いやる事はカルトの始まり。

どんな意見にも向き合い、こちらが間違っていれば反省をし、相手が間違っていれば折伏の対話で理解を促す。
双方に価値を生むのが先生の戦いであり、本来の学会であり、ここにしか平和は実現しない。

単なる「会員」の集まりではく、「仏法者」が充満する先生の学会を取り戻したい、そんな思いで一杯です。




 

みんながんばれ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 6月24日(土)08時18分4秒
  みんながんばれ
正しいと思ったことをやればいい
結果はあとでわかるはず

---------------------------------

間違いを改めるとき、

自ら間違っていたと気付けばそれでいい。

そのことを捨てて、

ただちに一歩を踏み出すべし。

間違いを悔しく思い、

取り繕うと心配することは、

たとえば茶碗を割り、

その欠けたものを

合わせてみるようなもので、

意味がないことである。



- 西郷隆盛 -
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「慰霊の日」にはナニされてたんデスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 6月24日(土)08時00分38秒
  おはようございます。原田怪鳥様、沖縄の「慰霊の日」にもかかわらず、1面は真逆の北海道での「アンギアーリの戦い」展(笑)

師匠のメッセージもなし、勿論、原田怪鳥様のおハナシもなし、寸鉄にもナニも記述なし、これが世界平和を目指す団体とは・・・

果たして、「慰霊の日」を心に刻み、平和を窮する会合が、あったのかもなかったのかもわからない不思議な団体・・・・

原田怪鳥様、おそらくアタマの中は選挙しかないのでしょうねぇ~(笑)

それが証拠に、1面使って、変顔写真の嵐には笑っちゃいマスよぉ~(爆)

ここ当分、原田怪鳥様の御尊顔を拝謁できていませぇ~ん(笑)明日こそは、原田怪鳥様の大上段からの檄を期待してマスよぉ~(爆)

できれば、前後をしっかりと把握した上での、御書を引用して下さいねぇ~(大爆)

 

Oさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 6月24日(土)07時08分5秒
  外部Oさんは、S市無所属系市議会議員夫人、公明党創価学会贔屓だったんですが、、、



Oさん「つきあいで公明新聞とってんのよ、もう何年もよ」

ひかり「公明党の議員に啓蒙されるんですか?}

Oさん「そう。 うちは各党の新聞とってるけどね」

ひかり「赤旗も」

Oさん「当然よ」

ひかり「共産党の議員さんて、S市にいましたっけ?」

Oさん「いなくなっちゃったわね(笑)」

ひかり「それでもとってるんだ?」

Oさん「けっこう面白いのよ」

ひかり「じゃあ、読み比べを毎日してるんだ」

Oさん「そう。 それで、あなたに言いたかったんだけど」

ひかり「はいはい」

Oさん「公明新聞て、一体誰が書いてんのかしら(怒)」

ひかり「えっ」

Oさん「共産党のこと悪く書くのは、まあ、いつもなんだけど、ひどいよね最近」

ひかり「3Kのことでしょ?」

Oさん「そうよ。 ガキのけんか、悪口の指南を、新聞がやってて、学会の人は平気なの?」

ひかり「さすがに批判噴出のようです」

Oさん「そうよ。当然ですよ。 しかし変わったよね、公明党も創価学会も」

ひかり「ずっと世界平和推進・弱者救済だったのがが、急に変わって、実態が逆ですよね」

Oさん「それ、今朝、主人が言ってたのと同じだわ」

ひかり「O議員さんと同じですか」

Oさん「うん。言葉まで同じ」

ひかり「反感もたれて…」

Oさん「当然でしょうよ。 裏切りられたわよ、信じてたのに」

ひかり「笑えますよね、3K」

Oさん「私も笑っちゃった」

ひかり「ハイエナだって」

Oさん「自分らこそハイエナじゃないの?」

ひかり「そうですよ。 今や中傷ビラレベルの扇動ばっかり。 学会員を公明新聞がどういう人

間の群衆だと思っているかが、よく出ています」

Oさん「良かった。 確かめたかったのよ、マトモかどうか」

ひかり「この私が? マトモではいられないですねこの状況」

Oさん「あなた、公明党じゃなかったの?」

ひかり「おお嫌だ。よしてくださいよ。 あんなの、公明党じゃないんですから」

Oさん「え、じゃ、何なの?」

ひかり「池田先生は、コンペー党っておっしゃってました」

Oさん「あら、池田先生はさすが。 さすが池田先生ね! 主人に言っとくわ、コンペー党か」








 

Twitterより。やあ、ぼく、ハイエナだよ。かわいい?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月24日(土)06時48分43秒
  やあ、ぼく、ハイエナだよ。公明新聞が作ってくれたんだ。可愛いでしょ。


 

フレーズ

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 6月24日(土)03時18分20秒
  こすい、混迷、困ったちゃん

こすい
【狡い】《形》
1.ずるい。わるがしこい。
2.けちけちしている。

【鼓吹】《名・ス他》
意見や思想を盛んに主張し、相手に吹きこむこと。?「国粋思想を―する」

こんめい
1.【昏迷・混迷】 《名・ス自》道理にくらく(=昏)、心が迷うこと。
2.【混迷】 《名・ス自》入り乱れて、わけがわからないこと。?「―する世界情勢」

『困ったちゃん』の解説 困ったちゃんとは仕事でミスばかりする人や周りの人の気分を害するような言動を平気でする人など、他者を困らせる人、周りが処置に困るような言動をする人、無神経な人のことで、こういった困った人のことを人名的に呼んだものである。 1980年代後半に社会人の間で普及。

え、何の話かって?

さぁ??
 

21世紀への選択 テヘラニアン対談2/6

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 6月24日(土)03時07分1秒
編集済
  政治は、現実の事態に即座に対応しなければなりません。

中国、北朝鮮など共産主義独裁に近い、政権とも仲良くやっていかなければ、世の中の不安は解消
されません。

「地球市民のための文明間の対話」と言う、提言をテヘラニアン博士は提唱されている。

どれ程、守りを固めても、現在の戦争は、防ぐことはできません。
どれ程、兵器を並べても敵はひるまないし、ますます、敵意を募らせるでしょう。

自分の国が、侵略されると思っているのですから・・・。

*、民族や人種、文化といった差異が、「対立」や「分断」を招くのではない。

*、人々の間を引き裂く、負のエネルギーを生み出してしまうのは、人間の心である。


全世界の人間の心を変革する、力強い宗教の教えによって、民族、宗教、経済など、文化の違いを
乗り越えるべくして、話し合いが大切だと、二人の「智の賢人」は説いておられます。

