若かりし頃の素行の悪さと相まって、これまでの海老蔵氏の演技は、酷評に告ぐ酷評で塗り固められていた。曰く、台詞に演技がついてこない、役作りが必要な演目なのに極めて浅い解釈で演じてしまう、滑舌が悪く声が通らない、演技がくどくてメリハリがない等々――、とさんざんだった。
が、三年前に父・十二代市川團十郎を亡くして市川宗家当主を継ぎ、昨年は長男・勧玄くんの初お目見えをすませ、そして、麻央夫人とともに闘うことで海老蔵氏の芸は一皮剥けたようだ。成田屋には悲しいできごとが続いているが、判官贔屓の日本人は、だからこそ成田屋を応援したいと思っているはずだ。
海老蔵氏のブログには、麻央夫人の回復を願うコメントと海老蔵氏を支援するコメントに並び、マスコミを非難するコメントもずらりと並んでいる。マスコミの取材攻勢は相当に嫌われているようだ。でも、海老蔵氏が、自分を擁護するコメントだけを受け入れていたら、成田屋はいずれ廃る。
成田屋は長らく人間国宝を輩出していないが、いつの日か、海老蔵氏の芸が人間国宝に認定される日が来ないとも限らない。一皮剥けた海老蔵氏がさらなる精進を重ねたら本当にわからない。
その可能性を秘めた海老蔵氏には、自粛を要請するのでなく、メディアとぎりぎりの折衝をしてほしいと私は思う。
取材陣が取り囲んだせいで家から出られず、勧玄くんは幼稚園を休んだという話もあるが、海老蔵氏とメディアが早い段階で話し合いの場を設けていればよかったようにも思う。海老蔵氏は、埋め合わせの会見なり別のシャッターチャンスを設けることを約束し、取材陣は子どもの送り迎え他の写真は撮らないとの取り決めを早くに申し合わせていれば、もしかしたら今回の自粛要請には至らなかったかもしれない。
にらみが成田屋の“お家芸”であるように、執拗なのがメディアの“お家芸”でもある。だが、海老蔵氏が何があっても守り抜くと決めたプライバシーを侵害する権利は、いっかなマスコミでもあるはずがないのだ。取材現場を歩く記者たちの自制と理性と良心とが、メディアの成熟度を映し出すのである。
こたびは、現場の記者さんらに自制と理性と良心があったか、だ。
メディア各誌がそれぞれ違う角度から切り込めば過熱する取材攻勢もメディアスクラムもなくなるのだが、いまのところ、それは理想論のようだ。
参考記事:J-CASTニュース6月18日
週刊新潮6月23日号他