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【社会】沖縄は今も戦場なのか 不条理歌う「オスプレーの道」
◆伊江島出身の男性 72年前と重なる「頭上の恐怖」二十三日は沖縄慰霊の日。七十二年前のきょう、沖縄戦で組織的な戦闘が終結した。ところが今も、三線(さんしん)の音にのる歌詞は「住み馴(なれ)し我島(わしま) 戦場(いくさば)どやるい(戦場なのか)」。沖縄県宜野湾(ぎのわん)市上大謝名(うえおおじゃな)地区の老人会長、山城賢栄(やましろけんえい)さん(78)が最近あえて自作した地域の歌「オスプレーの道」だ。米軍の新型輸送機オスプレイが頭上を通る。「それが現実だから」 (辻渕智之) 「うてぃらんかや(落ちはしないか)」。オスプレイの「灰色の巨大な腹」が迫るたび、そんな会話や睡眠を騒音が妨げ、民家の防音窓は震える。地区は米軍普天間(ふてんま)飛行場の滑走路の延長線上すぐにある。 「上大謝名ぬ部落(しま)や オスプレーぬ道でむぬ(上大謝名の地域はオスプレイの道だよ)」。歌は二年前、地区公民館の完成式での余興用に作った。 「騒音はある程度慣れる。でも恐怖には慣れない」。式に出る防衛省の職員や国会議員に伝えたかった。だが一部の住民が歌詞に難色を示し、完成式で歌うことは断念した。最近は地区の催しで仲間と披露している。 オスプレイは昨年十二月、同県名護市沖で不時着、大破した。安全性が懸念される中、今月六日夜には県北部の離島・伊江島(いえじま)に緊急着陸した。その伊江島は山城さんの生まれ故郷だ。 伊江島は沖縄戦の際、旧日本軍が急造した「東洋一」と呼ばれる飛行場があり、米軍が上陸。地上戦は悲惨を極め、島民の四割約千五百人が死亡した。知人の少女らが爆弾を背負って戦車に体当たり。軍属の父、少年兵となった兄も命を落とした。当時六歳の山城さんは沖縄本島に疎開。頭上の敵機が機銃掃射を浴びせ、「夜に森の中を逃げ回り、狭い壕(ごう)でおびえた」。 今、伊江島は面積の35%を米軍用地が占め、オスプレイが訓練で頻繁に飛来する。「米軍は伊江島の飛行場を重要視して、伊江島を狙った。だから今、北朝鮮あたりが沖縄を狙ってミサイル撃たんかや(撃ってこないか)、と」 故郷の島は「沖縄戦の縮図」といわれる犠牲を払った。今の住まいは、「世界一危険」な普天間飛行場のそばだ。「戦争でたたきのめされ、基地に苦しめられ続ける。あまりにも理不尽だ」 一方で、オスプレイは横田(東京都)、厚木(神奈川県)の両米軍基地をはじめ、沖縄から首都圏への飛来も増えた。「オスプレイの道」は全国に広がっている。「反対しても住宅密集地の上を飛ぶ。ばかにされてるのかね」 二十三日は沖縄県南部の平和祈念公園に「平和の礎(いしじ)」を娘や孫と訪れる。亡き父と兄の名が刻まれている。「オスプレーん飛(とば)ん 平穏御願(しじかうにげ) オスプレーん飛ん 平和御願」。自作の歌詞どおりに願う。 PR情報
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