21世紀への選択 池田・テヘラニアン対談 2/6

「地球民族主義」や「原水爆禁止宣言」などの先見的思想を世に問うた、わが師.戸田

城聖創価学会第二代会長の平和思想を永遠に留めるため、一九九六年二月、私は「戸田
記念国際平和研究所」を設立した。

私が長い間、温めてきた構想であった。

その際、初代所長への就任を、テヘラニアン博士にお願いした。社会の現実のなかで

苦しむ人々の側に立つ研究姿勢とともに、それを支える鋼のような信条に、感銘を覚え
たからであった。

就任の快諾をいただいた直後、私たちは再会した。

「文明間の対話」をめぐる対談を、二人で進めようと合意したのも、そのときだった。

以来、博士は、研究所の活動でも「地球市民のための文明間の対話」をモットーに、平

和研究のネットワークを世界に広げながら、常に時代の喫緊の課題に取り組んでこられた。

本年二月には、戸田第二代会長生誕百周年を記念し、沖縄で「文明間の対話」をめぐる

国際会議も開催した。

この会議は今後、モスクワや北京などでの開催が予定されており、その成果が、大いに
期待されるところである。

テヘラニアン博士は、宗教にも造詣が深い。

文明と文明との"橋渡し"を進める上で、宗教が薫発する「開かれた心」が重要となる
と強調しておられた。

博士は、ハーバードの大学院時代、著名な宗教学者パウル・ティリッヒ博士のもとで学
ばれたことがある。

二十世紀を代表する神学者の一人であり、仏教にも強い関心を抱いていたティリッヒ博

士は、宗教の本質を"存在に通じる概念の根源に、究極的にかかわること"と定義した。

私も、人間が善なる精神のすべてをかけて、「生の意味」を追求する宗教的精神の営み

のなかにこそ、生命の尊厳を覚知した「開かれた心」を薫発する土壌があると考える。

ティリッヒ博士は、「生命力とは、自己自身を失うことなしに自己を越えて創造すると
ころの力なのである」(大木英夫訳『生きる勇気』、平凡社ライブラリー)と述べた。

私は以前(一九九三年九月)、「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して、ハーバード大

学で二度目の講演をした。

その折り、私がデューイの言葉を通し、「宗教」と「宗教的なもの」を立て分けながら

論じたのも、この「生命力」を念頭に、人間の内発的な力をいかに引き出すかというテー

マであった。

http://

 

関西婦人部の覚醒

 投稿者:五分の魂  投稿日:2017年 6月24日(土)00時57分17秒
  関西の扱いが変わってきたと。従来は関西の主体性が最大限に尊重されていたが、会則変更後は中央から押し付けがましい弾がどんどん飛んでくるようになったと。何かがおかしいと。ようやく然るべきレベルでの覚醒が始まったようだ。  

嘘はいかんな

 投稿者:五分の魂  投稿日:2017年 6月24日(土)00時41分58秒
  6月21日付寸鉄にそんなことは書かれていない。いつの6月21日なの?  

心から感謝です!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 6月24日(土)00時08分53秒
  信濃町の人びと 様
いつもありがとうございます!
心から感謝です!

元知事の太田さん、先生と会談されていたのですね。
知らなかったです。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 6月23日(金)23時48分17秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が健康長寿であります様に
昨日、沖縄ヘイト抗議デモに参加してみました
沖縄の対立問題がなくなります様に
おやすみなさい
 

謹んで・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 6月23日(金)23時45分38秒
編集済
  今日は酷く体が疲れています。
ですが、御本尊にお題目を唱え、職場から帰宅後の残られている方々の様子へのご苦労と心配への疑いを晴らすような感じでおりました。
社会に出ている以上、周囲からの働きかけは必ずあります。

朝出勤してみると、配置がガラッと変わっていました・・・。
私自身は、喜びの表情で御本尊を拝し、今までとは違うご祈念をしてきました。

御書に度々出てくる法華経のお文字を心の中で南無妙法蓮華経と読んでみました。
そして、人で言えば、南無し奉る方は日蓮大聖人お1人。
久遠元初という言葉がご祈念の言葉が消えてから年久しいです。
お題目を唱える時はいつの時も久遠元初である筈。
それが法華経の肝心南無妙法蓮華経と変わっています。
これ自体は間違ってはいないものの、文上読みであることは大抵の方々が知っています。

それは気持ちだけの問題なのでいいとして、どこまでも広布の為に尽くされた方々に感謝するのであって、上の人々への感謝、組織への感謝・興隆が先であってはなりません。
その意味で祈りを違う視点から行ってみました。

御本尊への喜びの表情で拝したことは、もちろん、今日が沖縄慰霊の日であることも知った上で、過去に朝の唱題の時に体が躍動していた日(曜日も同じ金曜日)でもあるからです。
御本尊へのお題目は厳粛なものです。
それ故、朝御本尊に向かう時から気持ちが現われるといっていいと信じます。

父ははっきり口に出してご祈念をしていた人でした。
心の中だけでご祈念するのは中々難しいことであるし、口が動きやすいものです。
そして、最近になって私は「御本尊あそばす」という日道上人の日蓮大聖人と日興上人の弘安の信徒の法難の時の記述をしていらっしゃることがずっと頭の中にあり、道行く中に、たまにそのような気持ちでいることが出てきました。
それはいつもではなく、今日とてそう思ってはいませんでした。

ですが、祈りを南無妙法蓮華経の常楽我浄の四波羅蜜に当ててみた時、心に南無妙法蓮華経を見ながらでもいいのではないかと思えてきました。

仏説觀普賢菩薩行法の中の一節、

五體投地。復禮諸仏。是時諸仏。復放光明照行者身。令其身心自然歓喜。発大慈悲普念一切。

爾時諸仏広為行者。説大慈悲及喜捨法。亦教愛語修六和敬。爾時行者。聞此教敕心大歓喜。復更誦習終不懈怠。

五体を地に投じて復諸仏を礼したてまつれ。是の時に諸仏、復光明を放って行者の身を照らして、其の身心をして自然に歓喜せしめ、大慈悲を発し普く一切を念ぜしめん。

爾の時に諸仏、広く行者の為に大慈悲及び喜捨の法を説き、亦愛語を教え六和敬を修せしめん。爾の時に行者、此の教勅を聞き已って心大に歓喜して、復更に誦習して終に懈息せざらん。

を最近書き留めました。

今は肉体労働での体の疲れが残っているのにも関わらず、お題目の後、爽やかです。

そして、今のある歌舞伎役者の方の婦人がお亡くなりになられた報を聞いて、何やねん!と怒りのような寂しい思いが込み上げてきました。
人の命。これは一生続く命題です。
謹んでその命に合掌致します。
 

同盟題目23時に開始します。よろしくお願いします。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 6月23日(金)23時00分5秒
  池田先生と奥様のご健康・長寿を祈ります。
また、沖縄で戦争の犠牲になられた方々にお題目を送ります。

追伸
九州の皆様、お元気でしょうか?
大雨と地震があり今後、地盤が緩くなると危険度が高まります。どうかご無事で。

魂の炎さん
沖縄に触れていただきありがとうございます。
犠牲になられた方のお名前が不明の方がまだまだいるとニュースで見ました。先生は沖縄はもっとも幸福になる権利があると言われていましたね。
先日、元知事の太田さんが亡くなられました。
先生と会談された知事さんです。ご冥福を祈ります。
 

「光の明日」のために!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 6月23日(金)22時46分56秒
  今日は沖縄慰霊の日です。

池田先生の写真紀行「地球は美しい」の93ページに、沖縄について書かれています。


沖縄「世界平和の碑」
沖縄は美しい。「光の国」である。その空の明るさを仰ぐたびに、私は思う。
この青き空を、若夏の風ではなく、「鉄の暴風」が覆った日を。
この青き海が、千五百隻の戦艦の重さで軋んだ日を。
この青き山々が、鉛色に変わった、あの夏を。
本土は自分たちを守る盾として、死ねよと沖縄を切り捨てた。
生け贄にされ、阿鼻叫喚の島にされた。
沖縄戦のその見返りが、戦後の「核基地の島」だったとは!

