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敷島の大和心を人問わ(は)ば 朝日ににおう (ふ) 山桜花(本居宣長)。日本は天皇を国家最高権威とし、民を「おほみたから」とする「シラス国」です。


支那人がウシハクとき

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20170620 入唐求法巡礼行記
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20170526 古事記弐


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 7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
 7月23日(日)14:00 第 1回名古屋倭塾(テーマ:古事記)
 7月27日(木)18:30 第17回百人一首塾
 *****

「ウシハク」というのは、古い大和言葉で、権力を持って人を支配することや、あるいは権力者そのものを言います。
人が世を気づくためには、どうしても上下関係は必要なもので、かつ、世の中は善人ばかりではなく、中には悪い奴も必ずいるし、人の心の中には、誰にもでも悪人が住んでいるものです。
ですからそうした人の世を統治するには、いきおい上下関係が必要となりますし、上に立つ者は人を支配する権力を得ることになります。
これを古い大和言葉で「ウシハク」と言ったわけです。

ウシハク者は、人を支配し、そのために必要な「権力」を揮います。
ただし、そのためには、「権力の認証」と、「責任の所在」の2つが必要です。

「権力の認証」というのは、権力は権威ある者から認証を受けなければ、人に揮うことができないという意味です。
このことは、会社に例えればすぐにわかります。
どんなに部長としての能力・人望があっても、会社から「何月何日をもって◯◯を◯◯部長に任ずる」という人事の辞令をもらい、かつ、その日にならなければ、部長としての決裁権も指揮権もありません。

「責任の所在」というのは、権力を揮う者は、必ず責任を負わなければならない、ということです。
世の中に「行為に責任を負わない権力ほど恐ろしいものはない」のです。
これが、今日のお話のテーマになります。

先に申し上げておきますが、ウシハク権力は、それが最高の頂点の立つことほど酷い不幸はありません。
ウシハクは、どこまでもシラスの中に配置することで、はじめて、公共の福祉となります。

我が国の自衛官がどこの国の軍隊よりも立派なのは、軍備装備の一切を「国民からお預かりしている」という強い自覚と信念を持つからです。戦前はそれが「天皇陛下から」と言われました。
同様に、我が国の大工さんなどのいわゆる職人さんが、道具を大切にするのは、仕事が天職であり、使う道具は天から与えられているという強い自覚があるからです。

「お預かりしている」という自覚は、当然に責任を生みます。
ところが「預かっている」のではなく、「自分のもの」という自覚に立つと、そこに必ず放縦な無責任が生じます。



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『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』は、遣唐使として支那(唐の国)に渡った平安時代の日本人僧侶の円仁(えんにん、794-864)が、唐の国での体験を綴った本です。
円仁は、栃木県出身の僧侶で、後年、比叡山延暦寺第三代天台座主の慈覚大師(じかくだいし)となった人です。

その慈覚大師の『入唐求法巡礼行記』は、全文漢文で書かれており、世界では僧正玄奘(げんじよう)の『大唐西域記』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』と並んで、中世東アジアの三大旅行記とされている書です。

ところがそれほどまでに有名なこの書が、戦後の日本では、まったく知られていないどころか、学校でも教えられず、またこれを紹介する本もほとんど出ていません。
いまだと1961年の筑摩書房の『古典日本文学全集』の第15巻・仏教文学集の中に、他の仏教関連書と並んで、ようやくその原文と現代語訳文を見つけられますが、他にとなると、文庫版もあることはあるのですが、唐の国に出発するまでと、唐からの帰国の際の苦労話、つまり前後の物語だけしか紹介されていず、肝心の唐の国での見聞録のところ、唐の国での10年間の体験談にあたるところが、ごっそりと抜け落ちています。

その抜けているところが、実は肝心なのです。
そこに何が書かれているかというと、承和5(838)年から、承和14(847)年の唐の国の現状です。
このときの唐の皇帝は武宗(ぶそう)で、武宗は、道教に入れ込んで、仏教を弾圧した、晩唐の皇帝として知られる人です。

円仁は、滞在中に、百回近くにわたって日本への帰国願いを出していますが受理されず、最期はなんと、外国人僧侶追放令にあって、ようやく帰国できました。
そういう時期のお坊さんの渡唐記録なのですが、内容はすこしも私情を交えず、冷静に、きちんとした観察眼をもって綴られています。
そして冷静だからこそ、世界中から、この書がたいへん高く評価されているのです。

