ライターのじょーです。
今まで「発達障害」に関連する記事を様々書いてきました。
そうではない人に対しては当事者の気持ちをわかってほしい。
当事者の人には一歩踏み出すきっかけになってほしい。
そう思って書いてきました。
ずっと書いてきたのですが、書いていて違和感を覚えることがありました。
もやもやとする気持ちが湧いてきました。
しばらく何なのかその正体がわからなかったのですが、ようやく見えてきたので記事にします。
「発達障害」という言葉は存在しなくなった方がいいんじゃないかと感じたからです。
それか、こう言い換えてもいいかもしれません。
本当に「発達障害」じゃない人はこの世の中にはいないと思うからです。
「発達障害」はものすごく曖昧な言葉
発達障害は「脳の特性」の一つにすぎません。
敢えて乱暴に言いますが、自閉症もADHDも
・人より極端に「好き嫌い」が激しいだけ
・人より注意が逸れやすいだけ
ともいえると思います。
それが人とトラブルになったり、仕事で問題になるから「発達障害」と言われます。
もう少し言うと、周りの人間が問題視するから「発達障害」になります。
なので、その一方でこういわれることもあります。
「別に大したことじゃないんじゃない?」
って言われることがあります。
この言葉が嫌いではあるんですが、ある意味で一理あるなと思っています。
好き嫌いだって、注意がそれることだって人間だれしもあることです。そういう傾向はたいてい誰しもありますよね?
全く注意がそれることがない人もいないはずですし、周りが見えないことが全くない人もいないはずです。
乱暴な言い方なのは承知の上ですが、本当に「発達障害」じゃない人もこの世の中にはいないなとも思っています。
でも今の現状「発達障害」だと言わないと、理解されないのが発達障害なんです。だからこの言葉なんてなくなればいいってたまに思うことがあります。
大人の発達障害の診断だと100%「客観的な」診断を下すことは難しい
僕自身28歳のときに病院に行って検査を受けました。
WAISⅢという仕事の処理能力のテストも、脳波の診断も受けました。
カウンセリングで、過去にどんなことがあったかなるべく詳細にお話もしました。
でも、それが絶対に正しい事実だとは言えないですよね。
脳波だけでは確実な診断はできません。逆にカウンセリングだけでもテストだけやってもできません。
逆にカウンセリングをしただけで診断されるような場合もあるようです。
僕自身は客観性をかなり重視したので丁寧に診断していただいたと思っています。
それでも決定打になったのは、「行動に自閉症の傾向がある」からその可能性が高い、そう診断されたにすぎません。
成人になった場合は特にですが、100%間違いない診断なんてできません。というか、眼にはっきりと見える要因は存在しない以上不可能です。
だからこそ「場所」が変われば発達障害だと診断されるほどの問題が起きないこともあります。逆に「場所」が発達障害を作ることもあります。
例えば、ちょっとミスが多い人でも、さりげなくフォローする人がいれば問題が目立たないということもあります。得意分野があれば、そこで活躍できる人も中にはいます。
逆に気付かずにフォローされていて転職して場所が変わっただけで全然うまくいかないということもありえます。
同じ自閉症の人でも感覚もバラバラです。得意なものも苦手なものも同じ自閉症というくくりだと思えないほど違うことだって普通です。
そのくらい曖昧なものだからこそ、うまく適合できなかった人にだけ「発達障害」という言葉が使われるのが少し腑に落ちません。
いや、理屈ではわかります。
当事者も周りの人間も困っているからこそ、診断が必要な人もいるでしょう。
でも、仮に困っていなかったら診断なんて必要ありません。
正直に言うとなんとも言えない気持ち悪さがあります。
「多様性」を本当に認められる社会になったら、「発達障害」なんて言葉はなくなる。
自閉症もADHDもLDも「人とちょっと違うだけ」
そう思われる世の中になればいいなと思います。
その一方で、それが全世界で成立するなんて話は夢物語だと正直思っています。
自閉症や発達障害の認知度が上がっているのもわかっています。
発達障害を持っている人が少しでも働けような取り組みがあるのも知っていますし、僕自身そこに携わる人たちの知り合いもいます。発達障害に対する理解度が本当に高く、人間力がとても高い人たちだと思います。
それでも、まだ「発達障害」という言葉を社会が必要としていると感じます。
納得できないし、するつもりもないですが、この「腑に落ちなさ」は大事にしていきたいと思っています。
だから、できることなら「発達障害」という診断を受けた人たちが自分を卑下する必要はないんだよということは強く伝えたいなと思います。
ではでは!