沖縄から見ると「日本の正体」が、よく見える。
いまも続く人権無視の重圧。日本は、どこまで紅涙の
沖縄を踏みつけにすれば、気がすむのか。
多数のエゴで、弱い立場の人を犠牲にするのが民主主義なのか。
人の犠牲の上に安逸を貪るのは、人間として恥であり、罪ではないのか。
「二十世紀に、どこよりも苦しんだ沖縄」を「二十一世紀に、どこよりも幸せにする」ために全身全霊を傾けなければ、日本に正義はない。民主主義もない。繁栄が続くこともないだろう。
差別する者は、その不正義の報いを必ず受けるからだ。

未来、いつの日か、沖縄の少年が聞くだろう。
「お父さん、核って何?昔、そんなものがあったの?」
「そうだよ。昔、昔、人間は、とってもおかしなことをしていたんだ。お互いに殺し合う機械を、いっぱい作って、それを突き付けあって、憎しみあって    それを「安全」って呼んでいたんだ」
未来、いつの日か、沖縄の少女は聞くだろう。
「お母さん、戦争ってなぁに?昔、そんなものがあったの?」
「そうよ。昔、昔、人間は、とってもおかしなことをしていたの。お互いに殺し合って、傷つけ合って、いっぱい血と涙を流させて    それを「平和のため」って呼んでいたの」
そんな、「光の明日」のために!今、私たちは喜んで礎となろう。

以上、抜粋でございます。

池田先生の「平和への熱い思い」が伝わってきますね。

 

二十一世紀への対話 84

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 6月23日(金)21時24分50秒
  【トインビー】 新しい運動は、大いに渇望されるべきです。このままの事態が続くかぎり、決して明るい見通しは立たないと思われるからです。
ここで私の考えを結論的に申し上げれば、自由競争経済下の私企業は、そのすべての当事者が自らの貪欲さを規制できずにいるため、結局は自らに死の宣告を下している、ということです。自由競争経済の企業の思想における倫理的前提は――いや、むしろ非倫理的前提というべきでしょうが――「貪欲は美徳であって悪徳ではない」という考えです。しかし、この前提は真実に反するものであり、その誤りは報復をもたらします。規制なき貪欲は、その自殺的な先見性のなさのゆえに、自己破滅を招くのです。
私は、最大限の私利追求を生産の動機としているあらゆる工業国において、自由競争経済はやがて機能がマヒしてしまうものと信じています。そして、こうした事態が起きると、やがては独裁政権によって社会主義が実施されることになるでしょう。これはしかし、雇用者だけでなく労働者たちからも、同じくらい激しい抵抗を受けるはずです。なぜなら、すでに労働者たちは、かつて彼らの歴史の第一段階では自分たちを搾取した当の体制自体から、今日では、たとえ一時的であるにせよ、恩恵をこうむっているからです。
私は、社会主義の到来を予測する点では、一見、マルクス主義者のようにみえるかもしれませんが、倫理的判断のうえではマルクス主義者ではありません。マルクスは労働力の雇用者を侮蔑し、労働者たちを理想視しました。これに対して、レーニンは労働者に幻滅し、やがて彼らに圧力を加えました。私の見解では、マルクスが当時の雇用者たちに加えた酷評は、そのまま今日の労働者たちに当てはまります。人間の本性は、雇用者も労働者も同じなのです。

【池田】 まったくおっしゃる通りです。われわれは、人間のもつその普遍的な本性を正しく見きわめ、そこから変革の原理を確立していかなければなりませんね。従来の変革への試みは、人間自身への究明が不十分なままに、体制や機構の改革だけで社会を変革しようとしてきたところに、ある一面では成功を収めても、全体としてみれば失敗してきた根本原因があったと思います。

【トインビー】 人間の本性は貪欲なものです。そして、この貪欲性は、規制されないかぎり大きな不幸を導くことでしょう。したがって、私は、他のあらゆる人間の活動と同じく経済活動においても、自己超克こそが自己救済への唯一の道であると信じます。
あなたはさきに、労働運動の目標を欲望充足の追求から、より本源的な人間防衛への探求に転ずる必要がある、と述べられました。この点、私も同感です。しかし、この転換は自主的にはなされないのではないかと思われます。私は、それは一つの独裁的政権によって押しつけられるのではないかと心配するのです。そこでは、あらゆる生産工程にたずさわる当事者たちが、すべてこの体制に身をゆだねざるをえなくなるでしょう。彼らはそれを、現在の私企業制度がもたらすであろう全面的な経済恐慌に比べれば、独裁体制のほうが同じ悪でもまだましだとして、しぶしぶ認めることでしょう。
なお、私の予想するこの独裁体制が、それにゆだねられた革命の使命遂行に成功するならば、次いで、より民主的に“世界国家”の市民を代表する、より穏健な政権がこれに取って代わることでしょう――しかも、この政権は何らかの形の世界的独裁権を基盤としたものであるに違いないと私は思うのです。
 

ホールド・オン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月23日(金)21時13分20秒
  「理想と現実」を考えるため一本の補助線を引いてみたいと思います。

特集ワイド 続報真相 結局何がしたいのか 安倍流改憲の「正体」毎日新聞2017年6月23日 東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20170623/dde/012/010/005000c?fm=mnm
>その晋太郎氏の憲法観は後述するとして、一貫しない安倍首相の改憲論に哲学はあるのか? 首相の母校・成蹊大に政治哲学の泰斗を訪ねた。加藤節名誉教授(73)は安倍首相が在学中、必修科目の政治学史を教えていた。
 「改憲論の哲学? 僕は感じたことがない。そもそも安倍君、改憲項目がころころ変わっても、何とも思っていないんじゃないか。彼にとって現憲法は『なかりしもの』なのではないでしょうか」
 確かに安倍首相は「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。日本人が作ったんじゃないですからね」(12年12月14日、ネット番組)といった認識を繰り返し述べている。だが、安倍首相が度々言及する「押し付け憲法論」は近年、憲法案を議論した旧帝国議会の議事録公開などで、その誤りが明らかになりつつあり、衆院憲法審査会も昨秋、「押し付け論は前提にしない」との見解を表明しているのだ。
 加藤さんが続ける。「なぜ哲学を感じないか。安倍君は『憲法学者が自衛隊を違憲と言うから憲法を変えるべきだ』という。憲法を現実に合わせるということだが、これは現実に流されただけの思考停止です」
 憲法には、権力者の権力行使に縛りをかけるとともに、権力者がやるべきことを定める「プログラム」の機能もある。
 「憲法の理想を実現する努力が、権力者には課されているんです。例えば9条2項は、1項の『国権の発動としての戦争』のための戦力保持を禁じている。ならば『世界平和』のための戦力なら、違憲とは言えない。日本が率先し、いまだ実現しない『国連軍』創設を成し遂げ、そこに自衛隊を充てる。そんな考えもあるはずです」
 教え子であるはずの安倍首相は普段から「現実に即して考えるのが政治家の役割だ」と述べているが、どうだろう。<
>「『現実と理想は違う』と二元論で考えることこそ誤りです。フランス革命やアメリカ独立を見てください。理想を追求した結果に現実があり、現実の変革は理想の追求からしか生まれません」と、教え子の解答に「×」を付けるのだ。<

この最後の部分です。ガンジーは「宗教のない政治は野蛮である」と言っていたのでしたか? 正確には忘れました(混迷党は宗教のない政治になったか?)が、その政策なりがどのような「一念」から生まれているのかは極めて重要ではないでしょうか。同じ教科書無償化にしても菩薩界に発したのか、子供たちをコントロールしようという他化自在天の地獄界に発したのか。その「因」が「果」となるのですから。
小説『新・人間革命』には、仏法者を政界に送り出そうとされた理由に「色心不二を知る者を」とありました(どこだったか探す時間なし)。政策(ハード=色法)と理念(理想と言って良い:ソフト=心法)は不二であるからこそです。「理想(ソフト=心法)」から「現実(ハード=色法)」を変え行く。これが人間(ホモ・サピエンス)進化の証しです。
別の機会に書くかもしれませんが最近の『NHKスペシャル』によると、生存競争でホモ・サピエンスが生き残った理由は「想像力」にあるそうです。池田先生は「想像は創造」と言われていました。これは一念三千であり、量子論にも通じますが、「理想」という想像なくして、いかなる創造か?