そこでこの本文をすこしご紹介してみたいと思います。
原文は漢文なのですが、筑摩書房の古典日本文学全集〈第15〉仏教文学集、入唐求法巡礼行記(堀一郎訳)をもとに、ねず流で、おもいきった現代語訳にしいます。

シラスがなく、ウシハクだけになったときの恐怖を、円仁の著書から学んでいただけると嬉しく思います。

==========
『入唐求法巡礼行記』
円仁(第三代天台座主:慈覚大師)

皇帝の討伐軍は、叛乱軍が立てこもる州の境界線で、叛乱軍の激しい抵抗にあって攻め込みきれないで境界線上にとどまっていました。
すでに多くの日数が費やされています。
皇帝からは進軍を促す催促が、毎日、矢のように来ています。
けれども叛乱軍の抵抗が強くて前に進めません。

ところが追討軍が前線から進められないでいることを、中央で「あやしんでいるらしい」というのです。
それを知った征討軍はびっくりして、戦線付近の牛飼いや農夫たちを捕まえて、これを叛乱軍の捕虜と偽って、長安の都に送りました。

長安では皇帝から勅令が発せられ、儀礼刀が賜(たまわ)られ、街頭でその偽りの捕虜たちの処刑が行われました。
捕虜たちは、三段に斬られ、あるいは左右両軍の兵馬が、彼らを取り囲んで捕虜たちを撲殺しました。
かくて前線からは、続々と捕虜たちが送られて来るようになり、兵馬は休みなく往来し、市街で殺された死骸は道路に満ち、血は流れて土を濡らし泥となりました。

これを見物する人も道にあふれました。
皇帝もときどき見物にやって来ます。
一般のウワサでも、「護送されてくるのは叛乱軍ではなくて、近隣の牛飼いや農民ばかり、罪もないのに叛徒に仕立てあげられて捕らえられて来たものだ、皇帝の軍隊はまだ州の境界線を突破できず、皇帝に戦果の上がらないのを怪しまれないようにするために、むやみと罪もない人民を捕まえては都に護送しているのだ」と、言っています。
もう誰もが知ることなのです。

にもかかわらず、そんな捕虜たちを、左右両軍の兵士どもは、斬り殺しては、その眼肉を割いて食べています。
だから市中の人々は、いずれも今年はなんと不吉な年かと言っています。

・・・・・・・

山西省の太原府の三千の軍は、三年間ウイグルとの国境守備に任じられ、ようやく今年、ウイグルを破って凱旋してきました。
ところが太原府に帰ってまだ日も経たないうちに、節度使はこれを再び四川方面の叛乱軍討伐に出発させようとしました。

将兵たちは「三年もウイグルと戦って苦しい思いをし、疲れきって帰国してきたばかりです。故郷に帰って、まだ父母にも妻子にも会っていません。どうか他の軍隊を派遣していただきたい」と固辞しました。
ところが節度使は「皇帝の命令である」と聞き入れません。

このため三千の軍が暴発して太原府城に押し寄せ、節度使を攻撃しました。
節度使は、この事態を皇帝に報告しました。
都から尋問使がやってきました。
調査の結果、尋問使たちは、「この者らは、ウイグルを討伐した功績をあげており、言い分はもっともである。当然、死罪にすべきではない」と、詳しく理由書をつけて上奏しました。
けれどもその上奏は聞き入れられず、三千人は東市の北街の塚のほとりで全員、斬り殺されました。

・・・・・・・

9月にはいって、四川方面の叛乱軍がようやく大敗しました。
叛乱軍の軍団長らは、捕虜として都に護送されました。
彼らへの処刑は67回に及びました。
後に叛乱軍の首魁の劉従簡(るうじゅうかん)の首が長安の都に送られて来ました。
都では、この首を三叉の槍の頭に差し抜き、三丈あまり(10m弱)の竿(さお)の先に名前をしるして、東西の市(いち)を巡回して、内裏に行進しました。

皇帝は銀台門の楼上に坐して、この行列を見て大いに笑いました。
その後数十日のうちに、叛乱者たちの財産や宝物、家具などの一切を政府に没収し、毎回7〜8台の金で装飾した車が、これらを満載して都に入り、宮廷の倉庫に納めました。

