その盗撮の度合いが一線を越えていると判断しうる下劣な写真であるならば、私もJ-CAST氏と一緒にその媒体を糾弾してもいい。やってはいけないことをやった媒体があれば、同業者として強く抗議することもやぶさかではない。

 だが、海老蔵氏がブログに書いた自粛要請を“必死の訴え”と綴るJ-CAST氏の書きぶりを読むにつけ、もしかしたらこの方は本物の“取材現場”をご存じなく書いているのではないかと勘ぐったりもする。メディアスクラムの現実を見知っていれば、海老蔵氏のブログを“必死の訴え”などと表現したりしないからだ。

 私にはメディアスクラムの輪から逃げ出した情けない過去がある。こんなところで取材したくないと思っての逃避だったが、私たち取材者は誰もがそんな経験をしている。

 週刊誌の編集者やライターは、そのネタを記事にする意義と、記事にしたとき名誉毀損で訴えられる可能性の有無を取材段階で考えるものだ。だから、後々、問題視されかねない行動は慎み、危うい取材はしないはずなのだ。だからこそ、モラル無用の媒体はその不逞を非難されるべきでもあるのだけれど。

 また、週刊誌は当たり前のように“盗撮”をする。ベッキーばかり槍玉に挙げるようで申し訳ないが、彼女が長崎のホテルで川谷くんと密会しているときの写真も、宮崎謙介議員(当時)のマンションを訪れた不倫相手の写真も、古くは民進党の細野剛志議員がお嬢さんの運動会をスッポかして山本モナさんと京都旅行に行った際の“路チュー”写真も、自民党の中川郁子議員と門博文議員の“不倫路チュー”写真も、全部隠し撮りだ。

 私はマスコミの“盗撮”を否定しないが、もし、断りもなく市川家への侵入を試みる、道を挟んだ真向かいのマンションの上層階を借り窓際に固定した望遠レンズから市川家の屋内の撮影に臨む、関係者を装い麻央さんが入院する病院に潜り込む等々の行為があれば、それは非難されても仕方ないだろうと思う。そんな不埒なカメラマンはいたのか、J-CAST氏に訊いてみたいところだが。

 長男・勧玄くんは青山学院大学附属幼稚園に合格していたが、母親の担務が多岐にわたることから入学を取りやめ、自宅近くの幼稚園に通うことにしたのだという。また、片岡愛之助氏は九月に披露宴を控えているため、海老蔵氏はこの親友にも麻央夫人の病状を伏せるといった心遣いも見せていた。演劇担当記者が言う。

「今年五月、尾上菊之助、尾上松緑とともに『菅原伝授習鑑』の『寺子屋』の段を演じました。海老蔵の役どころは、主君の息子を守るため自身の息子の命を差し出す舎人。肝が据わっていて、別格でした(中略)

 “でかしゃった、でかしゃった”と、打たれた息子の首を見て褒めるさまは圧巻。抑えに抑えた感情が一気にほとばしる。麻央さんの病にぴたりと寄り添い、このことが外部に漏れないよう、耐えてきた。その日々を経験したからこその演技だったと思います」