逆に聞きたい。これ以上の理想論があるでしょうか?

「一人の人間における偉大なる人間革命はやがて一国の宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」

“ねえ、分かるでしょう? 現実は変えていけるのよ 全ては、あなた次第なの”
“もう一日だけ頑張れるのなら あなたが、後もう一日だけ頑張ることができるのなら”
“きっと、あなたが思う通りになっていく だから、もう一日だけ頑張ってみない?”
『ホールド・オン』ウィルソン・フィリップス
https://www.youtube.com/watch?v=uIbXvaE39wM
http://conerofworld.blogspot.jp/2015/07/blog-post_30.html
 

【保存版】どちらが本物の池田先生でしょうか?

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 6月23日(金)20時18分13秒
  〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 八 2017年6月23日

 政治は、現実である。そこには、人びとの生活がかかっている。足元を見すえぬ理想論は空想にすぎない。現実の地道な改善、向上が図られてこそ、人びとの支持もある。


~~~~~~~~


「全世界の民衆の総意のもとに、核兵器の解体、廃棄へと向かうべきであると考えますが、いかがでありましょうか。
むろん、このような私の提案は一見、理想論のようにみえるかもしれません。だが、核兵器の際限のない増大につれて、刻々と忍びよる人類滅亡の危機を回避するためには、一刻も早く核全面廃棄の目標に向けて、何らかの確かな第一歩を踏み出さねばならないと私は信ずるからであります。」(1978.7)

「これらの諸問題に対処するにあたっては、理想論とのそしりをうけるかもしれませんが、国境や民族を超越した視点と舞台に立っていくことが急務でありましょう。」(1978.11.19)

「ガンジ―の主張があまりにも現実離れした理想論に見えたときもあったでありましょう。
しかし、長いスパンで戦後の歩みを振り返ってみれば、戦火のなか、自由と民主主義は非暴力によってのみ救われるという「荒野の叫び」を、倦むことなく叫び続けていた、ガンジー的課題を我々が乗り越えたなどとは、とうてい言えません。」(1992.2.11)

「国連中心主義は、私が数十年前から訴え続けてきたことである。その間には、この主張は理想論にすぎないという批判も少なくなかった。しかし世界の平和と調和のためには、どうしても″人類の議会″国連を中心にしていかねばならないと確信していた。」(1990.10.10)

「資源を「軍備」にではなく「人間開発」に投じる新たなグローバルなマーシャルプランが必要、と博士は考えておられるのであります。これを理想論といって片付けるのは簡単ですが、コスタリカ自体が、一九四九年に制定された現行憲法で軍隊を廃止するのに成功していることからも、博士の主張には説得力が感じられます。」(1996.1.26)

「日本国内では、知識人や、労働組合の側から、全面講和を主張する声が、澎湃として湧き起こっていった。五〇年(同二十五年)一月十五日には、三十五人の著名な学者、文化人による「平和問題懇話会」が、永世中立を掲げて全面講和への声明を発表した。
現実主義の政治家たちは、これを理想論として批判した。後に、吉田は、この「平和問題懇話会」の主催者である学者を、「曲学阿世の徒」と呼んで非難するのである。」(人間革命-戦争と講和)

「民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている。
 こう言うと、日本の多くの政治家は、甘い理想論であると言うかもしれない。あるいは、現実を知らないロマンチストと笑うかもしれない。
 しかし、笑う者には笑わせておけばよい。やってみなければわからない。
 要は、人類が核の脅威にいつまでも怯え、東西の冷戦という戦争状態を放置しておいてよしとするのか、本気になって、恒久平和をつくりあげようとするのかという問題だよ」
(新・人間革命5 開道)

「本当に教員になりたければ、必ず、なってみせると決めなさい。もし、大学に進学することが経済的に大変ならば、アルバイトをして学費をつくればよい。夜学に通ってもよい。
 使命に生きていこうとすることは、理想論を語ることではない。観念の遊戯ではない。足もとを見つめて、現実を打開していくのが信心です。困難を乗り越えていく姿のなかに、信心の輝きがある。
 いかなる状況下にあっても、誰よりも力強く、誰よりも明るく、誰よりも清らかに生き抜き、自分は最高に幸福であると言い切れる人生を送ることが、あなたの使命なんです」(新・人間革命9 鳳雛)


http://6027.teacup.com/situation/bbs/71173

 

無党派、ドン引き!(((≧▽≦)))

 投稿者:フロム関西  投稿日:2017年 6月23日(金)19時49分25秒
編集済
  内部を煽ってるだけやん!ヾ(°∇°*)

っーか、誰もついてきてないし!(´・д・`)

もう「恥ずかしい」わ!(/--)/ ┷┷

「下品な戦い」止めようよ…。(´・ω・`)





 

Twitterより。かつてデマで苦しめられた公明党。だからこそ正々堂々とした手段で戦うべき。今は哀れな権力の走狗に。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月23日(金)19時39分13秒
  かつて住民票の集団移動等「デマ」で苦しめられた公明党。だからこそ誰よりも正々堂々とした手段で戦い、日本的馴致に風穴を開けてきたが今や昔。人間を幸福にしない日本というシステムに同化した哀れな権力の走狗になり果て、汚い手段もおかまいなし

氏家法雄
 

6月21日付寸鉄より。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 6月23日(金)18時50分20秒
  青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は現罰で野垂れ死ぬまで攻め抜け。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。日本共産党撲滅!  

研鑽の意欲をそそられます!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月23日(金)18時25分56秒
   みなさん、素晴らしい。刺激になります。研鑽の意欲をそそられます。

 【パトス】
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/71175
 パトス=一時的な感情状態。情念。⇔エートス(持続的習性)。池田先生の仰られた「広宣流布は流れである」と、いつかの提言にあった、温暖地域の民族に醸成される「共生のエートス」ですね。

 ※「パトス」=アリストテレス倫理学で、欲情・怒り・恐怖・喜び・憎しみ・哀(かな)しみなどの快楽や苦痛を伴う一時的な感情状態。情念。⇔エートス。?哲? 〔受動の意〕 外界を受容して内面に生まれる心的状態。感情・感動・情熱など。無記・無方向であることから知性(ロゴス)と対比され、一時的であることから持続的習性(エートス)と対比される。(いずれもwikiから)

 【理想】
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/71161

 世界広布の歌(作詞 男子部有志 、作曲 有島重武)

 見よ雄渾の気は満ちて
 白雪輝くヒマラヤの嶺
 歴史を刻む黄河の流れ
 理想に燃えて我等征く
 ああ 世界広布の意気高し

 「理想」は、人を駆り立てます。混沌から引き揚げます。引っ張ります。信仰といっても、一面で言えば、個々に感じるのは「自分の中の理想」です。自身の「知恵」から生み出されます。


 【夢】
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/71176
 「芸術は夢」ですね。夢は仮想です。「夢のない政治は悪夢」です。
 ↓水の振動による紋らしいです。この紋にそってたんぱく質を組み立てれば、あるいは複雑な生命体の作成も可能です。