・・・・・・・

※ 仏教と僧侶たちのことも書かれています。

・・・・・・・

8月に太后(たいこう)が薨去(こうきょ)されました。
姓は郭(かく)で、太和皇后といいます。
太后は、仏教をとても篤(あつ)く信仰していました。

皇帝は道教を信仰しています。
その皇帝から、僧侶や尼僧を淘汰せよという条例が出るたびに、いつも皇帝に諫止(かんし)していたのが太后でした。
皇帝は、そんな太后を、薬酒をすすめて毒殺してしまいました。

また義陽殿(ぎようでん)におわす皇后は(皇帝の実母)たいへんな美貌の持ち主でした。
皇帝は、その母を後宮に召し入れて妃(きさき)にしようとしました。
あたりまえのことですが、皇后は拒絶しました。
すると皇帝は弓で皇后を射殺してしまいました。

・・・・・・・

道教の道士である趙帰真(ちょうきしん)らは、皇帝に、
「仏教はインドで生まれて『不生』を説いているが、『不生』とは、単に死のことである。仏教はまた、さかんに無常や苦、空を説くが、これはまことに奇っ怪な妖説であって、道教にいう無為長生(無駄に長生きしない)の原理を理解していない。
老子は、無為自然にあそんで仙人となり神薬を練った。この神薬を飲めば、不老長寿となり、神仙界の一員となることができる。その功力は無限である。
そこで願わくば、宮廷内に神仙台を築き給え。
身体を練磨して、神仙界にのぼり、九天に逍遥し給え。
必ずや陛下の聖寿万歳となり、もって長生きの楽しみを保ち得られることでしょう」と奏上しました。

皇帝はこの奏上を聞いておおいに喜びました。
左右の近衛兵に命じて、宮城内に、神仙台として「望仙楼」を築かせました。
それは、高さ45メートルの楼閣でした。
皇帝は「望仙楼」ができあがることを、とても楽しみにされ、毎日左右の近衛兵三千を動員して土を運ばせ、築造させました。

皇帝は、一刻もはやく完成させたい意向でした。
毎日、できあがりを催促されました。
左右両軍の近衛兵の団長も、指揮棒をとって監督にあたりました。

ある日、皇帝が視察に赴きました。
皇帝は宮内長官に向かって、「あの棒を手にしているのは誰か」と問いました。
長官は、「軍団長みずからが築台の指揮をとっています」と答えました。
すると皇帝は、
「汝、棒を手にして指揮する必要はない。自分で土を担って台を築け」と命じました。
またある日には、「望仙楼」の工事現場に出かけた皇帝は、自ら弓をひいて、何の理由もなく将校のひとりを射殺しました。

・・・・・・・

3月3日、仙台の築造が完成し、皇帝に引き渡しの儀が行われました。
その日、皇帝は、仙台に登りました。
両軍の司令官や道士たちも、登りました。

その途中、両軍の司令官が、道士の趙帰真に、
「今日、仙台の引き渡しが行われますが、あなたがた道士は、不老不死の仙人になれますか?」と問いました。
趙帰真は、うなだれたまま、何も答えませんでした。

皇帝は「望仙楼」に七人の道士を招き、神薬を練り、空を飛んで仙人となる術を行わせました。
皇帝が「望仙楼」に登った日、皇帝は同行した楽師に、「左近衛師団長を建物から突き落とすように」と命じました。
ところが屈強な師団長を前に、楽師はこれができません。
皇帝は、「朕が突き落とせと命じたのに、なぜ命令に従わぬのか」と問いました。
楽師は、「軍団長は国家の重臣です。これを故なく突き落とすことなどできません」と答えました。
すると皇帝は怒り、楽師の背中を杖で20回殴りつけました。

望楼の上で皇帝は、そこにいる道士たちに、
「朕は、ここに二度足を運んだが、汝たちにまだひとりも登仙した者がいないのは、どういうわけか」と問いました。
道士らは、「国中に仏教がはびこり、その邪気がたちこめているために登仙になることができないのです」と答えました。

皇帝は、宮城内の僧道奉行に対し、「朕はお主らを必要としない」と宣言しました。
そして数日のうちに、国中の僧侶や尼僧で、年齢が50歳以下の者は、すべて強制的に還俗させ、そのまま本籍に返せとの勅令が発せられました。

実はこれには裏話があります。
皇帝は当初、「仙台を築くために掘った土の穴が極めて深く、人民に恐怖と不安を与えている。朕はこれを埋めたい。ついては仙台の落慶供養の食事会を催すといつわって、近隣の僧侶や尼僧をことごとく、無理やりにでも左近衛軍営内に集め、その首を斬り、その死体で穴を埋めよ」と命じたのです。

