「平和の礎(いしじ)」へ行きたいと 父が言った
1997年 7月父と一緒に 沖縄へ旅した時のこと
父の胸には 砲弾の傷痕生々しく残り
(私が高校の時 その傷が化膿して手術し 看護婦という職業を初めて意識した時でもある)
満州での戦争時のことは ほとんど話すことも無かった父からそういう希望が出たことに驚いた
娘らにも ぜひ見せておきたかった
もちろん、自分自身にも
沖縄戦のことを 忘れないために、平和であることが どんなにすばらしいことなのかを 心に留めておきたかった
初めての沖縄だからと あちこちを訪ねたが
父は 摩文仁(まぶに)の丘や平和の礎に立ち
帽子を脱いで 黙って立っていた父を
今朝のニュースを聞きながら 急に 思い出した
3年後に 亡くなった父
政府が作ったという 北朝鮮の弾道ミサイルが飛んで来たら
こうしなさいというビデオを流すそうな…
はてさて 戦争で亡くなったお空の人たちは どう思っておられることやら
あらためて 合掌