https://www.pinterest.jp/pin/393642823656517091/

 【無作三身】
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/71174

 「思考概念化される前(文底)の無作を見れば日蓮大聖人という個別が消える。思考概念をしか認識できない『考え』の中だけでは分離は消えず個別は消えない」



 

法華玄義・序王 11

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 6月23日(金)18時20分41秒
編集済
  又發衆聖之權巧顯本地之幽微。

また、衆聖の権巧(ごんぎょう)を発いて、本地の幽微(ゆうみ)を顕わす。


記別を受けた上・中・下の機根の修行者には、
授記と同時に、本門が迹門に覆われていることが明らかとなり、
ブダガヤーの菩提樹下で成道し、クシナガラで入滅した釈尊に対するとらわれが取り除かれる。
こうして、釈尊の本地が法・報・応三身相即の本仏であることが明らかとなることは勿論、
上・中・下根の修行者たちの本地も永遠の生命に生きる本仏釈尊と同じ仏国土であるという、
いまだかつて説かれたことがない、幽玄微妙なる一仏乗の教えが明かされたのである。


故增道損生位隣大覺。

ゆえに、増道損生して、位は大覚に隣る。


そういうわけで、上・中・下の機根の修行者は
それぞれ法説と譬喩説と因縁説を聴聞して、仏道に邁進する中道の智慧を増進し、
諸法実相の妙理を体解して、願力によって変化し改易することができる、
限りない生死の境界を超えていくから、記別を受けた修行者それぞれの位は、
究極の仏の位である妙覚に近づくのである。


一期化導事理倶圓。蓮華之譬意在斯矣。

一期の化導は、事理ともに円かなり。蓮華の譬えは、意ここにあり。


釈尊一期の教化は、説かれた迹門の教えと本門の教えとは密接不離であり、
現象世界(事)を見せることによって本門を明らかにし、
真実世界(理)を見せることによって迹門を明らかにし、
迹門と本門とがともに融け合ってさまたげ合うことなく完全である。

迹門と本門の蓮華三喩が示そうとすることは、
ハスの果実とハスの花は同時同所にありながら、
しかもハスの果実とハスの花はそれぞれに推移し、
ハスの花が落ちてハスの果実が顕われるように、
声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えに執著するとらわれを開いて捨てれば一仏乗が顕われ、
肉身のブッダ釈尊に執著するとらわれを開いて捨てれば久遠実成の本仏釈尊が顕われる。
この権と実、本と迹は密接不離で、通じ合っている。


 

このハゲ~違うだろ、違うだろ。

 投稿者:371949  投稿日:2017年 6月23日(金)17時42分27秒
  お辞めになられては?あのお方のことではありません。  

twitterより。(公明広報に対して)共産党でも学会員でもないがやり方間違ってる。無党派はドン引きですよ

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月23日(金)16時40分39秒
編集済
  私は共産党員でもないし、公明党の党員でも学会員でもないけど、こういうやり方は本当に間違ってるよ。支持者のみなさんもこんなことを放置して本当に党のためになると思ってる?無党派層はドン引きですよ  

詫び状、査問について

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2017年 6月23日(金)15時26分16秒
  The logic in the place様
>20150915より投稿を止めておりましたが、この度、当掲示板の投稿内容につき、詫び状を書けとの査問を繰り返し受け、恫喝も受けましたので、それを受諾して「役職解任」となり「一会員」となりました。<との事。
小生の身近には、当板で言われているような、詫び状を書けと言われたり、査問や恫喝を受けたメンバーを実際は知りませんので、投稿していただき感謝です。
投稿を理由に、会員規定に反するとは、やくざ者に等しい、悪逆な輩達ですね。仏法者にあるまじき、職業幹部のお出ましでしたか。

3Kなどと共産党を非難していますが、自分たちこそ北朝鮮状態なのを、全く自覚出来ないのでしょうね。
当板には、今のままでは、大切な創価学会が危ない!とばかりな問題意識を持ち、建設的な意見が多いと認識しています。現状に甘んじ、将来を考えない無責任な”形だけの幹部諸氏”は無責任そのものの存在だと思います。

建設的な意見も批判の為の批判も、全て一緒くたにしてしまうほど、レベルの低い人達なのでしょうね。
「共謀罪」を廻る動きなど見ていますと、牧口先生、戸田先生は草葉の陰で泣いておられるのではないかと悲しくなります。
職業幹部の皆さんに望むことは、組織の論理で言われたままに動くのではなくして、先生のご指導、哲学を基準にして、自らの信念、考えで行動して欲しいということです。

”何のため、君よ、それを忘るるな!”でしたね。あなた方は何のために広宣流布を志したのですか?

 

レット・イット・ビー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月23日(金)14時45分22秒
  毎日新聞170623『金言 文化芸術基本法=西川恵』
https://mainichi.jp/articles/20170623/ddm/003/070/042000c
>加計(かけ)学園を巡る与野党の対立の陰に隠れてほとんど注目されなかったが、先の国会閉会直前の今月16日、参院本会議において「文化芸術振興基本法の一部を改正する法律」(文化芸術基本法)が全会一致で採択、成立した。日本の今後を考えた時、重要な法律だと思われる。最初の文化芸術振興基本法が超党派の議員立法で成立したのは2001年。今回、16年ぶりの改正で「振興」の文字を削ってズバリ文化芸術基本法とした。法律の性格をより明確にする狙いである。この文化芸術基本法の特徴は第一に、文化芸術を社会の基礎に据えることを明確にしたことだ。旧法はいわば文化芸術の大切さについて理念の表明にとどまっていた。新法は、文化芸術の固有の価値を大切にしつつも、文化芸術を観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、産業などの施策と有機的に結びつけていく必要性を強調する。文化芸術を広く社会の中で生かしていくべきだとの考えでもある。 第二の特徴は、文化芸術を担う団体の役割への期待だ。旧法では国の役割に重きを置いていたが、新法は文化芸術団体の「自主的かつ主体的」な活動の重要性に言及する。文化とは国が上から号令をかけるものではなく、個々の文化芸術団体の主体的な取り組みの中から生み出されるとの認識の共有だ。 第三の特徴は、文化芸術の範囲を広げたことである。一つは食文化。和食は13年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されており、食を文化として捉えるのはいまの時代当然である。もう一つは公共の建物等に文化芸術作品を展示する、いわゆるパブリックアート(環境芸術)。新法では1項を設けてパブリックアートの設置を推奨する。 ただ法律はできても、具体的な施策はこれからだ。絵画・版画・彫刻の分野で約5000人の美術家を束ねる日本美術家連盟(山本貞理事長)は「やっとスタートラインについたところ」と語る。 いま先進国を中心に文化の大競争時代にある。文化を使って国の良きイメージを発信し、自国を理解してもらい、世界の人々の共感を獲得する。この点で文化政策は安全保障でもある。外国人観光客の増加も経済的利益から語られがちだが、日本文化に親しみを持つ人が増える点で重要な安全保障なのである。 今回、新法を超党派で成立させた文化芸術振興議連は「東京五輪の年に文化省」を掲げる。真剣に検討されるべきだろう。(客員編集委員)<

論説委員的な役割を頼まれて、公明支援語り口を毎週新聞発行していた時にこの「文化芸術立国」を取り上げ、好評をいただきました。あの時の斎藤鉄夫は輝いていました。自公に厳しかった毎日新聞がまたこれを取り上げてくれたことに、まだ何か希望を見出せるような気がしました。例の共謀罪の解毒剤になればいいなと。いま再びの陣列で輝けるか?