これにおどろいた卜(ぼく)某が、「僧尼といえども、もともと国家の民です。せめて還俗させて各自生産を営ませれば、国家に利益があがります。穴に追い込むようなことはせず、還俗させて、すぐに地方に帰し、役夫にでもさせればよろしい」と申し上げ、皇帝が「もっともである」とこれを受け入れたために、先の勅命となったのです。

さりとて僧尼たちは、どうしてよいかわからない。
私(円仁)は、書類を提出して還俗したうえで、日本に帰りたいと請願したのですが、奉行もこれを受け取ったきりでまだ返事がありません・・・。

=========

と、話はまだまだ続くのですが、ここまでお読みいただいて、いかがお感じになりましたでしょうか。
責任を伴わない権力というものの恐ろしさが、いやというほど書かれていることにお気づきいただけたのではないかと思います。

円仁が帰国した47年後の寛平6(894)年、菅原道真は、遣唐使を廃止しました。
そしてその13年後の907年に、唐は滅亡しています。
唐の滅亡は、当時の東アジア全体をゆるがす大事件でした。
それは、東アジア秩序の崩壊でもあったし、支那本土内で、大混乱、大虐殺は、周辺国へも多大な影響を与えたのです。
ところが日本は、13年前という、絶妙なタイミングで遣唐使を廃止し、事実上の鎖国をしています。
当時の政治家たちの先見性には、ほんとうに知れば知るほど驚かされます。

支那の場合は、現在に至るも、ずっとウシハクが国の頂点に立ち続けたままの社会です。
そしてこれが歴史的に常態化している支那では、王朝が代わっても国のカタチは変わりません。
なぜなら支那は、王朝交替によって神話と歴史を失い、古代においてシラスという国家の形成の機会を失ったまま現在に至っているからです。
そしてこれによって、支那では王朝が代わっても支那人は支那人のままになりました。
王朝代わっても、支那人は変わらないのです。
彼らにとって、権力はウシハクものでしかなく、他に異なる文化があるということを、まったく知らないし、知ろうともしないからです。

(参考文献)
筑摩書房『古典日本文学全集』第15巻・仏教文学集
産経新聞社『国民の歴史』西尾幹二著

※この記事は2015年3月の記事のリニューアルです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
ねず先生のお陰で支那や朝鮮の異文化(異心)を嫌い、大和心に帰れと述べられた本居宣長の言う事が何となく分かってきました。

支那中国と属国の韓国朝鮮は、ウシハクだけの政治形態。 だから権力者は
何一つ責任を負わないので好き勝手な事をして、最後は地獄へ落とされる訳です。 けれど悲しいかな権力者は
何しても良いという意識が支那人、韓国朝鮮人の意識の根底にあるから、
そういう大統領が選ばれ、中国共産党という独裁政治がまかり通る訳です。
男系の皇孫という神聖な権威(天皇)により一人一人が尊厳を付与されているのが、シラスである私達日本国民です。 だから人様を上下関係でみない、対等意識が誰にでもある訳です。 真に有り難いと想います。
一言、シラス国の破壊に繋がる女性宮家、女性天皇など日本にはいりません。 女性宮家より、全てではないが、心ある男系の旧宮家を皇族へ復籍させるべきです。
2017/06/23(金) 07:54 | URL | 大阪都民 #-[ 編集]
いつもありがとうございます。
似非の権威と権力が一つになる恐ろしさが唐であり、今の中国共産党なのが、よく分かりました。
畏れながら天皇は天照大御神様に責任を負い、総理大臣以下官僚(公務員)は、天皇陛下の認証の元、国民に責任を負っています。 責任の伴わない権力が、何れだけ恐ろしい事なのか忘れては生けません。
2017/06/23(金) 07:24 | URL | #-[ 編集]
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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
静岡県出身。国史啓蒙家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
連絡先: nezu3344@gmail.com
著書
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第1巻〜第3巻
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
日々、先人たちへの感謝の心でブログを書き綴っています。それが自分にできる唯一のお国への、先人たちへの、そしていま自分が生かさせていただいていることへのご恩返しと思うからです。こうしてねずブロを続けることで、自分自身、日々勉強させていただいています。ありがたいことです。

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