“暗闇に包まれる夜(暗黒の夜)でも 僕を照らしてくれる一筋の光りがある”
“明日まで輝き続けておくれ 「本来無作の三身」で”
『レット・イット・ビー』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=eOXDt1XvHgY
 

都議選振り返りと予想

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2017年 6月23日(金)14時32分57秒
  都議選:振り返りとドタ勘予想     2017年6月23日現在。
<過去3回の獲得議席と投票率及びドタ勘予想。>

    2005年 43,99%  2009年 54,49%  2013年 43,5%  2017年予想
都ファースト                             41議席
自民党    48議席      38議席      59議席      39議席
民主党    35議席      54議席      15議席      6議席
公明党    23議席      23議席      23議席      20議席
共産党    13議席      8議席      17議席      15議席
ネット    3議席       2議席      3議席       2議席
みんな                       7議席
維新                        2議席       1議席
無所属    5議席       2議席      1議席       3議席
合計     127議席     127議席      127議席     127議席

投票率がどれくらい伸びるか?50%超えを想定。
第一党は都民ファーストが取る。自民党は一人区で全敗が響く。

都民ファースト41+公明20+ネット2+無3≒66で辛くも過半数獲得。
民進党はひと桁となり、蓮舫代表の責任が問われる展開に。

自民党内にもこのままでは次期衆院選は戦えないとの、ムード生まれる。2018年9月の、安倍総裁三選に危機感。ポスト安倍の動き広がる・・。

公明党、国政選挙並みのシフト敷くも、3人落選(希望を込めて)。安倍自民党追随路線に見直しを求める動き顕在化。
支援団体である創価学会からも、路線問題に対する疑念の声が大きくなり、政治からは、一定の距離を置くべきだとする意見が噴出するに至る。

今回の東京都議会選挙の結果を受けて、2018年12月に任期満了を迎える衆議院の解散時期も含め、政界全体に、流動性が増すことになった。

 

JFK

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月23日(金)14時25分42秒
  虹さんが私の考えを代弁して下さったので、少しばかり。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/71173

『「イマジン」引用、英残留の夢語る「夢想家かも」』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170623-00000025-asahi-int
>英国が欧州連合(EU)に残留することは夢か――。ベルギー・ブリュッセルで22日に始まったEU首脳会議で、英国のEU離脱を巡って、ジョン・レノンの名曲「イマジン」を引用したトゥスク常任議長のスピーチが話題を呼んだ。 英国人の何人かの友人に「英国がEUの一部として残るという結果は想像できるか」と聞かれたというトゥスク氏はスピーチで、「成し遂げることが不可能と思われた夢の上にEUは築かれた」と答えたことを紹介。そのうえで「誰も結果は分からない」と述べ、「私のことを夢想家というかもしれない。でも、それは私一人だけではないはず」とイマジンの歌詞の一節を引いた。<
https://www.youtube.com/watch?v=M0d_P-QMdNQ
>その後の会見で真意を問われたトゥスク氏は「夢のない政治は悪夢。私の欧州での経験からすると奇跡は起き、それこそ政治の最も良い部分だ」と答えつつ、「私は現実主義者でもある。だから、第一に交渉を始めなければならない」と釈明した。<

“夢のない政治は悪夢”
“だから、第一に交渉(対話)を始めなければならない”

理想論というものは寝言ではないということでしょう。虹さんが引用して下さった「足もとを見つめて、現実を打開していく」ということでしょう。小説での「現実の地道な改善、向上」は同義語であると思います。
要するに『嵐の「4・24」』と、それ以後の「時流論」とは真逆であるということを明確にしておきたい。
「しかし、時流とはなんだ!」「問題は、その奥底の微妙な一念ではないか」「なんと哀れな敗北者の姿よ」「ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神はどこにあるのか!」

先のトゥスク氏は理想論か? 時流論か? 今の学会・公明は理想論か? 時流論か?

入信の前年、中学時代の社会科授業で「我々の生きているうちには無くならないだろう」と聞かされたベルリンの壁が無くった時には驚いた。その壁を池田先生は「30年ともたない」と言われたと聞いてまた驚いた。理想論? 正しく言葉を理解したい。
また入信から間もない頃、東京三越デパートだったか、確か世界のおもちゃ展か何かに時間の都合で駆け足で見て回わる私を釘付けにしたジョン・F・ケネディを忘れられない。

「現在、我々が抱え込んでいる問題も人間が作り出したものである以上、人間がそれを解決できないはずがない。
そして、人間の偉大さは、彼が望めばどんなにでも偉大になれることだ。
人間に運命づけられたいかなる問題も人間の存在を超えたものではありえない」

人間革命 光あれ
 

お詫び・訂正その一

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年 6月23日(金)13時15分59秒
編集済
  ご無沙汰です。
20150915より投稿を止めておりましたが、この度、当掲示板の投稿内容につき、詫び状を書けとの査問を繰り返し受け、恫喝も受けましたので、それを受諾して「役職解任」となり「一会員」となりました。

合意手続きに従い、20141111より20150915までの投稿を一点一点精査して、客観的妥当性に基づき投稿内容を引用して釈明して参りますので、よろしくお願い致します。


ーーーーーーーーーー
舞台替えの必要性  投稿者:The logic in the place

投稿日:2014年11月11日(火)20時21分27秒

健康な状態にあるときに、組織には秩序構造が生れる。やがて秩序構造が固定化して、利権構造に変化していく。そしてこの利権構造が「身分制度」を生み出していく。やがてこの「身分」の上辺の人々にモラルの低下を示す現象が頻繁に出現する。このことは、固定化した組織が自分自身を変えていく働きを失って崩壊し始めていることを示している。権力者のレベルで構造的に腐敗がおきているために、身分制度そのものを否定する以外に組織が閉塞的な状態から抜け出ることはできない。そこでこれまでの旧い舞台を壊して、これを新しいものに変える「舞台替え」が必要になる。これを実行していくのは、「学識経験者」と呼ばれる能力的専門家や評論家と呼ばれるタイプのテレビに出たがる人たちではない。これらの人々は旧い舞台の上で演技をしてきた「役者」たち -健康な状態にあった社会でドラマをきらびやかに演技してきた人々- であり、いまここで必要になっているのは、その人たちが演技してきた舞台を壊して新しい舞台をつくり、他方で新しいドラマの舞台を準備することである。それは昆虫のさなぎの体内でおきているような変態的変化を実行することである。この仕事をする人々は、「身分制度」の下辺で矛盾を押し付けられてもがいてきた人々や、やがて大きな負担を押し付けられる若い世代の人々である。このような人々がそれぞれ平等な一生活者として、互いに信頼しあい連帯して実行しなければこの変態の仕事は成功しない。互いに連帯してこの困難な仕事をおこなうことが、パトスの活力を強め、新しい主役をつくっていくのである。

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この内容は、「場の論理」を展開されている大学教授の書物から引用しています。ご興味のある方は、ネットで調べて下さい。私が被災地での仕事の合間に現地の研究会にて講演、対話した方です。
この内容には、創価学会会員規則に抵触する内容は無いと認識しています。
 

無作三身の日蓮本仏と見ることの試論

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 6月23日(金)12時52分51秒
  蒙古襲来の予言を的中させたような特別な力をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な力をもって無作三身の日蓮本仏ではない。

立正安国の戦いを作(おこ)したような特別な作をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な作をもって無作三身の日蓮本仏ではない。

下種の南無妙法蓮華経を唱え始めたような特別な因をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な因をもって無作三身の日蓮本仏ではない。
エネルギー変換された有作の本因妙の教主である。

御本尊を顕したような民衆に対する特別な縁をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な縁をもって無作三身の日蓮本仏ではない。

法華経の通りの難に遭ったような特別な果をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な果をもって無作三身の日蓮本仏ではない。

弟子旦那を育て御書を残し本仏と言われるようになったような特別な報をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な報をもって無作三身の日蓮本仏ではない。

日蓮大聖人が生涯始終日蓮大聖人であり続けた特別な本末究竟等をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはNO。特別な本末究竟等をもって無作三身の日蓮本仏ではない。

特別に転じていないありのままの凡夫という相をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはYES。ありのままという相をもって無作三身の日蓮本仏である。

時空を超えた元のままの存在、諸法実相の法界という体をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはYES。元のままという体をもって無作三身の日蓮本仏であり久遠元初である。

諸法実相の法界を心として繕わない性をもって無作三身の日蓮本仏か?
答えはYES。繕わない性をもって無作三身の日蓮本仏であり自受用身である。

思考概念化された(文上)有作を見れば日蓮大聖人という個別があり
本因妙の教主、末法の御本仏、法華経の行者、上行菩薩の再誕、等々
日蓮大聖人の個別的な種々の側面である。
出禅であり各別があり論争の起こる世界である。

無作三身という語自体が、本覚(全ての凡夫がそのままで本仏)の語であり
一部に日蓮大聖人の真蹟には見られないんだという批判があるが
法を文底まで掘り下げるような観心本尊抄のような御書は本覚にも通じている。

思考概念化される前(文底)の無作を見れば日蓮大聖人という個別が消える。
これは思考概念をしか認識できない「考え」の中だけでは分離は消えず個別は消えない。
非二元の体感覚知であり、寂滅の論争の無い世界の入禅である。
が、入禅しっぱなしという本覚があるのではなく(それだと小乗的)
静散即本覚である。

「一心静なる時は入禅、一心散乱する時は出禅、静散即本覚と知るを悉く知るとは云うなり所謂南無妙法蓮華経は入禅出禅なり云云」(791)

脳がしびれるような難しい話かもしれないけれど
脳がしびれるような感じがするということ自体

そのようであり、そのように起こっている諸法実相です。

発信者の意図と受け手の理解は文上である限りズレブレがあり
文底と文底に向かう時には和合です。

対話によって解り合う力を開き広げていく。
それによる幸福と平和の実現。

人間不在の解消。

「臆病は正義」の執行部。
「庶民感覚麻痺」の公明党。

真逆なんだよね。
 

【重要】〈小説「新・人間革命」〉雄飛 八 にある「理想論」の調査結果

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 6月23日(金)12時31分35秒
編集済
  〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 八 2017年6月23日

政治は、現実である。そこには、人びとの生活がかかっている。足元を見すえぬ理想論は空想にすぎない。現実の地道な改善、向上が図られてこそ、人びとの支持もある。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/71161

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先生のスピーチ・著作から「理想論」に関する指導を集めました。
驚いたことに、理想論を肯定される内容ばかりです。

唯一、理想論を否定されたのは1つだけです。
将来を考える学生に対し「足もとを見つめて、現実を打開していくのが信心です。」と、現実にきちんと向き合う指導をされています。

政治に関する内容は、全て理想論を肯定されていたのです!

過去の池田先生の御発言を基に、本日の新・人間革命を比較すると、明らかに池田先生のご発言では無いと言わざるを得ない。

強き平和への信念を持ち、政治に理想論を持ち込み、それを実現しようとしてきたのが創価学会ではないだろうか。
現実に向き合い、理想を実現できると、声を上げてきた誇りを忘れてはいけません。

以下の指導が全てかはわかりません。
しかし、池田先生の平和思想に関する指導は、「理想」を肯定的に語られているものばかりです。

平和への理想を実現するために、我々は公明党を支援してきたのです!!
この胸の熱き思いを、以下の指導を読み、思い出して下さい。


【理想論を肯定された指導】

「全世界の民衆の総意のもとに、核兵器の解体、廃棄へと向かうべきであると考えますが、いかがでありましょうか。
むろん、このような私の提案は一見、理想論のようにみえるかもしれません。だが、核兵器の際限のない増大につれて、刻々と忍びよる人類滅亡の危機を回避するためには、一刻も早く核全面廃棄の目標に向けて、何らかの確かな第一歩を踏み出さねばならないと私は信ずるからであります。」(1978.7)

「これらの諸問題に対処するにあたっては、理想論とのそしりをうけるかもしれませんが、国境や民族を超越した視点と舞台に立っていくことが急務でありましょう。」(1978.11.19)

「ガンジ―の主張があまりにも現実離れした理想論に見えたときもあったでありましょう。
しかし、長いスパンで戦後の歩みを振り返ってみれば、戦火のなか、自由と民主主義は非暴力によってのみ救われるという「荒野の叫び」を、倦むことなく叫び続けていた、ガンジー的課題を我々が乗り越えたなどとは、とうてい言えません。」(1992.2.11)

「国連中心主義は、私が数十年前から訴え続けてきたことである。その間には、この主張は理想論にすぎないという批判も少なくなかった。しかし世界の平和と調和のためには、どうしても″人類の議会″国連を中心にしていかねばならないと確信していた。」(1990.10.10)

「資源を「軍備」にではなく「人間開発」に投じる新たなグローバルなマーシャルプランが必要、と博士は考えておられるのであります。これを理想論といって片付けるのは簡単ですが、コスタリカ自体が、一九四九年に制定された現行憲法で軍隊を廃止するのに成功していることからも、博士の主張には説得力が感じられます。」(1996.1.26)

「日本国内では、知識人や、労働組合の側から、全面講和を主張する声が、澎湃として湧き起こっていった。五〇年(同二十五年)一月十五日には、三十五人の著名な学者、文化人による「平和問題懇話会」が、永世中立を掲げて全面講和への声明を発表した。
現実主義の政治家たちは、これを理想論として批判した。後に、吉田は、この「平和問題懇話会」の主催者である学者を、「曲学阿世の徒」と呼んで非難するのである。」(人間革命-戦争と講和)

「民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている。
 こう言うと、日本の多くの政治家は、甘い理想論であると言うかもしれない。あるいは、現実を知らないロマンチストと笑うかもしれない。
 しかし、笑う者には笑わせておけばよい。やってみなければわからない。
 要は、人類が核の脅威にいつまでも怯え、東西の冷戦という戦争状態を放置しておいてよしとするのか、本気になって、恒久平和をつくりあげようとするのかという問題だよ」
(新・人間革命5 開道)


【理想論を否定された指導】

「本当に教員になりたければ、必ず、なってみせると決めなさい。もし、大学に進学することが経済的に大変ならば、アルバイトをして学費をつくればよい。夜学に通ってもよい。
 使命に生きていこうとすることは、理想論を語ることではない。観念の遊戯ではない。足もとを見つめて、現実を打開していくのが信心です。困難を乗り越えていく姿のなかに、信心の輝きがある。
 いかなる状況下にあっても、誰よりも力強く、誰よりも明るく、誰よりも清らかに生き抜き、自分は最高に幸福であると言い切れる人生を送ることが、あなたの使命なんです」(新・人間革命9 鳳雛)


 

詰将棋

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 6月23日(金)12時12分19秒
  自民党国会議員、豊田真由子氏の暴言暴行事件。
昨日から何度も放送されているが、あの怒鳴り声を聞くだけで、極めて不愉快になる。
ちょっと病的。サイコパスという言葉が浮かんで来るほどだ。

自民党を離党して終わり、では済まない。議員辞職すべき。あんな人格を、税金を使って養うべきではない。

自民党の元官房長官、河村氏によると、同じ様な男の代議士はいっぱいいるそうだ。(笑)
安倍政権の体質自体、そうなっているのだろう。これで何人目だ?多過ぎて覚えられない。(失笑)
7~8人はいるだろう。
公明党にも二人いるが。

野党4党が、臨時国会召集を要求している。

公明党も閉会中審査をすべきなどと言っているが、いったいどの口が言う!?
共謀罪の成立、加計の幕引きをさせた共犯者のくせに!
本当にズルい党だ。都議選のためなら何でもありだな。
今のところ、悪化したイメージを回復させる、いつもの手にすぎないと判断する。

野党には臨時国会で頑張って貰いたいが、憲法53条、いつまでに開催しなければならないとは、明記されていない。
与党は当然秋口まで引き延ばして来るだろうが、それでは手遅れ。倒せない。

しかし、自民党が野党時代に作った憲法草案には、20日以内の開催とあるらしいので、その矛盾を突いて何とか開催にこぎつけて貰いたい。
世論の強い要望があれば、政府も無視出来ないだろう。
無視し続ければどんどんイメージが悪くなり、都議選に跳ね返る。

もうそろそろ詰将棋の段階に入って来た。
与党の福運はもう切れた。やることなす事すべてが裏目。
よほど下手クソに指し間違えなければ、勝利は確実だ。
 

今日の公明新聞

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 6月23日(金)11時25分16秒
  5面・文化欄にて青山学院大学名誉教授・寺谷弘壬氏の寄稿『ロシア革命 主導したユダヤ人』。
“母方祖父がユダヤ人、母もユダヤ人という説”との文中説明のあるレーニンの写真も配してある。

内容的には特に目新しいものはない。が、青山学院という学校と寺谷弘壬という学者の思想的傾向性を鑑みて、
さらには共産党にこと寄せて北朝鮮ヘイトをやらかしている今の公明党オピニオンとも照らし合わせて考察すれば、
陳腐だが悪質なユダヤ陰謀論を唱導しているかのような懸念を世間の人々に抱かせるデリケートな紙面構成と言える。

ちなみに寺谷氏は公明結党50年に祝辞も寄せてくれた長年にわたるシンパでもある。

創共協定と前後して、「憲法三原理を巡る日本共産党批判」を公明党が展開した時、
勝田吉太郎をはじめとする産経新聞等を根城にした勝共系タカ派知識人が“応援団”を自認し支持母体とセットで擦り寄ってきたのを想起されたし。

信濃町も南元町も「ネトウヨ見習い」から本格派ネトウヨへの道を突き進んでいるようだ。

左隣のアンジェイ・ワイダ遺作『残像』のレビューも切り文で稚拙な反共プロパガンダに悪用される恐れのある文面。

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碓井昭雄さんは志村栄一の後任の『潮』編集長で先生の『生命と仏法を語る』対談者ですね。文芸部長もされてたはず。
志村栄一の前任の高橋康雄編集長の時の『潮』が一般読者からの評価も非常に高かった。
 

虹と創価家族 へ

 投稿者:釈子・創価門流  投稿日:2017年 6月23日(金)10時50分56秒
  在日朝鮮人の創価学会員が居る事をお忘れなくね。
また、北朝鮮に渡った朝鮮人学会員も居たこともお忘れなくね。

 公明新聞に書いてある通り「極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」と書いてあるとおり、それ以上でもないと思いますよ。
 というか、今更にこれを取り上げる?

1997年ですよ。
虹さんは、問題視しなかったのですか?
 

Sへ

 投稿者:釈子・創価門流  投稿日:2017年 6月23日(金)10時45分54秒
    ・ K-汚い
→官邸と自民党が正解。
・K-公安
→ちゃんと調べましょう
公安調査庁
http://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html
 

朝日新聞の投稿欄を見て、びっくりしました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 6月23日(金)10時17分36秒
  今朝の朝日新聞の投稿欄を見て、びっくりしました。
碓井昭雄氏(東京都78)の名前を見て、入信した頃、何度か見たことのある名前だと思いました。

やはり、東大法華経研究会、帝京大学元助教授の碓井昭雄氏だろうと思いますが、その投稿文書が
気に入りません。

曰く、自公連立も基本的に支持している。

集団的自衛権の行使容認も、安保法制も・・・

加憲的改憲の方針にも、政治の方向性としては時代的な必然性があると私は認める。

池田先生を師匠としている、学会幹部の言とは思えない、ひどい輩がいたものだ。

安倍首相を後の方で批判しても、現在の共謀罪は通ってしまったことをいくら、ひどいと言っても
もっと早く自公連立をしたときに、反対すべきだったと、反省すべきだろう。

結局、憲法九条をなし崩ししていくことを、容認すると言う事では無いか!!

この考え方が、硬直化した、現執行部を代表した意見だと言う事に憤慨しているのです。


・・・・・・・・・・・
朝日新聞より・・・抜粋
ああ公明党よ!!

無職碓井昭雄(東京都78)
私は公明党結党(1964年)以来の支持者だ。
自公連立も基本的に支持している。
与党であってこそ大きな政治的実績を上げられるからだ。
集団的自衛権の行使容認も、安保法制も、安倍晋三首相が
打ち出した憲法9条に自衛隊の存在を明記する加憲的改憲
の方針にも、政治の方向性としては時代的な必然性がある
と私は認める。
だが、ここ数年の連立のあり方は深く憂えている。
自民党があまりに劣化しているからだ。
今度のいわゆる「共謀罪」法では、参院での委員会採決
を省く「中間報告」を使って成立に持ち込んだ。
熟議を尽くしたうえでの結論という民主主義の根本への冒濱は、
さすがにひど過ぎる。
私は、自民党を率いる安倍首相の政治姿勢にどこか下卑た、
厚顔無恥の気味があると感じてきた。
今はそれが限りなく鬱陶しい。
公明党はどこまでこの人物に追随しなくてはならないのか。
本来、大衆のため、正義のため、平和のために行動する党
だったはずだ。
「与党の利益」のために理想を放棄し、初心を失うようで
はならない。安倍首相と一蓮托生で行くのか、大衆の
側に戻るのか。
公明党よ、どこへ行く?
 

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